ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

秋葉原事件の死刑執行であらためて思う「働き方」と「孤独」

 2008年6月に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件で、7人を殺害し10人に重軽傷を負わせたなどとして死刑が確定していた男(加藤智大)の刑が7月26日、執行されました。事件当時を思い起こし、今日の社会状況に重ねて、あらためて様々なことを考えています。
 当時、わたしは勤務先の通信社で、1週間後に社会部への異動を控えていました。その2年前に、社会部デスクから、配信記事を最終的にチェックする整理部門に転出していました。これで社会部の現場は“卒業”だろうと考えていたのですが、思いがけず、管理職の一人として2年ぶりに戻ることになっていました。事件が起きた6月8日は日曜日。社会部は全員呼び出しでしたが、異動前のわたしは休日で自宅にいて、主にテレビで推移を見守っていたように記憶しています。まもなく社会部に移り、シニア格のデスクとして、この事件についてもほかのデスクたちと様々に議論しながら、同僚記者たちの取材を見守っていました。
 男は工場で働く派遣社員でした。2001年に発足した小泉純一郎政権下の「改革」で、派遣社員など非正規雇用は一気に広がりました。間もなく「ワーキングプア」という言葉が報道でも頻繁に登場するようになります。「働けば働くほど困窮する」というニュアンスが込められています。賃金水準が低いために、いくら働いても生活保護にも満たない収入しか得られない、加えて雇用契約に期間の定めがあり身分は不安定―。非正規雇用のそういう実態を突いた言葉でした。2004年夏から2年間、新聞労連の専従役員として過ごしていたわたしは、労組活動を通じて、その実態の一端を直接知る経験もしていました。新聞労連での専従活動を終えて社会部デスクに復職する際、非正規雇用の労働者の権利擁護や待遇の改善は、労組運動にとっても、マスメディアの報道にとっても大きな課題だろうと考えていました。
 その2年後に事件は起きました。男は派遣切りに遭ってほどなくでした。無差別殺人の動機も、そうした境遇に根ざしているのではないかと、当初から考えていました。最高裁の確定判決は「派遣社員として職を転々とし、孤独感を深めていたなか、没頭していたネット掲示板で嫌がらせを受け、派遣先でも嫌がらせを受けたと思い込み、強い怒りを覚えていた」と指摘し「嫌がらせをした者らに、その行為が重大な結果をもたらすことを知らしめる」ことが犯行動機だったと認定しています(朝日新聞より)。男の孤独感は、やはり働き方と密接な関係があったのではないか。この孤独感は何ともならなかったのか。労働組合運動とマスメディアの仕事の双方に身を置いたわたしには、忸怩たる思いがあります。
 刑の執行を伝える7月27日付の朝日新聞に、中島岳志・東京工業大教授の長文の談話が載っています。この秋葉原の事件から、相模原の障害者殺傷、京都アニメーションの放火殺人、安倍晋三元首相の殺害まで、無差別の殺意は根っこでつながっているとの指摘は、その通りだと感じました。一部を書きとめておきます。

 無差別殺傷事件は、自らの苦しみが誰によって強いられているのか、ターゲットが見えない中で起きる。
 加藤君もその構造の中にいた。彼の鬱屈(うっくつ)は、彼の世界の中心である秋葉原で暴れるという形で表れた。
 近年は、苦しみの矛先を向ける像が抽象的だが具体化してきている。
 例えば相模原市の障害者施設で入所者らが殺傷された事件では、犯人の鬱屈は「社会全体が苦しいのは障害者に予算が使われているからだ」と障害者に向かった。
京都アニメーションの放火殺人事件では、容疑者は、なぜ苦しい目にあっているかについて、「京アニに自分のアイデアが奪われた」と話したとされる。小田急線車内で起きた事件は「幸せそうな女性」に向かった。
 僕は矛先はいずれ政治に向かうのではと恐れ、秋葉原事件以降は、政治家や財閥がターゲットになった戦前の事件を調べて執筆してきた。
 先日の安倍元首相の事件で、恐れていた事態がついに起きてしまった。
 秋葉原事件の教訓にこの14年間、社会や政治が対応できなかった結果だろう。
 格差、貧困、労働の形態の問題は、克服できたかというとむしろ悪化した。僕はこれらは一連の事件で、秋葉原事件からつながっていると見るべきだと思う。

 「格差、貧困、労働の形態の問題は、克服できたかというとむしろ悪化した」。依然として、労働運動とマスメディアの報道の課題だと思います。