「編集権」の2つの論点〜手放しでは評価できないNHK番組改変訴訟の最高裁判決

※エキサイト版「ニュース・ワーカー2」から転記です。http://newswork2.exblog.jp/8094450/
 NHKが2001年1月に放送した「ETV2001 問われる戦時性暴力」が放送直前に改変された問題で、番組の取材に協力した「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(バウネット・ジャパン)が、当初受けた説明とは異なる内容で放送されたとして、NHKと制作会社2社に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷が6月12日、原告の請求を棄却するNHK側の逆転勝訴判決を言い渡しました(判例検索システム)。
 争点は、取材を受けた側が、番組内容に抱いた期待が「期待権」として法律上の保護対象になるかどうかでした。また、この番組をめぐっては、改変に際してNHK幹部に当時の安倍晋三官房副長官(後の首相)らから圧力が加えられたと朝日新聞が報じた経緯もあり、その点も争点焦点になっていました。
 結果から言えば、最高裁は取材を受ける側の「期待権」は原則として法的な保護の対象にはならないとの判断を示しました。二点目も、安倍氏がNHK幹部に「従軍慰安婦問題について持論を展開した上、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」ことは認定しながらも、それがNHK幹部らにどう受け止められたかなどの判断は示しませんでした。
 「報道の自由」に直結するテーマが争点になっていたことから、13日付の新聞各紙朝刊もこの判決を大きく報じました。朝日、毎日、読売、産経、東京各紙の東京都内の最終版をチェックしたところでは、おおむね「報道の自由を尊重した判断」と受け止めている点は各紙共通です。その上で、社説や解説に各紙それぞれのニュアンスの違いが表れています。見出しだけを以下に列挙します。
【朝日】
解説:「期待と信頼」限定的に解釈
社説:勝訴で背負う自立の責任
【毎日】
解説:編集の自由、最大限に尊重
社説:報道の自由に重きを置いた
【読売】
解説:編集の自由尊重 「期待権」約束ある場合に限定
社説:「期待権」を退けた妥当な判決
【産経】
解説:「報道の自由」に重き
社説:NHKと朝日は再検証を(「主張」)
【東京】
解説:「政治家の影響」言及せず
社説:政治からも自由確保を

 今回はNHKという放送法の適用を直接受けている放送マスメディアの問題で、新聞にもこの判例がただちに適用されるかどうかは検討の余地があると思いますが、そのことはさておくとするなら、わたしはマスメディアの「編集権」「編集の自由」にどのようなイメージを持つかによって、今回の最高裁判決の意味は立場によって、人それぞれによって変わってくるのではないかと考えています。
 「編集権」の帰属主体を、自己完結した存在としてのマスメディアに求めるならば、最高裁判決はまさにマスメディアの「報道の自由」を取材相手との関係で最大限尊重したものとして、高く評価することができるでしょう。一方で、ではマスメディアの中で「編集権」はどこに帰属するのか、と考えると、別の論点が浮上すると思います。
 NHKなど放送局も加盟している日本新聞協会には、1948年3月に出された「編集権声明」があります。この声明ではまず「新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である」とし、「1 編集権の内容」に続いて、以下のようにうたわれています。

2 編集権の行使者
 編集内容に対する最終的責任は経営、編集管理者に帰せられるものであるから、編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる。新聞企業が法人組織の場合には取締役会、理事会などが経営管理者として編集権行使の主体となる。
3 編集権の確保
 新聞の経営、編集管理者は常時編集権確保に必要な手段を講ずると共に個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある。外部からの侵害に対してはあくまでこれを拒否する。また内部においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する。編集内容を理由として印刷、配布を妨害する行為は編集権の侵害である。

 今回のNHKの問題では、安倍氏らから圧力がかかりNHK内部で番組改変が上意下達で行われたとの趣旨の告発を取材担当者が行った経緯がありました。この点について、NHKが敗訴した2審東京高裁判決では、安倍氏との面談を経てNHK幹部がその意志を忖度して改変に動いたと認定されました。おそらく「内部においても〜定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する」との方針の下で、改変が進んだのだろうとわたしは考えています。そうした「編集権の確保」の動機が政治への忖度だとしたら、編集権は公権力の監視のために行使されたのではなかったと言わざるを得ない、と思います。しかし、最高裁はそうした政治との間合いの脈絡でNHKの内部の事情を検証し、判断を示すことは避けてしまいました。
 新聞協会の声明が明示している通り、マスメディアの「報道の自由」の根底にある「編集権」には、対外的な側面と対内的な側面との2つの論点があります。わたしは、報道の自由をめぐって今回の最高裁判決が対外的な側面から積極判断を示したことは諒としつつ、対内的な側面では判断を示さなかったことに割り切れなさを感じています。マスメディアの在り方を考えるとき、今回の判決は手放しで評価できるものではないだろうと考えています。