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「警察が政権党に肩入れした疑念も」(北海道新聞)、やはり安倍元首相も当事者~「表現の自由侵害」札幌地裁判決の各紙社説

 一つ前の記事の続きです。
 2019年の参院選で、街頭演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした市民を排除した北海道警の警察官の行為を、憲法が保障する表現の自由の侵害と認めて道に損害賠償を命じた札幌地裁の3月25日の判決について、地元紙の北海道新聞は26日付の社説で取り上げました。「表現の自由侵害に猛省を」との見出しで、判決を評価する内容です。
 わたしは安倍元首相がこの札幌での出来事の2年前、2017年の東京都議選で、東京・秋葉原で街頭演説をした際に、「帰れ」「辞めろ」のコールをした人たちの方を指さしながら「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」と言い放ったことに対して、政治家としての狭量さを示すと書きました。北海道新聞の社説も、この「こんな人たち」発言を取り上げています。「国民を分断した」「敵を冷遇し、味方を優遇した安倍1強政権の下で、官僚は首相官邸への忖度(そんたく)を強めた」とした上で、「国政に不満を抱き異議を唱えようとする有権者が増えるのは当然の流れと言える」と指摘しています。札幌の「安倍やめろ」のヤジは、そうした有権者の意思表示だったわけです。
 北海道新聞の社説は、判決が「ヤジが『安倍総裁の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限しようとした』と推認した」ことを挙げて「そうであれば警察が政権党に肩入れした疑念も生じる」と指摘しています。警察官があたかも安倍元首相の私兵と化していた可能性すらあったのだと、あらためて思います。こうしたことを漫然と見過ごしていては、日本の社会で表現の自由は形骸化するだけでしょう。札幌地裁が、憲法にまで踏み込んで判断を示したことの意義は極めて大きいと思います。同時に、表現の自由を侵害した直接の当事者は北海道警の警察官だったとしても、こうした事態を引き起こした根底には、安倍政権による国民と社会の分断があったと感じます。その意味で、やはり安倍元首相もこの出来事の当事者ではないかと思います。安倍元首相がこの判決をどう考えるのか、今からでもいいので、マスメディアは取材し報じてほしいと思います。
 判決に対しては、ほかに26日付で信濃毎日新聞も社説を掲載。29日付には朝日新聞、毎日新聞の全国紙2紙、高知新聞、西日本新聞も社説で取り上げました。いずれも判決を高く評価する内容です。安倍元首相の「こんな人たち発言」や安倍政権下での官僚の忖度に触れているものが目立つほか、ウクライナに軍事侵攻しているロシアでは異論が許されず、表現の自由が奪われていることに触れたものも複数あります。
 以下に、ネット上の各紙のサイトで確認できた社説、論説の見出しと、内容の一部を書きとめておきます。

【3月26日付】
▼北海道新聞「ヤジ排除で道警敗訴 表現の自由侵害に猛省を」/危険性の根拠乏しい/政権党肩入れの疑念/市民守る基本に戻れ
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/661348

 選挙演説の場での市民の異論の表明を保障した意義は大きい。

 加えて判決は、ヤジが「安倍総裁の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限しようとした」と推認した。そうであれば警察が政権党に肩入れした疑念も生じる。

 国民の声を国政に届けるのが選挙の役割だ。投票に限らず、政治家と有権者の対話の場である街頭演説もその方法の一つのはずだ。

 道警の排除行為は、政治と国民のコミュニケーションの阻害だった。繰り返してはならない。

 (中略)安倍氏は排除から2年前の東京都議選で、自身を批判する聴衆に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げた。
 国政の責任者たる首相が、国民を分断した。敵を冷遇し、味方を優遇した安倍1強政権の下で、官僚は首相官邸への忖度(そんたく)を強めた。
 これに対し、国政に不満を抱き異議を唱えようとする有権者が増えるのは当然の流れと言える。
 強制力を持つ警察が力ずくで言論を封殺することは民主主義社会にあってはならない。
 こうした権力の乱用を許していれば、ウクライナへの軍事侵攻に異を唱える市民を取り締まる現在のロシアのような強権独裁国家へと変質していきかねない。
 小さなほころびから民主主義が崩れてゆくのは、戦前の日本の歴史も証明している。 

▼信濃毎日新聞「やじ排除判決 表現の自由侵害と断じる」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022032501093

 街頭演説の現場では、原告を含め少なくとも9人が排除や妨害に遭ったという。年金政策に疑問を呈するプラカードを掲げるのを阻まれた年配の女性もいた。安倍氏に声援を送る人たちは何の妨げも受けてはいない。あからさまな異論の封殺である。
 札幌の数日後には、滋賀でも首相の演説にやじを飛ばした人が排除されている。翌月の埼玉県知事選では、文部科学相が応援演説をした会場で、大学入試改革の中止を訴えた学生が遠ざけられた。
 公権力によって言論・表現の自由が公然と侵害されたことは重大だ。警察の目におびえて人々が押し黙る、かつてのような息苦しい社会が再び顔をのぞかせていないか。この国の自由のありように、あらためて目を向けたい。

【3月29日付】
▼朝日新聞「裁かれた道警 許されぬ憲法の軽視」
 https://www.asahi.com/articles/DA3S15248851.html

 表現の自由は民主主義を支える極めて重要な権利だ。為政者に対し、賛意だけでなく批判や異論が向けられるのは当然で、そこに警察権力が安易に介入すれば、率直・闊達(かったつ)な議論の土台は失われてしまう。憲法の理念に忠実な判決であり、高く評価されてしかるべきだ。
 むろん表現の自由も無制限な保障の下にあるわけではない。この点についても、判決はしっかり目配りしている。
 2人の発言は、特定の民族への差別意識を誘発・助長したり犯罪を扇動したりするものではなく、演説を続けられなくするものでもなかった。そう述べて、道警の対応がやむを得ないものだったと言うことはできないとした。納得できる説示だ。

▼毎日新聞「演説中ヤジ排除『違法』 警察の言論制限を戒めた」
 https://mainichi.jp/articles/20220329/ddm/005/070/117000c

 道警が2人の行為を制限した理由について、判決は「安倍氏の演説の場にそぐわないと判断した」と認定した。
 安倍氏は5年前、東京・秋葉原で東京都議選の街頭演説をした際に、「安倍辞めろ」などとヤジを飛ばした聴衆の方を指さし、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言している。
 この頃から、安倍氏の支持者らが周りを取り囲み、批判する人たちは遠ざけられる状況が目に付くようになった。
 さまざまな主張や意見が尊重される「表現の自由」は、民主政治の根幹である。異論が封じられ、人々が萎縮して声を上げにくい社会にしてはならない。

▼高知新聞「【やじ排除は違法】言論封殺を許さぬ判決だ」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/552907

 警察官の行為により表現の自由が侵害されたと認定されたことを重く受け止める必要がある。犯罪予防のため危険行為を制止することは大切だが、恣意(しい)的に使われては問題をはらむ。警備の在り方を見つめ直すことが欠かせない。
 安倍政権下では忖度(そんたく)が取り沙汰された。「桜を見る会」の招待者名簿は早々にシュレッダーにかけられ、森友学園の決裁文書は改ざんされた。そうした風潮がこの事案に反映されているかもしれない。これでは健全な市民社会は築けなくなる。
 海外に目を移せば、ロシアではデモを取り締まり、批判的な言論を圧殺して、国内の反戦世論を徹底的に抑え込んでいる。ミャンマー、香港では民主派が弾圧される。
 権力側が事態を自らに都合のいいように進めようとするとき、言論は封殺され、民意はかき消される。権利の後退が何を招くか。近年の国際情勢から学ぶことも必要だ。

▼西日本新聞「やじ排除『違法』 異論を萎縮させぬ社会に」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/898219/

 「安倍辞めろ」のやじが尊重されるべき表現の自由かという議論はあるだろう。だが、それを判断するのは警察ではない。まして正当な根拠もないのに妨げたのは明らかに行き過ぎだ。道警に限らず、全国の警察は判決の指摘を重く受け止め、今後の警備に反映してもらいたい。
 街頭演説を巡っては、17年の東京都議選で安倍氏が「安倍辞めろ」などとやじを飛ばした人に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応じ、自民党が惨敗した一因と指摘されたことがある。3カ月後の衆院選で自民党は安倍氏の演説場所を事前に告知するのを控えたり、当日に変更したりするなど、やじに過敏になっていた。
 政治家に求められる重要な資質の一つは、異論にも虚心坦懐(たんかい)に耳を傾ける懐の深さだ。特に指導的立場にいる政治家が、耳の痛い話を遠ざけるようでは危うい。
 通りで白紙を掲げただけで拘束される国があることを、私たちはロシアのウクライナ侵攻で目の当たりにした。同列には論じられないが、異論に対する過剰規制は萎縮を生み、民主主義を損ないかねない。この問題にはもっと神経をとがらせたい。