ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

民意を知り、市民の期待に応える~新人記者の皆さんへ(その2)

 一つ前の記事の続きです。
 通信社の組織ジャーナリズムの上でも、メディア界の労働組合運動の上でも大先輩であった故原寿雄さんからは、さまざまなことを教わりました。そのうちの一つに、絶望するな、悲観するな、ということがありました。わたしが新聞労連の委員長として職場を休職していた2005年当時、自衛隊が戦火やまぬイラクに派遣されていました。自民党がまとめた憲法改正案では、9条を改悪し、軍隊である自衛軍を保持することが明記されていました。非正規雇用が増大し「格差社会」「ワーキング・プア」という言葉が生まれたのもその時期です。日々、重苦しさを感じていました。
 そんな中で、原さんからお聞きしたのが、絶望するな、悲観ばかりするな、ということでした。確かに危うい時代だ。新聞が戦争反対を言わなくなった1931年の満州事変の少し前に似てきた。ジャーナリズムを取り巻く状況は厳しい。だが、民意はどうだ。決して9条を変えることを望んではいないし、戦争も望んでいない。世論調査の結果を分析すれば分かる。メディアへは不信もあるが期待もある。ジャーナリズムは市民と足並みをそろえて、権力に対抗していくことができる、というような趣旨でした。目が覚める思いがしました。社会の人たちが何を考え、何を望んでいるか、民意を知ること、市民を信頼し、その期待に応えることが重要だと気づきました。

 今回は「民意を知る」ということについて書いてみます。

 ▽民意のうねり
 最近の出来事で思い起こすのは、安倍晋三政権当時の3年前の検察官の定年延長をめぐる検察庁法改正案のことです。
 2020年1月、安倍内閣は東京高検の当時の検事長の定年延長を閣議決定で決めました。検察官の定年延長は初めて。この検事長は政権に近いとの指摘もありました。「検事総長に据えるためではないか」との疑念が噴出しました。検察庁法には定年延長の規定がなく、当初、政権は、定年延長の法的根拠は国家公務員法の延長規定だと説明しました。しかし、野党が、「国家公務員法の定年延長は検察官に適用しない」とする1981年の政府答弁があることを追及。すると政権は、法解釈そのものを変えたと説明。後出しのように20年5月、定年延長規定を盛り込んだ検察庁法改正案を国会へ提出しました。
 その直後から、ツイッターでは「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグを付けた投稿が急増し、各メディアの世論調査でも、内閣支持率が急落を見せました。著名人が次々にツイートに加わったこともあり、マスメディアも追随して報道。当初は、新型コロナ禍の緊急事態宣言が続く中で、改正案の採決の強行が危惧される状況でしたが、政府・与党は見送りを決めました。その後、当の検事長が新聞記者らと賭けマージャンをしていたことが週刊誌報道で明らかになり、検事長は辞職。改正案も廃案となりました。
 ただ、改正案が国会へ提出された時点では、マスメディアの扱いには濃淡がありました。5月8日に衆院内閣委員会で審議入りした際もニュースとしては決して大きく扱われていませんでした。直後の東京発行新聞各紙の中で、1面にこのニュースを入れたのは朝日新聞だけで、記事が見当たらない新聞すらありました。
 安倍政権は、特定秘密保護法や安保法制では、民意が割れていたにもかかわらず、数をたのんで採決に持ち込む強引さが際だっていました。「どうせ今回も」との思いがマスメディアの一部になかったか。しかし、さすがの安倍政権も、このときは民意の盛り上がりを無視できませんでした。マスメディアで働く一人として、民意を読み取ることの重要さをあらためて知った出来事でした。

 ▽民意は変わる
 「民意を知る」ということについて、もう一つ具体例を紹介します。安倍晋三元首相の国葬についてです。
 安倍元首相が銃撃を受けて死亡したのは昨年7月8日でした。参院選の投開票日を挟んで、わずか6日後の同月14日、岸田文雄首相は記者会見で安倍元首相の国葬を行うことを表明しました。同月22日には、9月26日に実施することを閣議決定。あまりに唐突でした。今、考えても、この国葬には①戦前の「国葬令」のような明確な根拠法令がない②弔意の強制の側面は否定できず「内心の自由」の侵害にあたるおそれがある③国会に事前にはかることもなく民主主義の手続きを逸脱している-などの問題があると、わたしは考えています。
 この国葬に対して、いくつかの地方紙がいち早く7月16日付の社説で批判や疑問を表明しました。「幅広い理解得られるか」(北海道新聞)、「特例扱いは納得がいかぬ」(信濃毎日新聞)、「納得のいく説明が必要だ」(新潟日報)、「法の根拠がなく疑問だ」(京都新聞)、「異例の扱い 疑問が残る」(沖縄タイムス)、「内心の自由に抵触する」(琉球新報)の各紙です。
 一方で全国紙では、産経新聞が岸田首相の記者会見当日の朝刊で、国葬を求める内容の社説を掲載。毎日新聞と読売新聞は7月16日付で国葬を容認する社説を掲載しました。朝日新聞が「『国葬』に疑問と懸念」との見出しの社説を掲載したのは7月20日付でした。
 
 この国葬に対して民意はどんな反応を示していたでしょうか。わたしは7月から国葬実施後の10月まで、目にとまった世論調査の結果を記録しています。
https://news-worker.hatenablog.com/entry/2022/09/05/225243

news-worker.hatenablog.com

 最初に世論調査で取り上げたのは、7月16~18日実施のNHKの調査でした。「評価する」49%に対して「評価しない」38%。約半数が肯定的な評価でした。次いで7月23、24日の産経新聞・FNN調査もおおむね半数が肯定的評価ですが、否定的評価も46%超で、賛否は拮抗してきます。その後の調査では、8月上旬に読売新聞の調査で肯定的評価が否定的評価をわずかに上回ったものの、あとは否定的評価が肯定的評価を上回るようになり、9月にはいずれの調査も否定的評価が50%を超え、最大で62%に達しました。国葬が終わった後の10月の調査でもこの傾向は変わらず、「やっぱりやってよかった」とはなりませんでした。
 肯定的な評価が否定的な評価を上回っていたのは、初期のごくわずかな時期だけでした。国葬をめぐる疑問点は、当初から指摘されていました。しかし岸田首相は説明を尽くすと言いながら、まったくかみ合う説明はなく、そのことが広く共有されていくにつれて、さらに否定的な評価が増えていく、ということになったのだろうとわたしはみています。
 この国葬にはいくつかの問題があることは前述の通りですが、民意の反対、疑問を押し切って岸田政権が強行したことも、新たに加わった問題点だろうと思います。後世に残す教訓だと思います。

 ▽民意を読み解く
 「民意を知る」「市民を信頼し、期待に応える」。それは前回の記事でも触れた「社会の信頼」に通じることです。新人記者の皆さんも、まずは自分の足であちこち歩き回ることが大切です。色々な人に会って言葉を交わし、自分の目と耳で、社会の人たちがどんなことを考え、何を望んでいるかを知ってください。
 ただし、大きなテーマになればなるほど、社会全体ではどんな意見や考え方が、どんな風に存在しているのかを知るのは難しくなります。そんなときに役に立つのが世論調査です。新聞社や通信社、放送局が定期的に実施している世論調査は、前述の安倍元首相の国葬のように、民意の記録としても貴重です。
 調査では、現在の内閣を支持するかどうかの内閣支持率に始まり、その時々の主要な政治テーマへの賛否を問うたりします。同じような調査を複数のメディアが行っていることに大きな意味があります。一つ一つの調査単独では、誤差があったり、設問の立て方によっては回答が一定の方向に誘導されやすくなったりします。独立して実施される複数の調査の結果を比較し分析することで、社会にどんな意見がどんな風に分布しているのか、客観的に大まかな様子を把握することができます。
 だれであれ、社会で生活している一人として、自分の考え方が多数派なのか、少数派なのか、社会の中でどの辺りに自分がいるのかを知ることには意味があります。そのことによって、考え方が変わるかもしれないからです。昨日までの多数意見が、きょうも多数意見であるとは限りません。だから民主主義の社会では少数意見であっても尊重されるべきなのです。
 あるテーマに対して、賛成、反対のいずれでもなく、「分からない」との回答が多ければ、賛否を決めるのに情報が十分ではないと考えている人が少なくないことを示唆しています。マスメディアは取材を尽くし、社会に情報を提供しなければなりません。社会に情報が広く共有されることで、民意の大勢が変わるということは珍しいことではありません。

※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

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