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夏に処刑された二・二六事件の反乱将校たち~渋谷のビル街にたたずむ慰霊像

 87年前の1936(昭和11)年2月26日、陸軍の若手将校らがクーデターを企図して約1500人の下士官、兵を率いて決起し、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、陸軍の渡辺錠太郎・教育総監らを殺害し、永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠しました。しかし4日後には鎮圧され、クーデターは未遂に終わりました。二・二六事件です。反乱罪に問われた将校らは東京・代々木にあった陸軍刑務所で銃殺刑に処せられました。その刑務所の跡地に慰霊像があるのを最近知って、7月最初の週末に訪ねてみました。
 JR渋谷駅から北西へ徒歩10分ほど。渋谷税務署などが入る渋谷地方合同庁舎に隣接する一角に、慰霊像はあります。台座の上に、右手を高々と掲げる観音像。手前の木柱には「二・二六事件慰霊像」と書かれています。向かいはNHK放送センター。近隣もビルが建ち並んでいます。東には国立代々木競技場、さらにその奥には代々木公園や明治神宮。長らく東京にいながら、この場所にこういう慰霊像があるとは知りませんでした。


 自決した一部を除いて、事件を首謀したり反乱部隊の指揮に当たったりした将校たちは、その年の7月には、一審だけの軍法会議で死刑判決を受け、この地で7月12日、および翌年8月19日に執行されました。
 慰霊像の台座には、像を建立した経緯を記した碑文がはめ込まれています。それによると、慰霊の対象は刑死した20人、自決した2人だけでなく、事件で殺害された犠牲者も含むとしています。建立は30回忌にあたる1965(昭和40)年2月。

 建立し、管理しているのは一般社団法人「仏心会」という団体のようです。検索してみると、ホームページがありました。会の「目的」には以下の記載があります。

 当法人は、昭和10年の相澤事件、および、昭和11年の二・二六事件(以下「事件」という)に於ける犠牲者、事件に参加し自決または刑死した二十二名(以下「二十二士」という)および事件に参加し有刑になった物故者、(以上の事件による犠牲者、二十二士、物故者を併せ「全殉難物故者」という)の慰霊などを目的とする。

 ここにも、反乱軍側だけでなく、事件の犠牲者も慰霊の対象にしていることが記載されています。
 この慰霊像と「仏心会」について、小学館のサイト「NEWSポストセブン」に、2020年7月にアップされた興味深い記事がありました。
※「『二・二六事件』85年目の夏 渋谷に建つ慰霊像の不思議」=2020年7月11日
 https://www.news-postseven.com/archives/20200711_1576075.html?DETAIL

www.news-postseven.com

 「仏心会」は刑死した将校らの遺族の集まり。「被害・加害を問わず、犠牲者すべての冥福を祈る──『恩讐』を超えたその行動が、また新たなつながりを生んでいく」。この慰霊像の背景には、そうした物語もあるようです。

【写真】慰霊像を後ろから。奥はNHK放送センター

 よく知られているように、二・二六事件の発生時、東京は雪でしたが、刑が執行されたのは暑い夏の盛りだったと思われます。わたしが慰霊像を訪ねた日は、まだ梅雨が明けていないにもかかわらず、最高気温は30度を超える暑い日でした。周囲の風景は87年前とはすっかり様変わりしているはずです。だとしても、もしかしたら、この暑さに当時をしのぶことができるのかもしれない-。そんなことを考えました。

※二・二六事件に関連した過去記事です

news-worker.hatenablog.com

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