東京地評の講演で話したこと、話し足りなかったこと

 6月28日の日曜日に、東京地方労働組合評議会(東京地評)のセミナーに講師としてお招きいただき、「戦後70年と安倍晋三政権〜報道の現場から見る日本社会のこれから」と題して、お話をさせていただきました。事前にレジュメ代わりのメモを作成したのですが、東京地評の事務局に送った後で、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」での「報道弾圧」「異論排除」発言の問題が起きました。当初わたしとしては講演で、安倍晋三政権の最大の特徴が、40―50%台の高い支持率が続き、多少落ちても間もなく回復する点にあり、それは自民党が政権を降りて下野している間に、変質を遂げたためと見ていることを中心に話そうと思っていました。勉強会での「異論排除」発言の問題は、まさにこの自民党の変質が生み出したものだと感じましたので、当日の講演は用意したメモの内容を大幅に変更し、用意していた話の順番も変えました。聞いていただいた方々には、話のつながりが分かりにくくなってしまったかもしれません。ただ、勉強会の「異論排除」発言の問題は、講演に間に合うようにこのブログの関係記事(6月28日「『自民1強 安倍氏1強』で『異論排除』がまかり通るのか〜百田尚樹氏より危険な自民議員の言辞」)を書き、当日もコピーを配布して説明しました。わたしがこの問題をどう考えているか、よく分かっていただけたのではないかと思います。
 ここでは、講演で何を伝えたかったのか、当日の補足として、少し書きとめておこうと思います。


◆安倍政権の高支持率〜「代わり」がいない
 最初にお話ししたのは、上記のように自民党議員の勉強会での「異論排除」発言の問題です。このブログの6月28日の記事を元にしました。背景にあるのは「自民党1強」「安倍氏1強」と安倍政権の高支持率です。支持率の例として、共同通信の6月の世論調査を挙げました。この調査では、現在衆議院で審議中の「安全保障法案」について「憲法違反」との回答が56・7%に上り、「安保法案に反対」も58・7%と、5月の調査より11・1ポイントも上昇しています。安倍政権の主要政策である安保法案にこれだけ否定的な評価が高まっているのですから、内閣支持率も下がるのかと思いきや47・4%。5月から下がるには下がったのですが、下げ幅は2・5ポイントにとどまりました。
 個々の政策は決して支持されていないのに、内閣支持率が下がらないのはなぜかと言えば、「代わりがいない」ことに尽きるのではないかと思います。まず、自民党に代わる政権交代の受け皿がない。次に、自民党内で安倍氏に取って代われる総理総裁の候補がいないことです。なぜそうなったのかと言えば、2009年8月の衆院選自民党が大敗し、下野した時にさかのぼります。当時、わたしは出稿部門でこの選挙の取材・報道に加わっていました。この衆院選自民党で勝ち残った議員の顔ぶれを眺めて、安倍氏をはじめ保守色の強い議員が目立つ印象を持ったことをよく覚えています。その後、2012年の総裁選の決選投票で安倍氏石破茂氏を破って総裁に返り咲き、その後の衆院選で政権を奪還。昨年12月にも衆院解散・総選挙を仕掛け、自民党は圧勝を収めます。つまり直近2回の衆院選自民党は安倍総裁で戦い、小選挙区制の下で当選者を大幅に増やしました。安倍氏の党内基盤の盤石さはここに起因しており、「自民1強 安倍氏1強」を生み出したと、わたしは考えています。
 しかし、今の政治状況は民主主義の観点からは、決していい結果をもたらさないように思えます。例えば安保法案は、世論調査過半数が「違憲」「反対」と答えているのに、安倍政権は「決める時には決める」と言い切り、成立へ強行策を取ることを否定していません。確かに、個別の政策は支持されていなくても、内閣支持率が高い水準を維持していれば、その政権はその気になりさえすればフリーハンドも同然です。しかし、民意の多数が望んでいない政策が、政権の意思次第で実行に移されるのは、政治のありようとしてどうでしょうか。それも民主的な手続きの帰結と言ってしまえばそれまでですが、わたしたちの社会は、かつてなかった状態、危機的と言ってもいい状況に直面していると感じています。制度や仕組みの問題からみれば、2大政党制が必ずしも実現できていないのに、小選挙区制が実施されていることも要因として小さくないと思います。


◆「戦争で最初に犠牲になるのは真実」〜戦争許容社会と「表現の自由」「知る権利」
 安倍政権が熱心な安保法制の整備ですが、それは一面では、わたしたちの社会が戦争を否定することから戦争を許容、容認することに変わることを意味します。安倍氏が悲願としている憲法9条の改正は、その最終形でしょう。そして戦争を許容、容認することと、「表現の自由」や「知る権利」を完全に担保することとは両立しえないと、わたしは考えています。
 講演では、戦時中の大本営発表報道の例、自衛隊イラク派遣時のメディアと防衛庁(当時)の申し合わせ(派遣部隊の取材に際して、情報によっては発信に制限が設けられました)、特定秘密保護法のことなどを話しました。それぞれ、このブログでも何度か書いてきたことです。以下は当日のわたしの「メモ」の抜粋です。

・70年前の日本で起きていたこと
 大本営発表報道の一例:東京大空襲
 ※ニュース・ワーカー2「あらためて東京大空襲の『大本営発表』報道」
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090310/1236694754
・10年前の日本で起きたこと
 イラク自衛隊派遣に伴う“検閲受け入れ”
 新聞協会、民放連と防衛庁の申し合わせ=2004年3月
 ※防衛省ホームページ「イラク現地取材の枠組み、申し合わせ等」
  http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/iraq/syuzai.html
・今の日本で起きていること
特定秘密保護法の施行・昨年12月:「何が秘密か、それは秘密」
 「秘密」が恣意的に指定される恐れがあり、検証もできない−都合の悪いことは隠す
 マスメディアの取材も違法となる恐れ
 厳罰化で萎縮を招き、公務員の善意の内部告発もなくなる
・これから起きること
 集団的自衛権の行使に伴う日本人の戦死、ないしは日本人による他国人の殺害(?)

 仮にそう遠くない将来、自衛隊が海外で武力を行使する事態になり、自衛隊員に戦死者が出たり、あるいは自衛隊員が他国人を殺害したりする事態が起きた時に、わたしたちはそのことを受け入れられるか、という議論があります。その前に、そうした事態がきちんと報道されるのかどうか、形を変えた「大本営発表」報道にならないか、という問題があるように考えています。


◆安倍政権と憲法 特に9条、96条、99条
 次の項目は憲法について。メモは以下の通りでした。

・昨年12月の衆院選 明確に「改憲への布石」
 ※産経新聞2014年11月19日「首相、一気に勝負手改憲へ布石」
  http://www.sankei.com/politics/news/141119/plt1411190016-n1.html
・96条改憲憲法解釈の変更へ 最終目標は9条の改変 99条に違反していないか?
 9条はなぜ「9条」なのか 国民の諸権利の筆頭、特別な権利
 硬性憲法の意味 改正に高いハードル(96条)
 公務員に憲法を尊重し擁護する義務(99条) 憲法改正の限界説


第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


伊丹万作「戦争責任者の問題」(1946年) 「だまされることの罪」
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html 青空文庫
※ニュース・ワーカー2「伊丹万作『戦争責任者の問題』と憲法96条〜『だまされる罪』と立憲主義
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130507/1367881891

 昨年の衆院解散・総選挙は、安倍首相は消費増税の先送りが大義名分であるかのように言い、争点はアベノミクスであると主張していましたが、実際のところは、確実に勝てるところで勝って議席を確保し、憲法改正に向けて準備を進めるためだったと、わたしは感じています。そのことは、安倍首相に近い産経新聞が明確に指摘していました。
 安倍氏は当初、改憲手続きを定めた憲法96条の改正を唱え、改正の発議に衆参両院の議員の3分の2以上の賛成が必要とする規定を、2分の1に下げるべきだと主張しました。ところがこの訴えは憲法学者らから強く批判を浴びました。安倍氏は方針を変えて、集団的自衛権の行使容認のために、憲法解釈の変更を閣議決定で決めます。それが現在、衆院で審議中の安全保障法案に含まれています。これで終わりではなく、安倍氏の最終目標はやはり憲法9条の改正でしょう。
 9条がなぜこの憲法の9番目なのかを考えれば、9条のこの憲法に占める重要さが分かると思います。1条から8条までは天皇制や皇室にかかわる規定です。つまり9条は、この憲法が規定する国民の諸権利にかかわるもっとも重要な規定と見ることが可能です。一方で、この憲法は99条で公務員に対して、この憲法を尊重し擁護するよう義務付けています。96条の改憲規定との兼ね合いをどう考えるかという問題はありますが、憲法を改正するにしても、根本原理を変えてしまうような改正は想定されていない、つまり改憲にも限界があるというべきだと思います。9条が定める戦争放棄と戦力の不保持はまさに、変えることが想定されていない根本原理ではないのかと思います。
 実はこの項でいちばん紹介したかったのは、伊丹万作の論考「戦争責任者の問題」でした。講演でも一部を引用して朗読しながら紹介しました。一読をお奨めします。


◆安倍政権とマスメディア
 マスメディアの現状についてもお話ししました。広く知られるようになってきましたが、東京発行の新聞各紙の論調は安倍政権に批判的な朝日新聞毎日新聞東京新聞と、安倍政権への支持が顕著な読売新聞、産経新聞に2極化しています。読売、産経については、政権との同一化を感じる時もあります。例えば両紙の社論はもともと憲法改正です。憲法改正論者でも、小林節・慶応大名誉教授のように、集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更で認めてしまうやり方に対しては激しく批判する方もいるのに、読売、産経両紙は安倍政権の方針を全面支持です。
 一方で目をブロック紙、地方紙に転じると、違った光景が見えてきます。安倍政権の安全保障法案に対しても、批判や懐疑の論調が圧倒しています。講演では、このブログの以前の記事(6月22日「政権支持派は主張控え目か〜安保法制国会審議の各紙社説」)に載せた6月の各紙の社説の概況を紹介しました。このブロック紙や地方紙のふんばりは、将来に向けた希望の一つだと思っています。


◆最近のニュースから
 いくつか、時間があればお話ししようと考えたことをメモに入れていたのですが、時間がなくほとんどお話ししないまま終わりました。ここで補足しておきます。
 一つは安倍政権の労働政策です。
 労働者派遣法改正案が衆院を通過しました。この法改正の評価は分かれるようですが、わたしは派遣労働の拡大が正規雇用の枠を圧迫し、正規雇用を望みながらかなわず非正規雇用を強いられる方が増大するのではないかと危惧しています。またホワイトカラー・エグザンプションも導入の方向です。働き方の時間規制に適用除外を設けることであり、「1日8時間労働」の大原則の転換です。これらの流れが総体として、労働条件の低下を招き、さらには貧困や社会不安を招くことにならないか、危惧しています(結果的にそうならなければ幸いです)。そして、こうした労働政策が、安全保障法制など戦争容認の方向性を持った政策と同時並行で進んでいることに、危機感を持っています。貧困や社会不安が戦争と親和性が高いことは、歴史が証明しているからです。その反省に立って、労働者を保護し、労働条件を向上させ、そうすることで社会の矛盾や不安を解消することを目的に、第一次世界大戦後に設立されたのが国際労働機関(ILO)でした。そのことはILO憲章の前文によく表れています。
 ※ILO駐日事務所
  http://www.ilo.org/tokyo/about-ilo/organization/WCMS_236600/lang--ja/index.htm

 もう一つは沖縄の米軍基地の問題です。
 昨年11月の沖縄県知事選では、普天間飛行場名護市辺野古への移設の可否が争点になり、保革を超えて反対を掲げた翁長雄志氏が圧勝しました。沖縄県民の意思は明らかと言うべきであり、直後の衆院選でも沖縄県内の四つの選挙区では、辺野古移設反対を掲げた非自民候補が勝利しました。しかし安倍政権は辺野古移設を強行する姿勢を崩しません。このようなことが日本の他の地域では起こっていないのだとしたら、沖縄に対する差別としか言いようがありません。
 差別は直接的には日本政府が行っているのかもしれませんが、その政府を成り立たしめているのは、日本国の主権者である日本人の一人一人です。よって「沖縄差別」の責任もまた日本人の一人一人にあると考えています。選挙で自民党に投票したかどうかは、その責任を免れ得るかどうかという点では意味を持ちません。現状を変えるためには、まずは沖縄で何が起きているのかが、本土に住む日本人に知られることが必要です。そこに本土マスメディアの責任があると考えています。

 最後は「イスラム国」と日本社会です。
 後藤健二さんら日本人2人の殺害を見ても、「イスラム国」が理解不能なモンスターのようなグループであることには異論はありませんが、そのモンスターは1日にして出てきたわけでもありません。どうしてモンスターが出てきてしまったのかを理解しようとする努力は続けなければならないと思います。イラク戦争後の中東の混乱の中で何があったのか、その以前の2001年9月11日の米中枢同時テロ、さらにはその以前にまでさかのぼって現代史を知ることが必要だと思いますし、それは日本のマスメディアにも課題だと思います。特にイラク戦争は当時の小泉純一郎首相がいち早く米国支持を打ち出し、続いて戦後復興支援の名目で自衛隊も現地に派遣されました。そこに日本の当事者性がありました。
 事件後、シリア行きを計画していたフリーランスのカメラマンがパスポートを外務省に返納させられる出来事がありました。「イスラム国」はさらに日本人を殺害するとの趣旨のメッセージを発しており、日本人がシリアに入れば同じように拘束され殺害される危険がある、との判断だったようです。憲法渡航の自由が保障されていることとの兼ね合いが論議になっていますが、加えて表現の自由や知る権利、報道の自由との問題もあります。だれかが現地で取材し伝えることによって、何が起きているかが広く知られることになります。ジャーナリズムにとっては「危険だから行かない」という選択肢とともに「リスクを可能な限り減らし現地入りを模索する」という選択肢も尊重されるべきだろうと思います。


 以上が、講演でわたしが話したこと、話そうと思っていたことのあらましです。
 東京地評には新聞労連民放労連出版労連の東京ブロック組織も加盟しており、わたしも新聞労連委員長、MIC(日本マスコミ文化情報労組会議)議長の当時は、争議支援などでお世話になりました。それだけに、今回の講演のお話をいただいたときには、とても光栄に感じました。有意義な機会を与えていただいたことに、あらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。