二・二六事件の凶行を映した鏡

 74年前の1936(昭和11)年のきょう2月26日、日本でクーデター未遂事件「二・二六事件」が起きました。東京に駐屯する陸軍部隊の一部が、大尉など尉官クラスの一部将校の指揮で当時の岡田啓介首相らを襲撃し、斎藤実内大臣高橋是清大蔵大臣らを殺害しました。3日後に反乱軍部隊は投降し、陸軍同士が戦闘する事態は避けられました。一部の軍人が武力によって社会変革を起こそうとした事件として現代史に記録されています。
※ウイキペディア「二・二六事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 その二・二六事件で殺害された一人に、当時内大臣だった斎藤実がいます。元海軍大将で、五・一五事件(1932年)で犬養健犬養毅首相が殺害された後に首相を務めました。二・二六事件当時は内大臣として天皇と政府の連絡窓口役でした。
 出身地の岩手県・水沢(奥州市水沢区)に斎藤実記念館があります。彼の足跡をたどることができるこじんまりとした施設ですが、一角に二・二六事件の当日、自宅寝室に置いてあった鏡台が展示されています。齋藤は自宅で就寝中のところを襲われました。鏡面を銃弾が貫通し、弾痕から大きなひび割れが走っています。当夜、鏡面には銃口を齋藤に向ける兵士の姿、銃口から発射された凶弾が映ったのでしょう。
 3年前の夏、記念館を訪ねました。当時、強烈な印象を書き残しておきたいと思いmixi日記に書いた記述を引用します。

 水沢は仙台・伊達藩の支藩だった町で、近世、近代に輩出した著名人に高野長英後藤新平斎藤実の3人がいる。そう大きなものではないが、3人それぞれの記念館もある。高野長英の記念館は以前、訪ねたことがあり、今回は斎藤実後藤新平の記念館をゆっくり回った。中でも斎藤実記念館は印象深かった。
 斎藤実海軍大臣を長く務め、5・15事件直後の首相に就任。内大臣だったときに2・26事件で暗殺された。海軍の中では、いわゆる条約派と艦隊派の色分けで言えば、条約派に連なると言うか、条約派の源流にいる一群の提督の一人ということになる。首相としても、海軍軍人としても、今日の印象は地味で、やはり一番有名なのは「2・26事件で暗殺された重臣の一人」ということだろう。
 さて、その記念館だが、業績の紹介はともかく、2・26事件関係の資料がすさまじい。変色はしているが、血糊がはっきり分かる枕、布団、やはり撃たれて重傷を負った夫人の寝巻き、銃弾が貫通した跡がはっきり分かる綿入れなどが並ぶ。圧巻は、銃弾が貫通しひび割れた鏡。歴史的事実としての教科書的な知識しかなかった2・26事件が、臨場感を持って迫ってくる。この鏡にひびが入ったその日、そのとき、2・26事件は起きた…。
 資料は夫人の寄贈。夫人は薩摩の出だったが、戦時中に水沢に疎開し移り住み、99歳で没したらしい。公人としての自覚から、長らく事件の資料を手元に残していたという。おかげで今日、わたしたちは、この事件が本当に「あった」ことを実感できる。
 観光案内風に紹介すれば、JR東北線水沢駅から徒歩20分、車で5分。東北新幹線水沢江刺駅からは車で15分くらいか。入館料200円は、体得できるものとの比較では絶対に安い。

 二・二六事件は、その後1945年の敗戦まで続く「戦争社会」のありようを考える上で、今日のわたしたちにとっても依然として大きな意味があると思います。しかし、敗戦から既に60年余が経過したこともあってか、今では関連する報道も極めてわずかです。
 「戦争遂行」と「表現の自由」は相容れませんでした。敗戦まで、日本の新聞は戦争遂行の国家体制の一翼に組み込まれていました。そうした時代が現実に日本であった、それもそう遠くない時期にあったということを、このエントリーを書きながらあらためて思い起こしています。
 二・二六事件のこうした資料は、ほかに現存しているのかどうか分かりません。今では小沢一郎氏の地元として知られる水沢ですが、機会があれば、ぜひ記念館を訪ねてみることをお奨めします。

※追記 2010年2月26日午前11時半
 五・一五事件で暗殺された当時の首相犬養毅の名前が「健」になっていました。訂正しました。shuyoさま、ご指摘ありがとうございました。