ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「検察礼賛」に陥ることなく権力監視を~なぜ元首相存命中に挑まなかったのか、その検証も組織ジャーナリズムの役割

 自民党の安倍派(清和会)の所属国会議員を中心に、パーティー券の売り上げの一部が裏金化していた問題の報道が連日続いています。12月13日に臨時国会が閉会したことから、いくつかの新聞では14日付の朝刊1面に「本格捜査へ」の大きな見出しとともに、東京地検特捜部の動向を伝える記事が載りました。岸田文雄首相は、渦中の安倍派の有力議員を閣僚や副大臣など枢要ポストから外す人事を14日に行いました。間もなく、特捜検察の捜査が目に見える形で動き出します。
 かつて安倍晋三元首相が首相として“一強”を誇った、その権力基盤の第一は自民党内で最大のこの派閥でした。不正は派閥の中で組織的、かつ継続的に行われていた疑いが強まっており、刑事事件として立件されることには、大きな意義があります。首相在任が史上最長の「安倍政治」が、足元の深刻な腐敗の上に成り立っていた構図の検証の意味を持ちます。この構図に対して、安倍政治に批判的な人ほど怒りも大きいだろうと思います。その怒りは、捜査を進める特捜検察への期待と応援へと、容易に転化するかもしれません。SNSにも「検察がんばれ」といったハッシュタグを目にするようになってきました。しかし、新聞や放送のマスメディアが「特捜検察礼賛」に陥るようなことは、厳にあってはならないと考えています。特捜検察も監視すべき権力です。端的に言えば、安倍元首相が存命中に検察が摘発と立件に挑んでいれば、より大きな意義があったのに、なぜ、やらなかったのか。捜査の行方を追いつつ、それを明らかにするのもマスメディアの役割です。専従の記者が日常的に検察をウオッチしているマスメディアの組織ジャーナリズムにはできるはずです。

 ▼特捜検察の究極の堕落
 マスメディアが特捜検察の監視を怠り、礼賛に走るようなことがあれば何が起こるか-。かつて大阪地検特捜部で、主任検事が事件捜査の証拠物件のフロッピーディスクの内容を改ざんする事件がありました。2010年のことです。主任検事は証拠隠滅容疑で、上司の特捜部長と副部長は犯人隠避の容疑でそれぞれ逮捕され、有罪が確定しました。わたしは、マスメディアが検察に対する監視機能を果たさず、むしろ長年にわたって「巨悪を眠らせない検察」とのイメージをより膨らませてしまうような報道に明け暮れていたことが、特捜検察の現場に奢り、慢心をはびこらせ、あげくの果てに、このような、究極の堕落とも言うべき信じ難い不祥事を引き起こした要因になったと考えています。
 この事件より15~20年ほど前、今から30年も前のことになりますが、わたし自身、1990年代に二度にわたって、勤務先の社会部の記者として、東京の司法記者クラブに加盟し、東京地検特捜部をはじめとした検察取材を担当しました。司法分野の専任として数年間を過ごすこのポジションは部内的な用語では「司法記者」と呼びます。大阪地検特捜部の不祥事の当時、司法記者の経験者の一人として思うところが多々ありました。
 自分の担当記者時代のことを思い返すと、当時の特捜部の捜査手法には、あらかじめ描いた事件の構図通りに被疑者や参考人の供述調書を作成しようとする傾向が顕著にありました。この点はたとえば、リクルート事件で贈賄罪に問われたリクルート社の創業者、故江副浩正氏の公判でも焦点になり、法廷では検察側と江副氏側が激しいやり取りを繰り広げていました。
 検事から「あなたは罪人の頭(かしら)だ」と言われ、取調室の床で土下座するように命じられた、などと江副氏は証言。取り調べの担当だった検事も公判で証人として出廷し、江副氏の証言をことごとく否定しました。「江副さんといい、検事さんといい、すぐれた知性の持ち主なのに、どちらかがウソをついていることになりますねえ」。困惑した顔つきの裁判長が、ため息交じりに口にするのを、わたしは法廷内の記者席で見聞きしていました。結局、江副氏の証言は採用されませんでしたが、裁判長はその証言の迫真性を無視できなかったのだろうと思います。
 特捜検察の捜査の強引さは、司法記者を経験したことがある記者であれば、気づかないはずはなかったと思います。しかし、当時は、その捜査手法を正面から問う報道はほとんどありませんでした。
 ある情景が記憶に残っています。司法記者の取材の中には、特捜部の幹部を複数の記者が囲んでやり取りをする「囲み取材」がありました。あるとき、記者たちが事件捜査の展望を尋ねる中で、雑談には応じながら肝腎なことは口をつぐむ幹部に、記者の一人が「われわれは特捜部の応援団ですから」と話しました。その場にいた記者のだれも、その言葉をとがめるでもなく、聞き流していました。わたしはと言えば、「ずいぶんあけすけに言うな。同じだと思われたら迷惑だ」と思いましたが、やはり黙っていました。
 こうやって当時のことを思い返してみると、特捜検察の強引な捜査手法を正面から問おうとしなかったありようは、旧ジャニーズ事務所元社長の性加害に新聞や放送のマスメディアが沈黙していたことと重なるように感じます。大阪地検の不祥事で、特捜検察が極限まで堕落してしまったことに、マスメディアは当事者性があると思いましたし、わたし自身もまたかつて司法記者を経験した一人として、当事者の一人であることを免れ得ない、と考えていました。

 ▼記者の仕事の評価

 大阪地検の不祥事を経て、検察は改革されたのでしょうか。マスメディアの検察に対する間合いはどうなのでしょうか。最近の例では、「安倍政権の守護神」との指摘まであった黒川弘務・元東京高検検事長のことが頭に浮かびます。安倍政権は検察人事に介入し、法令の解釈を意図的に曲げて黒川検事長(当時)を検事総長に就けようとしました。新聞記者との賭けマージャンが発覚して、この策謀は流れましたが、渦中の検察高官と新聞記者が取材の一環とはいえ、賭けマージャンに興じていたことは、あらためて検察とマスメディアの距離が問われる出来事だったと思います。誤解を恐れずに言えば、渦中の人物に取材、つまり質問をして、そのやり取りを社会に伝えていれば、少なくとも記者の側については、賭けマージャンに加わっていた行為に対して違った評価もあったのではないかと思います。
 検察の捜査でも、疑問に思うことがありました。河井克行・元法相夫妻の選挙違反事件では、検察は当初、被買収側の立件を見送ろうとしました。元法相夫妻の有罪立証を確実にするために、被買収側の地方政治家らに対して、元法相夫妻に不利な供述を維持すれば起訴は見送ることをちらつかせた疑いが濃厚だと感じました。極めて恣意的な捜査です。

 特捜検察が手がける事件は、警察の事件と比べても「特捜部」というだけで報道では大きく扱われるのが常です。それはそのまま担当記者へのプレッシャーとなります。記者クラブを舞台にした新聞通信、放送各社の横並びの取材競争の中で、記者がそれぞれの所属組織から第一に課せられているのは、極言すれば「特捜部はいつ、だれを逮捕するのか」をつかみ、いち早く報じることです。その構図は、わたしが担当だった30年前と今も変わらないと思います。しかし、情報が欲しいがために、ともすれば迎合にもなりかねないような姿勢では、権力監視の責任は果たせません。実は検察取材の中で検察捜査の監視こそ最重要であり、それができるのは日夜、特捜検察に張り付いて動向をウオッチしている記者たちだけであることが、今はよく分かります。そして、30年も前のわたし自身の担当記者当時のことを思い返しながら頭に浮かぶのは、後悔と反省ばかりです。
 記者個々人の志だけではどうにもならない部分も決して小さくありません。だから、記者の仕事の評価をどこに置くのか、その再検討も組織ジャーナリズムの課題だと思います。特捜検察の捜査がどこに向かっているのか、いつ、だれを逮捕するのかを探ることも重要です。加えて、権力監視の観点からの、捜査手続きのチェックも同等に、あるいはそれ以上に重要です。それは記者の仕事をどう評価するのかの問題と表裏一体です。特に、新聞の部数減少と経営の圧迫など、マスメディアが置かれている環境が激変している中で、組織ジャーナリズムをどう維持していくのかという課題と密接不可分であり、「古くて新しい課題」だと考えています。

 ▼12年前の提言

 メディア研究者や弁護士、ジャーナリスト、メディア企業内記者らが参加しているメディア総合研究所が2011年2月、「提言・検察とメディア」を公表しています。
 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を機に、検察のあり方が論議となり、法務省が「検察の在り方検討会議」を発足させるなどの動きがありました。そうした中でメディア総研は「権力監視の役割を果たすべきマスメディアの怠慢が検察を増長させた結果の現れという側面を無視できない」(「提言」の紹介文から引用)との観点から2010年秋、緊急の研究プロジェクト「検察とメディア」を立ち上げ、研究会や内部討論などを重ねました。提言は総論として「『検察改革』のためにメディアの姿勢が問われるべき」とし、各論としては「検察との距離」「取材体制と仕事の評価」「刑事司法の構造的問題への報道姿勢」「裁判所を含めた司法全体への報道姿勢」「捜査の全面可視化」を挙げています。
 この提言の全文は当時、このブログでも紹介しました。 

news-worker.hatenablog.com

 今、提言を読み返しても、マスメディアと検察の関係の本質部分は変わりがないと感じます。
 ここでは、メディア側の記者配置や仕事の評価の尺度などの問題を中心に論じた部分を引用して紹介します。

○取材体制と仕事の評価も再検討を

 特捜検察に限ったことでもなく、事件・事故報道に限ったことでもないが、記者の仕事の評価は、メディアの内部では同業他社との比較が基準になっている。特ダネとは、他社が報じていないことを自社が先駆けて報じる大きなニュースのこと、という定義を、新聞・放送の各メディアもそこで働く記者たちも共有している。横一線の競争の中で、もっとも「勝ち負け」が明確になるものの一つが事件報道の「前打ち」であり、捜査機関が誰を何の容疑で逮捕するのかをいち早くつかみ、報じることだ。中でも特捜検察事件の前打ちは、政官界に関するものならほぼ間違いなく新聞1面もの、という大きな扱いがされてきた。
 特捜検察事件の前打ちで後れを取ると、担当記者の面目は丸つぶれだ。内偵捜査の情報をつかむのが遅れると関連取材も後手に回り、続報でも他社に抜かれっぱなしということになる。このことは、一面では担当記者の増員の要因になってきた。大規模な事件では取材も報道も大規模になるが、加えて大きな事件ほど他社に後れを取ることは許されない。この二〇年ほどの間に、一時的な増減はあるにせよ、東京の司法記者クラブで検察を担当する記者の数は各社ともおおむね倍増。全国紙でかつては二人だった専任記者が、佐川急便事件(1992年)や故金丸信元自民党副総裁の巨額脱税事件(93年)、ゼネコン汚職(93〜94年)などを経て三人となり、今は四人態勢の社もある。自らの報道で「特捜神話」を振りまきつつ、特捜検察の事件は記者の配置の上でも大きな比重を占めるようになった。
 政界事件などでは、司法クラブ所属以外の記者も加わって大人数の取材班が編成される。地検特捜部をはじめ検察を直接取材する担当記者の仕事は、まず第一に特捜部の次の一手は何かをつかむことであり、容疑者の逮捕や関係個所の家宅捜索の際には、正確なタイミングで前打ち記事を発することとなる。前打ち記事は、本来はそれ自体が悪いのではない。検察がどう動くかによって社会に大きな影響がある場合、検察の動向は社会が共有すべきニュースだからだ。問題は、前打ち記事を最優先で考えるがために、報じなければならないテーマを報じていない、そういうケースがあるのではないかということだ。
 物証の改ざんはともかく、特捜検察の捜査手法として、あらかじめ描いたストーリーに沿うように容疑者や参考人の供述、証言を強引に調書化していくことに多々問題があることは、例えばリクルート事件の公判段階で、リクルート社元会長の江副浩正氏らが再三、取り調べの強引さを訴えたこともあり、これまでも検察担当記者なら気付く可能性があったはずだ。しかし、正面からこの捜査手法を問うたメディアの報道はなかったに等しい。それはなぜなのかを考える必要がある。メディアが横一線で「前打ち報道」に血道を上げる状況を見直し、事件報道で評価に値する記事、評価に値する取材とは何かを再考し、ひいては記者の仕事の評価基準の再構築を図るべきだ。
 特捜検察事件の取材報道で付きものの慣習に、捜査妨害などを理由として検察当局が特定のメディアの取材を一方的に拒否する「出入り禁止」処分がある。検察当局からの出入り禁止処分を恐れるがあまりに、メディアは検察当局からのリーク情報を垂れ流している、との批判があるが、実態は少し異なるだろう。出入り禁止になっても情報源をつかんでいれば情報は取れる。代々の検察担当記者が恐れたのは出入り禁止処分ではない。それは他社に後れを取ることであり、記者としての評価が下がることだったのではないだろうか。

【写真】東京地検が入る東京・霞が関の検察合同庁舎(出典・ウイキペディア「最高検察庁」)