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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「初の女性トップ」だけ伝えればいいのか~危機的状況のさなか、検事総長が交代

 法務検察トップの検事総長に7月9日付で畝本直美・東京高検検事長が就く人事が6月28日の閣議で決まりました。マスメディアの報道では「検事総長に初の女性」の一点に注目が集まった観があります。裁判官、検察官、弁護士の「法曹三者」でトップに女性が出ていないのは最高裁だけとのことです。社会のさまざまな面でジェンダーバランスは重要な課題です。「初の女性検事総長」の意義を否定するつもりはありません。ただし、検察の現状はさまざまな面で危機的です。次期検事総長の評価で注目するべきなのは、検察組織の建て直しを託すに足る人材かどうかという点のはずです。

 最近の検察には疑問に思うことが多々あります。いくつか挙げてみます。
【政治との距離】
▽自民党パーティー券裏金事件
 自民党安倍派の政治資金収支報告書の虚偽記載をめぐり、派閥幹部の国会議員の関与について捜査を尽くしたと言えるのか、疑問です。会計責任者は公判で、裏金の還流が幹部の議員の合議で決まったことを明らかにしました。議員たちが国会で証言したことと食い違っています。議員に対して、どんな風に捜査を尽くしたというのでしょうか。
 派閥からキックバックを受けた個々の議員について、不記載の金額が3千万円に満たない議員側は一律に立件しなかったことにも疑問があります。過去の例を踏襲したとしても、この事件は前例のない態様と規模の悪質な違反です。一律に起訴し、刑罰が必要かは裁判所の判断に委ねるのが検察の役割ではなかったでしょうか。
 捜査に消極的な姿勢が目立ったということでは、安倍政権を巡る出来事として、森友学園への国有地払い下げを巡る財務省の記録改ざんや、「桜を見る会」の不正補助などの捜査もそうでした。
▽黒川元検事長の定年延長
 主に法務省の問題かもしれませんが、広く、法務検察が政治に取り込まれているのではないか、との危惧を抱いた出来事もありました。2020年1月、安倍晋三政権は東京高検検事長だった黒川弘務氏の定年を閣議決定で延長しました。そのために国家公務員法の解釈を変更していました。法務省文書の開示を求めた訴訟の判決で大阪地裁は、解釈変更は黒川氏のためだったと認定。「政府が特定の人物のために法解釈を変えるという、恣意的で許されないことをやったのだと認めた画期的判決」(上脇博之・神戸学院大教授)です。

【えん罪】
 ・警視庁公安部が手がけた大川原化工機事件で、東京地検はずさんな捜査による冤罪と見抜くことができず、無実を主張していた代表取締役らを起訴したものの、初公判直前になって起訴を取り下げました。
 ・大阪地検特捜部が手がけた業務上横領事件では、無罪判決が確定した不動産会社元社長の部下に対し、検事が「検察なめんなよ」などと机を叩いて威迫していました。判決では部下の供述は信用できないとされました。
 ・袴田事件の再審で、検察が新証拠もないのに有罪の論告にこだわることにも疑問を感じます。再審開始が意味するのは、新たな証拠を踏まえると当初の判決を見直す必要があるとの結論に至った、ということです。いたずらにメンツにこだわるかのような有罪主張は、再審という仕組みそのものを全否定するかのようにすら思えます。

【警察の捜査を指揮する立場】
 ・警察の捜査に対する指揮と真相解明の点では、鹿児島県警の元生活安全部長が内部資料を漏洩させたとして逮捕、起訴された事件でも、元生安部長が「公益通報」を主張していることに対して、鹿児島地検は見解を示していません。元生安部長は県警本部長が警察官の犯罪の隠蔽を図ったことが許せなかったと主張しています。本部長は否定していますが、やり取りは密室の中でのことです。どちらの主張が正しいのか、原理的には本部長と元生安部長は対等の立場です。鹿児島地検が元生安部長を起訴したことは、本部長の言い分に依拠していることを意味します。一般の刑事事件ではなく、警察組織の腐敗が焦点の特異な事件です。検察は起訴の根拠をきちんと説明すべきです。

【最低最悪の不祥事】
 極めつけとも言えるのが、元大阪地検検事正が準強制性交容疑で6月25日に大阪高検に逮捕された事件です。被害者は大阪地検の部下だったとの報道もあります。容疑が事実だとすれば、検察への信頼は地に落ちます。検察官である以前に、社会人として最低限の規範を守れない、最低最悪の不祥事です。

 以上のような状況の中で、畝本氏が東京高検検事長から検事総長に昇任することが決まりました。政界事件の場合、直接捜査するのは東京地検特捜部でも、逮捕や起訴といった手続きについては、検事総長、東京高検検事長ら検察首脳が事前に東京地検から説明を受け、了承を与えるのが常です。最高検-高検-地検は検察内部の指揮系統であり、畝本氏は東京高検検事長として、自民党のパーティー券裏金事件の捜査を指揮した当事者性がある立場です。法務検察が政治との間に明確に距離を取ることができるのかが問われているときに、適切な人選と言えるのか。少なからず疑問を感じます。ネット上では「自民党の裏金政治家を守り抜いた人物」と揶揄する指摘も目にします。
 検事総長就任が閣議で決まった翌日、6月29日付の東京発行の新聞各紙は、単独の人事記事として扱いました。見出しと扱いを書きとめておきます。

 畝本氏が東京高検検事長として自民党パーティー券裏金事件を指揮したことは、朝日新聞と日経新聞が記事中で業績として触れています。朝日新聞の記事は全文65行の長文ですが、見出しからも分かるように法曹界のジェンダーバランスに終始した内容です。検察の危機的状況に触れた新聞はありません。そもそもそうした認識が各紙の記者やデスクたちには乏しいのかもしれません。
 わたしが目にした範囲では、東京新聞が黒川元検事長の定年延長と大阪地裁判決について詳報した7月3日付の特報面の記事の最後に、社外の識者の指摘を借りて、かろうじて検察の危機的な現状に触れているだけです。

 22年7月に安倍氏が死去し、昨年末には自民党派閥の裏金疑惑が浮上。東京地検特捜部が安倍派など派閥事務所を捜索したが、幹部議員の立件は見送られた。今回の大阪地裁判決の翌日に検事総長就任が閣議決定されたのが検察ナンバー2の畝本直美東京高検検事長で、SNSでは一連の処分への批判が出ている。
 前出の若狭氏は、大川原化工機事件や大阪地検特捜部が捜査した業務上横領事件で冤罪(えんざい)が相次いでいることなどを挙げ、強調する。「いま検察は岐路に立たされている。危機的状況の検察の信頼回復へ畝本新総長の手腕が問われる」

※東京新聞・こちら特報「法解釈の変更は『安倍政権の守護神』の『定年延長が目的』…黒川弘務元検事長をめぐる衝撃判決、その舞台裏」
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/337526

 もう30年も前のことになりますが、わたし自身、社会部記者として検察取材を担当しました。そのときの経験と反省も踏まえて、マスメディアにとって検察、とりわけ特捜検察は監視対象であり、礼賛するような報道は厳に慎むべきだと考えるに至っています。そのことはこのブログで何度も書いてきました。
 わたしが現場で検察を取材していたころ、マスメディアでは「巨悪を眠らせない」といった耳当たりのいいキャッチコピーとともに、あたかも「正義の味方」のように、特捜検察が手掛ける事件を大きく報じていました。検察の捜査手法に対する批判的な視点は希薄でした。インターネットが普及する前、新聞やテレビがまだ大きな影響力を持っていた時代でした。検察内部でも「正義の味方」意識が肥大化し、傲慢さや驕りを生んだ結果が、2010年の大阪地検特捜部の証拠改ざん・隠ぺい事件ではなかったか―。検察の腐敗・堕落に、マスメディアは当事者性を持つとの考えは、この十数年来、変わりません。
※参考過去記事 2011年の記事です

news-worker.hatenablog.com

 検事総長の交代に当たって、後任が初の女性であること以外に報じることはないのか。新聞の組織ジャーナリズムの力量を発揮するべき機会のはずです。