見直すべきは、すり寄り型の取材そのもの~検事長麻雀事件が問うもの

 産経新聞記者や朝日新聞社社員との賭け麻雀が発覚し辞職した黒川弘務・元東京高検検事長に対し、東京地検は3月18日、賭博罪で略式起訴しました。東京簡裁は30日になって罰金20万円の略式命令を出しました。その日のうちに命令が出ることもある略式手続きの罰金刑としては、ずいぶんと時間をかけたな、というのが率直な感想です。黒川元検事長に対しては、検察は当初起訴猶予としましたが、検察審査会が「起訴相当」と議決した経緯があります。簡裁は必要と判断すれば正式裁判を開くことも可能でした。市民感情に照らして、正式裁判にしなくていいのか、簡裁の裁判官もいろいろ考えたのかもしれません。
 罰金20万円は相対的には軽微な罪と言えますが、捜査当局の関係者が行う賭け麻雀は犯罪として処罰に値することが明確になりました。マスメディアの取材の観点からは、記者が深く取材対象者に食い込んだ例として評価する意見も目にしましたが、今後は取材対象者との関係で、少なくとも賭け麻雀は社会通念に照らして容認されない、ということになるのだと思います。
 では、取材対象者、中でも公権力の情報をふんだんに持っている幹部クラスの当局者に対して、記者はどんな間合いで対すればいいのでしょうか。社会にとって有益な情報を入手し、それを社会に届けるためであれば、情報入手の手段は原則的にはあらゆるものを排除すべきではない、との意見も、マスメディアの関係者やジャーナリズム研究者の間では強いように感じます。そうした意見を全て否定するつもりはありませんが、わたしはこの検事長麻雀問題には、これまでマスメディアの世界で半ば自明の共通認識、常識のように思われていたことを疑う必要がある、そうでなければマスメディアの記者という仕事はもはや続かないだろうというほどの、軽視できない問題が内在しているように思います。

 麻雀事件でマスメディアが再考すべきは、圧倒的に豊富な情報を手にする権力者に対して、記者、取材者がすり寄るように近付き、密室の中で情報を得ようとする構図だと、わたしはとらえています。少し前の財務次官による民放女性記者に対するセクハラ事件で明らかになったように、そうした権力者取材は立場が対等ではなく圧倒的に権力者側が強いために、ハラスメントを生み出す余地が生じます。情報を得るために、当局者と1対1で会うことができる、それだけの関係を作るための例えば「夜回り・朝駆け」といったことを、マスメディアの多くの記者、デスク、編集幹部が「当たり前」と考えてきました。しかし、実はそうした構造的な問題があるとわたしは考えるに至っています。
 もう一つ、報道の現場は長らくジェンダーバランスを欠いたままでした。女性記者は数の上では増えていても、長年の取材上の習慣が「ボーイズ・クラブ」のままで変わっていない、という場面はそこかしこにあるようです。圧倒的な情報を持つ権力者を囲んで男ばかり4人で賭け麻雀に興じる光景は、すり寄り型の取材の延長線上にあるものであり、同時にジェンダーバランスを欠いたままの取材現場をリアルに映し出したものではないかと感じます。圧倒的な情報を持っていることを背景に、取材者に対して強い立場にある権力当局者に対しては、従来のすり寄り型の取材の発想そのものを見直す必要があるように思います。


 社員が元検事長と麻雀卓を囲んでいた朝日新聞社は、たまたまなのか、元検事長が略式起訴されたタイミングで、記者行動基準の見直し結果を公表しました。

※朝日新聞デジタル「朝日新聞社、記者行動基準を改定 賭けマージャン問題」=2021年3月18日
 https://www.asahi.com/articles/ASP3L4CT2P3LULZU005.html
※記者行動基準 https://public.potaufeu.asahi.com/company/img/annnai/%E8%A8%98%E8%80%85%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%9F%BA%E6%BA%96.pdf

 記事によれば①「取材先と一体化することがあってはならず、常に批判精神を忘れてはいけない」と明記②「取材先の信頼を得ることは必要」としたうえで、読者から記者の「中立性」や報道の「公正さ」に疑念を持たれることがあってはならないと掲げた③「どういう取材のもとに得られた情報か、読者に説明できるように努めなければいけない」と補った④「安易なオフレコを前提とした取材は、国民の知る権利を制約する結果を招くことを自覚する」などと記した―といった点のようです。
 いずれも当たり前のことばかり。「当たり前のことをあらためて確認するのが大事」ということかもしれません。しかし、当たり前のことをあらためて強調しておけば、再発防止策としては十分でしょうか。
 当の朝日新聞が昨秋の新聞週間に合わせて掲載した企画記事で、東大大学院教授の林香里さんが朝日新聞社の編集担当役員との対談の中で「マスコミに近い人ほど『しょうがない』『これも一つの取材方法だ』と理解を示して優しくなる。マージャンまでしないと取れない情報があるというのがわからない」と指摘していました。それが社会一般の感覚です。しかし取材対象者に食い込む、信頼を得ることは、記者の仕事の世界では「当たり前」です。さすがに賭け麻雀は朝日新聞社、産経新聞社とも容認しない姿勢を打ち出しましたが、逆に言えば、違法行為でなければどんな付き合いでもいいのか。例えば、取材対象者が温泉好きなら、一緒にふろに入って背中を流すことはOKなのか。線引きは難しくなります。

 ※朝日新聞デジタル「朝日新聞、役割果たせていますか 新聞週間2020」=2020年10月14日

https://www.asahi.com/articles/DA3S14656998.html

 朝日新聞社の記者行動基準の見直しの出来、不出来を言うつもりはありません。圧倒的に豊富な情報を手にする権力者に対して、取材者がすり寄るように近付き、密室の中で情報を得ようとする構図を「当たり前」ととらえる感覚は、今や社会一般の感覚と大きな乖離があることをまず自覚しないと、文章をいじってどうにかなる問題ではないだろうと思います。
 マスメディアの編集幹部、経営幹部が、これまでの「当たり前」をなかなか疑うことができないのは無理もありません。その「当たり前」の働き方の中で、新聞社内の人事上、高い評価を受けて地位を得てきたのですから。しかし、東京五輪組織委員会の森喜朗前会長が、あるいは、つい最近の出来事では、開会式の式典企画の責任者だったCM界の重鎮が、それぞれ辞任せざるを得なくなったように、日本の社会の一般的な意識、常識も大きく変わりつつあります。
 社会との乖離をなくしていく方向に進むことができなければ、マスメディアの組織ジャーナリズムは持続できないでしょう。やりがいのある仕事であり、働きやすい職場でなければ、そこで働き続けよう、という気にはなりません。新聞社・通信社では20代、30代の社員の中途退社が続いています。ジャーナリズムに意欲を持って入ってきた若い人材が、ほどなく次々に去っていく。その要因は何なのか。真剣に考えなければならないと思います。