競争の目的に自覚を失えば「癒着」になる〜原寿雄さんを囲む会から

 以前のエントリーで紹介した岩波新書「ジャーナリズムの可能性」の刊行を記念して、著者の原寿雄さんを招き「『ジャーナリズムの可能性』を語る会」が4月3日、東京都内で開かれ、マスメディアで働く現役記者やメディア研究者、表現の自由に力を注ぐ弁護士ら約120人が出席しました。原さんは元共同通信社編集局長、編集主幹。若いときには新聞労連の専従役員(副委員長)も務めており、わたしにとっては記者という職業のみならず、労働組合運動の上でも大先輩に当たります。そんな縁もあってわたしも参加してきました。すっかり時間が経ってしまいましたが、当日の様子を報告します。

 第一部は原さんが「ジャーナリズムの可能性」を刊行後の反響や現在考えていることなどを約30分にわたって話しました(写真)。「批判もあったし『原、老いたり』とも言われた」とにこやかに切り出した原さんの話の中で、わたしは二つのことが強く印象に残っています。第一はマスメディアのジャーナリズムと権力との間合い、距離感や緊張関係の問題であり、2点目はジャーナリズムを社会に存続させるための「公的支援」の発想です。
 第一のジャーナリズムと公権力について、まず原さんは著書への反響の具体例を一つ紹介しました。原さんが著書で自民党民主党の大連立工作を仕掛けた読売新聞主筆渡辺恒雄氏を批判したことに対して、新聞社の政治部出身者(テレビにもしばしば露出している「大物記者」です)から反論として「取材対象に深く食い込まなければ情報は取れない。そのためにはきれいごとでは済まないことがある。その悩みを理解してほしい」と言われたそうです。原さんは「深い取材はいいとして、それは何のために必要なのか、だれに伝えようとするのか。もっと議論が必要ではないか」と指摘しました。例に挙げたのは、西松建設献金をめぐる東京地検の捜査に関して「自民党への波及はないと思う」との趣旨のコメントをしたと一斉に報道された漆間巌内閣官房副長官のオフレコ懇談問題です。深い取材を求めるためのオフレコだったのでしょうが、漆間氏が発言を否定しても反論反証のための証拠を持ち出すことができませんでした。原さんは「公の人間には説明責任がある。オフレコをもっと狭めて考えないと情報操作に使われてしまう。公権力の側が責任を取らずに結果だけをエンジョイすることになってしまう」と、権力に対する取材と報道の現状への危惧を示しました。
 また、政治部の取材姿勢に対しては古くから新聞社内でも社会部から「権力と癒着しやすい」との批判があることを紹介した上で「しかし、社会部にも警察や検察などとの癒着があるのではないか」と疑問を投げ掛けました。自身の経験の一例として挙げたのは、神奈川県公文書公開審査会会長を務めていた当時の出来事。警察をめぐる情報公開のあり方について答申を出した後、警察庁記者クラブから激しい批判を受け(まさか直接抗議を受けたわけではないでしょうから、そういうトーンの記事が紙面に掲載されたのだと推察しますが)「まるで警察庁の広報」「ここまでやるか、と感じた」と述べました。西松建設の政治献金をめぐる東京地検の捜査自体に対しても「単語としては使わないが、小沢さん(小沢一郎民主党代表)に言わせると『国策捜査』。そう見える人には見えてしまう。そのことをどう考えるべきだろうか」と提起。国策捜査と言われて検察が「その通りです」と言うことはないが、自身の経験からは検察や警察に恣意的な捜査は絶対にないとは否定しきれない、とした上で「検察や警察は正義である、と信じている人が圧倒的に多いが、そういう人たちにとっても『国策捜査』との見方があることが話題になることは、民主主義にとっては悪いことではない。一方的に信じると往々にして間違いが生じる」と指摘しました。
 原さんは「権力との癒着は政治部以外にもあり、自覚もしているはずだ」と述べ、取材競争の関係の中で時に塀をまたがざるを得ないのだろうと一定の理解も示しながら「しかし、それをどう突き抜けるのかが問題だ。本当に競争に値する取材なのか、どんな競争をするのかの議論をしてほしい。競争は必要だ。それによって権力監視は高まるのだから」と、この問題についての話を締めくくりました。
 印象に残ったことの2点目は、ジャーナリズムを社会に存続させるための「公的支援」に関してです。「ジャーナリズムの可能性」でも終章「ジャーナリズム再生をめざして」で少しだけ触れられていますが、要するに新聞発行を国が支援する仕組みが社会にあってもいいのではないか、という議論です(ただし、いくつもの高いハードルを越えることが前提条件になります。原さんの考えは以前のエントリーの後半部分で紹介しています)。
 原さんは「ジャーナリズムは今や商売として成り立たないのではないか」と述べ、この半年ほどで米国では新聞社の経営破たんが相次いでいること、日本でも昨秋以降、新聞社の経営がいちだんと厳しさを増していることを指摘。欧州では新聞発行に国が補助をしていることに触れて「国の補助などもってのほか、とわたし自身も思ってきたが、新聞はただ競争だけでいいのか。そういう商品とは違うということをあらためて考えてみたい。日本では社会政策としてジャーナリズムをどう考えるかは議論にならなかった」と、あらためて問題提起しました。選挙権を持つ18歳の若者に新聞購読料を補助するフランスのサルコジ政権の政策を紹介しながら「日本でも話題にし議論して、是か非か結論を出す。そういうことが必要な時代だという気がしてならない」「ネット検索で身の回りの関心事項の情報だけを集めて事足れりとの風潮が広がる一方で、新聞がなくなってしまったらだれが公共性情報の収集と流通を代行するのか。これは恐るべきことだ」と強調しました。ただ、こうした考えはなかなか受け入れられず、著書の刊行後も「原、老いたり」と不評ばかりだとか。それでも原さんは「『老いたり』と言われてもいい。議論をしましょう」と参加者に呼びかけました。
 この後、会は第2部の参加者同士の懇親、第3部の参加者のスピーチと続きました。スピーチの最後は版元の岩波書店の山口昭男社長でした。原さんの現役記者時代を回想して「編集者として東京・虎ノ門にあった共同通信本社をよく訪ね、原さんや故斎藤茂男さんから色々な話を聞いた。そうやってジャーナリズムを勉強していった」と話していたその話が強く印象に残っています。おそらく新聞記者と雑誌編集者と立場は違っても、ともにジャーナリズムを支える仲間として非常に近い関係だったのでしょう。
 会場ではしばらくぶりでお会いした方もいれば、新たに面識をいただいた方もいました。新聞記者OBの方々からは激励をいただきました。あらためて人と人とがつながることの大事さを感じ、軽い興奮を覚えた一夜でした。