「国葬」は弔意の強制であり「内心の自由」の侵害、だから吉田茂を最後に執り行われていない~地方紙から反対、懐疑の表明

 耳を疑うニュースでした。岸田文雄首相は7月14日の記者会見で、参院選の街頭演説中に銃撃され殺害された安倍晋三元首相の国葬を秋に行うことを表明しました。当日14日付の産経新聞朝刊が1面トップで「安倍氏『国葬』待望論」と大きく報じていました(東京本社発行紙面)。安倍元首相の支持基盤だった右派層からはそういう声はあるだろうな、それは理解できるな、と思っていましたが、まさか本当に岸田首相が国葬の実施を口にするとは思いませんでした。

 ▼そもそも首相が決めていい、首相の一存で決められることなのでしょうか。1945年の敗戦までは、法的な根拠である「国葬令」がありました。しかし1947年に失効しています。「国葬」は現在、法律上は存在しません。それを内閣が閣議決定しさえすれば実施できる、ということになれば法治の根幹が崩れます。しかも、費用、列席者をはじめとして、具体的なことは何も示されていません。「国葬ありき」のこの姿勢は、いくら何でも乱暴に過ぎます。
 ▼費用を全額公費で賄うことの意味は、その費用をすべての国民、つまり主権者で分担することです。民主主義の社会では、故人に対してどんな感情を持つのも主権者個々人の自由です。だから費用の分担を強制する国葬は、弔意を強制するに等しく、内心の自由の侵害に当たると考えざるを得ません。憲法に反します。
 ▼戦後の国葬の例として吉田茂元首相が引き合いに出されますが、これを先例として、「だから安倍元首相も」とするのは、あまりに短絡的です。むしろ吉田元首相以後、国葬は実施されていないことに留意すべきです。民主主義と憲法に照らして、国葬は実施するべきではないとの判断が広く社会で共有されてきたのだと、わたしは考えています。吉田元首相を最後に、国葬はただの一度も行われていないことこそが「先例」です。その先例を破っていい事情は何も見当たりません。
 ▼安倍元首相の政治的な評価に賛否が相半ばするのは、ここでわたしが言うまでもないことだと思います。突然の、非業の死であっただけに、安倍元首相に対する評価が定まるには長い時間がかかるはずです。国葬によって、安倍元首相の功績が称賛されるだけとなることを危惧します。
 安倍元首相をどう見送るかは、主権者がそれぞれの思いに応じてそれぞれが選べば良いと思います。国葬には反対です。岸田首相に再考を求めます。

 マスメディアの論調を注視していますが、全国紙の社説、論説の中に反対の主張が見当たらないことを危惧しています。この記事を書いている7月18日午前の段階で、朝日新聞、日経新聞は社説で取り上げていません。毎日新聞、読売新聞は容認、産経新聞は岸田首相の記者会見前に、国葬を求める内容の社説を掲載しています。朝日新聞の沈黙と、毎日新聞の腰の引けたトーンが気になります。
 地方紙については、ネット上で読める限りですが、安倍元首相の国葬の問題点を明確に指摘している社説、論説がいくつかあります。琉球新報は「反対」を明記。信濃毎日新聞は「納得がいかない」、京都新聞、沖縄タイムスは「再考を求めたい」「再考すべきだ」との表現で、反対を表明しています。とりわけ琉球新報、沖縄タイムスの2紙は、安倍元首相が沖縄にどのようなスタンスで臨んでいたかをあらためて指摘しています。日本本土に住む主権者にぜひ一読してほしいと感じます。

 以下に、ネット上の各紙のサイトで無料で読める社説、論説について、一部を書きとめておきます。わたしの判断で【反対ないし懐疑的】【容認】【積極支持】の三つに分けています。

【反対ないし懐疑的】
▼北海道新聞:7月16日付「安倍氏『国葬』 幅広い理解得られるか」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/706435

 非業の死を殊更に強調して、国を挙げて功績ばかりを称賛するような葬儀に、国民の幅広い理解が得られているだろうか。
 国葬でなくとも、弔意と暴力を許さぬ決意を示すことはできる。国民の税金を投じるのなら、国会でその妥当性を議論すべきだ。

▼信濃毎日新聞:7月16日付「安倍氏国葬に 特例扱いは納得がいかぬ」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022071600106

 安倍氏急死の衝撃が冷めやらない。一部の野党は国葬に反対する談話を出したものの、「静かに見守りたい」「賛成する人ばかりではない」と、はっきりした見解を示せていない党も目立つ。

 国葬になれば海外から多くの要人が訪れる。外交の場として、あるいは自民党内を掌握する機会として、現政権に「追悼の空気」を利用する意図はないか。
 コロナ禍に加え、物価高が国民の暮らしを圧迫している。窮状を尻目に、政権の意向を優先すれば政治との溝は深まる。賛否を巡り社会の分断も生じかねない。
 なぜ、慣例を破って国葬にしなくてはならないのか。岸田首相の説明では納得がいかない。

▼新潟日報:7月16日付「安倍元首相『国葬』 納得のいく説明が必要だ」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/87280

 岸田首相が国葬の決断をしたのは、自民党役員会で「国葬にしたらどうか」との意見が複数上がったのを受けてのことだとされる。党幹部と方向性を確認し、安倍氏の妻・昭恵さんに電話で伝えて了承を取ったという。
 安倍氏は党内最大派閥を率い、保守層の支持も厚かった。岸田首相には、国葬にすることで党内対立を避ける狙いもあるのではないか。政治的な意図が透ける。
 安倍氏が志半ばで凶弾に倒れたことに、多くの国民は衝撃を受け、深い悲しみを抱いていることは事実だろう。
 一方で、国葬とすることにより懸念される点もある。安倍氏の負の側面に向き合わず、ふたをしてしまうことにつながらないか。
 言論の自由と民主主義を守る意義をもう一度確認したい。

▼京都新聞:7月16日付「安倍氏の国葬 法の根拠がなく疑問だ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/837989

 国民の賛否は分かれるのではないか。岸田文雄首相は、参院選の街頭演説中に銃撃されて死去した安倍晋三元首相の「国葬」を今秋に行う方針を発表した。
 国葬は法的根拠がなく、費用は全額が公費負担となる。首相経験者では1967年の吉田茂元首相以来、実施されていない。
 岸田氏は「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と強調したが、事件の衝撃とは切り離して冷静に判断せねばならない。安倍氏に国民の同情が集まる一方、政権運営を巡っては評価だけでなく批判も根強い。
 ムードに乗じて岸田氏の判断で決めていいのか。政治利用ともみえるだけに疑問と危うさを禁じ得ない。再考を求めたい。

▼琉球新報:7月16日付「安倍元首相『国葬』 内心の自由に抵触する」
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1550385.html

 岸田文雄首相が、街頭演説中に銃撃を受けて死去した安倍晋三元首相の「国葬」を9月に実施すると発表した。史上最長の在任期間、国際社会からの高い評価、国内外から追悼の意が寄せられていることを理由として挙げたが、全く納得できない。憲法が保障する内心の自由に抵触する国葬には反対する。
 (中略)
 安倍元首相の功績の評価も疑問だ。在任期間の長さは功績といえるのか。米国と軍事的一体化を進めたことを米政府関係者が高く評価するのは当然だが、国内には根強い批判がある。誰もが認めるような外交成果はあるだろうか。
 沖縄の立場からはさらに厳しい評価をせざるを得ない。安倍元首相は、沖縄の民意を踏みにじりながら辺野古新基地建設を力ずくで進めてきた。地位協定見直し要求も無視し続けた。「台湾有事は日本有事」などの発言は、沖縄を再び戦場にしようとするものとして批判された。
 岸田首相は「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」とも述べた。しかし安倍元首相は民主主義を空洞化させた。安全保障関連法などで強行採決を重ね、森友・加計問題、桜を見る会問題では、長期政権のおごり、権力の私物化と批判された。国会でうその答弁を積み重ね、公文書改ざんなどを引き起こした。数々の疑惑に口を閉ざしたままだった。
 銃撃は民主主義への挑戦であり、今求められることは民主主義の精神を守ることだ。「国葬令」が失効した歴史をかみしめるべきである。

▼沖縄タイムス:7月17日付「[安倍氏の国葬]異例の扱い 疑問が残る」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/992870

 国論を二分した安倍氏の政策は評価が定まっているとは言えない。なぜ国葬なのか。政府は追悼の在り方を再考すべきだ。
 とりわけ沖縄において安倍氏への評価は厳しい。
 安倍氏は、サンフランシスコ講和条約の発効日を「主権回復の日」として首相在任中の2013年、初めて政府主催で式典を開催した。
 沖縄は講和条約で米国の施政権下に置かれることになった。発効の日は「屈辱の日」と呼ばれ、式典開催については世論調査で県民の7割が「評価しない」と回答した中での強行だった。辺野古の新基地建設をはじめ、こと沖縄政策に対しては強硬姿勢が目立つ政治家でもあった。
 戦後唯一、国葬で送られた吉田氏について、当時の佐藤首相は追悼の辞で「戦後史上最大の不滅の功績」として講和条約の締結を挙げた。
 吉田氏に続いて安倍氏が国葬で送られることに対し、県民からは反発の声が上がっているが当然だ。
 (中略)
 憲法は「内心の自由」を定めている。喪に服すも、服さないも個人の自由である。政府はそのことを重んじるべきだ。

【容認】
▼毎日新聞:7月16日付「安倍元首相の『国葬』 国民の思い尊重する形に」
 https://mainichi.jp/articles/20220716/ddm/005/070/154000c

 衝撃的な事件で命を落とした安倍氏の通夜には多くの人々が訪れ、自民党本部に置かれた献花台に行列ができた。国民が弔意を示す場を設ける必要はある。
 国葬となれば全額が国費で賄われる。多くの国民の理解を得られる形にすることが望ましい。
 (中略)
 退陣から2年弱で、現役の政治家だった安倍氏の歴史的評価は定まっていない。野党は「公文書改ざん問題や国会での虚偽答弁などがあったことも忘れてはならない」と指摘している。
 こうしたことから、政府・与党内にも慎重論があった。銃撃事件の捜査も続いている。落ち着いた状況の中で、世論を見極めながら決めるべきではなかったか。
 (中略)
 大切なのは遺族の意向にも配慮し、静かに見送れる環境を整えることだ。
 さまざまな国民の思いを尊重し、世論の分断を招かぬよう丁寧に進めなければならない。

▼読売新聞:7月16日付「安倍氏国葬に 内外の悼む声を踏まえた判断」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20220715-OYT1T50277/

 国葬には、海外の多くの首脳や要人が出席する見通しだ。外交上も重要な場となる。国家的行事として、責任を持って執り行おうという政府の姿勢は理解できる。
 安倍氏が銃撃された奈良市の現場では、今も花を手向ける人が後を絶たない。東京都内で行われた通夜と葬儀には、多くの一般の人たちが詰めかけた。
 国葬という最高の形式に、異論がある人もいよう。だが、不慮の死を遂げた元首相の追悼方法を巡って日本国内が論争となれば、国際社会にどう映るか。そんな事態を、遺族も望んではいまい。
 政府は、不必要な混乱を招かないよう、国葬の規模や運営方法などについて、丁寧に説明を尽くしてもらいたい。支出の透明性を確保することも大切だ。

▼西日本新聞:7月16日付「安倍氏の国葬 首相は国民に説明尽くせ」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/957396/

 参院選の街頭演説中に銃撃を受けて亡くなった安倍晋三元首相の「国葬」を秋に行うと岸田文雄首相が発表した。戦後、首相経験者の国葬は吉田茂氏しか例がない。極めて異例である。
 安倍氏を静かに送ることができるように、賛否を巡って国民が激しく対立する事態は避けたい。そのためにも、首相は国葬の意義を丁寧に説明しなければならない。
 (中略)
長期政権は毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばし、安倍氏の国葬に疑問を持つ人もいる。一部野党は反対や懸念を表明した。私たちの社説も安倍氏の政治判断や言動を批判することがあった。
 安倍氏の命を奪った事件が国民に与えた衝撃は大きい。岸田首相は多様な国民感情に留意し、国葬の詳細を冷静に議論すべきだ。できるだけ多くの賛同が得られる結論を導き出してほしい。
 よもや、安倍氏を支えてきた自民党内の保守派への配慮など政治的思惑がのぞくようなことがあってはならない。

【積極支持】
▼産経新聞:7月14日付「安倍元首相 心込めた国葬で送りたい」※岸田首相の表明前
 https://www.sankei.com/article/20220714-CNZTX56NYRJ4PLKUDQVWAUPTIA/

 近年の首相経験者の葬儀は、内閣と自民党による合同葬が主流となっている。
一方、安倍氏の葬送では、憲政史上最長の首相在任による業績を踏まえることに加え、国際社会が示してくれた追悼にふさわしい礼遇を示すことが大切だ。
(中略)
 戦後の首相経験者の国葬には立派な前例がある。昭和42年10月の吉田茂元首相の国葬だ。日本を占領から独立させ、日米安保条約締結で自由主義陣営の国として歩む基盤をつくった首相だった。安倍氏の功績は吉田氏に劣らない。
 「法律の不備」を理由に安倍氏の国葬を肯(がえ)んじない向きがあるが、前例無視の暴論である。
 首相官邸は11日になって弔意を示す半旗を掲げた。米国やインドの政府施設よりも遅かった。恥ずかしくないのか。心を込めた国葬で安倍氏を送りたい。