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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「世界」10月号の座談会「報道の『沈黙』が社会を壊すープロフェッショナリズムの不在について」

 お知らせです。

 9月8日発行の岩波書店「世界」10月号に、わたしが参加した座談会の記事が掲載されています。タイトルは「報道の『沈黙』が社会を壊すープロフェッショナリズムの不在について」。上智大教授の田島泰彦さん、立教大名誉教授の服部孝章さんとの3人で、新聞のジャーナリズムについてあれこれ語りました。 

※岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/book/b313507.html 

 皮切りは、鹿児島市の男性がけんかの仲裁に駆け付けた警察官に取り押さえられ、低酸素症で亡くなった「警官制圧死訴訟」について。警察官に同行していたテレビ局が一部始終を撮影しており、鹿児島県警が映像を押収しています。その映像を、遺族が県警を相手に起こした民事訴訟で証拠として採用するか否かを巡って論議を呼び、最終的に最高裁が報道の目的外使用に当たるとして、証拠採用を認めない判断を示しました。取材の成果は報道目的以外には使わない、そうでなければ報道や取材への信頼を得られないというのは、基本的な報道倫理の一つです。しかし、今回の警官制圧死訴訟には、「だから証拠不採用でよかった」では終わらない問題があります。

 その後は、地方紙の権力監視、マスメディアの2極化、ジャーナリストの職能的連携、職能と労働組合、ジャーナリズムと市民社会、メディアの信頼再構築などを巡って話し合いました。列挙したキーワードをみても分かるように、内容としてはちょっとまとまりを欠いたように思います。ただ、例えばジャーナリストが新聞社で働くことと、新聞社の社員が記者の肩書を付与されて働くことの差異など、わたしとしては、現在考えていることを率直に話しました。

 わたしの発言に対して、異論やご批判もあろうかと思います。お手に取って目を通していただければ幸いです。

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