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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

コロナ感染爆発でも中止の議論ないまま~パラ開会前後の新聞各紙の社説、論説の記録

 パラリンピックが開会した8月24日前後に、新聞各紙が掲載した関連の社説、論説のうち、各紙のサイト上で読めるものを中心に見てみました。
 五輪大会の期間中に、東京では新型コロナウイルスの感染者数は爆発的に増加し、現在は全国へと広がっています。にもかかわらず、パラリンピック中止の議論はほとんどありませんでした。朝日新聞の24日付社説は「五輪を強行しながらパラを見送れば、大会が掲げる共生社会の理念を否定するようで正義にもとる。そんな思いも交錯して、五輪が終わった後、議論を十分深める機会のないまま今日に至ったというのが、率直なところではないか」と指摘しています。五輪からパラリンピックまでの間の社会の雰囲気をうまく言い表しているのではないかと思います。
 各紙の社説、論説では、パラリンピックの意義は十分に認め、コロナ禍で開催する以上は安全面で万全の体制を求める内容がおおむね共通しています。しかし、感染拡大のピークすら見通せない深刻な状況というのに、大会中断に触れた社説、論説は多くはありません。「危機が迫った時は躊躇なく重大な決断を下すよう求めたい」(25日付琉球新報)、「感染状況によっては大会の中断をためらうべきではない」(24日付高知新聞)といった内容が目に付いた程度です。ほかに中日新聞・東京新聞が大会組織委員会に対して、沖縄タイムスが政府に対して、危機意識の薄さをそれぞれ批判しています。
 競技は無観客ながら、地元の児童生徒に観戦させる「学校連携観戦プログラム」に対しては、慎重な論調が目立ちます。

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【写真】東京・高尾山頂に置かれたパラリンピックのシンボルマーク「スリーアギトス」

 以下に各紙の社説、論説の見出しと内容の一部を書きとめておきます。それぞれのサイトで現在読めるものはリンクを張っています。

【8月25日付】
▼読売新聞「東京パラ開幕 共生社会考える契機にしよう」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210825-OYT1T50057/

 今大会は、全会場が無観客となったが、NHKに加え、民放も初めて一部の競技を生中継する。能力の限界に挑むパラアスリートたちに大きな声援を送りたい。
 一方、児童生徒に観戦の機会を与える「学校連携観戦プログラム」は、感染への懸念から反対意見も根強い。選手の活躍を間近で見せる意義は大きいが、子供の感染者は増えている。
 状況によっては、教室でのテレビ観戦に切り替えるなどの柔軟な対応も必要だろう。
 大会中は、1万人以上の選手・関係者が来日する。パラリンピックを無事開催できてこそ、五輪を含む東京大会の成功と言える。

▼産経新聞「パラ大会開幕 ないものを嘆くのではなくあるものを活かすことを学ぶ」/心の変革をレガシーに/五輪の熱気をつなごう
 https://www.sankei.com/article/20210825-7RJJQJSPJZJMTIZJ6HF2OW7KMY/

 「パラリンピックの父」と呼ばれる英ストーク・マンデビル病院のルードウィッヒ・グットマン医師は「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう」との言葉を残し、これが大会の精神となっている。
「経営の神様」松下幸之助翁にも「ないものを嘆くな。あるものを活(い)かせ」の名言がある。いわんとする哲学は同じであり、パラ大会のテーマは、経営の理念にも、あらゆる事案にも通底する。
 例えば、東京大会の目標は全ての会場での満員の観衆だった。新型コロナ禍で原則無観客を余儀なくされたが、選手を含むパラ関係者は学校連携で子供をスタンドに招くことをあきらめず、自治体などに地道な説得を重ねた。
 「父」や「神様」が説いたのは発想の転換や、あきらめない気持ちだった。そしてパラ大会が観戦者に期待するのは、偏見の棄却や共生への覚醒、気づきだ。
 パラ6大会の競泳で5個の金メダルを獲得した日本選手団の河合純一団長は「ハードではなくハートのレガシー(遺産)を残そう」と話してきた。大会が望む最大のレガシーは、心の変革である。

▼東奥日報「共生社会実現への好機だ/パラリンピック開幕」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/642336

▼秋田魁新報「東京パラ開幕 共生社会、根付く契機に」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20210825AK0017/

 競技会場がある東京、千葉、埼玉、静岡の1都3県には緊急事態宣言が発令中。そうした中で児童や生徒に観戦機会を提供する「学校連携観戦プログラム」が実施されるのは疑問だ。
 政府の対策分科会の尾身茂会長は「(五輪開催時と比べ)今の感染状況はかなり悪い」と慎重姿勢を示す。東京都の小池百合子知事の「パラアスリートの挑戦を見るのは、教育的価値が高い」という考え自体に異論はないが、ここは安全を最優先すべきだ。不安を抱く学校や保護者の切実な声に耳を傾けたい。
 (中略)
 世界に残る障害者に対する偏見や差別をなくすため、スポーツを通じて人々の意識や社会の変革を促す―。そのメッセージを東京パラ開催地の日本から世界へ力強く発信してほしい。
 日本にもいまだ偏見や差別は存在する。その克服に向けた不断の努力こそが、共生社会実現のメッセージ発信国としての責任を果たすことにつながる。

▼新潟日報「東京パラ開幕 共生社会実現する弾みに」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20210825637526.html

 医療への影響を抑え、選手が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、万全な運営に力を尽くさねばならない。その上で、大会を共生社会実現への弾みにしたい。
 (中略)
 児童生徒らに教育的観点から観戦機会を提供する「学校連携観戦プログラム」は、東京、千葉、埼玉の3都県で4万人超が参加する見通しだ。
 多くの学校は移動に貸し切りバスを使い、会場で検温や消毒を実施するなどして感染対策を図るとしている。
 だが、感染は若い世代にも急速に広がっている。
 観戦で共生社会の理解を深める教育的効果を狙うのは分かるが、今それが必要なのか。子どもの健康を最優先にし、慎重に対応すべきだ。

▼山陰中央新報「『パラリンピック開幕』 共生社会実現の好機だ」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/84147

▼佐賀新聞「パラリンピック開幕 共生社会実現の好機だ」 ※共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/729707

 パラリンピックは世界規模で選手がスポーツの栄光を目指して競い合う点では五輪と同じだ。しかし、開催を重ねるごとに五輪とは異なる、社会的な運動としての価値を高めている。
 その姿勢は、障害のある人に対する偏見や差別が残る社会に、大会を通じて強いインパクトを与え、それらの解消に導こうとする考えに基づいている。
 (中略)
 深刻なコロナ禍に直面し、児童や生徒に大会観戦の機会を設ける「学校連携観戦プログラム」を断念する学校や自治体が出た。やむを得ない判断だったに違いない。
 それでも、パラリンピックの教育的価値を競技会場で実感させたいとの願いから、その実施に踏み切る教育関係者の意向は、厳重な安全対策を整える条件の下に尊重されるべきだ。

▼琉球新報「東京パラが開幕 命守る大会運営に万全を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1380980.html

 ただし開催には重大な懸念がある。東京五輪後も急激な感染拡大が続き、医療崩壊寸前だ。アスリートの中には基礎疾患のある人がいる。
 重症者や中等症者を収容する施設の拡充が進まない中で、パラ関係者に重症患者が出たとしても受け入れられない可能性がある。国民と選手の命と健康を守るために万全を期しつつ、危機が迫った時は躊躇(ちゅうちょ)なく重大な決断を下すよう求めたい。
 国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長は共同通信のインタビューに対し、パンデミック(世界的大流行)下での開催を「史上最も重要な大会」と語った。
 しかし、パンデミック下であっても開催しなければならない理由は何か。選手や国民の命と健康について誰が責任を取るのか。根本的な問いに答えていない。

【8月24日付】
▼朝日新聞「東京パラ大会 安全対策に万全期して」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S15019614.html

 コロナの感染爆発で東京の医療提供体制は深刻な機能不全に陥り、専門家が「自分の身は自分で守って」と呼びかける状況にある。そこに世界各地から選手を招き、万単位の人を動員して巨大な祭典を開くことに、疑問と不安を禁じ得ない。
 一方で、五輪を強行しながらパラを見送れば、大会が掲げる共生社会の理念を否定するようで正義にもとる。そんな思いも交錯して、五輪が終わった後、議論を十分深める機会のないまま今日に至ったというのが、率直なところではないか。
 挙行する以上は、来訪者と市民の健康を守り抜くのが政治・行政の務めだ。五輪開催で世の中の空気を緩めた轍(てつ)を踏むことのないよう、メッセージの発信や付随するイベントにも細心の注意を払わねばならない。

▼北海道新聞「パラきょう開幕 共生の理念深める機に」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/581245

 競技場のある首都圏では自宅療養者が急増し、医療体制の崩壊が指摘されている。開催について是非を問う声も根強い。
 大会には基礎疾患のある選手も参加し、感染すれば高齢者と同じく重症化の懸念が拭えない。
 組織委は五輪以上に厳しい感染対策が求められる。それもパラ選手の特性に十分配慮し、徹底したものでなければならない。
 1都3県の全会場で原則無観客で競技が行われる。小中高生を対象とした学校観戦のみ実施されるが、慎重に判断されるべきだ。
 (中略)
 社会にまだ高いバリアー(壁)が残る。障害者との接触が少ないことも一因とされる。
 大会には世界中からさまざまな障害のある選手が出場し、創意工夫を凝らして限界に挑む。
 無観客開催であっても、映像などを通じて選手の姿を目に焼き付けることで、共生社会の実現に向けた動きを加速させたい。

▼山形新聞「パラリンピック開幕 共生社会実現の好機だ」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20210824.inc

▼福島民友新聞「東京パラ開幕/多様性と共生に目向けよう」
 https://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20210824-649952.php

 大会ビジョンでは「全員が自己ベスト」とうたっている。悔いのない戦いで、県民に勇気と感動を届けてくれることを期待したい。
 大会組織委は、五輪と同様の新型コロナ感染対策を適用する。その五輪では、選手らと外部の接触を絶つバブル方式がほころび、多くの感染者が出た。
 基礎疾患を抱える選手の重症化リスクも指摘されている。五輪の事例を踏まえ、感染防止に万全を期す必要がある。
 国際パラリンピック委員会は大会を契機に、世界人口の15%に当たる約12億人の障害者の人権を守るキャンペーンを始める。差別や偏見のない社会づくりを加速させていくことが大切だ。

▼信濃毎日新聞「東京パラ開幕 数々の疑念を積み残して」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021082400115

 東京パラは「多様性を認め合う共生社会」を理念に掲げる。組織委が保護者らの懸念をよそに、子どもたちの観戦プログラムを断行するゆえんだ。
 2013年の招致決定後、街のバリアフリー化は進んだ。民間企業に障害者への配慮を義務付ける改正法も成立している。
 半面、健常者と同じように暮らす権利への理解は、十分には広がっていない。障害者がスポーツに親しむ割合は、環境面の制約もあって伸び悩む。
 理念を根付かせるには、日常の取り組みこそ重要だろう。いま無理をして子どもに観戦させることはない。大人も含め、多様性を浸透させる政策の展開を、国は自治体とともに示してほしい。
 具現化は、政府が果たさなくてはならないせめてもの役割だ。

▼福井新聞「東京パラきょう開幕 五輪の教訓生かし安全に」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1384126

 新型コロナ対策として、外部との接触を遮断した「バブル方式」は、五輪で機能していたとは言い難い。選手村で大人数で飲酒する姿が確認されたり、観光目的で選手村から無断で外出し、大会参加に必要な資格認定証を剥奪されたりする事案があった。
 こうした振る舞いはごく一部に限られるかもしれない。だからといって許されるものではない。パラリンピック関係者の感染例も見られる。各国選手団や大会関係者には、感染対策や行動管理を定めた「プレーブック(規則集)」を順守してもらいたい。それは自身の健康を守ることにもつながる。
 五輪・パラリンピックの開催をめぐる賛否は、世論を大きく二分した。感染リスクを徹底的に低減し、国民の健康を守らねば、東京大会の意義は理解されない。大会を安全に運営するためには、五輪から学んだことを生かさなければならない。

▼神戸新聞「東京パラ開幕/共生社会は命の尊重から」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202108/0014616912.shtml

 主催者側は五輪に続いて外部との接触を絶つ「バブル方式」を守り、検査の回数も増やすとしている。しかしパラリンピックの選手や関係者のうち、陽性者は既に100人を超えている。首都圏では病床が不足するなど医療も逼迫(ひっぱく)している。選手らが感染し、症状が悪化した場合などの対応に不安は消えない。
 児童、生徒を対象にした「学校連携観戦プログラム」も懸念材料だ。変異株の流行で若年世代の感染が急速に広がっている。観戦に教育的な意味があるとしても、五輪では中止された東京などで実施する理由にはならない。実行するかどうかの判断を自治体や学校に委ねた対応は、政府の責任放棄にも見える。
 (中略)
 共生社会を目指すには、生命と健康の尊重が前提になるということを政府や組織委は強く意識すべきだ。

▼山陽新聞「東京パラ開幕へ 共生社会の歩み進めたい」
 https://www.sanyonews.jp/article/1167650?rct=shasetsu

 大会は全ての会場を原則、無観客とし、五輪と同じように行動管理で外部との接触を断つ「バブル方式」を採用する。それでも五輪では閉会日までに400人余りの大会関係者が陽性になった。選手村でクラスター(感染者集団)も発生し、バブルのほころびを露呈している。
 パラアスリートには基礎疾患があったり、介助者が必要で人と人との十分な距離が取れなかったりする人がいて、五輪とは対応が異なる。大会組織委員会は、検査頻度の引き上げなど対策強化を打ち出している。五輪の教訓を生かし、運営に万全を期さなければならない。
 期間中、希望する開催地の児童生徒らに観戦の機会を提供する「学校連携観戦プログラム」が行われる。いまのところ10万人台の参加が見込まれている。教育的意義は否定しないが、子どもたちの安全確保が最優先で求められるのは言うまでもなかろう。

▼高知新聞「【東京パラ開幕へ】共生社会を考える機会に」
 https://www.kochinews.co.jp/article/481614/

 多様性の尊重が打ち出される祭典には期待の一方で不安もある。大会は原則無観客で開催される。デルタ株が広がり感染が急拡大している。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の対象地域が広がり、医療体制は逼迫(ひっぱく)している。
 コロナ下の大規模イベントには厳しい見方がある。感染対策を緩めてしまう印象を与えないよう、丁寧な運営を心掛けることだ。選手には重症化リスクを抱える人もいる。五輪で不十分だった対応をしっかりと修正することが必要となる。感染状況によっては大会の中断をためらうべきではない。

▼宮崎日日新聞「パラリンピック開幕 共生社会へ弾みをつけたい」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_55965.html

▼南日本新聞「[パラきょう開幕] 共生社会への出発点に」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=142429

 57年前の五輪直後に開催されたパラリンピックは、国内で障害者スポーツが広く認知されるきっかけとなった。
 当時、海外選手は自立した生活をし、競技レベルも桁違いだったのを日本の選手や関係者は目の当たりにした。社会の意識を変える転換点になったとされる。その後、ハード面は整備されつつある。
 共同通信が一昨年行った障害者アンケートによると、「障害を理由に周囲の言動で差別を受けたり感じたりしたことがあるか」との問いに、36%が「ある」と答えている。共生社会の理念が浸透しているとは言えない。
 世界がこれまで以上に、障害のある人を分け隔てなく受け入れる大切さを強く意識する大会にしなければならない。共生社会の実現に向け、活動を広げる好機とすべきである。

▼沖縄タイムス「[東京パラきょう開幕]感染防止対策の徹底を」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/809303

 本来なら国際的な大規模イベントを開催できる状況ではないのは明らかだ。それでも開くというのであれば徹底したコロナ対策を講じなければならない。
 大会関係者の行動範囲を制限し外部との接触を絶つ「バブル方式」は、パラ大会でも採用される。だが、五輪では開幕前からほころびが露呈し、感染の影響で欠場や途中棄権する選手が相次いだ。
 パラでは、基礎疾患があるなど感染した場合に重症化するリスクを抱えた選手が少なくない。
 大会組織委員会もきめ細かい対応が必要だとしているが、パラ関連の陽性者の累計は既に150人を超える。バブルの「穴」はふさげるのか不安は拭えない。
 だが、政府から危機感は伝わってこない。開催中のコロナ対策をどう考えているのか、競技にも影響が出かねない状況になればどうするのか、菅義偉首相は明確に示すべきだ。
 感染急拡大で東京パラは全会場が原則無観客となった。一方で、学校単位で児童や生徒が観戦する「学校連携観戦プログラム」は実施される。
 (中略)
 緊急事態宣言が出ていながら観戦を認めるのは、社会に誤ったメッセージを与えかねない。パラの教育的効果はテレビなどでも得られるはずだ。慎重な対応を求める。

【8月23日付】
▼毎日新聞「パラリンピックあす開幕 共生社会の姿映す大会に」/感染対策に不安が残る/個性を尊重し合いたい
 https://mainichi.jp/articles/20210823/ddm/005/070/026000c

 「ミックスジュースではなく、フルーツポンチのような社会にならなければならない」。日本選手団の団長を務める河合純一さんはそう説く。競泳の視覚障害クラスで過去6大会に出場し、金メダル5個を獲得した経験を持つ。
 環境の違いや個性を混ぜ合わせて均一にするのではなく、フルーツポンチの果物のように、それぞれの「味」を尊重し合うことが共生社会には欠かせない。
 今大会には世界各国から約4400人の選手が参加する見通しだ。ボッチャやゴールボールなど、パラリンピック独自のスポーツも含め22競技が行われる。
 大会ビジョンは五輪と同じ「多様性と調和」だ。鍛え上げられたパラアスリートの熱戦を通し、共生社会のあるべき姿を考えたい。

▼日経新聞「パラ大会を共生社会への大きな一歩に」

▼河北新報「東京パラあす開幕/多様性と共生 意義実感を」
 https://kahoku.news/articles/20210823khn000007.html

 パラリンピックは五輪以上に、スポーツにとどまらない社会的な側面を強く有する。
 国際パラリンピック委員会(IPC)など障害者に関わる多くの国際組織は19日、「We The 15」というプロジェクトを開始した。世界の人口のうち、何らかの障害がある15%、約12億人の生活の変革を目指し、今後10年にわたって展開される最大規模の人権運動となる。
 ムーブメントは政策、ビジネス、芸術など全ての分野に及ぶ。スポーツイベントは中でも世界的な注目を集める手段で、東京パラリンピックがオープニングイベントの役割を果たす。
 日本でも「多様性の尊重」「共生社会」への取り組みが開催に合わせて進められてきた。2018年にユニバーサル社会推進実現法、今年4月には改正バリアフリー法が施行され、ハード整備にとどまらず、学校教育などでの「心のバリアフリー」推進などが盛り込まれている。
 全国の約3万6000校には、国際的なパラリンピック教育プログラムの日本語版教材が配布されている。直接観戦できない子どもたちが大半ではあるが、より身近に感じられるはずだ。

▼中日新聞・東京新聞「東京パラ開幕へ 命と健康を最優先に」
 https://www.chunichi.co.jp/article/316234?rct=editorial

 ただ、感染状況は七月の五輪開幕時より深刻化している。一都三県の全会場で無観客となったが、必要最低限の措置にすぎない。
 パラ選手の中には、身体の障害とは別に基礎疾患を抱えている人もいる。年齢が高い選手もおり、重症化のリスクは増すはずだ。
 にもかかわらず、組織委から危機感は伝わってこない。
 五輪では五百人超の感染が判明。業務委託先の事業者が半数以上を占め、選手も約三十人いた。まず五輪の感染対策を検証し、「穴」を塞(ふさ)ぐことが先決だが、組織委には全ての感染経路を分析、公表する姿勢が見られない。
 (中略)
 パラ大会は無観客にする一方、自治体や学校が希望すれば児童生徒の観戦は実施するという。五輪でも都内では行わなかった試みであり、ましてや実施の可否を教育現場や保護者に「丸投げ」している。無責任極まりない。
 感染力の強いデルタ株の広がりで、学校のクラブ活動や学習塾でクラスター(感染者集団)が確認されている。政府のコロナ感染症対策分科会の尾身茂会長も学校観戦に否定的な考えを示しており、専門家の意見に従うべきだ。
 選手の活躍はテレビで観戦し、共生社会に向けた教育は大会後にじっくり取り組めばいい。観戦がきっかけで感染が広がれば、取り返しがつかないことになる。

▼京都新聞「パラリンピック 共生社会を考える機会に」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/623603

 東京パラリンピックの開催を受け、「パラ教育」を行う小中学校や特別支援学校が増えた。日本財団などの調査によると、首都圏での実施割合は小学校で約8割に上る。
 パラ選手の講演やスポーツ交流、通常授業での実技などを通じ、多くの学校で障害者や共生社会に対する児童生徒の理解が進んだとしている。
 子どもたちの東京パラ観戦プログラムは、授業の仕上げの意味を持つ。
 コロナ禍であり、行き帰りなどでの感染リスクも指摘される。保護者の意向も踏まえた上で、自治体や学校の慎重な判断が求められよう。
 重要なのはパラ教育を一過性の取り組みで終わらせないことだ。共生社会や多様性への理解を深める機運につなげたい。

▼西日本新聞「東京パラ開幕へ 感染拡大防ぎ魅力伝えて」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/789136/

 感染対策は五輪と同様に、泡をイメージした空間に選手や関係者を包む「バブル方式」が中心となる。五輪では選手が検査を毎日続け、外部との接触を避けたことで効果があった。
 それでも選手や大会関係者、運営に携わる委託業者ら500人を超える陽性が確認された。五輪で明らかになったほころびを点検し、バブル方式を強化する必要がある。
 主会場である東京都を含む首都圏は爆発的な感染拡大のただ中にあり、開会式から9月5日の閉会式までの全期間が緊急事態宣言下となる。専門家は人の動きを半減させないと感染の急拡大は抑えられないと厳しく指摘しており、無観客を原則としたのは妥当な判断だ。
 賛否が割れているのが学校連携観戦プログラムだ。子どもたちに競技を見てもらい、障害者への理解を深める狙いがある。さまざまな障害のあるアスリートの躍動を目の当たりにする教育的効果は確かに大きい。
 とはいえ、若年層に感染が広がる中での集団行動である。参加を見送る自治体が多いのもやむを得ない。自治体や学校は最新の感染情報を考慮し、参加について慎重に判断すべきだ。

【8月22日付】
▼徳島新聞「東京パラ 感染防止策が不可欠だ」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/578657

言うまでもなく、大会の意義は、障害の有無にかかわらず、全ての人が能力や個性を発揮できる多様性を尊重する共生社会を育むことである。
 五輪・パラリンピックの開催で政権浮揚を図るといった薄っぺらい政治的なもくろみは論外だ。
 五輪の開幕直前には、女性蔑視発言や過去のいじめなど、大会の趣旨とは相容れない複数の関係者の言動が問題になった。残念ながら、この国の人権意識が問われている。
 困難に負けずに高みを目指すアスリートの姿に感動する。彼らへの応援を大会中の一過性に終わらせないことが、人権意識を高め、共生社会を築くことにつながる。そんな機運を高めるのが、コロナ下でも大会を開く意味と言えそうだ。