稲田朋美防衛相の答弁撤回、謝罪と「一部報道」

 大阪の森友学園への土地取引を巡る問題に関連して、稲田朋美防衛大臣が14日午後、前日の参院予算委員会で「森友学園や籠池理事長の事件を受任し顧問弁護士だったことはない。裁判を行ったこともない」としていた答弁を撤回し、謝罪しました。「2004年12月9日に裁判所に出廷したのを確認したので訂正し、おわびしたい」と話しました。この答弁撤回・謝罪のきっかけになったのは、13日夜に共同通信が配信した記事で、ネットには午前2時すぎにアップされました。

※47news=共同通信「稲田氏、『森友訴訟』に出廷記録」「大阪地裁が作成、答弁矛盾」2017年3月14日
 https://this.kiji.is/214065793666072577

 稲田朋美防衛相が2004年12月、籠池泰典氏が理事を務めていた大阪市の学校法人「森友学園」が起こした民事訴訟の第1回口頭弁論に、原告側代理人弁護士として出廷したことを示す裁判所作成記録があることが13日、関係者への取材で分かった。稲田氏は同日の参院予算委員会で「籠池氏の事件を受任し顧問弁護士だったということはない。裁判を行ったこともない」と述べていた。

 47newsの記事はネット用のダイジェスト版で、共同通信の記事配信を受けている地方紙などには、14日付朝刊にもっと長文の記事が掲載されました。東京発行の新聞では毎日新聞産経新聞東京新聞が掲載しました。共同通信の配信には大阪地裁が作成した文書のコピーの写真も付いており、弁護士なら書式その他で真正の記録と分かるでしょう。「原告側代理人 稲田朋美」が出廷していたと明記している大阪地裁の記録の存在によって、結果的に13日の稲田氏の国会答弁は、恣意的だったかどうかはともかくとして、事実として内容は虚偽だったことが明らかになりました。
 14日朝からの慌ただしい動きは、東京発行の新聞各紙夕刊も大きく報じています。その中で1面トップに据えた朝日新聞の記事の中に、共同通信の報道を指して「一部報道」とする表現がありました。

 稲田氏は会見で、同法人が起こした民事訴訟で原告側代理人弁護士として自身が出廷した記録があるとの一部報道について、「(弁護士の)夫の代わりに出廷したのでは、と推測している」と釈明した。
朝日新聞東京本社発行3月14日夕刊4版「稲田氏、答弁謝罪・撤回へ」)

 同じく1面で扱った読売新聞の記事にも「一部で報道」との表現があります。

 しかし、2004年に森友学園が起こした民事訴訟の口頭弁論に出廷したことを示す裁判所の記録があることが一部で報道された。
読売新聞東京本社発行3月14日4版「稲田氏、答弁撤回へ」)

 海外のマスメディアの事例はよく分からないのですが、日本ではこの「一部報道」、メディアの固有名詞を示さない引用表現は新聞に特徴的な表現の一つといっていいと思います。わたしが記者職に就いた30年以上前からごく普通に記事で使われていました。どのような場合かと言えば、他社のスクープ記事に対して、自社で裏付けが取れないものの、関連した当事者の動きにニュース性があると判断した場合が典型的です。わたし自身の感覚で言えば、当事者が他紙の報道内容を否定したことを伝える場合が多いように思います。逆に当事者が他社の記事の内容を認めて発言の撤回や謝罪に進むようなケースでは、本来はまず、他社が報じた内容の裏付けを取って、後追いで報じなければなりません。そうはせずに「一部報道」として他社の報道を引用する今回のようなケースは、例外的と言ってもいいように感じます。
 なぜ、他社名を出さずに「一部」という表現をするのかは、いろいろ要因はあるだろうと思います。一つは自社取材によっても真偽が不明で、中でもどちらかと言えば事実と齟齬があるとの感触があるような場合は、差しあたっては当事者が否定していることにポイントを置いて伝えればよく、どこが報じているかまでは必ずしも必要ではないだろうとの考え方です。もう一つは、他紙の報道の内容が正しいと思われる場合、競合している他社のスクープを社名を挙げて自社の紙面でわざわざ紹介するわけにはいかない、との考え方です。競合他社にスクープ記事を書かれることを「抜かれる」と言いますが、抜かれて気分が良いはずもなく、自社紙面で紹介したくないとの、そういう意味では感情の問題かもしれません。
 ただ、海外ニュースでは、日本のマスメディアは現地メディアの固有名詞を示して報道内容を引用するということを古くから続けています。何より、情報流通を巡る日本の社会環境も、わたしが記者職に就いた30年以上前とは激変しました。インターネットの普及で誰でも情報発信が可能となり、その中で情報の出所、ソースの信頼性を示すことの重要さは高まっています。「ポスト・トゥルース」や「フェイクニュース」などのキーワードが話題になり、トランプ米政権からは「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」といった造語、新語までが出てくるような状況では、情報の出所の信頼性は正確な情報の流通にとって生命線だと思います。
新聞の読者の中にもネットに慣れ親しんでいる人はいます。そういう人たちから見ると「一部報道」という表現はどのように感じられるでしょうか。「○○新聞の報道によると、」と書くことを当たり前のこととしていいのではないかと思います。