ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

東京大空襲

「敵兵でも人間」(吉川英治) 異国の地で生を閉じたB29搭乗員の若者たちを悼む

第2次世界大戦末期の1945年3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、焼夷弾による大火災の中、一夜で10万人以上が犠牲になりました。この「東京大空襲」を皮切りに、B29による各地の都市空襲が続き、8月6日には…

焦土を視察する天皇に土下座でわびた民衆~堀田善衛「優情」と伊丹万作「だまされる罪」

第2次世界大戦末期の1945年(昭和20年)3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、焦土と化しました。一夜で10万人以上が犠牲になったとされる東京大空襲から、ことしは79年になります。昨年、このブログで、昭和…

軍需工場やインフラへのすさまじい攻撃~旧日立航空機変電所とJR高尾駅の銃撃痕

78年前の1945年8月、アジア全域でおびただしい犠牲を出した果てに、日本の敗戦で第二次世界大戦は終結しました。戦争の末期は日本国内で生活の場が戦場と化しました。米軍のB29爆撃機による主要都市への無差別爆撃、沖縄の地上戦、広島と長崎への…

この夏 「現場」のススメ~関東大震災100年、敗戦から78年、 私家版 史跡ガイド

東京近郊の大学で昨年春から週に1回、非常勤講師として「文章作法」の講座を受け持っています。本年度前期の授業が先日、無事に終了しました。履修生たちの文章力はそれぞれに上がっており、講師としてうれしい限りです。 前期は作文の指導が中心でした。自…

焦土を軍服の天皇が視察、終戦までさらに5カ月~東京大空襲から78年の教訓

第2次世界大戦末期の1945年3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊による空襲を受けました。大量の焼夷弾の投下で木造家屋の密集地帯は焼き尽くされ、一夜で10万人以上が犠牲になったとされます。以後、米軍は日本中の主要都市の…

戦争の教訓の継承は、今こそ大きな意味がある~破局を“予言”していた桐生悠々、井上成美

今年春から大学で「文章作法」の非常勤講師を務めていることは、以前の記事に書きました。授業では日々の新聞報道の比較、解説も行っています。先日の授業では、12月8日の太平洋戦争開戦81年の報道を取り上げました。 日本の新聞は戦前の統制で、いくつ…

新人の皆さんへ~組織ジャーナリズムの仕事と表現の自由

この春、マスメディア企業に入社した新人たちと話す機会がありました。わたしが話したことの大意を書きとめておきます。将来の仕事として、組織ジャーナリズムが選択肢に入っている学生さんたちにも読んでもらえればうれしいです。 マスメディアの仕事につい…

東京大空襲77年、東電福島第一原発事故11年とロシアのウクライナ侵攻~リアルさ欠く原発再稼働論と「核共有」論議

3月10日は第2次大戦末期の1945年、東京の下町地区が米軍のB29爆撃機の空襲を受け、一晩で住民10万人以上が犠牲になった東京大空襲の日。翌11日は2011年、東日本大震災が発生し、東京電力福島第一原発事故が起きた日です。ことしの3月1…

敗戦の教訓を引き継ぐ~西日本新聞のコラム「『暑いな』とデスクは言った」

先日、フェイスブックの知人の投稿で知った西日本新聞のコラムを紹介します。3年近く前のものですが、平成最後の年明けに、「昭和が終わった日」を振り返った内容です。「当時入社7年目で警察担当だった」という筆者は、わたしと同世代のようです。 ※「『…

東京大空襲から76年、在京紙の報道の記録

第二次世界大戦の末期、1945年3月10日未明に東京の下町、現在の江東区から墨田区にかけての一帯は米軍のB29爆撃機の大編隊の空襲を受け、一夜にして10万人を超える住民が犠牲になりました。「東京大空襲」です。以後、日本中の都市が次々に空襲…

空襲の惨禍からよみがえった川崎大師「奇跡の銀杏」

先日、神奈川県川崎市の川崎大師(真言宗智山派大本山平間寺=へいげんじ)を訪ねました。東京・品川から京浜急行線の特急に乗れば、15分ほどで京急川崎駅に。大師線に乗り換えて三つ目の「川崎大師」駅から徒歩で10分足らずです。初詣でには大勢の参拝…

「東京大空襲」身代わりの焼けイチョウ

11月の3連休に、ふと思い立って東京都墨田区の飛木稲荷神社を訪ねました。このブログでも2回紹介していますが、東京で戦争があったことを今に伝えるイチョウの木がある神社です。 第2次世界大戦の末期、今から75年前の1945年3月10日未明、現在…

「大本営発表」報道の今日的教訓~東京大空襲から75年

第2次世界大戦末期の1945年3月10日未明、東京の下町一帯は米軍B29爆撃機の大編隊による空襲を受け、一夜で10万人以上が犠牲になりました。東京大空襲からことしは75年です。このブログでは毎年この日は、努めて何かを書きとめるようにしてい…

東京大空襲から74年 殉職した電話局職員31人の記録~「一顧の歴史と 寸時の祈念とを惜しませ給うな」(吉川英治の碑文) ※追記 吉川英治記念館のこと

第2次世界大戦の末期、1945(昭和20)年の3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、一夜にして住民10万人以上が犠牲になりました。その「東京大空襲」からことしは74年です。わたしなりに戦争を、中でも生活の場…

8月15日に元陸軍飛行場で、戦争の教訓と沖縄の基地集中を考えた

日本の敗戦から73年の8月15日、思い立って東京都調布市の調布飛行場に隣接する「武蔵野の森公園」を訪ねました。調布飛行場は今では伊豆諸島の離島路線の定期便もある軽飛行機の専用空港ですが、元は日本陸軍の飛行場でした。当時の飛行場は今よりも広…

3月10日「東京大空襲」の再現紙面~伏せられていた被害の実相

3月10日は第2次世界大戦末期の1945年、東京の下町地域が未明に米軍のB29爆撃機の大空襲を受け、一夜で10万人以上が犠牲になったとされる東京大空襲から73年の日でした。戦争体験の風化の指摘も目にする中で、東京発行の新聞各紙がどのように…

東京大空襲をくぐり抜け、黄金色に輝くイチョウ

以前このブログで、1945年3月10日の東京大空襲で焼かれながら、戦後に再び若芽を吹いた東京下町の神社のイチョウの木を紹介しました。ふと思い立って先日、そのうちの東京都墨田区押上にある飛木稲荷神社に足を運んでみました。 最初に訪ねたのは1月…

東京大空襲を今に伝えるイチョウの木

太平洋戦争の末期、今から72年前の1945年3月10日未明、東京の下町一帯は米軍のB29爆撃機の大編隊による空襲を受け、一晩で10万人以上が犠牲になりました。「東京大空襲」です。 これまでもこのブログで触れてきましたが、新聞労連で専従役員だ…

戦争が終わった後にも続いた悲劇〜東京大空襲と戦災孤児

太平洋戦争末期の71年前、1945年3月10日未明に、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の空襲を受け、一夜にして住民10万人以上が犠牲になりました。「東京大空襲」です。戦後70年だった昨年、企画展「東京大空襲・七十年」を開催した東京都墨田区…

東京地評の講演で話したこと、話し足りなかったこと

6月28日の日曜日に、東京地方労働組合評議会(東京地評)のセミナーに講師としてお招きいただき、「戦後70年と安倍晋三政権〜報道の現場から見る日本社会のこれから」と題して、お話をさせていただきました。事前にレジュメ代わりのメモを作成したので…

企画展「東京大空襲・七十年」〜声なき死者が遺した記録

ことしは1945年の日本の敗戦から70年。1945年3月10日未明、東京の下町地区が米軍B29の大編隊の空襲を受け、一夜で10万人以上が犠牲になったとされる「東京大空襲」からも70年です。この大空襲では一家が全滅したケースも少なくないと思…

戦後70年と安倍晋三政権、憲法〜全国保団連四国ブロック講演会の報告

2月22日の日曜日、全国保険医団体連合会(全国保団連)四国ブロック協議会の主催で愛媛県松山市で開かれた学習講演会で、お話をさせていただきました。全国保団連とは、開業医や勤務医の方々でつくる各地の保険医協会・保険医会が加盟する全国組織です。…

戦争許容社会と表現の自由、知る権利〜福岡県歯科保険医協会の市民公開講演会で話したこと

5月24日の土曜日、福岡県歯科保険医協会のお招きを受け、協会の第37回定期総会に続いて福岡市内のホテルで開かれた市民公開講演会で講演をさせていただきました。昨年11月、全国保険医団体連合会(全国保団連)の機関紙誌交流会でお話をさせていただ…

秘密保護法から考える「マスメディアと戦争」〜民放労連の学習集会で話したこと

週末2月2日の日曜日、民放各局の労働組合でつくる「民放労連」の近畿地方ブロック組織である近畿地連からお招きをいただき、京都市で開かれた学習集会で特定秘密保護法とマスメディアをテーマに、話をさせていただきました。 参加者は近畿地方の民放局の労…

戦争を許容する発想は「表現の自由」「知る権利」を制限する

24日の日曜日、全国保険医団体連合会(全国保団連)の機関紙誌交流会にお招きをいただき、日帰りで上京しました。全国保団連とは、開業医や勤務医の方々でつくる各地の保険医協会・保険医会が加盟する全国組織です。 ※全国保険医団体連合会 http://hodanre…

東京大空襲から68年

きょう3月10日は、一夜で10万人以上の住民の犠牲を生んだ1945年の東京大空襲から68年です。8月の敗戦まで、激しい地上戦があった沖縄のほか、日本全土で米軍の空襲がありました。この数年、毎年のようにこの日に紹介している「大本営発表」のこ…

「あと1日」を許さなかった8月14日の大阪大空襲(再び)

大阪に来て2度目の8月15日です。昨年は8月14日に同じタイトルでエントリーをアップしました。別のタイトルが浮かばず、「再び」を付けてのアップです。 大阪では67年前の8月14日、つまり終戦の前日に、米軍B29爆撃機140機余による8回目の…

3・10から3・11へ、「大本営発表」の教訓

3月11日は東日本大震災から1年。警察庁のまとめによると、9日現在で死者は15854人、なお3167人もの方々が行方不明です。あらためて、犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。東京電力福島第一原発事故は、いまだ収束を実感できる状況で…

「あと1日」を許さなかった8月14日の大阪大空襲

66年前、1945年の8月14日午後、大阪は米軍B29爆撃機140機余による空襲を受けました。標的は大阪城周辺に広がっていた陸軍の工廠でしたが、近くの国鉄京橋駅(今のJR大阪環状線京橋駅)にも直撃弾がありました。大勢の乗客らが犠牲になった…

東京大空襲の大本営発表はツイート1回分

今年も3月10日になりました。東京大空襲から66年です。ここ数年は毎年のように、当時の「大本営発表報道」の新聞記事をこのブログで紹介しています。ことしは思い立って、この「大本営発表」をツイッターでツイートしてみました。 発表の全文は次の通り…