ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

戦争史跡

「敵兵でも人間」(吉川英治) 異国の地で生を閉じたB29搭乗員の若者たちを悼む

第2次世界大戦末期の1945年3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、焼夷弾による大火災の中、一夜で10万人以上が犠牲になりました。この「東京大空襲」を皮切りに、B29による各地の都市空襲が続き、8月6日には…

私家版ガイド:二・二六事件の関係地

1936年のクーデター未遂事件「二・二六事件」からことしは88年。別の記事に書きましたが、一部の若い軍人が部下を私兵化して起こした独善的な反乱であるこの事件には、今日的な教訓も少なくないと思います。 非常勤講師を務めた大学の授業では履修生た…

二・二六事件から88年、教訓の今日的な意味~自衛官の靖国神社集団参拝に危惧

88年前の1936年(昭和11年)2月26日、陸軍の青年将校らによる「二・二六事件」が起きました。クーデターを企図して約1500人の下士官、兵を率いて決起。高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、陸軍の渡辺錠太郎・教育総監らを殺害し、東京・永田町や霞…

軍需工場やインフラへのすさまじい攻撃~旧日立航空機変電所とJR高尾駅の銃撃痕

78年前の1945年8月、アジア全域でおびただしい犠牲を出した果てに、日本の敗戦で第二次世界大戦は終結しました。戦争の末期は日本国内で生活の場が戦場と化しました。米軍のB29爆撃機による主要都市への無差別爆撃、沖縄の地上戦、広島と長崎への…

この夏 「現場」のススメ~関東大震災100年、敗戦から78年、 私家版 史跡ガイド

東京近郊の大学で昨年春から週に1回、非常勤講師として「文章作法」の講座を受け持っています。本年度前期の授業が先日、無事に終了しました。履修生たちの文章力はそれぞれに上がっており、講師としてうれしい限りです。 前期は作文の指導が中心でした。自…

夏に処刑された二・二六事件の反乱将校たち~渋谷のビル街にたたずむ慰霊像

87年前の1936(昭和11)年2月26日、陸軍の若手将校らがクーデターを企図して約1500人の下士官、兵を率いて決起し、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、陸軍の渡辺錠太郎・教育総監らを殺害し、永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠しました。しかし4日…

焦土を軍服の天皇が視察、終戦までさらに5カ月~東京大空襲から78年の教訓

第2次世界大戦末期の1945年3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊による空襲を受けました。大量の焼夷弾の投下で木造家屋の密集地帯は焼き尽くされ、一夜で10万人以上が犠牲になったとされます。以後、米軍は日本中の主要都市の…

黒船来航の地に残る、日本海軍を支えた「浦賀ドック」

江戸時代末期の1853年、ペリー率いる米国の東インド艦隊の艦船4隻が浦賀に来航しました。日本になかった蒸気船は「黒船」と呼ばれました。江戸幕府は開国を与儀なくされ、さらには武家政権の終焉と明治維新に至ります。15年後の1868年のことです…

死者との「約束の場所」靖国神社

過日、夏の休暇を取った平日の午後、東京・九段の靖国神社を訪ねました。 新聞、テレビのマスメディアは、首相や閣僚が靖国神社に参拝するたびに大きなニュースとして扱ってきました。第二次世界大戦後に東京裁判を経て処刑されたA級戦犯らが「昭和の殉難者…

「即時閉鎖こそ負担軽減だ」(琉球新報)、「辺野古にしがみつく愚」(沖縄タイムス)~普天間返還合意から25年、主権者一人ひとりが当事者

沖縄県嘉手納市の米軍普天間飛行場の返還に日米両国が合意したのは1996年4月12日。ことしで25年がたちました。しかし、いまだ返還も閉鎖もされず、周囲の市街地を米軍機が飛び交う危険な状態が続いています。同じ沖縄県内、名護市辺野古では普天間…

空襲の惨禍からよみがえった川崎大師「奇跡の銀杏」

先日、神奈川県川崎市の川崎大師(真言宗智山派大本山平間寺=へいげんじ)を訪ねました。東京・品川から京浜急行線の特急に乗れば、15分ほどで京急川崎駅に。大師線に乗り換えて三つ目の「川崎大師」駅から徒歩で10分足らずです。初詣でには大勢の参拝…

「東京大空襲」身代わりの焼けイチョウ

11月の3連休に、ふと思い立って東京都墨田区の飛木稲荷神社を訪ねました。このブログでも2回紹介していますが、東京で戦争があったことを今に伝えるイチョウの木がある神社です。 第2次世界大戦の末期、今から75年前の1945年3月10日未明、現在…

二・二六事件の現場、東京・赤坂「高橋是清翁記念公園」~昭和の惨劇を次代に語り継ぐ

6月に入って間もなく、東京都港区赤坂にある「高橋是清翁記念公園」を訪ねる機会がありました。大正から昭和初期にかけて首相、蔵相を務め、1936(昭和11)年に一部の陸軍将校らが起こしたクーデター未遂事件、二・二六事件で暗殺された高橋是清(1…

東京大空襲から74年 殉職した電話局職員31人の記録~「一顧の歴史と 寸時の祈念とを惜しませ給うな」(吉川英治の碑文) ※追記 吉川英治記念館のこと

第2次世界大戦の末期、1945(昭和20)年の3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、一夜にして住民10万人以上が犠牲になりました。その「東京大空襲」からことしは74年です。わたしなりに戦争を、中でも生活の場…

西南戦争の激戦地・田原坂で考えた明治維新と日本の現代史

先日、熊本市を訪ねました。用件が終わり、東京へ戻る飛行機の便までの時間を利用して、明治期の西南戦争の激戦地である熊本市北部の田原坂を訪ねました。 西南戦争の説明の一般的な例として、ここではウイキペディアを参照します。「西南戦争(せいなんせん…

8月15日に元陸軍飛行場で、戦争の教訓と沖縄の基地集中を考えた

日本の敗戦から73年の8月15日、思い立って東京都調布市の調布飛行場に隣接する「武蔵野の森公園」を訪ねました。調布飛行場は今では伊豆諸島の離島路線の定期便もある軽飛行機の専用空港ですが、元は日本陸軍の飛行場でした。当時の飛行場は今よりも広…

南洋に眠る平安丸が問い掛けるもの~企画展「グランブルーの静寂~もうひとつの氷川丸~」

横浜市の山下公園に係留されている貨客船「氷川丸」は戦前の1930年に建造されました。シアトルへの北太平洋航路に就航しますが、太平洋戦争では海軍に徴用されて病院船に。戦後は引き上げ船として運航された後に太平洋航路に復帰し、1960年に引退し…

東京大空襲をくぐり抜け、黄金色に輝くイチョウ

以前このブログで、1945年3月10日の東京大空襲で焼かれながら、戦後に再び若芽を吹いた東京下町の神社のイチョウの木を紹介しました。ふと思い立って先日、そのうちの東京都墨田区押上にある飛木稲荷神社に足を運んでみました。 最初に訪ねたのは1月…

東京大空襲を今に伝えるイチョウの木

太平洋戦争の末期、今から72年前の1945年3月10日未明、東京の下町一帯は米軍のB29爆撃機の大編隊による空襲を受け、一晩で10万人以上が犠牲になりました。「東京大空襲」です。 これまでもこのブログで触れてきましたが、新聞労連で専従役員だ…

戦争が終わった後にも続いた悲劇〜東京大空襲と戦災孤児

太平洋戦争末期の71年前、1945年3月10日未明に、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の空襲を受け、一夜にして住民10万人以上が犠牲になりました。「東京大空襲」です。戦後70年だった昨年、企画展「東京大空襲・七十年」を開催した東京都墨田区…

企画展「東京大空襲・七十年」〜声なき死者が遺した記録

ことしは1945年の日本の敗戦から70年。1945年3月10日未明、東京の下町地区が米軍B29の大編隊の空襲を受け、一夜で10万人以上が犠牲になったとされる「東京大空襲」からも70年です。この大空襲では一家が全滅したケースも少なくないと思…

閉館する交通科学博物館の展示「戦争と鉄道」

わたしが大阪を去るのと前後して、大阪の交通科学博物館が4月6日、閉館します。大阪市のJR大阪環状線、弁天町に隣接。「交通科学館」として1962年に開業し、鉄道に特化せず車や航空機まで広く交通をテーマにしていました。何より実物の鉄道車両の保…

斎藤実記念館のひび割れた鏡台

8月に入って間もなく、私用で岩手県奥州市の水沢を訪ねる機会がありました。ここ何年か、2月になるとこのブログで紹介してきましたが、水沢は1936(昭和11)年2月26日に起きた二・二六事件で殺害された内大臣、元首相、元海軍大将の斎藤実の出身…

「あと1日」を許さなかった8月14日の大阪大空襲(再び)

大阪に来て2度目の8月15日です。昨年は8月14日に同じタイトルでエントリーをアップしました。別のタイトルが浮かばず、「再び」を付けてのアップです。 大阪では67年前の8月14日、つまり終戦の前日に、米軍B29爆撃機140機余による8回目の…