ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

ILOの思い出〜プロフィール写真変更

 このブログの「プロフィール」の写真を更新しました。2年前、2013年の1月に、京都ジャーナリスト9条の会にお招きいただき、2012年の衆院選報道について講演をさせていただいた際のものです。
 ※「衆院選報道とこれから〜久しぶりの市民集会参加」2013年1月28日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20130128/1359329592

 それまで使用していたのは、新聞労連委員長だった2004年10月、スイス・ジュネーブの国際労働機関(ILO)本部で開かれたメディア部門の政労使3者会議に、日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)の代表団の一人として参加した折、ILOで記念に撮った写真です。気に入ってツイッターにも使っていたのですが、10年以上がたち、さすがに実際の顔つきとの違いが目立つと感じるようになっていました。

 ILOで5日間(月曜日から金曜日)にわたった会議では、様々な刺激がありました。正直に言えば、会議の場では必ずしも本当には理解できていませんでしたが、各国の労組代表が何度も何度も強調していた「何よりも大切なのは団結する権利だ」という言葉は、その後の新聞労連やMICでの活動を通じて、わたし自身の確信にもなっていきました。このことは、労組に所属しない身の今も揺るぎはありません。管理職として働くようになり、企業内の労使関係によって労組を離脱することはあるとしても、働く者として団結権をもはや持ちえないというわけでは必ずしもありません。
 日本では、この「団結権」は憲法により保障されています。問題は、働く者であれば本来だれでもが手にできなければならないこの権利を、日本社会ではいまだ手にできていない人が大勢いることです。既にこの権利を享受し、この権利を具現化した「労働組合」に所属している労働者こそが、そうした無権利状態の解消に努めるべきです。そうでなければ、今手にしている権利もやがては失っていくことになりかねません。「権利は適切に行使してこそ権利として輝く」というのは、今でもわたしの確信ですし、この場合の「権利」は第一に団結権であり、労働組合を結成すること、労働組合に加入して、団体交渉などで労使対等の立場に立つことです。

 ILOでの経験から学んだもう一つのことは、労働運動は本来的に反戦運動であり、平和運動であるということです。これも、今もわたしの確信になっています。ILOは、協議の当事者が加盟各国の政府、各国の経営者団体、各国の労働者団体の3者となっていることが特長です。それだけ労働者の保護と労働条件の向上を重視しています。それはなぜかと言えば、労働者の労働条件を向上させることによって貧困をなくし、そうすることによって社会不安を解消し、究極的には戦争を防ぐためです。ILOの発足は1919年。国際連盟と同時です。国家と国家の総力戦となった第1次大戦の惨禍を経て後のことでした。このブログでも先日紹介しました(「2015年、永遠平和のために」)が、ILO憲章の前文は「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる」と宣言しています。社会正義の根幹の一つが労働者の地位と労働条件の向上です。
 日本で労働組合活動をめぐってよく耳にする物言いの一つに、労働組合は政治的な活動をするべきではない、ということがあります。わたし自身が経験した新聞産業の労働運動でも、そういう声はあり、反戦平和の活動や沖縄の米軍基地をめぐる取り組みへも、疑問の声がありました。しかし、人類の歴史の観点から見れば、労働者の保護が重んじられるようになったのはまさに戦争を防ぎ「永続する平和」を実現するためにほかなりません。労働者の権利擁護の根幹として、団結権を具現化した労働組合こそは、生まれながらの平和勢力なのです。

 労働組合活動を通じて学んだことの核心は、つまるところは戦争を起こしてはいけない、ということです。これはジャーナリズムにも通じることだと考えています。

【写真説明】「プロフィール」旧写真。2004年10月、ジュネーブのILO本部で