ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

沖縄・日本復帰50年

「政府の意図と県民の思いに大きな開き」(琉球新報社説)~沖縄戦から78年、軍拡の中で迎えた「慰霊の日」

第2次世界大戦末期の1945年6月23日、日米両軍の間で激しい地上戦がたたかわれた沖縄戦は、日本軍守備隊の司令官、参謀長の自死により、日本軍の組織的な戦闘が終結したとされます。沖縄県はこの日を「慰霊の日」と定めています。沖縄戦から78年の…

沖縄復帰「51」年と「50」年の報道量の落差は何を意味するか~変わらない「『基地なき島』遠く」の見出し

ことし5月15日で沖縄の施政権返還、日本復帰から51年でした。15日当日は新聞休刊日のため、沖縄の地元紙2紙(沖縄タイムス、琉球新報)のほかには、新聞発行がありませんでした。休刊日明けの16日付朝刊で、東京発行の各紙が「復帰51年」をどの…

要塞化が進む中での復帰51年~「平和こそ島んちゅぬ宝」(沖縄タイムス) 「原点は『基地のない島』」(琉球新報)

1972年5月15日、沖縄の施政権が米国から返還されました。ことしはそれから51年です。 例年、日本本土の新聞も15日付朝刊には、沖縄の基地の現状などに焦点を当てた記事を掲載します。ことしの5月15日は新聞休刊日で、本土の新聞では朝刊の発行…

那覇市長選の本土メディアの報道に危惧~自公系勝利は辺野古移設容認ではない

沖縄県の県庁所在地、那覇市の市長選が10月23日に行われ、国政与党の自民、公明両党が推薦した前副市長の知念覚氏が、玉城デニー知事が支持する元県議の翁長雄治氏を破って初当選しました。この選挙結果を伝えた日本本土のマスメディアの報道ぶりに危惧…

沖縄の苛烈な戦後史を知る~「ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄」(宮城修、岩波新書)

ことし、2022年は、1972年5月に沖縄の施政権が米国から日本に返還されて50年の節目の年です。現在、日本にある米軍専用施設の70%が沖縄に集中し、米軍普天間飛行場の移設問題では、名護市辺野古沿岸部の埋め立てと新基地建設を巡って、沖縄県…

日本政府に重なるキャラウェイ「沖縄の自治は神話」発言~玉城知事大差で再選の意味 ※改題しました

沖縄の日本復帰から50年のことし、沖縄県知事選の投開票が9月11日に行われ、玉城デニー氏が再選されました。この選挙結果が持つ意味は、玉城氏が訴えた米軍普天間飛行場の辺野古移設反対が、今も変わらない沖縄の民意として示されたことにとどまらない…

「『ノーモア戦争』の声を」(沖縄タイムス)、「『前夜』を拒絶する日に」(琉球新報)~沖縄慰霊の日の地元紙社説

参院選公示の翌日、6月23日は沖縄の慰霊の日でした。第二次世界大戦末期の沖縄戦で、日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日です。ロシアによるウクライナ侵攻のさなか、23日付の沖縄タイムス、琉球新報の社説は、新たな戦争への危惧と、歴史から学ぼ…

参院選の争点は「物価高」「安保」「改憲」、根底で問われるのは「非戦の国是」

参議院議員選挙が6月22日、公示されました。 折しも、2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻は終わりが見えず、ロシアへの経済制裁は原油の高騰、物価高となって日本の社会にも跳ね返ってきています。ロシアは日本の隣国でもあり、不安を感じる人は…

東京の空は沖縄の空につながっている~米大統領の横田基地、都心ヘリポート利用の意味を報じなかった在京各紙

米国のバイデン大統領が5月22日に来日し、24日に帰国の途に就くまで東京に滞在しました。この間、日米首脳会談と、日米両国にオーストラリア、インドを加えた4カ国の協力枠組み「クアッド」の首脳会合が東京で開かれました。ウクライナ侵攻を続けるロ…

沖縄の過重な基地負担を「自分ごと」に~「後ろめたさ」も、復帰50年 地方紙の社説、論説の記録

沖縄の日本復帰50年を地方紙の社説、論説はどのように論じたのか。5月15日当日前後の掲載について、主な地方紙各紙を調べてみました。いつもはネット上の各紙サイトで内容が読めるものを対象にしているのですが、今回はそれ以外の新聞についても可能な…

「『平和の島』達成されず」(玉城知事) 「強い経済実現」(岸田首相)~沖縄復帰50年式典、在京紙の報道の記録

沖縄の日本復帰50年の日だった5月15日、記念の式典が東京と沖縄で開催されました。東京発行の新聞各紙も、翌16日付の朝刊で報じています。日経新聞以外は1面トップでした。 各紙の1面本記の見出しを並べてみます。【朝日】「50年『平和の島』達成…