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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

国葬を「天皇の国事行為」と位置付けるしか、「閣議決定による実施」に適法性は見いだせない

【管理人注】この見出しは逆説です。国葬を天皇の国事行為に位置づけよ、という趣旨ではありません。わたしは国葬自体に反対です。

 一つ前の記事の続きです。
 安倍晋三元首相の国葬をめぐって、反対や異論の理由が「安倍元首相は功罪半ばする」「評価は定まっていない」などと、「対象が安倍元首相だから」という点に向きがちなことが気になっています。もっと丁寧な議論が必要で、まずは「だれが対象か」からいったん離れて、国葬のそもそも論が議論されるべきだろうと思います。国葬は現在、日本の法令のどこにも規定がありません。にもかかわらず、岸田文雄首相は「内閣府設置法」を根拠に、内閣が閣議決定で実施を決めることができるとの解釈を取っています。あたかも「無から有を生む」かのような、そんな解釈は妥当なのか、ということです。

 今回の記事の結論を先に言えば、国葬を憲法が定める「天皇の国事行為」と位置付けるならば、閣議決定で国葬の実施を決める手続きは適法と言えるように思います。適法とするにはそれしかないのでは、とも思います。国葬に天皇が臨席するのかどうか、7月22日の閣議決定後の報道を見てもよく分かりません。岸田政権は天皇の国事行為と位置付けるような説明は行っていないのですが、法治の根幹にかかわることであり、緻密な検証はマスメディアにとっても課題だろうと思います。

 このブログの一つ前の記事でも触れましたが、内閣府設置法は内閣府の任務と所掌事務、組織を定めている法律です。

第一条 この法律は、内閣府の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織に関する事項を定めることを目的とする。

 また、所掌事務を定めた第4条第3項33号には以下のように「国の儀式」も記載されています。

三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。

 しかし、この規定からさかのぼって、「国の儀式」に何を選ぶかまでもがフリーハンドで内閣の権限として認められていると考えるには、無理があるように思います。「国の儀式」と「内閣の行う儀式及び行事」とが並列で記されていること、「他省の所掌に属するものを除く」と補足されていることから、「内閣の儀式、行事」はともかくとして、ここで想定されている「国の儀式」はやはり、日本の法令のどこかに根拠を持つものでなければならないように思います。
 報道によると、松野博一官房長官は閣議決定後の会見で、同様の事例として2019年の「即位礼正殿の儀」など皇室の代替わりの関連行事を挙げて、この解釈の正当性を主張したようです。しかし、皇室の代替わりに伴う儀式については、皇室典範の第24条に「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」と規定されています。国葬と同列に論じるのは適切ではないように思います。

 長くなりましたが、ここまでは一つ前の記事でも書いたことです。実は、「国の儀式」の中で、どう考えればいいか、よく分からない事例がほかにありました。国葬の法的根拠についての論考をあれこれ検索する中で、以下のような見解を目にしました。

 たしかに、「国葬」と明記された法律は存在しない。ただ、「国葬」と明文で規定した法律があるかどうかと、政府がそうした儀式を実施するための法的根拠があるかどうか(適法かどうか)は、別問題だ。
 例えば、毎年8月、政府主催で終戦の日に行う「全国戦没者追悼式」も、明文の法律規定があるわけではない。これも閣議決定により行われている。東日本大震災の追悼式も閣議決定により行われている。これらに一つ一つ、明文の法律規定はあるのか、との議論は聞かれない。誰も開催自体に異論がないためだ。

※ヤフーニュース個人「安倍元首相国葬『法的根拠がない』は本当か? ミスリードな報道も 岸田首相は内閣府設置法と説明」楊井人志氏(弁護士)=2022年7月16日
 https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20220716-00305847

 この論考の筆者は、内閣府設置法を根拠に閣議決定で国葬の実施を決める手続きは適法だ、との見解だと受け止めました。
 「全国戦没者追悼式」も東日本大震災の追悼式も「国の儀式」ではあるものの、法令に明記はされておらず、閣議決定を基に行われているのはその通りです。国葬とどう違うのか。国葬も同じだと考えていいのか。そこがよく分からず、頭の中にもやもやが残っていました。
 そんな状態でこの二つの追悼式の過去の報道などを眺めていて、はっと気が付きました。ともに天皇が出席しています。
 日本国憲法の最初の1条から8条までは、天皇に関する規定です。うち7条はいわゆる「国事行為」の規定です。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 10番目に「儀式」が明記されています。つまり、「全国戦没者追悼式」も東日本大震災の追悼式も天皇が出席するからこそ、内閣が助言と承認を行う天皇の国事行為として、内閣が閣議決定で「国の儀式」として実施を決めることができる―。そう考えれば、疑問はありません。「全国戦没者追悼式」も東日本大震災の追悼式も、それ自体は法令に明記はありませんが、法的な根拠は憲法に求めることが可能だということです。
この解釈が妥当なのかどうかは、専門家に判断してもらいたいと思いますが、少なくともわたし自身は、疑問がクリアに解消できました。
 さて、では国葬はどうでしょうか。
 仮に天皇が参列するのであれば、上記の追悼式と同じように、天皇の国事行為として、憲法に根拠を求めることができるように思います。閣議決定で国葬の実施を決めることができるとする、唯一の分かりやすく納得できる理由だと思います。しかし、評価が定まっていない、功罪が相半ばし、死してなお批判も少なくない政治家の葬儀を国事行為と位置付けるのは、いくら何でも無理があります。天皇の政治利用です。
 また、天皇の国事行為として「儀式を行ふ」と明記されているのですから、法令に書かれている「国の儀式」は本来、国事行為として行っても問題がないものに限られるのではないかと感じます。「国の儀式」は天皇の国事行為としての「儀式」と同義ではないのか、との疑問があります。
 憲法は日本の法令の最上位にあります。その憲法の規定をよそに、法令としては下位にある内閣府設置法に根拠を求めて、「何が『国の儀式』に当たるのかは、内閣が自由に決めてよい」などとする解釈を取るのは「法治」の逸脱だと感じます。少なくとも、憲法が国権の最高機関と規定する国会での議論を経て、整合性を確認する手続きが絶対に不可欠だと思います。

 あらためて、7月22日の閣議決定後の官房長官の記者会見と、その後のマスメディアの報道をチェックしましたが、安倍元首相の国葬に天皇が参列するかどうか、よく分かりません。官房長官会見では、天皇の臨席について質問はなかったようです。手続きが適法かどうかを判断する上で、今からでもマスメディアが当然にチェックしなければならない点だと思います。