鹿児島県警の本田尚志・元生活安全部長が内部資料を漏洩させたとして国家公務員法違反の疑いで逮捕された事件で、鹿児島県警は6月21日午後、野川明輝本部長らが記者会見し、本田元部長に対する捜査の結果や、野川本部長が警察官の犯罪を隠蔽しようとしたとする本田元部長の主張への見解を説明しました。鹿児島地検は同日、本田元部長を起訴しており、捜査がひと段落したところでの説明ということのようです。
野川本部長らの会見はNHKが一部を全国中継しました。その模様や、新聞各紙の報道を元に、わたしなりに野川本部長の主張のポイントをまとめると、大きく①隠蔽の指示はしていない②本田元部長が内部資料を外部に郵送した行為は公益通報ではない―の2点に集約されます。特に①は本田元部長の主張と真っ向から食い違います。野川本部長と本田元部長のどちらかが虚偽を主張していることになります。
鹿児島県警が本田元部長を逮捕し、鹿児島地検も犯罪は成立するとの見解で起訴しました。虚偽を主張しているのは本田元部長であると、警察と検察は認定したということになります。真相の解明の場は刑事裁判に移ります。通常の事件事故であれば、報道の実務としては警察や検察の捜査結果には一定の信頼を置いています。しかし今回は通常の事件捜査と同列に見るわけにはいきません。県警のトップである野川本部長が当事者であるからです。
上記の①の「隠蔽の指示」は、枕崎署の警察官の盗撮行為をめぐって直接指示があったと本田元部長は主張しています。野川本部長に対し、本部長指揮事件としてすみやかに捜査を進めるよう上申しましたが、野川本部長は「最後のチャンスをやろう」「泳がせよう」と話し受け付けなかった、隠蔽する気だと思った、というのが本田元部長の主張です。県警本部で、本部長と生安部長の二人きりの場で交わされたやり取りだと、わたしは解釈しています。これに対し野川本部長は会見で、この盗撮事件で本田元部長と会ったことも話したこともない、と強調しました。事実関係をめぐって、二人の主張の間に決定的な食い違いがあります。
会見の中継や各紙の報道を見る限り、野川本部長の主張の方が正しいという合理的な理由や事情は県警からは示されませんでした。野川本部長が「事実はない」と主張しているだけです。それは仕方がない面もあります。「なかった」ことの証明は困難だからです。もちろん「だから本田元部長の方が正しい」というわけでもありません。
野川本部長と本田元部長のどちらが人物的に信用できるか、といった問題でもありません。仮に本田元部長の主張が正しいとしても、それは密室のやり取りであり、真相を知っているのは野川本部長と本田元部長の二人だけです。論理的には、主張の信ぴょう性という点では、なお二人は対等の立場です。にもかかわらず、県警トップの本部長の主張が正しいことを前提に本田元部長は訴追されました。それがこの事件の基本的な構図です。
虚偽を主張しているのはどちらか、仮に本田元部長の主張の方が正しければ、事件の全体像はどんなふうに見えてくるか―。マスメディアの報道の上では、その点に留意する必要があります。
枕崎署の警察官の盗撮盗聴行為について、野川本部長は捜査の経緯も会見で説明しました。監察官から昨年暮れに報告を受けたが、警察官の犯行と断定はできないので、継続捜査と、警察官が犯人である場合に備えて犯行を重ねないよう注意喚起することを指示した→その後、必要な捜査を得て5月に逮捕した、適正な手続きを踏んでいる、というのが概要です。監察官に指示をした後、逮捕まで5カ月間、本部長としてフォローしていなかった、適切にフォローしていればもっと早く立件できたかもしれない、とも述べ、その点に対して警察庁から長官訓戒の処分を受けたことも明らかにしました。
警察官の犯罪の可能性がある事例の報告を受けながら、5カ月間も現場に任せきりにしていたことに対して、会見でも質問が相次いだようですが、野川本部長は「終始落ち着いた様子で、適切に対応してきたと淡々と回答した」(南日本新聞)とのことです。
しかし、上記の説明によっても、本田元部長の主張が虚偽であることの証明にはなりません。本田元部長が内部資料を札幌市のライター小笠原淳さんに送っていたことを鹿児島県警が知るのは、別の内部資料の漏洩先として、4月にニュースサイト「HUNTER」の運営元を捜索したのがきっかけだったとされます。本田元部長はその前の3月に退職していました。本田元部長の主張に即して時系列を考えれば、野川本部長が隠蔽を指示→HUNTERに家宅捜索→盗撮事件が外部に漏れていることが判明→5月に枕崎署の警察官を逮捕→その後、本田元部長を逮捕、という流れになります。野川本部長が会見で説明した時系列と矛盾はありません。ただ一つ、本田元部長が野川本部長に本部長指揮事件とするよう上申したのに野川本部長が受け入れなかった、という点が食い違っているだけです。そして、その点の真相は野川本部長と本田元部長にしか分からないのです。
野川本部長が会見で、外部へ内部情報を提供した本田元部長の行為は公益通報ではないと強調したこと(冒頭の②)についても、説明の内容は十分に納得できるとは言いがたい点があります。
野川本部長が挙げた理由は、主に以下の2点です。
・本田元部長が小笠原さんに送った文書では、警察官の盗撮の隠蔽を指示したのは刑事部長(当時)としており虚偽であることは明白
・警察官のストーカー行為では、公表を望んでいない被害女性の個人情報を記載している
前者については、弁護士を通じて本田元部長の見解が示されています。隠蔽を指示したのが本部長であることを明らかにすれば、告発者が自分であることがすぐに分かってしまう、なぜなら、そのやり取りを知っているのは自分と野川本部長だけだからだ、ということです。
後者はそもそも、公益通報か否かを判断するのに関係のない事項です。本田元部長は広く社会に個人情報を公表しようとしたわけではありません。小笠原さんのように経験豊富でスキルが高い記者であれば、個人情報には十分に配慮しながら真相に迫ってくれると期待していたのではなかったか。
もう一つ、鹿児島県警や鹿児島地検の判断で知りたいのは、では、本田元部長が小笠原さんに内部情報を送った動機を何だと見ているのか、です。
一般に刑事事件の捜査や裁判では、犯罪の行為があったかどうかが重要で、動機は解明できなくても有罪となることがあります。ただし、今回のような事例は、主体的な意識と客観事実とを切り離して考えるべきではないと思います。「何のため」を抜きにして行為だけを罰することになれば、公益通報そのものが成り立たなくなります。外形的には違法行為を構成するからです。公益通報ではないのなら、何なのか。報酬目当ての情報漏洩ではないでしょう。何か野川本部長に個人的な恨みでもあって、虚偽をかたってまで陥れたかったのか。動機は極めて重要なポイントです。
現段階ではなお、野川本部長と本田元部長のどちらの主張が正しいのか、留保が必要です。組織のトップが当事者である以上、本来は第三者的な立場による調査が必要です。しかし警察ではそれは難しいかもしれません。そこに、マスメディアの組織ジャーナリズムの役割があると思います。例えば、枕崎署の警察官の盗撮行為をめぐって、昨年12月から今年5月までに、県警の内部ではどんなやり取りがあったのか。いざ盗撮容疑で逮捕するとなったときに、だれがどんな指示を出したのか。取材を重ねて、そうした点を明らかにしていくことは、簡単ではないかもしれませんが、不可能ではないはずです。日ごろから警察組織を定点観測していることの意義もそこにあります。
以前の記事で紹介した神奈川県警の警察官の覚醒剤使用のもみ消しでは、当時の本部長とともに警務部長、監査官室長、担当監察官、生活安全部長の5人も有罪判決を受けました。
生活安全部長は覚醒剤などの薬物事件を捜査する責任者です。仮に、本部長に対し生活安全部長が職責をかけてすみやかな立件を強く上申していれば、違った結果になっていたかもしれません。横浜地裁の公判で元本部長以外の4人は、元本部長の指示に逆らえなかったと主張したのに対し、判決は「元本部長に遠回しに再考を求めているが、捜査開始を進言した者はおらず、元本部長と同じ過ちを犯している」と批判しました。
本田元部長も同じ生活安全部長の職にありました。仮に、本田元部長が野川本部長の言動を隠蔽の指示と受け取ったとしたら、上意下達が絶対の階級社会の警察で、本部長に対し1対1の場で、指示に従わないことを表明するのは困難だっただろうと想像します。それでも、そのまま終わらせるわけにいかないと、行動を考えたのかもしれません。神奈川県警の隠蔽の1996年当時は、「公益通報」という概念自体が社会で共有されていませんでした。今は、そういう選択肢があります。
6月21日の鹿児島県警の会見は、東京発行の新聞各紙も紙面で大きく報じました。鹿児島に取材拠点を持つ全国紙の朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の扱いと、主な見出しを書きとめておきます。
毎日新聞が「内部情報漏えいか 公益通報か」の見出しを付けていること、朝日新聞が「公益通報であれば逮捕は違法に」の見出しで識者談話を掲載していることが目を引きます。
【朝日新聞】
▽社会面トップ
「本部長、『隠蔽』改めて否定/漏洩事件 鹿児島県警前部長を起訴」
「公益通報であれば逮捕は違法に」公益通報に詳しい光前幸一弁護士
「メディアへの捜索 納得できる理由は」園田寿・甲南大名誉教授(刑法)
【毎日新聞】
▽社会面トップ
「内部情報漏えいか 公益通報か/鹿児島県警前部長を起訴/本部長『隠蔽指示せず』」
「本部長を長官訓戒」
「識者『制度骨抜きに』」
【読売新聞】
▽社会面準トップ
「本部長 改めて隠蔽否定/『捜査確認怠る』 警察庁が長官訓戒 鹿児島県警」
写真:鹿児島県警本部庁舎(出典:鹿児島県HP)