ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

沖縄の苛烈な戦後史を知る~「ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄」(宮城修、岩波新書)

 ことし、2022年は、1972年5月に沖縄の施政権が米国から日本に返還されて50年の節目の年です。現在、日本にある米軍専用施設の70%が沖縄に集中し、米軍普天間飛行場の移設問題では、名護市辺野古沿岸部の埋め立てと新基地建設を巡って、沖縄県と日本政府が係争状態にあります。50年たって、沖縄の人たちが求めているのは、自分たちの将来のことは自分たちで決めることができる「自己決定権」だと、わたしは考えています。沖縄に自己決定権を許さないのは「外交と安全保障は国の専権事項」と主張する日本政府なのですが、現在の政府が民主的な手続きによって合法的に成り立ち、その権限を行使しているとすれば、沖縄に自己決定権を認めないことは、日本本土に住む主権者の選択でもある、ということになります。
 復帰50年のことし9月、沖縄県知事選が行われ、辺野古移設反対を前面に掲げた玉城デニー氏が大差で再選されました。一部の日本本土メディアが、玉城知事に対して辺野古移設反対を取り下げるよう求める主張を展開したことは、このブログでも紹介した通りです。選挙結果から沖縄の民意を読み取ろうとする意思や姿勢は感じられません。日本政府と一体化したメディアとしてのありようをどう見るかは、メディアに接する人それぞれの問題かもしれませんが、やはり痛感するのは、沖縄がたどった苛烈な現代史が広く日本本土の主権者に知られるべきだろう、ということです。そのことなくして、辺野古移設に反対する沖縄の民意、自己決定権を求める民意は理解できないだろうと思うからです。

 本書「ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄」は、沖縄の地元紙、琉球新報が2016年6月~17年5月に連載した全12回の大型企画「沖縄戦後新聞」で取り上げた出来事に、同時代の3人の政治家の歩みを絡めて沖縄の戦後史を描いています。

 3人の政治家は、初代公選主席で復帰後初の県知事を務めた屋良朝苗、那覇市長と衆院議員を務めた瀬永亀次郎、那覇市長と衆院議員、県知事を務めた西銘順治です。
 筆者の宮城修さんは琉球新報の論説委員長。「おわりに」で、沖縄の記者たち自身が沖縄の戦後史を知ることの意味を書いています。きっかけは2016年5月、沖縄でウォーキング中の女性が元米軍海兵隊員で軍属の男に襲われ殺害された事件でした。「おわりに」の一部を引用します。

 一体、国家とは何か。琉球新報は社説で次のように主張した。
 「基地ある限り、犠牲者が今後も出る恐れは否定できない。基地撤去こそが最も有効な再発防止策である。日米両政府はそのことを深く認識し、行動に移すべきだ」(琉新2016・5・20)
 記者たちが事件に関する取材に追われているさなか、取材の要となる社会部フリーキャップの新垣和也記者とサブキャップの宮城隆尋記者が、思いつめた表情で社会部長だった私に訴えた。
 「戦後、沖縄で発生した米兵事件を含む重要な出来事を伝える企画を組ませてください。私たちは沖縄の戦後史を知らなさすぎます」
 その通りだった。私自身、不勉強を痛感していた。果たして何ができるだろうか。私たちは米国が統治した〈アメリカ世〉二七年間の主要な事件事故や人権侵害と県民の抵抗を、新たな視点を加えて再現することにした。それが「沖縄戦後新聞」である。
 一人でも多くの記者に関わってもらいたくて特定の記者による専従取材班にしなかった。第一号から第一二号まで、一年間に延べ三五人が関わった。社会、政治、経済、地方、文化、NIE、整理、デザイン…。編集局全体で沖縄の戦後史を学び直す日々だった。

 「ニュースは歴史の第一稿」という言葉があるように、ジャーナリズムは歴史を紡ぐ行為でもあるとわたしは考えています。だから、現在の社会で起きている出来事を報じるには、先立つ歴史を知ること、考察することは不可欠です。そのことは情報の伝え手だけでなく受け手にとっても同様だと思います。現在の社会で起きている出来事を知り、その意味を考えるには、やはり先立つ歴史を知り、理解しなければなりません。
 この点で、為政者の歴史観という意味で、2015年に当時知事だった故翁長雄志氏が菅義偉官房長官(当時、のちに首相)と会談した際のエピソードが強く印象に残っています。本書でも紹介されています。
 翁長氏はもともと沖縄の保守政治家の重鎮でしたが、普天間飛行場の辺野古移設に反対して、保革を超えた政治勢力「オール沖縄」をまとめ、2014年11月の知事選に勝利します。敗れた現職、仲井真弘多氏は2013年12月に、辺野古沿岸部の埋め立てを承認していました。
 その翁長知事は、当時の安倍晋三政権の官房長官だった菅氏と2015年4月に初めて会談しました。本書の一部を引用します。

 辺野古新基地建設を強行する安倍晋三首相は、知事に当選した翁長との面談を拒み続けた。ようやく五カ月後に菅との初会談が実現した。会談の一部を再現しよう。
 菅「(名護市)辺野古移設を断念することは普天間の固定化にもつながる。(仲井真弘多前知事に)承認いただいた関係法令に基づき、辺野古埋め立てを粛々と進めている」
 翁長「『粛々』という言葉を何度も使う官房長官の姿が、米軍軍政下に『沖縄の自治は神話だ』と言った最高権力者キャラウェイ高等弁務官の姿と重なる。県民の怒りは増幅し、辺野古の新基地は絶対に建設することはできない」(流新2015・4・6)

 その後、日本政府は辺野古の工事を一時中断して沖縄県と集中協議を行います。しかし5回にわたった協議は決裂。そして工事は強行され、今に至っています。本書では、菅官房長官とのやり取りを振り返った翁長氏の述懐が紹介されています。孫引きになりますが、紹介します。

 官房長官とは四月に最初にお話ししてから、ずっと沖縄の歴史を含め、一番、私が思いを話した方でありますが、私の思いすべてについて集中協議が終わるときの「私のそういった話は通じませんか」というような話をしたら、(菅氏は)「私は戦後生まれなので、そういった沖縄の置かれてきた歴史というものについてはなかなか分かりませんが、一九年前の日米合同会議で辺野古が唯一(の解決策)だと。辺野古に移すんだということが私のすべてだ」と話したので、私自身は「お互い七〇年間を別々で生きてきたような感じがしますね」というような話をさせてもらいました(沖縄県「二〇一五年九月二四日 知事講演メモ」)。

 菅官房長官が口にしたとされる「私は戦後生まれなので、そういった沖縄の置かれてきた歴史というものについてはなかなか分かりません」との言葉に、安倍政権とその方針を引き継いだ菅政権、そして現在の岸田文雄政権の本質がよく表れています。歴史を知り、その上に立って「今」を見る、考える姿勢を欠いています。その努力すらしようとしません。堕落の政治です。

 本書は、沖縄の戦後史がコンパクトにまとまっており、入門書として格好の一冊だと思います。私自身、頭の中に乱雑に散らばっていた知識の断片を系統的に組み直すことができ、新たな知識も得ることができました。
 翁長知事が菅官房長官に話したという「お互い七〇年間を別々で生きてきたような感じがしますね」との言葉は、2022年の今では「77年」なのだと思いますが、菅氏に限ったことではなく、日本本土の住民にも今もそのままあてはまるのかもしれません。しかし、歴史を知らないことは必ずしも恥ずかしいことではありません。大事なのは「歴史を知らない」ということを自覚することであり、その後に歴史を学ぶことです。本書はそのきっかけになる一冊です。とりわけ、日本本土のマスメディアで組織ジャーナリズムを仕事にする若い世代の人たちに、ぜひ手に取ってほしいと思います。沖縄で何が起きているかを日本本土の主権者が知るためには、本土メディアの報道は極めて重要です。そこで働く個々人がまず沖縄の現代史を知る、歴史に学ぶことが必要です。

 辺野古移設を強行した安倍元首相は沖縄にどういう姿勢を取っていたのか。翁長氏が沖縄保守政治の重鎮だというのに、知事就任直後、会うのを拒み続けたことに、端的に表れています。まもなく9月27日、国葬が執り行われますが、この一事をもってしても、とても国を挙げての弔意の対象にはならないとわたしは考えています。

 以下に、本書の目次を書きとめておきます。 

はじめに
凡例

序章 忘れられた島
第1章 屈辱の日(一九五二年四月二八日)
第2章 島ぐるみ闘争(一九五六年)
第3章 瀬長市長誕生(一九五六年)
第4章 宮森小ジェット機墜落(一九五九年六月三〇日)
第5章 キャラウェイ旋風(一九六三年)
第6章 佐藤首相来沖(一九六五年八月一九日)
第7章 主席公選(一九六八年一一月一〇日)
第8章 二・四ゼネスト回避(一九六九年二月四日)
第9章 コザ騒動(一九七〇年一二月二〇日)
第10章 レッド・ハット作戦(一九七一年)
第11章 通貨確認(一九七一年一〇月九日)
第12章 施政権返還(一九七二年五月一五日)
終章 民意の行方
おわりに

主要参考文献
略年表
事項索引・人名索引

※岩波書店の本書紹介ページ

www.iwanami.co.jp

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※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com