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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

二・二六事件から88年、教訓の今日的な意味~自衛官の靖国神社集団参拝に危惧

 88年前の1936年(昭和11年)2月26日、陸軍の青年将校らによる「二・二六事件」が起きました。クーデターを企図して約1500人の下士官、兵を率いて決起。高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、陸軍の渡辺錠太郎・教育総監らを殺害し、東京・永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠しました。しかし4日後29日には鎮圧され、クーデターは未遂に終わりました。陸軍内の「皇道派」と「統制派」の派閥抗争=主導権争いが背景にあり、青年将校らは皇道派の影響を強く受けていたとされます。両派はともに社会変革を掲げていましたが、方向性が異なっていました。事件を経て陸軍は統制派が支配を確立。日本は1941年12月の太平洋戦争開戦へと進み、戦争遂行を最優先とする社会になっていきました。
 二・二六事件については、教訓を暴力で世の中を変えようとすることの愚かしさととらえ、このブログでも取り上げてきました。しかし今年はその2月26日を、少し違った意味で心の中にざわつきを覚えながら迎えました。自衛隊の統制をめぐる気になるニュースのためです。
 ことしに入って、幹部自衛官らが靖国神社に集団で参拝していたことが相次いで表面化しました。閣僚の参拝が政治問題であるように、靖国神社参拝はそれ自体が政治的な問題の側面があります。自衛官は公務員として政教分離を順守するのは当然ですし、文民統制(シビリアンコントロール)の下にある軍事組織の自衛隊も、その個々の構成員も、政治的な問題に関わることは厳に慎むべきです。陸軍大臣、海軍大臣に現役の軍人が就いていた戦前の旧軍とは、自衛隊はその点が決定的に異なるはずです。日本国憲法下で設置され運用されている自衛隊は、旧軍の継承組織ではありません。にもかかわらず、部内にたとえ一部でも、旧軍を思慕するようなメンタリティがあり、政教分離や文民統制を逸脱しかねないのだとしたら、軽視できません。
 最初の報道は陸上自衛隊でした。陸上幕僚副長(陸将)らが1月9日に靖国神社を集団で参拝。副長は時間休を取得しながら公用車を使用していました。防衛省は公用車の私的使用について処分しましたが、参拝そのものは私的な行為としてとがめませんでした。参拝したのは陸自の航空事故調査委員会の関係者で幕僚副長は委員長でした。
 ※共同通信「靖国参拝、公用車使用で処分 陸自幹部ら『私的』と結論」=2024年1月26日
 https://www.47news.jp/10446097.html

 陸上自衛隊幹部らが靖国神社に集団参拝した問題で、防衛省は26日、公用車の使用が不適切だったとして、参拝した小林弘樹陸上幕僚副長ら3人を訓戒とするなど計9人を処分した。陸自トップの森下泰臣陸上幕僚長も含まれ、監督責任を問われ注意となった。全員が休暇を取って参加し、玉串料は私費だったとして、部隊参拝や、参拝の強制を禁じた1974年の事務次官通達の違反はなく、私的参拝と結論付けた。
 防衛省によると、参拝は41人に案内、22人が参加し、うち13人が玉串料を支払った。小林副長らは公用車の使用に関し、能登半島地震で自衛隊が災害派遣中のため「緊急に防衛省に戻る可能性を考慮した」と説明した。

 次いで、海上自衛隊の練習艦隊の司令官らが昨年5月、制服姿で参拝していたことが先日報じられました。
 ※朝日新聞デジタル「海自が靖国神社に集団参拝 練習艦隊の隊員、幕僚長『自由意思』」
=2024年2月20日
 https://digital.asahi.com/articles/ASS2N5D4KS2NUTFK00L.html

 海上自衛隊練習艦隊の今野泰樹(やすしげ)司令官らが昨年5月、靖国神社(東京・九段)に集団で参拝していたことがわかった。酒井良海上幕僚長は20日の記者会見で、練習艦隊の165人を対象に九段下周辺の史跡などをめぐる研修を行った際、「その中の多くの人間」が参拝したと明らかにした。
 海幕によると、集団参拝が行われたのは昨年5月17日。海自の幹部候補生学校の卒業者は練習艦隊に配属され、例年、この時期に歴史学習として九段坂公園や日本武道館を回る研修がある。その際の休憩時間に、希望者が制服姿で参拝したという。

 朝日新聞は、海幕長は「問題視することもなく、調査する方針もない」とした一方で、防衛省の茂木陽報道官は20日の記者会見で「詳細な事実関係を現在、確認中だ」と述べたことも伝えています。
 自衛官であっても、思想・良心の自由や信教の自由は憲法によって保障されています。勤務時間外に、私服姿で一人静かに訪ねるのなら、個人の自由の範囲内かもしれません。しかし、はた目にも自衛官と分かる制服姿や、公務に準じる公用車の利用などは一線を超えていると感じます。
 靖国神社は、戦前は陸海軍が共同で管理する軍国主義の象徴的な施設でした。戦後は、A級戦犯14人を「昭和の殉難者」として合祀しています。付属施設の遊就館の展示でも、日中戦争を「支那事変」、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んでいるように、戦争当時の歴史観、価値観が色濃く反映されています。日本が不戦を国是とする今では、政治と宗教の分離という意味でも、首相や閣僚、国会議員らがその身分を公然とかたって参拝することには疑問があることは、このブログの以前の記事で書いた通りです。

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 軍事組織、実力組織の一員である自衛官が、制服姿で公然と靖国神社を参拝することには深刻な危惧を覚えます。仮に、個々の自衛官に旧軍への思慕、さらには旧軍との連続性の意識があるのだとすれば、それで文民統制が本当に機能するでしょうか。むろん、自衛官が皆すべて同じではないでしょうし、そうした自衛官がいたとしてもごく少数かもしれません。それでも、同じような事例が複数表面化していることが気になります。自衛隊が階級組織であり、上官からの呼びかけなのか事実上の命令なのか、いずれにしても抗しづらいのではないか、とも感じます。文民統制から逸脱した上官が出たら上意下達の組織はどうなるのか、という問題を内包しているように思います。
 1931年の満州事変以後、日本は15年に及ぶ戦争遂行の時代に入っていました。32年の五・一五事件で政党人の犬養毅首相が暗殺されて以後、政党政治は衰退し「憲政の常道」は終わりました。二・二六事件はその中で、一部の若い軍人が部下の下士官、兵を私兵化して起こした独善的な反乱です。軍事組織の内部統制の崩壊という一面があります。自衛官の集団参拝との間に、見過ごせない類似点がある可能性を疑うのは考えすぎでしょうか。
 当時と今日とで、政治状況、社会状況は大きく異なってはいます。ただ、岸田文雄政権の下で、安倍晋三政権以来の流れである軍拡路線が進んでいます。そのこと自体の当否はさておき、必然的に自衛隊の肥大化を伴うはずです。シビリアンコントロールの徹底はより重要になるのに、政府、防衛省は十分に対応できるのか。疑問なしとはしません。加えて言えば、岸田政権下での最近の政治不信の高まりも気になります。
 かつて国を挙げての戦争遂行の果てに、アジア各地におびただしい犠牲を生み、日本国内も焦土と化した歴史があります。二・二六事件は軍事優先の社会体制へ進む過程で、軍事組織の一部が統制を外れて暴走した出来事です。現在の社会状況に照らしつつ、教訓を社会で継承していくことが必要です。そんなことを、事件から88年の今年、あらためて考えています。

 【現場に立ってみる】
 2月23日の天皇誕生日の休日、事件に関係する場所をいくつか回ってみました。
 東京都心の東京メトロ銀座線、南北線の溜池山王駅を降りて地表に出ると、ひときわ高いビル「山王パークタワー」があります。事件で反乱軍が拠点を置いた「山王ホテル」はこの場所にありました。

 東側は道を1本隔てて首相官邸(下の写真の右の建物)。その北に国会の議員会館棟が並びます。国会議事堂はその東(写真では奥の方向)です。足を運んでみて、反乱軍が国家の中枢を押さえようとしたことが、あらためてよく分かりました。

 事件当日の東京は雪でした。わたしが訪ねた日、東京では朝方は冷え込んだようですが、日中は雨。灰色の空が広がっていました。

 溜池山王駅から地下鉄銀座線に乗って10分で渋谷駅に着きます。駅から北へ上り坂を徒歩10分ほど。NHK放送センター近くに、事件関係者の慰霊像があります。
 反乱罪に問われた将校らは東京・代々木にあった陸軍刑務所で銃殺刑に処せられました。慰霊像があるのは、刑務所の跡地の一角です。昨年7月に訪ねた際のことはこのブログにも書きました。緑に覆われていました。この日、街路樹の葉は落ちていました。

 将校たちの刑執行は夏場でしたが、事件で殺害された人たちには、2月26日は命日です。そっと手を合わせました。白梅が咲いているのが目にとまりました。

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※追記 2024年2月28日18時
 非常勤講師を務めた大学の授業では履修生たちに、社会との関わりについて考えを深めるために、ニュースの現場に足を運んでみることを奨めました。若い世代の方の参考になればと思い、わたし自身が訪ねたことがある二・二六事件の関係地を、東京都内を中心に別記事にまとめました。 

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