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沖縄の過重な基地負担を「自分ごと」に~「後ろめたさ」も、復帰50年 地方紙の社説、論説の記録

 沖縄の日本復帰50年を地方紙の社説、論説はどのように論じたのか。5月15日当日前後の掲載について、主な地方紙各紙を調べてみました。いつもはネット上の各紙サイトで内容が読めるものを対象にしているのですが、今回はそれ以外の新聞についても可能な限り、紙面に当たりました。確認できたのは36紙(同一の社説である中日新聞と東京新聞は1紙とカウント)。沖縄の地元紙である沖縄タイムスと琉球新報は含んでいません。
 36紙のうち1紙を除いては、沖縄の過重な基地負担を一地域の問題ではなく全国の問題として、「自分ごと」として受け止めよう、との論調が大勢です。それぞれの地域に立脚している地方紙のまなざしは、全国紙と異なっていると感じます。
 印象に残るのは、長野県を発行エリアとする信濃毎日新聞の15日付の社説です。見出しと、書き出しを引用します。

・信濃毎日新聞5月15日付
「沖縄の終わらぬ戦禍 現状を動かす鍵は本土に」/踏みにじられた民意/復帰後も解消せず/訴えを警鐘として
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022051500072

 沖縄の人たちに会う時に抱く気後れに似た感情は、どこから来るのか。時折、自問する。
 基地のない平和な島で人権や自治権を取り戻す―。50年前の復帰に県民が託した願いを、裏切ってきた本土の一員であるためか。
 米軍機が引き起こす騒音、頻発する不時着や部品落下、軍人・軍属の犯罪や事故…。重荷を押し付ける政治を、結果的に許している後ろめたさがもたげる。
 戦後の米軍政下で「一切の制約なき軍事行動の自由」の地に塗り替えられた沖縄は、いまも戦禍にさいなまれている。

 「気おくれに似た感情」「後ろめたさ」などの主観的な感情を吐露する社説、論説は異例と言っていいと思います。
 このブログの以前の記事で書きましたが、わたしは2006年2月に作家の目取真俊さんが日本本土のマスメディアに対して指摘した次の言葉を、本土メディアで働く自身への戒めとしています。普天間飛行場の辺野古沖移設がいったんとん挫した後、あらためて現在の沿岸部埋め立て計画が浮上し、日米政府の再合意へ、と進んでいったころです。「今度こそ、移設を実現させねばならない」―。東京発行の新聞各紙はこんな論調一色でした。

 沖縄の人びとがヤマトの新聞にどれだけ絶望したか考えてほしい。10年前までは、それでもヤマトのマスコミには沖縄への負い目があった。この10年でそれすら消えてしまった。

 https://news-worker.hatenablog.com/entry/2022/05/16/081315

news-worker.hatenablog.com

 「負い目」をわたしが自覚したあの目取真さんの指摘から16年余。日本本土のマスメディアにも「後ろめたさ」の表明が見られるようになりました。

 それぞれの地域の問題と沖縄の基地の過重負担とを重ね合わせた視点も目につきます。
 福島県を発行エリアとする福島民報の社説は、「本県は原発政策に協力していながら、東京電力福島第一原発事故発生後は国の対応に翻弄されてきた。復興を巡り、基地移設問題と同じような懸念もある。沖縄県への関心を深め、本県の今後とも向き合いたい」と書いています。東北が発行エリアの河北新報(河北新報社の本社は仙台市)の社説も「国策のしわ寄せは経済格差によって固定化され、国のさじ加減で決まる財政支援によって合理化される。同時に進むのが他の地域との分断だ」「構図は、原子力施設が立地する東北にも共通する。基地によって、あるいは原発によって地域が潤っているといったステレオタイプが国策の矛盾を見えにくくしてしまう」と指摘しています。
 九州が発行エリアの西日本新聞(西日本新聞社の本社は福岡市)は「東アジアの安定に必要な抑止力と、沖縄の基地負担軽減を両立させるためには、抑止に伴う備えや負担を日本社会全体で引き受けることが不可欠だ。九州もその論議に加わることができる」と、「自分ごと」として受け止める姿勢を示しています。
 岸田文雄首相の地元の広島市で発行する中国新聞は「被爆地の首相として沖縄に寄り添ってもらいたい。それが日本という平和国家を率いる指導者にはふさわしい」と書いています。

 36紙の中で異なった論調の1紙は、石川県を発行エリアにする北國新聞です。沖縄の基地負担の軽減や経済振興への努力を掲げた衆院の決議について、政府、国会に具体化へ全力を挙げるよう求めつつ、基地負担自体は「沖縄の地政学的な宿命として受け入れてもらうほかないのではなかろうか」としています。
 見出しと本文の一部を引用します。同紙のサイトでは、社説は有料域のコンテンツです。

・北國新聞5月15日付「沖縄復帰50年 『守りの要』の重圧に耐え」

 政府は無論、米軍基地縮小に手をこまねいてきたわけではなく、沖縄の米軍専用施設面積は復帰直前から48%減少した。ただ、本土の施設も大幅に減ったため、沖縄の占める割合は復帰時の58.8%から70.3%に増加し、沖縄に米軍施設が集中する形となった。
 こうした状況に対し「沖縄に基地を押し付け、置き去りにした」といった批判がなされる。が、沖縄がそれだけ重要な防衛戦略拠点であることを理解したい。日本列島から台湾に至るラインは、米国と中国の海洋覇権争いの最前線である。その中間に位置する沖縄は本土では代替できない要衝にならざるを得ない。沖縄県民にはつらいことだが、沖縄の地政学的な宿命として受け入れてもらうほかないのではなかろうか。

 地政学的な要因の当否はさておいても、本土の米軍施設が大幅に減った背景には、各地で基地の撤去を求めた住民らの闘争がありました。石川県では内灘闘争が知られています。

内灘闘争の概要
 昭和24年から32年にかけて、現在の内灘砂丘の向粟崎地区から宮坂地区の海岸線がアメリカ軍の砲弾試射場に供用されることになりました。
 しかし、計画当初から内灘全村で接収反対運動が起こり、国への陳情も行われるなど、政治的な思惑もからんで全国的な運動へと展開して行きました。この闘争は文学や映画などでも取り上げられ、内灘の名を広く全国に知らしめる出来事となりました。政府は期限付きで試射場としての使用を許可しましたが、村を二分する反対運動の末、試射場は撤収され、騒ぎも収束していきました。現在、当時を偲ぶことが出来る監視棟の建物が内灘海岸浜茶屋軒のそばに、また着弾地観測棟の建物が権現森海岸に建っています。
参考:内灘闘争資料集/内灘闘争資料集刊行委員会より

※内灘町ホームページ「内灘闘争」より
https://www.town.uchinada.lg.jp/soshiki/soumu/2701.html

 駐留米軍を巡っては、山梨県では「富士を撃つな」をスローガンに県を挙げての反対運動があり、米軍は同県を離れました。移駐先は沖縄でした。基地があった北富士演習場周辺では米軍による事件や事故が相次いでいた、と山梨日日新聞の論説は指摘し、以下のように書いています。

・山梨日日新聞5月15日付「本土復帰50年 『沖縄への借り』忘れぬよう」

 本土の私たちは復帰に込められた沖縄の思いを、この機会に再確認したい。山梨でもあった米軍絡みの事件・事故は、沖縄で発生し続けているのだ。基地周辺の環境汚染もある。「沖縄は基地のおかげで潤っている」という言説はかなり古めかしい。返還された基地の跡地活用で大きな経済効果を生み出すことが明らかになっている。
 (中略)
 基地の整理・縮小は簡単な政治課題ではない。しかし基地問題が日本全体の問題であることは認識しなければいけない。「自分ごと」として想像力を働かせ、「平和の島」実現へ真摯に取り組みたい。

 以下に地方紙各紙の社説、論説を、北から順に見出しと、一部は本文の印象的な部分を書きとめておきます。ネットで全文が読めるものはリンクも張っておきます。

・北海道新聞5月15日付「沖縄復帰50年 『基地なき平和』が基本だ」/「本土並み」はどこへ/辺野古では解決せぬ/見えぬ寄り添う姿勢
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/680870

 この50年、沖縄は県民の期待とは裏腹の苦難の道を歩み続けたと言わざるを得ない。
 日本政府の責任は大きい。沖縄の過重な基地負担を解消できずにいるばかりか、安全保障政策などで対米追従を続け、そのしわ寄せをさらに沖縄に課してきた。
 沖縄の人々が平和のうちに生きる権利を侵害し続けることは許されない。
 国民全体の課題として沖縄の痛みに真剣に向き合っていかなければならない。

・河北新報5月15日付「沖縄日本復帰50年 『痛み』への感度取り戻そう」
 https://kahoku.news/articles/20220515khn000005.html

 国策のしわ寄せは経済格差によって固定化され、国のさじ加減で決まる財政支援によって合理化される。同時に進むのが他の地域との分断だ。
 構図は、原子力施設が立地する東北にも共通する。基地によって、あるいは原発によって地域が潤っているといったステレオタイプが国策の矛盾を見えにくくしてしまう。
 全国調査では、年齢が下がるにつれて、沖縄の基地負担を問題視する人が減る傾向も明らかになった。
 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦や、本土から米国統治下の沖縄へ基地の移転が進んだ経過など、歴史認識の溝は地域間のみならず、世代間でも深まっている。
 まずは沖縄の歴史と現状を知り、その「痛み」に想像を巡らせよう。これ以上、負担の押し付けと不平等の放置を傍観していてはなるまい。

・東奥日報5月14日付「『主権』は返還されたのか/沖縄復帰50年」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1057943
・秋田魁新報5月15日付「沖縄復帰50年 過重な基地負担解消を」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20220515AK0004/
・山形新聞5月14日付「沖縄復帰50年 主権は返還されたのか」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20220514.inc
・岩手日報5月15日付「沖縄復帰50年 不平等から目を背けず」
・福島民報5月14日付「【沖縄あす復帰50年】福島から思い寄せて」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2022051497041

 米軍基地など国策の下で重い負担や苦痛を強いられたままの人々にとって、節目はあるのだろうか。本県は原発政策に協力していながら、東京電力福島第一原発事故発生後は国の対応に翻弄[ほんろう]されてきた。復興を巡り、基地移設問題と同じような懸念もある。沖縄県への関心を深め、本県の今後とも向き合いたい。
(中略)
 共同通信社の全国世論調査で、沖縄の負担が他と比べて不平等だとの回答が八割に達した。基地の一部を県外で引き取るべきと五割強が答えたものの、自分の地域への移設には七割近くが反対した。沖縄の現状は理解しつつも、負担軽減に向けた移設は受け入れ難いという国民感情が大勢なのも、基地問題を沖縄県に固定化させてしまった背景の一つにあるのだろう。
 原発事故に伴う放射性物質トリチウムを含んだ処理水の海洋放出について、風評の上積みになるとの強い反発がある中で政府は、本県沖での実施を最終的に決定した。安全性に対する周知不足への不満や不信感は消えていない。
 除染廃棄物は、中間貯蔵施設への搬入から三十年以内の県外最終処分が法律で定められている。処分先が結局確保できず、本県に固定化されるような事態は許されない。沖縄県に思いを寄せ、基地問題を注視しながら、政府の動向を厳しく見ていく必要があるだろう。

・福島民友新聞「沖縄復帰50年/本土が苦難に向き合うとき」
 https://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20220515-703872.php

 一方、米統治下で社会インフラの復旧や産業復興が進まず、基地関連の収入が経済の柱だった状況は、50年で変わった。国や県の振興計画で、観光が主力産業に成長し、基地への依存度は下がった。
 若い世代が直面しているのは、観光業や公共事業頼みで他の産業が育たず、1人当たりの県民所得が全国最下位にある状況だ。完全失業率や母子世帯の割合は全国で最も高く、子どもらが貧困の連鎖にあえいでいる。
 南国のリゾートという明るいイメージは沖縄の一面に過ぎない。観光や農産物流通で縁を築いた福島は、現実を見つめ、さらなる相互理解へ交流を深めるべきだ。
基地への認識や復帰後の評価は、沖縄でも立場や世代で異なる。50年で複雑化した沖縄の問題を私たちは一地域のものに矮小(わいしょう)化せず、平和で豊かな生活の実現をともに目指す姿勢が求められる。

・茨城新聞5月14日付「沖縄復帰50年 主権は返還されたのか」
・上毛新聞5月14日付「沖縄復帰50年 主権は返還されたのか」
・神奈川新聞5月15日付「沖縄復帰50年 苦難の歴史を、ともに」
・山梨日日新聞5月15日付「本土復帰50年 『沖縄への借り』忘れぬよう」

 本土の私たちは復帰に込められた沖縄の思いを、この機会に再確認したい。山梨でもあった米軍絡みの事件・事故は、沖縄で発生し続けているのだ。基地周辺の環境汚染もある。「沖縄は基地のおかげで潤っている」という言説はかなり古めかしい。返還された基地の跡地活用で大きな経済効果を生み出すことが明らかになっている。
 (中略)
 基地の整理・縮小は簡単な政治課題ではない。しかし基地問題が日本全体の問題であることは認識しなければいけない。「自分ごと」として想像力を働かせ、「平和の島」実現へ真摯に取り組みたい。

・信濃毎日新聞5月15日付「沖縄の終わらぬ戦禍 現状を動かす鍵は本土に」/踏みにじられた民意/復帰後も解消せず/訴えを警鐘として
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022051500072

 沖縄の人たちに会う時に抱く気後れに似た感情は、どこから来るのか。時折、自問する。
 基地のない平和な島で人権や自治権を取り戻す―。50年前の復帰に県民が託した願いを、裏切ってきた本土の一員であるためか。
 米軍機が引き起こす騒音、頻発する不時着や部品落下、軍人・軍属の犯罪や事故…。重荷を押し付ける政治を、結果的に許している後ろめたさがもたげる。
(中略)
 ウクライナ戦争で高まった危機感から、軍備拡張を必然とし、米軍の「制約なき自由」を是認する先に、国民の暮らしに何が起きるのか。身をもって知る沖縄の「基地なき島」の叫びは、全国への警鐘として捉えたい。
 その沖縄は、東アジアの中心に位置する地理的特性を生かし、各国の人々が行き交う「共生の島」を構想している。
 沖縄戦で十数万の県民が犠牲となり、軍政下で人権も自治も蹂躙(じゅうりん)された人々の希求は、絵空事ではない。米国と中国のはざまにある日本が、軍事偏重の潮流にあらがう術として、真剣に追求すべき外交上の命題であろう。
 県民が幾度も示した反対の意思を無視し、日米が一体となり、沖縄を「軍事の島」に固定化している。戦後77年を経て、新たな「戦前」を準備するのか。岐路に立つのは、本土の側と言っていい。

・新潟日報5月15日付「沖縄復帰50年 『平和の島』実現させねば」/危険と隣り合う県民/治外法権の地位協定
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/61731
・中日新聞・東京新聞
5月15日付「週のはじめに考える 基地存続に無念の涙雨」/沖縄の願望届かぬ復帰/建議書無視の強行採決/
 https://www.chunichi.co.jp/article/470389
5月16日付「『うちなー世』はまだか 沖縄復帰50年に」/閉ざされた独立への道/自己決定権も奪われて
 https://www.chunichi.co.jp/article/470880

 講和条約、返還協定、名護市辺野古での米軍新基地建設。すべてが当事者である沖縄抜きで決められてきました。故・翁長雄志前知事はそうした状況を「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と指摘しています。
 国の沖縄振興予算も、新基地を巡り国と対立した翁長氏と玉城デニー現県政下で減少が続きます。新基地を踏み絵に予算を増減させる政府の非民主的振る舞いが極まっています。十日に決定した今後十年間の沖縄振興基本方針からは前方針にあった沖縄の「自主性を尊重」との文言すら消えました。
 民主主義の時代に、沖縄の人々がなぜ「自己決定権」に言及しなければならないのか。本土に住む私たちは、その背景にあるものから目を背けてはなりません。
 沖縄の地に「うちなー世」が訪れるとき、日本が本当の意味での民主主義国家になれるのです。

・静岡新聞5月15日付「沖縄復帰50年 思い共感することから」
・岐阜新聞5月15日付「沖縄復帰50年 声を踏みにじり続けるな」
・北日本新聞5月15日付「沖縄復帰50年 負担の一極集中改めよ」
・北國新聞5月15日付「沖縄復帰50年 『守りの要』の重圧に耐え」

 政府は無論、米軍基地縮小に手をこまねいてきたわけではなく、沖縄の米軍専用施設面積は復帰直前から48%減少した。ただ、本土の施設も大幅に減ったため、沖縄の占める割合は復帰時の58.8%から70.3%に増加し、沖縄に米軍施設が集中する形となった。
 こうした状況に対し「沖縄に基地を押し付け、置き去りにした」といった批判がなされる。が、沖縄がそれだけ重要な防衛戦略拠点であることを理解したい。日本列島から台湾に至るラインは、米国と中国の海洋覇権争いの最前線である。その中間に位置する沖縄は本土では代替できない要衝にならざるを得ない。沖縄県民にはつらいことだが、沖縄の地政学的な宿命として受け入れてもらうほかないのではなかろうか。

・福井新聞5月14日付「沖縄復帰50年 『平和の島』実現してこそ」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1550072
・京都新聞5月15日付「沖縄復帰50年 基地負担軽減へ対話深めよ」/「不平等」県民の8割/日米地位協定が壁に/高い貧困率に対策を
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/792344

 一方、県民所得は全国最下位で、子どもの貧困率は平均の2倍だ。格差解消に向けて、政府が実施する沖縄振興政策でしっかり支援してもらいたい。
 太平洋戦争中、大規模な地上戦が繰り広げられた沖縄では、子どもや女性を含めて県民の4人に1人が犠牲になった。ウクライナ侵攻の惨状に沖縄戦を重ねる人がいることにも思いを寄せたい。
 だからこそ、新たな建議書は、「平和で豊かな島」の実現を第一に掲げている。沖縄をアジア太平洋地域の軍事的要衝として捉えるだけでなく、平和的な外交・対話の場として位置付けられるかが問われている。

・神戸新聞5月15日付「沖縄本土復帰50年/『平和の島』への具体的道筋を」/踏みにじられた思い/負担の代償ではなく
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202205/0015301524.shtml

 今月、政府は今後10年間の沖縄振興基本方針を決定し、持続可能性のある「強い経済」を掲げた。観光以外の産業育成や、本土との所得格差の解消を図る実効性ある振興策が必要である。ただ、それは基地負担の代償であってはならない。自立した経済の実現には、米軍基地の返還と跡地の活用が欠かせない。
 政府は「辺野古移設が唯一の解決策」とする強権的な姿勢を改め、沖縄県と真摯(しんし)に対話すべきだ。その上で、基地問題解決への具体的な道筋を提示する責務がある。
 沖縄の地元紙は、辺野古での新基地建設の強行を「琉球処分」と重ねて論じている。本土でもその怒りを理解し、共有したい。沖縄だけが「アメリカ世」から抜け出しきれない不平等は決して許されない。

・山陽新聞5月15日付「沖縄復帰50年 歴史と現状の理解必要だ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1261761

 そもそも沖縄に米軍基地が集まったのは、1952年のサンフランシスコ平和条約発効で本土の基地反対運動が本格化したため、米統治下の沖縄に移ったからだ。基地負担は決して地域問題ではない。
 子どもの貧困率が全国の2倍に上る経済格差の大きさも県外ではあまり知られていない。「本土並み」の実現に向け、私たちは沖縄の歴史と現状を理解し、県民との認識のずれを埋める必要がある。

・中国新聞5月15日付「沖縄復帰50年 『本土並み』実現せねば」/「平和の島」願う/新基地反対72%/目立つ強権姿勢
 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/165002

 安全保障は国家間の取り決めである。本来ならば政府が米国に地位協定改定や基地機能の縮小を求めていくのが筋だ。しかし最近の基地問題は日本政府と沖縄県の対立の構図にしかなっていないのはなぜだろう。
 復帰について協議した1972年1月の日米首脳会談で日本側は沖縄の基地縮小を繰り返し求めた。佐藤は復帰直後の首相退任時、屋良朝苗知事(当時)に「整理縮小の姿勢と方向性は示されたが具体的に実現できなかった」とわびてもいる。
 先の戦争だけではない。琉球王国だった沖縄は1879年、明治政府により強制的に日本に統合された歴史もある。いつまでも沖縄に本土側の都合を押しつけ続けることは許されない。
(中略)
 岸田首相は原爆に見舞われた広島県選出である。沖縄と痛みを共有できると思う―。玉城知事は何度も期待感を口にしてきた。被爆地の首相として沖縄に寄り添ってもらいたい。それが日本という平和国家を率いる指導者にはふさわしい。

・日本海新聞5月14日付「沖縄復帰50年 主権は返還されたのか」
・山陰中央新報5月15日付「沖縄復帰50年 主権は返還されたのか」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/207694
・愛媛新聞5月15日付「沖縄復帰50年 重い基地負担 置き去りにできぬ」
・徳島新聞
 5月14日付「沖縄復帰50年(上) 『本土並み』実現目指せ」
 5月15日付「沖縄復帰50年(下) 徳島との交流深めよう」
・高知新聞「【沖縄復帰50年】問題意識を共有したい」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/564046

 共同通信の世論調査では、沖縄の負担が他の都道府県と比べ「不平等」とした人が79%に上った。ただ、自分の住む地域への移設は「反対」が69%を占めた。
 沖縄の過重な負担は認識しながらも、危険を伴う施設の地元受け入れには抵抗感を抱く。以前から指摘される「総論賛成、各論反対」の本土と、沖縄の温度差だろう。
 ウクライナ情勢や中国の海洋進出で国防への関心が高い今こそ、沖縄の現状を議論すべきだという見方がある。そして「無残な50年だった」と実現しない平和の島を嘆く元琉球政府職員の声も重く受け止めたい。
 まずは、沖縄県が提案する日米両政府との真摯(しんし)な話し合いの実現を求める。それとともに、国民全体で沖縄との問題意識の温度差を解消し、共有しなければなるまい。

・西日本新聞5月15日付「沖縄復帰50年 『祖国』は期待に応えたか」/建議書の願いはどこへ/「平和の島」の理想遠く
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/923092/

 日本政府は沖縄や南西諸島の防衛拠点としての重要性を強調し、米軍基地や自衛隊の機能強化に乗り出す。ただウクライナでも明らかになったように、戦時に最初に攻撃されるのは軍事拠点だ。沖縄戦を経験した県民の不安は強い。
 これまで本土の住民は沖縄への基地集中を黙認してきた。どこか「人ごと」と見ていたのではないか。だが東アジアで危機が現実化すれば、軍事施設の集中は「負担の押しつけ」どころではなく「戦場の押しつけ」になりかねない。
 時計の秒針を見ながら復帰の瞬間を待った沖縄の人々。本土はこの50年間、「祖国」として、その期待に応えただろうか。私たちも本土の住民として自問したい。
 東アジアの安定に必要な抑止力と、沖縄の基地負担軽減を両立させるためには、抑止に伴う備えや負担を日本社会全体で引き受けることが不可欠だ。九州もその論議に加わることができる。危機を回避する外交も必須である。まずは沖縄県民が強く望む日米地位協定の改定から取りかかるべきだ。
 沖縄を「平和の島」の理想に近づけるにはどのような努力が必要か。「自分ごと」として考えたい。

・大分合同新聞5月15日付「沖縄復帰50年 『平和の島』にはほど遠い」
・宮崎日日新聞5月14日付「沖縄復帰50年 『平和の島』への願い実現を」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_62708.html
・長崎新聞5月14日付「沖縄復帰50年 『平和の島』真摯に実現を」
・佐賀新聞5月16日付「沖縄復帰50年 主権は返還されたのか」 ※共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/854624
・熊本日日新聞5月15日付「沖縄復帰50年 対話進め基地負担軽減を」
・南日本新聞5月16日付「[沖縄復帰50年] 『平和の島』実現したい」/意識の違い際立つ/魅力生かし振興を
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=156127 

 最大の課題は、沖縄の抱える懸案が日本全体で解決すべき問題として認識されていないことではないか。
 共同通信社の全国世論調査では、沖縄県の基地負担が他の都道府県と比べて「不平等」と答えた人は、「どちらかといえば」を含めて79%に上った。米軍基地の一部を県外で引き取るべきだとの意見に58%が賛成したが、自分が住む地域への移設となると反対が69%を占めた。
 過重な基地負担を理解しつつ、地元での受け入れには抵抗を示す意識がうかがえる。
 沖縄と本土の対立の構図にしてはならない。現状を知る努力を怠ることなく、関心を寄せ続け、ともに考える姿勢が欠かせない。