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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

追悼 大江健三郎さん~平和、護憲、反核、脱原発の視点、視線を共有する

 ノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎さんが3月3日、死去されていたことが報じられました。享年88歳。わたしにとって大江さんは、作品になじんだ作家と言うよりは、平和、護憲、反核、脱原発など、同じ方向を見ていた同時代の羅針盤のような存在でした。謹んで哀悼の意を表します。
 わたしが大江さんの作品を初めて読んだのは高校生のとき、現代国語の授業だったと記憶しています。担当の先生は地方都市の文学青年を絵に描いたような方で、教科書はあまり使わず、「週刊現代国語」と名付けた自作のガリ版刷りの教材を中心に授業を進めていました。つげ義春のマンガ「紅い花」が丸々一作載っているようなユニークな教材でした。その授業で読んだのが大江さんのデビュー作で、大学病院で犬を殺すアルバイトが題材の「奇妙な仕事」だったように記憶しています。
 授業でどんな話があったか、よく覚えていません。50年近くも前のことで、もしかしたら記憶に取り違えがあり、「奇妙な仕事」を読んだのは別の機会だったかもしれません。しかし、この先生の授業によって大江健三郎という作家を知ったことは間違いないと思います。若いころの大江さんは才気溢れていて、「死者の奢り」で芥川賞を取るつもりでいた、でも取れなくて、「じゃあ、これでどうだ」と言わんばかりに発表したのが「飼育」で、見事に芥川賞を受賞、23歳の若さは当時の最年少受賞だった-との話は、よく覚えています。
 わたしが通っていた高校は、大学受験に最適化した授業を行う私立校で、わたしは3年間、自宅を離れて寮生活でした。国立大を受験するつもりだったので、苦手な数学や理科も勉強せざるを得ない日々(文系理系を問わず、5教科を受験しなければならない「共通1次試験」の一期生でした)。受験勉強の合間に、文庫化されていた大江さんの初期の作品群をむさぼるように読みました。「セヴンティーン」や「性的人間」は特に刺激的でした。本棚を探したら、当時買い求めた文庫本が出てきました。1冊180円から220円。そんな時代でした。

 しかし、ある時期以降の大江さんの小説は、だんだん読むのがおっくうになっていきました。息子の光さんに障害があり、以降、大江さんの作風が大きく変わったということは、現代国語の先生の授業でも聞いていました。実際に手に取って見ると、それ以前の時期の作品のように一気に読み進む、ということができませんでした。わたし自身の人生経験が浅かったこともあったのだろうと思います。大学生活を終えて、新聞記者の仕事に就くころには、大江さんの作品からは遠ざかってしまっていました。

 作品からは遠ざかっていましたが、大江さんの平和、護憲、反核、脱原発の視座、被爆地や沖縄へのこだわりからは、多くのことを学びました。わたしの勝手な思い込みかもしれませんが、大江さんの視点と視線を共有できていたのではないかと思います。大江さんが発起人の一人だった「九条の会」は2004年6月に発足。わたしはその年の7月から2年間、新聞労連(日本新聞労働組合連合)の専従委員長を務めました。わたし自身が労働組合の専従活動を通じて、日本国憲法の理念を本当の意味で理解してから、大江さんが発する言葉の価値が分かるようになったように思います。特に、憲法9条は憲法の条文の中でなぜ9番目なのか。その意味を考えることで、とりわけ9条の重要さが理解できるようになりました。「九条」を冠したネーミングは、そのこと自体が運動の提起であり、地域や職域に「九条の会」は広がっていきました。わたし自身は労組の活動が本分と考え、どの九条の会にも属しませんでしたが、労組の運動にとっても、大江さんはペースメーカーだったのだと思います。
 このころ、岩波新書の大江さんの著書「沖縄ノート」の記述が名誉毀損に当たるとして、大江さんが岩波書店とともに提訴される出来事がありました。2005年8月です。沖縄戦の住民の集団自決を巡って、住民に自決を強いたとされる日本軍の元軍人らが原告でしたが、軍による自決の強要の史実を否定する歴史観を掲げるグループが支援するなど、戦争を巡る日本の現代史を書き換えようとする動きの一環として、この訴訟は位置づけられます。
 自由な表現活動と戦争は相いれない、とわたしが考えるようになったのは、労働組合運動の経験を通じてでした。新聞や民放、出版など、マスメディアの労働組合運動も、歴史を修正しようとする動きには当然のごとく反対でした。この訴訟が持つ意味合いの深刻さも、労働組合運動を通じて学びました。訴訟は2011年4月に、大江さん側の勝訴が最高裁で確定して終結しました。しかし、教科書からは、集団自決を軍が強制した、との記述は消えました。その後、第2次安倍晋三政権の登場とともに歴史修正主義の動きは強まり、今日に至っています。

 大江さんの作品から遠ざかってしまってから、随分と時間がたちました。その間、わたしもそれなりに人生経験を積み、老境に差し掛かっています。今なら、読み進めることができるかもしれません。特に、息子の光さんとの物語に惹かれます。おいおい、読んでいこうと思います。その中から、例えば歴史の修正を図るような動き、あるいは戦争を容認するような動きに抗っていくために必要な、精神の本当の強さのようなものが得られるのではないか。そんな予感がしています。

 大江さんの訃報は3月13日に講談社が公表しました。東京発行の新聞各紙も14日付朝刊で大きく報じました。各紙の主な記事の見出しを書きとめておきます。なおこの日は袴田事件の再審請求でも大きな動きがあり、1面トップは各紙で分かれています。

▼朝日新聞
・1面準トップ「大江健三郎さん死去/88歳 ノーベル文学賞 反核訴え」
・第2社会面・評伝「大江文学 戦後精神と歩む」「民主主義・反戦 問い続け 未来へ」/「沖縄・被爆地『信念伝わった』」
 ※ほかに海外反応、池澤夏樹さん寄稿

▼毎日新聞
・1面準トップ「大江健三郎さん死去/ノーベル文学賞 核廃絶・護憲訴え 88歳」
・社会面トップ「社会へのまなざし 常に/長男の障害で再出発/力注いだ平和・脱原発」/評伝「描き続けた不条理と苦悩」

▼読売新聞
・1面トップ「大江健三郎さん死去/88歳 ノーベル賞作家」
・社会面トップ「共生・魂の救済 紡ぐ」「障害持つ長男 創作の礎」/評伝「100年価値が残る作家」
 ※ほか文化面に関連記事

▼日経新聞
・1面「大江健三郎さん死去/ノーベル文学賞作家、88歳」
・第2社会面・評伝「人間の悲惨と救済 描く/『体験』を深化 世界文学に」

▼産経新聞
・1面準トップ「大江健三郎さん死去/ノーベル文学賞受賞 88歳」
・第2社会面「現代人の苦しみ、救済描く/政治的発言で物議も」

▼東京新聞
・1面トップ「大江健三郎さん死去/88歳 ノーベル文学賞/『万延元年のフットボール』『ヒロシマ・ノート』」/「護憲、反原発…声を上げ続け」
・第2社会面「『平和・人権 離さない』『民主主義運動の象徴』/大江健三郎さん悼む声」/評伝「戦後社会と向き合う」
・社説「大江さん死去 文筆と行動の人貫く」