ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

東京五輪組織委が「著作権の侵害」を主張することへの違和感~著作権法は、場合によっては著作者の権利を制限し、公共性の高い情報が社会に流通することを担保しようとしている

 4月1日発売の週刊文春が、「森・菅・小池の五輪開会式“口利きリスト”」とのタイトルの記事を掲載し、この中で週刊文春側が東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の内部資料を入手したとして、その内容を報じていることに対し、組織委員会が文芸春秋に抗議し、掲載誌の回収を求めたと報じられています。
 様々な問題が噴出している東京五輪・パラリンピック大会に対しては多額の公金が投入されており、そのありようは極めて公共性、公益性の高い報道テーマです。仮に資料が組織委内部から持ち出されたとしても、問題がある実態を広く社会に知らせることが動機だとすれば、公益通報とみなすべきでしょう。内部資料の入手が著しく不適切な方法によるものでない限り、その内容を報じることには高い公共性、公益性があり、組織委の抗議や回収の要求は、自由な報道に対する圧力であるのは自明です。「表現の自由」が民主主義社会で格段に重要な点を踏まえれば、業務妨害との主張は当たりません。この点については、多くの識者が論評しており、今さらわたしが触れるまでもありません。

 気になるのは、組織委が著作権の侵害も主張している、と報じられていることです。その主張の全容は必ずしもはっきりしないのですが、内部資料の中にある開会式のプレゼン資料の画像を掲載したことを指しているようにも受け取れます。著作者に無断で複製した、ということでしょうか。近年、漫画の海賊版サイトなどが社会問題になり、著作権やその法改正の動向が注目されるようになっています。「週刊文春が組織委の著作権を侵害している」との主張は、著作権について必ずしも詳しくない一般の人たちに、同誌の報道は何かとてつもない重大な違法行為であるかのようなイメージを抱かせるかもしれません。しかし、著作権の観点から見ても、同誌の報道には問題はないと考えます。
 わたしは勤務先での業務として、著作権にかかわって3年になります。報道機関にとって著作権には二つの側面があります。報道の中で他者の著作物を適正に利用する面と、自らの著作物である記事や写真、動画などを管理し、適正に著作権を行使する面です。わたし自身の実務経験を踏まえて考えると、組織委の「著作権侵害」との主張には大きな違和感があります。著作権の法体系の中から自己に都合のいい部分をことさらに強調しようとしているに過ぎず、説得力を欠いているように思います。マスメディアの内部にいる一人として、著作権の正しい理解が社会に広がることを願う気持ちもありますので、以下に私見を書きとめておきます。
 ※以下に記す内容はわたし個人の見解であって、いかなる意味でも特定の企業や団体等の見解を代弁するものではありません

 ▽著作権は財産権~組織委はどんな損害を受けたのか
 マスメディアである週刊文春が報道として、大会組織委の内部資料を報じる、その資料の中の画像を雑誌やウェブサイトに掲載する、という行為を著作権の観点から考えるなら、大まかには以下の2点がポイントになります。①組織委の内部資料、あるいはそこに含まれる画像は組織委の著作物なのか②それらが著作物だとしたら、法的にどういう保護が保障されるのか―です。
 まず著作物の定義です。著作権法2条は「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」と定義しています。あくまでも人間によって文字やビジュアル、音楽などで表現されたものが対象です。「表現」にまで達していないアイデアは著作物に該当しない、というのが通説です。
 次に、著作物にはどのような保護が与えられるのか、です。言い方を換えれば、著作権とはどういう権利か、ということです。著作権とは、著作者が持つ様々な権利の総称です。自己の著作物に対して「勝手に~されない権利」ととらえれば、分かりやすいのではないでしょうか。例えば、著作物を勝手に複製されない権利(複製権)、勝手に出版されない権利(出版権)、不特定多数の人に勝手に送信されない権利(公衆送信権)など、多岐に渡ります。そして著作権は財産権です。著作者に対価を支払って、複製したり、出版したりすることもありますし、他人に譲渡することもできます。
 以上を元に、組織委の内部資料について考えてみます。大会の開会式案が画像や文字で表現されているので、確かに著作物に当たるかもしれません。しかも一般には未公表ですので、週刊文春がこれを入手して記事で紹介し、画像も掲載した行為は、著作物を著作者である組織委に無断で公表した、と言える余地があるかもしれません(この無断で公表されない権利である「公表権」は、著作権の中でも財産権とは別の著作者人格権に属します)。
 しかし、そうだとしても極めて形式的なことで、実態を踏まえた文脈でとらえてみると、著作権侵害としての違法性、悪質性はほとんど問題にならないほどに軽微なのではないかと感じます。まず、組織委の内部資料の性格です。本当の意味での著作物は、五輪大会の開会式イベントそのものです。著作物としての「表現」は実演です。内部資料は実演前の、いわばアイデア段階です。一応は表現物の形を取っていますので、著作物と言えばそうかもしれませんが、著作物として保護されることに本当に意味があるのは、式典の実演、パフォーマンスそれ自体です。式典の様子を勝手にテレビ中継したり、勝手にDVDに収めて販売したりできないのはそういう事情からです。
 また、内部資料はその性質上、組織委員会は一般に公表することは予定していないはずです。著作権が財産権として意味を持つのは、社会の中で知られ、意義を認められた場合です。理屈の上では、公表予定のない著作物の権利を売買することも可能かもしれませんが、そういう事例はあったとしても極めて例外的でしょう。内部資料を盗み出したなどとして批判するならともかく、公表を予定していないものに対して、著作権侵害を主張して批判することには強い違和感があります。週刊文春の報道による著作権侵害で、組織委は実体としてどのような経済的損害を受けたというのでしょうか。
 ここまでをまとめると、五輪大会開会式のイベント案についての組織委の内部資料は、それがアイデアにとどまるとすれば著作物に該当するのかすら議論の余地があるように思います。仮に著作物だとしても、内部資料それ自体はそもそも公表を予定していないのですから、報道によって一般に知られることになったとしても、組織委には著作権にかかわる経済的な損害はないはずです。さらに言えば、組織委は画像の掲載を著作権の侵害として問題視しているようですが、掲載された画像は280ページに上るという内部資料を構成するごく一部分でしょう。組織委の主張の文脈に沿って考えても、組織委の損害は極めて軽微なはずです。

 ▽著作権法が想定している報道の公共性、公益性
 さらに指摘しておきたいことがあります。著作権は著作者が持つ固有の強い権利ですが、著作権法にはその権利が制限されるケースが規定されていることです。著作物であればすべて著作者の許諾がなければ何も利用できない、というわけではないのです。
 例えば引用です。よく知られているようでいて、実は誤解も多いのですが、公表された著作物は、一定の要件を満たして正しく引用するならば著作者の許諾は不要です。

著作権法第32条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
 ※第2項略

 文化庁のサイトによると、引用における注意事項として以下の記述があります。

 他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。
 (1)他人の著作物を引用する必然性があること。
 (2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
 (3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
 (4)出所の明示がなされていること。(第48条)
 (参照:最判昭和55年3月28日 「パロディー事件」)

 ※文化庁「著作物が自由に使える場合」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/gaiyo/chosakubutsu_jiyu.html

 さらには、著作権法には「時事の事件の報道のための利用」という規定もあります。

 第41条 写真、映画、放送その他の方法によつて時事の事件を報道する場合には、当該事件を構成し、又は当該事件の過程において見られ、若しくは聞かれる著作物は、報道の目的上正当な範囲内において、複製し、及び当該事件の報道に伴つて利用することができる。

 ここでいう「時事の事件」とは狭義の「事件事故」に限りません。東京五輪を巡って開会式の演出にも問題が噴出していることも時事の事件と考えていいと思います。組織委の内部資料が著作物だとすれば、その内部資料の内容を報じる週刊文春の記事が、この条文の対象に該当する可能性は極めて高いと思います。「報道の目的上正当な範囲内」の制限についても、内部資料のすべてを掲載しているわけではないこと、記事によって組織委が受ける経済的損害(あくまでも著作権とのかかわりにおいての損害です)はないか、あっても極めて軽微であると考え得ることなどからも、問題にはならないと思います。
 組織委の内部資料は「公表された著作物」には当たらないため、引用などこれらの規定がそのまま当てはまるかどうかは、なお検討が必要かもしれません。それでも、著作権法にとりわけ41条の「時事の事件の報道のための利用」のような規定が用意されていることは、場合によっては著作者の権利を制限することで、公共性、公益性の高い情報が社会に流通することを担保しようとしているものだと、わたしは受け止めています。

 そもそもなぜ著作権によって著作物が保護されるのかと言えば、人間のクリエイティブな活動の成果がもたらす経済的な利益をその作者に還元させるためです。そうすることによって、次のクリエイティブな活動につながります。著作権侵害を理由に挙げて、週刊文春を批判し回収を求めている組織委は、こうした著作権の理念や法体系に対する理解があまりにも浅いように思います。ひいては、著作権に対する誤った受け止めが社会に広がることになりはすまいか、危惧しています。