これからの10年は「希望」のために

 2010年は、50歳になった人生の節目の年でした。
 22歳で「新聞記者」の仕事に就いて以来、20代、30代、40代と10年を節目にその時々で将来を考えるようになっていました。20代は修行、30代の10年間が現場で記者として何がやれるかの勝負の時間で、その10年間の過ごし方いかんでは40代で転職も―。20代から30代前半のころは、ぼんやりとそんなことを考えていたように思います。
 振り返ってみると、30代までの現場の記者としては「凡庸」のひと言でした。ほかの形容詞が思いつきません。転機は40歳を挟んだ数年間でした。30代の後半で支局デスクに異動となり、自分で取材に走り回るよりは、取材チームを指揮し出稿を組み立てる仕事が中心になりました。その30代の終わりに、組織と個人の関係を考えざるを得なくなる深刻な経験がありました。それまでは決して熱心ではなかった労働組合運動に結果として積極的にかかわるようになったのは、このときの経験が元になっています。少し大袈裟に言えば、企業組織の物差しを離れて、労働組合運動を通じて別の物差しで自分の仕事を見る機会があると気付いたことで、わたしは人間としての存在を保つことができました。
 40代の前半は、結果としては労働組合運動に全力で取り組みました。企業内労組の専従委員長1年、上部団体の新聞労連の専従委員長2年の通算3年、2回にわたって職場を休職しました。失敗も含めて得難い経験がいくつもあり、人との出会いに恵まれました。復職後、職場では2年前に管理職となり立場は変わりましたが、労働組合についての考え方は今も変わりません。日本の労働組合が、ありようとしては少なくない課題を抱えていることは間違いありませんが、だからと言って、働く者の権利の具現化としての労働組合の原理は否定されるべきではないと思います。働く者すべてが団結権をはじめとした権利を手にできるかどうかは、既にその権利を手にできている人たちが何をするか、どんな支援をするかにかかっていると思います。
 さて、40代の10年間はそうやって過ぎ去り、今は50代の入口に立っています。これからどんな10年間を過ごすことになるのか。わたしが身を置く新聞産業はとても10年先を見通せる状況にはありません。企業と個人の関係、そこでの働き方、働かされ方も10年前とはずいぶん変わっていますし、これから10年でさらに変わるのでしょう。何一つ確実なものはありませんが、一つだけ貫いていきたいことがあります。先行世代の一人として、後に続く世代に希望を残すこと、残すために努力することです。ここで言う希望とは、自らの所属企業の生き残りではありません(それを否定するわけではありませんが、経営者の責任です)。自分の仕事が、社会をよくすることに役立っていると実感できることです。くれぐれも自分の残り時間を尺度に考える(平たく言えば「おれの定年まで会社が持ってくれればいい」ということです)ことだけはするまいと思います。

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