ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

新聞記者の働き方と著作権~朝日新聞社の元自社特派員への抗議を契機に考える

 朝日新聞社が3月28日、自社サイトに1通の広報文を掲載しました。自社の海外特派員だった元社員が出版した書籍に対して、元社員と出版元に厳重抗議し、相応の対応を求める書面を送付した、との内容です。「本社が著作権を有する原稿や退職者による在職中の取材情報の無断利用、誤った認識や臆測に基づく不適切な記述などの問題が認められた」としています。新聞社が自社の退職者に対して、厳重抗議といった厳しい措置を取るのはそうそうあることではなく、メディア関係者の間で波紋が広がっているようです。

※朝日新聞社から「取材情報などの無断利用に抗議しました」
https://www.asahi.com/corporate/info/14871159

【写真】朝日新聞社の広報文

 わたしはこの案件について具体的な情報を持ち合わせているわけではなく、また当該の書籍は目次を目にした程度です。それでも、ことは新聞社に帰属する新聞記者、メディア企業の社員、従業員の働き方の根幹に関わることだと受け止めています。
 朝日新聞社の主張のうち、「誤った認識や臆測に基づく不適切な記述」の部分はひとまず置いておきます。認識が誤っているのかいないのか、たぶん、第三者には検証が困難だと考えるかです。この点を除くと、朝日新聞社の主張には、大きく二つの論点があります。
 一つは、以下のように著作権の問題です。広報文の関係部分を引用します。

 退職者が在職時に職務として執筆した記事などの著作物は、就業規則により、新聞などに掲載されたか未掲載かを問わず、本社に著作権が帰属する職務著作物となり、無断利用は認めていません。

 もう一つは、以下のように退職後の守秘義務を巡る問題です。

 本件書籍の記述には、伊藤氏が在職中に取材した情報が多数含まれます。これらの情報は、本社との雇用契約における守秘義務の対象です。就業規則により、本社従業員は業務上知り得た秘密を、在職中はもとより、退職後といえども正当な理由なく他に漏らしてはならないと定められています。

 わたしは業務として著作権管理に関わったことがあり、自分でも勉強して著作権の基本的な知識を身に付けました。そうした中で、新聞社や通信社の社員、従業員である、つまりは労働者である記者が、自分の書いた記事の著作権について正確に理解しているとはいいがたい事例が目につくと感じてきました。就業規則や守秘義務についても、労働組合活動の経験などを通じて多々、考えていることがあります。
 わたし自身は社会的な発言の際には、肩書はもっぱら所属先の企業名は伏せて「通信社勤務」を使ってきました。自らの労働者性を自覚し、社会的にも明示するためです。このブログの「ニュースワーカー」も「報道を仕事とする労働者」の直訳のつもりです。この場合の労働者とは、企業に所属して労務を提供し、対価として賃金を得る働き方と考えてもらって結構ですし、そうであればこそ、憲法が保障する労働者の団結権、団体交渉権、行動権の主体たり得るということも明確になります。

 朝日新聞社と元社員の紛争に話を戻すと、メディア関係者の間でもSNSなどで波紋が広がっているのですが、著作権の基本的な知識を共有することで、議論がかみ合い、より建設的になるのでは、と思うこともあります。退職後の守秘義務についても、社会一般の企業と同列に考え得るのかどうか、新聞の「編集権」を巡る固有の事情をどう位置づけるのか、など、より深い論点もあるように感じます。
 わたし自身の経験、知見をもとに、一般化できる(とわたしが考える)範囲内で、著作権や編集権のことを何度かに分けて、書いてみたいと思います。

 ▽新聞記事は「職務著作物」

 最初は著作権のうち、朝日新聞社が広報文で触れている「職務著作物」についてです。
 まず著作物の定義ですが、著作権法2条は以下のように著作物と著作者を規定しています。

著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
著作者 著作物を創作する者をいう。

 ざっくりと言えば、著作者が著作物に対して持つ固有の権利が著作権です。著作権は一つの大きな権利ではなくて、様々な権利の集合体のようなものです。個々の権利は「支分権」とも呼ばれます。例えば、インターネットなどによって、著作物を不特定多数の公衆向けに送信することに関する権利として「公衆送信権」があります。公衆送信権は著作者に固有の権利なのですが、より分かりやすく言うなら、著作者にとって公衆送信権は、だれかに勝手にネット上で拡散されない権利とも説明できます。わたしは著作権の説明の際には、こうした表現を用いています。同じように「複製権」は「勝手にコピーされない権利」であり、「出版権」は「勝手に出版されない権利」です。
 新聞記事に対して、事実の羅列に過ぎず「思想又は感情を創作的に表現」とは言えないから著作物ではない、したがって新聞記事は自由に転載しても問題ない、と考える人もいるかもしれません。しかし、新聞記事は同じニュースでも記者によって視点が異なり、当然書きぶりは異なります。著作物であることは、司法の判断でも疑問の余地はありません。ただし、短信などの中には、この限りではない可能性があります。
 「思想又は感情を創作的に表現」との定義に照らせば、著作物は人間が生み出したものに限定され、AIが生成する記事は対象外となります。ただ、AI開発、AIモデルの生成にはそれなりの投資が必要です。AIの生成物が著作権とみなされることになれば財産上の利益につながり、より優れたAIモデルの開発を促すモチベーションになるとも考えられます。AIと著作権をめぐる事情は今後、変化する可能性があると思います。
 新聞記者が書いた記事が著作物であるのなら、著作者は書いた記者本人となりそうです。原理原則はそうですが、著作権法15条1項には以下のような規定があります。「職務著作」とか「法人著作」と呼ばれます。

第十五条 法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。

 要は、新聞社に当てはめれば、社員、従業員である記者が書いた記事、社員、従業員であるカメラマンが撮った写真や動画などの著作者は法人である新聞社であり、著作権も新聞社に帰属するという規定です。働き方の形態によっては、例えば契約記者、契約カメラマンなどはグレーゾーンも出てきそうですが、正社員の場合は適用対象であることは明確だと思います。
 注意が必要なのは「その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り」の一文です。例えば新聞社の就業規則の中に、「記者が書いた記事の著作権は記者個人に帰属する」と書いてあれば、この条文の適用は受けません。著作権について、雇用契約や就業規則に何も定めがなければ、ほぼ自動的にこの「職務著作」「法人著作」の規定が適用される、と解釈されます。
 朝日新聞社の広報文を見ると「就業規則により、新聞などに掲載されたか未掲載かを問わず、本社に著作権が帰属する職務著作物となり」となっていて、「就業規則により」の一言が含まれています。朝日新聞社は就業規則で著作権に触れていないどころか、著作権が会社に帰属するとの何らかの文言を盛り込み、会社の著作権管理をより強固にしていることがうかがえます。

 自分が書いた記事なのに、自分に著作権がないのはおかしいと感じる記者の方もいると思います。ただ、「職務著作」「法人著作」にも合理性はあります。「職務著作」「法人著作」がない場合のことを想像してみるといいのではないでしょうか。
 記者が書いた記事はデスクが手を入れ、整理部で見出しが付き、デジタルでも利用されと、記者の手を離れてからも公表されるまでに様々な人が関与します。昨今はデータベースなどのアーカイブビジネスにも新聞社は力を入れています。そのすべての段階で執筆記者の許諾が必要だとしたら、どうなるでしょうか。速報は著しく困難になり、記者が直しに「うん」と言わなければ、記事をいつまでも掲載できない、つまり社会に情報を届けることができない、ということにもなりかねません。実はこの辺りから、「編集権」の問題も絡んできそうですが、それはひとまず置いておきます。

 職務著作のことは分かった、でもそれは在職中のことだろうし、紙面やサイトに掲載していない未公表の記事や写真は関係ないのではないか、という疑問もあるかと思います。しかし、未出稿の記事や写真であっても、また執筆記者やカメラマンが退職していても、記事や写真として著作物であることに変わりはなく、著作権は著作者である新聞社に帰属しています。
 今回の朝日新聞社と元社員の事例は詳細を承知していないので多くのコメントは控えますが、一般的に言えば、新聞社の許諾なく未出稿の記事や写真を公表することは、「公表権」という新聞社の著作者人格権の侵害に当たる恐れが大きいと考えられます。詳しくは、あらためて書いてみたいと思います。

 著作権が新聞社の専有であることに対して、記者の仕事の創作性は評価に値しないのか、記者は使い捨てなのか、との疑問もあるかもしれません。仕組みの上では、新聞社が支払う賃金にその創作性への対価の性格も含まれている、ということではないかと思います。優れた記事、写真であれば社内の顕彰もあるでしょうし、金一封も付く場合があるでしょう。金額が満足かどうかは別にして、優れた著作物を生んだことに対しての経済的な対価もあるとも言えます。

 ここまで法律の仕組みを中心に書いてきましたが、著作権は当事者の合意があれば、そちらの方が法の規定に優先します。当事者の合意を元に弾力的な運用が可能な権利です。新聞社も、その社員、従業員である記者も、退職後に作家やジャーナリストとして活動する元社員も、社会に有用な情報を社会に提供することがもっとも重要だ、という点では、認識に変わりはないと思います。その点を大事にして双方が穏当に話し合うのが社会にとっても望ましいはずですし、そうやって現役の新聞記者や退職した元記者が、個人で出版する例もまた少なくありません。

【付記】
 ここで書いていることは、あくまでも一般化できる範囲のことですが、冒頭に朝日新聞社の発表文を紹介しましたので、紛争のもう一方の当事者である元社員の方のツイッターへの投稿も紹介します。