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力と技への感動と共感、社会に刻まれた深い不信と分断、IOCの尊大さ~東京五輪閉幕の在京紙、北海道新聞の社説の記録

 一つ前の記事の続きです。
 東京五輪が8月8日閉会しました。新聞各紙も9日付の社説、論説で大会を振り返り、今後の課題を展望しています。発行元の新聞社が大会の公式スポンサーに名前を連ねる全国紙5紙と北海道新聞、それに東京で発行している東京新聞(中日新聞と同一)の各社説を読み比べてみました。
 目を引くのは、読売新聞と産経新聞の積極評価です。書き出しで「新型コロナウイルスの世界的な流行という困難を乗り越えて開催された異例の大会として、長く語り継がれることだろう」(読売新聞)、「無観客を強いられたが、日本は最後まで聖火を守り抜き、大きな足跡を歴史に刻んだ」(産経新聞)と、ともに歴史的な偉業を成し遂げたと強調しています。ただ、その評価の源は、主には「世界各国から集まった一流の選手たちが見せた力と技」(読売新聞)への感動や共感であって、その意味では多分に情緒的だとも感じます。
 また、大会期間中の報道姿勢を通じて2紙に顕著な姿勢なのですが、日本政府や自治体が不要不急の外出自粛を呼び掛けている一方で、国際的な大イベントを開催することが、人々の心理的な緩みを招いて感染の急拡大の一因になっているのでは、との指摘があることにはほとんど触れていません。読売新聞の社説は「選手村などで大きな集団感染が起きなかったことが、成功の証しと言えるのではないか」とまで書いています。五輪大会は日本社会とは異なる「パラレルワールド(別世界)」での出来事だととらえているかのような評価軸です。
 一方で、大会の総括として厳しさが目立つのは朝日新聞や北海道新聞、東京新聞(中日新聞)です。
 朝日新聞の社説は書き出しで「明らかになった多くのごまかしや飾りをはぎ取った後に何が残り、そこにどんな意義と未来を見いだすことができるのか」と、やはり歴史的な視点を打ち出していますが、読売、産経とはまったく趣きが異なります。朝日新聞は5月、菅義偉首相に対して、五輪大会の中止を求める社説を掲載していました。しかし五輪は強行されました。同時にコロナの感染は爆発的に拡大し、打つ手がない状況です。「安倍前政権から続く数々のコロナ失政、そして今回の五輪の強行開催によって、社会には深い不信と分断が刻まれた」との指摘は、日本社会の深刻な危機を言い当てているように感じます。
 東京新聞(中日新聞)と北海道新聞はともにIOCを激しく批判しています。東京・中日は「国連機関でも何でもないIOCの硬直的で、国家主権をも顧みない独善的な体質に、私たちはもっと早く気付き、学ぶべきだった」と書き、北海道新聞も「パンデミック(世界的大流行)下でも開催にこだわって反対論を抑圧し、開催国の主権をないがしろにするかのようなIOCの傲慢(ごうまん)な姿勢は看過できない」としています。札幌市は2030年の冬季五輪招致を目指しています。五輪開催が地域とそこに住む人たちを幸せにするのかどうか。今回の東京大会を通じて知られるようになったIOCの尊大さからは、そんなことも考えさせられます。

 以下に、各紙の9日付社説の見出しと書き出し部分、印象に残った部分を書きとめておきます。サイト上で全文が読めるものはリンクも張りました。日経新聞は有料コンテンツですので、書き出し部分のみにしました。

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【8月9日付】
▼朝日新聞「東京五輪閉幕 混迷の祭典 再生めざす機に」/「賭け」の果ての危機/失われた信頼と権威/虚飾はいだ先の光
 https://www.asahi.com/articles/DA3S15004172.html

 東京五輪が終わった。
 新型コロナが世界で猛威をふるい、人々の生命が危機に瀕(ひん)するなかで強行され、観客の声援も、選手・関係者と市民との交流も封じられるという、過去に例を見ない大会だった。
 この「平和の祭典」が社会に突きつけたものは何か。明らかになった多くのごまかしや飾りをはぎ取った後に何が残り、そこにどんな意義と未来を見いだすことができるのか。
 異形な五輪の閉幕は、それを考える旅の始まりでもある。
 (中略)
 これまでも大会日程から逆算して緊急事態宣言の期間を決めるなど、五輪優先・五輪ありきの姿勢が施策をゆがめてきた。コロナ下での開催意義を問われても、首相からは「子どもたちに希望や勇気を伝えたい」「世界が一つになれることを発信したい」といった、漠とした発言しか聞こえてこなかった。
 不都合な事実にも向き合い、過ちを率直に反省し、ともに正しい解を探ろうという姿勢を欠く為政者の声を、国民は受け入れなくなり、感染対策は手詰まり状態に陥っている。
 安倍前政権から続く数々のコロナ失政、そして今回の五輪の強行開催によって、社会には深い不信と分断が刻まれた。その修復は政治が取り組むべき最大の課題である。

▼毎日新聞「東京五輪が閉幕 古い体質を改める契機に」/多様性求める選手たち/コロナ下でひずみ露呈
 https://mainichi.jp/articles/20210809/ddm/005/070/042000c

 新型コロナウイルス下で行われた東京オリンピックが閉幕した。
 史上初の延期に加え、大半の会場に観客を入れず、選手を外部から遮断する「バブル方式」などの措置が取られた。祝祭感なき異例の大会となった。
 原則無観客で開催されたことによって、人の流れはある程度、抑制された。だが、マラソンなど公道での競技には、五輪の雰囲気を味わおうと人が詰めかけた。
 選手村では行動が制限され、ウイルス検査が連日行われた。ストレスの多い生活に選手から不満が漏れ、無断外出で大会参加資格証を剥奪される例もあった。
 選手にとっては「おもてなし」とは程遠い不自由な環境だっただろう。だが、感染を抑えるためには、やむを得ない対応だった。
 ただ、1年延期によるこの時期の開催が適切だったのかは、閉幕後も問われ続ける。酷暑の問題も含め、主催者と日本政府はきちんと検証しなければならない。
 (中略)
 IOCだけでなく、政府や東京都も開催ありきの姿勢を貫いた。「安全・安心」を繰り返すだけで開催の意義を語らず、政権浮揚に五輪を利用しようとするかのような姿勢が国民の反発を招いた。
 大会組織委員会の森喜朗前会長の女性蔑視発言や開会式演出担当者の過去の言動など、関係者の差別的な体質が次々と表面化した。「多様性と調和」という大会ビジョンは見せかけに過ぎないと多くの人の目には映ったはずだ。
 五輪の暗部が白日の下にさらされ、「開催する意義は何なのか」という根源的な問いが人々に投げ掛けられた。

▼読売新聞「東京五輪閉幕 輝き放った選手を称えたい 運営面での課題を次に生かせ」/強化策が実を結んだ/女子の活躍が目立った/浮き彫りになった問題
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210808-OYT1T50242/

 57年ぶりの東京五輪が幕を閉じた。新型コロナウイルスの世界的な流行という困難を乗り越えて開催された異例の大会として、長く語り継がれることだろう。
 今大会は、史上初めて開幕が1年延期され、大部分の会場が無観客になるなど、新型コロナの影響によって、当初計画から度重なる変更を余儀なくされてきた。
 (中略)
 17日間の会期中、感染力の強いデルタ株の広がりで東京都内の新規感染者数が急増し、一部に中止を求める声も上がった。
 しかし、世界各国から集まった一流の選手たちが見せた力と技は多くの感動を与えてくれた。厳しい状況の中でも大会を開催した意義は大きかったと言える。
 (中略)
 来日した選手や関係者は数万人に上った。選手村などで大きな集団感染が起きなかったことが、成功の証しと言えるのではないか。多くのボランティアに支えられたことも忘れてはならない。
 一方、現代の五輪が抱える課題も浮き彫りになった。
 暑さが厳しい真夏に大会を開き、夜間に予選を行うなど、選手にとって厳しい競技日程になったのは、国際オリンピック委員会(IOC)に巨額の放映権料を支払う米テレビ局の意向が優先された結果だとされている。
 大会の延期に伴う追加経費や無観客で失われたチケット収入の補填は、ほとんど東京都や国が負うことになる。放映権料を確保しているIOCに比べ、開催都市のリスクが大きいとの指摘もある。
 開会式の直前には、演出担当者らが過去の人権軽視の言動などを指摘され、次々と辞任や解任に追い込まれた。
 大会組織委員会は、今回直面した課題を記録に残し、今後の五輪改革につなげるよう、IOCに提案することが必要だ。

▼日経新聞「『コロナ禍の五輪』を改革につなげよ」/簡素化へさらに努力を/多様性を未来へ

 東京五輪が幕を閉じた。新型コロナウイルスの影響で1年延期され、さらには大半の競技が無観客の異例の大会となった。
 感染は収まらず、東京都に緊急事態宣言が発令される中で競技が続いた。都の1日の感染者数は5千人を超える日もあり、まさに非常時の開催となった。携わったスタッフらに敬意を表したい。
 開会直前まで混乱が続き、批判が渦巻く中、選手らは外部と接触を断つバブル方式を徹底、実力を発揮した。スポーツの力を存分に発揮した大会といえる。日本も過去最多の58のメダルを得た。

▼産経新聞「東京五輪閉幕 全ての選手が真の勝者だ 聖火守れたことを誇りたい」/日本勢躍進に拍手送る/魂を吹き込んでくれた
 https://www.sankei.com/article/20210809-W3IQCANXQVIIJINLGDDPQ22TBE/?outputType=theme_tokyo2020

 これほど心を動かされる夏を、誰が想像できただろう。日本勢の活躍が世の中に希望の火をともしていく光景を、どれだけの人が予見できただろう。
 確かなことは、東京五輪を開催したからこそ、感動や興奮を分かち合えたという事実だ。
 新型コロナウイルス禍により無観客を強いられたが、日本は最後まで聖火を守り抜き、大きな足跡を歴史に刻んだ。その事実を、いまは誇りとしたい。
 (中略)
 開催準備の過程は多くの反省点も残した。今年に入り、大会理念の「多様性」に反する言動で関係者が相次ぎ辞任するなど世界に混乱をさらし続けた。今後の検証は避けて通れない。
 心ない選手批判もあった。スポーツを軽んじる人々が存在することを反映している。だが、スポーツは、人がどんな挫折からもはい上がれることを教えてくれた。その象徴が白血病を乗り越えて代表入りした競泳の池江璃花子(りかこ)だ。
 「人生のどん底に突き落とされて、ここまで戻ってくるのは大変だった。だけど、この舞台に立てた自分に誇りを持てる」
 こう語った池江だけではない。コロナ禍に屈することなく、五輪の舞台に集った全ての選手たちが、この夏の真の勝者だろう。
 私たちもまた、東京五輪を開催した事実を大切にしたい。熱戦に心を動かされた経験を、余すことなく後世に語り継がなければならない。24日からはパラリンピックが始まる。五輪の熱気を冷ますことなく、選手たちの戦いを最後まで見守り、支え続けたい。

▼東京新聞(中日新聞)「東京五輪が閉会 大会から学ぶべきこと」/復興五輪掛け声倒れ/巨大マネーで炎暑に
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/123067

 五十七年ぶりの日本での夏季大会となった東京五輪が閉会した。競技に挑んだ選手やコーチ、運営に尽力した関係者の努力はたたえたいが、招致の在り方から感染症が拡大する中での大会開催まで、私たちが学ぶべき教訓は多い。
 一八九六年にギリシャのアテネで始まった近代五輪は国際情勢の影響を強く受けてきた。世界大戦で三度中止され、今回の東京大会は新型コロナウイルスの感染拡大で、初めて一年延期した大会として五輪史に名を刻む。
 会場のほとんどは無観客となり日本国民の大多数はテレビで観戦した。選手やコーチ、大会関係者は「バブル方式」という、外部との接触を遮断された「泡」の中で過ごし、感染すれば排除され、観光で外出すれば指弾される。
 こんな状況を目の当たりにすれば、コロナ禍の日本で今、開催する意味が本当にあったのか、との思いを抱くのは当然だろう。
(中略)
 国連機関でも何でもないIOCの硬直的で、国家主権をも顧みない独善的な体質に、私たちはもっと早く気付き、学ぶべきだった。
 もちろん五輪混乱の原因はIOCだけには帰せない。歩調を合わせて五輪と感染拡大との関係を否定し続ける菅義偉首相をはじめ日本政府の責任は、特に重い。
 首相は中止論を一顧だにせず、楽観的なメッセージを発信し続けた。そのことは五輪開催中、日本全国を祝祭空間に変え、感染を急速に拡大させた。国民にとどまらず、選手や大会関係者らの命と健康を危機にさらしている。
 首相は一体、どう責任を取るつもりなのか。
 平和への希求や人間の尊厳など五輪が掲げる理念は、今後も最大限尊重されるべきだ。ただ、IOCや、今大会では日本政府が、それらを実践するにふさわしい存在でないことも、感染拡大下での大会強行が浮き彫りにした。
 そのことに気付けたことがせめてもの救いであろうか。それにしても私たち日本国民は、巨額の代償を支払うことになったが…。

▼北海道新聞「コロナ下の五輪閉幕 強行開催のひずみ直視を」/「選手第一」実現せず/軽視された命と健康/IOC改革不可避だ
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/576477

新型コロナウイルス禍の中での東京五輪がきのう閉幕した。
 世界の頂点を目指す各国・地域の選手たちの姿は感動を呼んだ。史上最多のメダルを獲得した日本勢の活躍に、閉塞(へいそく)感の中で喝采を送った人も少なくないだろう。
 しかし17日間の大会の進行と軌を一にするように、緊急事態宣言下の東京を中心に全国の感染者数は爆発的に拡大していった。
 この時期に、無観客であっても海外から数万人が集まった大イベントを強行すべきだったのかどうか、今も疑問を拭えない。
 五輪憲章が掲げる「人間の尊厳の保持」と矛盾した姿だったと言っても過言ではあるまい。
 無理に無理を重ねながらの開催は、巨大なビジネスと化した五輪を巡る問題を浮き彫りにした。
 国際オリンピック委員会(IOC)は東京開催がもたらした負の側面を直視し、今後の持続可能な五輪の在り方を考えていかなければならない。
 (中略)
 しかしパンデミック(世界的大流行)下でも開催にこだわって反対論を抑圧し、開催国の主権をないがしろにするかのようなIOCの傲慢(ごうまん)な姿勢は看過できない。
 開催都市契約上、開催可否の権限はIOCが独占する。今後も新たなパンデミックが起こりうるとの前提に立てば、こうした一方的な契約の見直しを含めたIOCの改革は待ったなしだ。
 商業化と肥大化を推し進め、開催国と都市に巨額の財政負担を強いて、開催に伴うリスクは押しつける。このままでは、五輪開催地に名乗りを上げる都市は減少し、先細りが避けられないだろう。
 誰もが歓迎できる五輪の形を取り戻す必要がある。
 札幌市は2030年の冬季五輪招致を目指している。
 今回あらわになった五輪のマイナス面を十分考慮し、このまま招致を続けるかどうか市民の意見を丁寧にくみながら検討すべきだ。