ジャーナリズムの役割は戦争を起こさせないこと~米中枢同時テロから20年、後続世代へ

 9月11日は2001年の米中枢同時テロから20年の日です。新聞やテレビのマスメディアでも、様々にこの20年間を振り返る報道が目に付きます。「テロとの戦い」がいつ終わるとも知れない中で、それぞれの人がそれぞれにこの20年と、これからに思いをはせていることと思います。わたしはこの20年間で、長く仕事として携わってきたジャーナリズムに対して、その役割を突き詰めるなら「戦争を起させないこと」「一度起きた戦争は一刻も早く終わらせること」だと考えるに至りました。戦争をはじめとする軍事的な発想は、自由な表現活動、自由な情報発信とは相いれないことも、身に沁みて感じました。
 先行世代の一人として、後続世代への継承の願いを込めて、20年前のこと、その後のイラク戦争のことを少し書きとめておきます。

 ▼同時テロ

 20年前の9月11日、わたしは箱根にいました。前月、所属する通信社の企業内労働組合の定期大会で執行委員長に選出され、9月1日から職場を休職して労組専従の生活に入っていました。発足したばかりの執行部のメンバーと一緒に旅館に泊まりこみ、労組の課題や当面の対応を討議する合宿でした。
 11日夜も夕食後、いくつかのグループに分かれて学習会を続けていました。わたしの部屋には5、6人おり、わたしはテレビを背に座っていました。テレビはつけっぱなしにしていましたが、音量は絞っていました。資料を見ながら話していて、ふと、皆の視線がわたしを飛び越えて、後ろのテレビにクギ付けになっていることに気付きました。振り返ると、画面には、ツインタワーの一つから黒煙が上がるニューヨークの世界貿易センタービルが映し出されていました。
 何が起きているのか、最初は分かりませんでした。テレビの音量を上げると、アナウンサーが、航空機が突っ込んだと告げていました。もう学習会どころではありませんでした。他の部屋でも同様でした。やがて、2機目がもう一つのタワーに突っ込みました。記憶では、その瞬間、テレビの中継画面は別のシーンを映していたように覚えています。しかし、直後から2機目が突っ込むシーンの録画が何度も再生されました。あるいは記憶違いがあるかもしれません。
 別の航空機がワシントンの国防総省ビルにも突っ込んだこと、これらの航空機がハイジャックされたことも伝えられました。状況から見て、米国の中枢を狙った同時多発のテロであることは疑いようがありませんでした。外信部で国際報道を担当している執行部メンバーが、テレビを見ながら攻撃を仕掛けた反米組織について、考え得る可能性を解説してくれました。アルカイダやタリバンの名前も挙がっていたと思います。
 わたしはその年の春まで、横浜支局のデスクでした。社会部に異動後は、折しも巻き起こっていた「小泉純一郎旋風」の取材班のデスクの一人として、自民党総裁選、東京都議選、参院選と続く報道の中で慌ただしい日々を過ごしていました。アフガニスタンや中東で米国が何をしていたか、反米組織が何をしていたか、時折、報道でその断片に接することはありましたが、詳しい知識もなく、自分の日常からは遠い出来事だと感じていました。
 それでもこの夜、ツインビルが崩落する映像に衝撃を受けながら、これで世界は一変する、日本も無関係ではいられなくなる、ということははっきり分かりました。

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【写真】炎上する世界貿易センタービル(米国立公園局撮影のパブリックドメイン)

 米国はあっという間に戦争態勢を整え、翌10月には英国などの有志連合とともに、テロを実行したと断定したアルカイダが拠点を置いていたアフガニスタンへの攻撃を開始しました。以後、03年のイラク戦争を経て、アフガニスタンやイラクでは戦火と混乱が続きます。
 アフガニスタンへの軍事行動に対して、日本の小泉政権はいち早く支持を表明しました。01年10月にテロ対策特別措置法を成立させ、海上自衛隊の補給艦がインド洋で米軍艦艇などに給油を続けました。

 ▼憲法の曲解

 03年3月20日、イラク戦争が始まりました。1年間の労働組合専従を終えて前年9月に社会部デスクに復職していたわたしは、この戦争に関連する取材報道の担当デスクの一人でした。報道の主体は外信部で、社会部の主要な取材テーマはこの戦争と日本社会とのかかわりです。日本に住むイラク人や、逆にイラクにゆかりの日本人の取材など、先輩や同僚たちとあれやこれやと議論しながら記事を出していく日々でした。日本人が直接、戦場で戦闘に加わっているわけではない、だがしかし…。頭の中では、米国の要請で自衛隊がいつか戦地に向かうのではないか、ということを漠然と考えていました。
 正規軍同士の地上戦は米軍がイラク軍を圧倒しました。03年5月には米国によって一方的に大規模戦闘の終結が宣言され、米国の占領政策が始まりました。しかし反米勢力の抵抗はやまず、混乱は増す一方。その中で、やはり米国は自衛隊をイラク現地に派遣するよう求めてきました。海上自衛隊による洋上補給だけではない、陸上自衛隊地上部隊の派遣要求の象徴として、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」という言葉が報道でも飛び交いました。

 イラクの復興支援を掲げて、03年12月から04年1月にかけて始まった陸上自衛隊と航空自衛隊のイラク派遣で、今も忘れられない、忘れてはいけないと自らを戒めている出来事が二つあります。
 一つは03年12月、自衛隊派遣が最終的に決まった際に、当時の小泉純一郎首相が恣意的としか言いようがない憲法解釈を主張したことです。
 イラク人道復興支援特措法によって、自衛隊が活動できるのは戦闘が終結した場所に限られていました。しかし、実際には反米勢力の抵抗は止まず、自衛隊派遣への世論の賛否は割れて日本社会を二分していました。自衛隊員が戦火に倒れる危惧と共に、自衛隊員が海外でだれかを殺傷するかもしれない、その怖れをわたし自身、感じていました。
 そんな中で小泉首相は03年12月9日の記者会見で、自衛隊は戦争に行くのではない、人道復興支援に行くのだと強調し、日本国憲法の前文を持ち出して次のように主張しました。長くなりますが、首相官邸の公式サイトに残っている記録から引用します。

 私は、このイラク復興人道支援に対して、多くの国民からも不安なり、あるいは自衛隊を派遣することに対して反対の意見があることは承知しております。ここで自衛隊派遣は憲法に違反するという声があるのも聞いております。
 しかし、憲法をよく読んでいただきたい。憲法の前文、全部の文章ではありません。最初に述べられた、前の文、前文の一部を再度読み上げます。
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 まさに日本国として、日本国民として、この憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められているんだと私は思っております。
 この憲法の精神、理念に合致する行動に自衛隊の諸君も活躍してもらいたい。これは大義名分にかなうし、我が国が自分のことだけ考えているのではない、イラクの安定、平和的な発展というのはイラク自身にとって最も必要だし、日本国にとっても必要であります。世界の安全のためにも必要であります。
 (中略)
 まさに今、日本がどのようなイラク復興支援に取り組むか、それは憲法の前文にあるように、日本国の理念、国家としての意思が問われているんだと思います。日本国民の精神が試されているんだと思います。危険だからといって人的な貢献をしない、金だけ出せばいいという状況にはないと思います。
 日本としてできるだけのことを支援すると。そういうことによって、多くの外交官も、あるいはNGOで活躍している一市民も、そして自衛隊の諸君の活動も、イラク国民から評価されれば、一番恩恵を受けるのは日本の国民だと私は思っております。

 ※首相官邸「小泉内閣総理大臣記者会見 [イラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画について]=2003年12月9日」
 http://www.kantei.go.jp/jp//koizumispeech/2003/12/09press.html

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【写真】首相官邸ホームページより

 同僚たちと職場のテレビでこの記者会見を見ながら、強烈な違和感を覚えました。憲法の前文全体の文脈、憲法の全条文を踏まえての平和主義に即してではなく、ごく一部の文章の表現だけを切り取って、こうも恣意的に自分の都合に合わせた解釈を首相が公然と言い放つことに驚きました。小泉首相が切り取った「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」との部分は、端的に言えば自国の利益のために他国の主権を侵害してはならないということであって、イラク戦争で言えば、大義を欠いていた米国の先制攻撃こそが問われるべきでした。日本が果たすべき貢献ということで言えば、軍事組織の自衛隊派遣よりも、NGOを通じた支援の方が効果も高い、との指摘もありました。
 この小泉首相の憲法を曲解した主張に対しては、マスメディアの報道でも異論や疑問、批判が紹介されましたが、発言自体は取り消しも修正もなく、そのままになっています。ほかにマスメディアに何かできることはなかったか。マスメディアもまた、憲法に向き合う姿勢が問われていたのだと思います。

 ▼防衛庁との「申し合わせ」

 忘れてはいけないと考えているもう一つのことは、マスメディアが直接の当事者になった防衛庁(当時)とのイラク現地取材をめぐる協議です。マスメディアの側が検閲、ないしは報道内容の自己規制を一致して跳ね返すことができなかったと言われても仕方がない前例が残りました。記憶をたどって、経緯を順に記します。
 04年1月に陸上自衛隊の先遣隊がイラクに入りました。活動するのはイラク南部の都市サマワ。前後して、日本のマスメディア各社も取材陣を現地に派遣しました。わたしは現地に送り出した同僚が送ってくる記事のキャッチャー役のデスクの1人でした。ほどなく、現地では憂慮すべき状況が起きました。
 陸自部隊が車両で移動する、その後を日本のマスメディアの取材陣が車列をなして追尾する光景が繰り広げられました。仮に陸自部隊が攻撃を受ければ、報道陣も巻き添えになり大きな被害が出かねない状況でした。復興支援の本隊の派遣を前に、現地取材について何らかのルール決めが必要になり、防衛庁と新聞協会、民放連が協議に入りました。
 同年3月11日付で成立した合意は「申し合わせ」として文書化され①自衛隊の活動に政府は説明責任を負う②憲法の表現・報道の自由を政府は最大限尊重する③自衛隊員と報道関係者の安全確保は自己責任を原則に最大限配慮する④メディアは自衛隊の円滑な任務遂行に留意する―の4項目にまとめられました。共同通信の当時の配信記事は「今後の現地報道で、メディアと自衛隊側の間で『知る権利』と『安全確保』が衝突した場合は、今回の『申し合わせ』に照らして解決を図ることになる」としています。
 合わせてサマワに建設される陸自部隊の宿営地など、派遣部隊の管理する施設に立ち入っての取材は、記者やスタッフが事前に登録することとなりました。その際の遵守事項に問題が残りました。共同通信の配信記事は以下のように伝えています。

 立ち入り取材の条件も新聞協会、民放連と防衛庁の協議対象となった。「安全確保などに悪影響を与えるおそれのある情報」の扱いについて「防衛庁または現地部隊による公表または同意を得てから報道」との、防衛庁側の意向を反映した項目が残った。
 基本原則の「表現、報道の自由の尊重」と相反するケースも危ぐされ、「安全確保」と「知る権利」のバランスが取れた運用ができるかが最大の課題になる。

 「安全確保などに悪影響を与えるおそれのある情報」は具体的に例示されており、例えば派遣部隊が攻撃を受けた際の死者数や負傷者数など詳しい被害状況も対象に含まれていました。大きなニュースバリューを持つ要素の報道に制限がかかっていました。こうしたことが報道を通じて攻撃した側に明らかになれば、攻撃が有効だったかどうかを判断する手掛かりを与えることになり、さらに部隊を危険にさらす、ということのようでした。
 そもそも、そうした発想が政府や防衛庁にあったこと自体、自衛隊の派遣先が危険な地域だったことの証左の一つです。前年11月、国会での党首討論で小泉首相はイラク人道復興支援特措法が定める「非戦闘地域」について、「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と開き直っていました。「派遣ありき」の欺瞞に満ちた政府方針でした。
 この立ち入り取材の条件に対して、わたしも同僚たちも反対でした。一方で、取材ルールの取り決めを一刻も早く成立させる必要がありました。跳ね返すことができないのなら、検閲を受けないために、自衛隊の宿営地へは立ち入らない、自衛隊の便宜は受けない―。そんなことも考えました。しかしそれには、仮に現地が戦闘状態に陥っても、自衛隊の保護下には入らないとの覚悟が必要でした。
 その後、自衛隊派遣の全期間を通じて、この検閲や自己規制が現実になることはなかったと記憶していますが、それは結果論です。やはり、マスメディアは二度と「検閲容認」の轍を踏んではならないと思います。そのためには、この出来事がマスメディア内部で引き継がれていく必要があります。この一件を通じて「戦争をはじめとする軍事的な発想は、自由な情報発信や自由な表現活動とは相いれない」ということも痛切に感じました。
 ※自衛隊派遣の終了後もしばらくは、防衛庁と新聞協会、民放連が交わした関係文書は防衛省の公式サイトからダウンロード可能でした。今はもうアップされていないようです。
 参考過去記事

news-worker.hatenablog.com

 自衛隊がイラクに派遣されて間もなくの04年7月、わたしは新聞労連(日本新聞労働組合連合)の中央執行委員長に選出され、再び職場を休職しました。2年間の任期中に、あらためて戦争とマスメディア、戦争とジャーナリズムを考える様々な機会に恵まれました。
 自分が仕事として携わってきた組織ジャーナリズムを、職場の外から見つめる得難い経験を重ねながら、その中で「ジャーナリズムの役割は、突き詰めれば戦争を起させないこと。一度起きてしまった戦争を一刻も早く終わらせること」との確信を持つに至りました。
 ジャーナリズムは日々の出来事を伝え、記録します。そのことが「イズム」「主義」としてはどんな意味を見いだせるのか。わたし自身が長くジャーナリズムを仕事にしてきて思うのは、人が皆、人として尊重され幸福であってほしいということです。その対極にあるのが戦争です。戦争が人間の営みである以上、それを止めることも決して不可能ではないはずです。そこにジャーナリズムの意義と役割があると思います。