五輪組織委「報道の自由への威圧だ」(信濃毎日新聞)、「市民に顔向けて仕事を」(朝日新聞)~ことは週刊文春だけの問題ではない

 一つ前の記事の続きです。
 週刊文春が東京五輪パラリンピック組織委員会の内部資料を入手して報じた記事に対し、組織委が業務妨害や著作権侵害を主張して、4月1日発売号の回収やネット記事の削除を求めました。一つ前のわたしの記事では、著作権侵害との主張への疑問や、著作権を持ち出すこと自体の威迫効果を組織委が意図しているとの印象を受けることを私見として書きましたが、著作権の問題を離れても、組織委の主張は自由な報道への不当な圧力、威圧と言うほかありません。後述しますが、朝日新聞と信濃毎日新聞がそれぞれ4月7日付の社説でこの問題に触れ、組織委を批判しているのが目に止まりました。ことは週刊文春だけにとどまりません。他メディアが見解を表明するのは重要なことです。
 一般的に、報道に事実誤認があったり、不当に名誉を傷つけるようなケースでは、損害賠償や謝罪広告などで事後に決着を図るのが通例です。出版物の発行差し止めや、一度発行され流通している出版物を回収することは、極めて例外的な措置であり、公共性や公益性もない興味本位の報道で回復不能のダメージをこうむるケースなど、よほどの事情がなければ裁判でも認められるものではありません。
 東京五輪をめぐっては森喜朗・前組織委会長の退任をめぐる一連の出来事の中で、ジェンダー意識をはじめとする組織委自体の問題が鮮明になりました。開会式の演出を巡っても、週刊文春の報道によって、容姿を侮辱するような演出案があったことが明らかにされ、責任者が辞任しています。組織委のありようや、開会式の演出を巡る経緯のあれこれは、五輪大会に多額の公金が支出される以上、公共性、公益性が極めて高く、今やすべて報道に値するテーマです。そうなったのも組織委の体質のゆえです。
 そうであるにもかかわらず、組織委が雑誌の回収やネット記事の削除という、いわば言論・表現活動にとっては「死刑」にも等しい措置を要求するのは、民主主義社会の中で「表現の自由」が特別に重要な市民的権利として持つ重みや意義の理解を欠いているからではないか、と疑わざるを得ません。東京大会を巡るこれまでの経緯を踏まえて考えれば、報道への抗議にとどまらず、回収や記事の削除までを要求すること自体、公共性の高い組織として常軌を逸しており、組織委の体質の新たな問題点が明らかになっている、とわたしは受け止めています。
 組織委は4月1日のうちに公式サイトに見解をアップしています。一部を引用します。
 ※「週刊文春報道について」
 https://tokyo2020.org/ja/news/news-20210401-03-ja

 本大会の開会式の演出内容は、開閉会式の制作に携わる限定された人員のみがこれにアクセスすることが認められた極めて機密性の高い東京2020組織委員会の秘密情報であり、世界中の多くの方に開会式の当日に楽しんでご覧いただくものです。
 開会式の演出内容が事前に公表された場合、たとえそれが企画の検討段階のものであったとしても、開会式演出の価値は大きく毀損されます。加えて、東京2020組織委員会には、様々な代替案を考案するなど、多大な作業、時間及び費用が掛かることになります。このように開閉会式の内容を広く公表しようとする行為については、東京2020組織委員会の秘密情報を意図的に拡散し、東京2020組織委員会の業務を妨害するものであり、株式会社文藝春秋に対しては、書面で厳重に抗議を行うとともに善処を求めました。

 問題が噴出している組織委自身の現状には一言も触れることなく、一方的に被害のみを強調している文面からわたしが感じるのは、「五輪」開催にはだれもが協力しなければならない、そのことへの異論は許さない、との組織委の硬直した意識です。市民的な権利への配慮、さらにいえば民主主義の価値への理解と敬意を欠いているにも等しい、と感じます。コロナ禍の中で先行きに不透明感はぬぐえませんが、仮に東京大会がこのような組織委の下で開催されれば、五輪にとっても日本社会にとっても汚点として記憶されるでしょう。そのことを危惧します。なぜこんな五輪になってしまったのか、悲しく思います。

▽朝日新聞社はスポンサー企業

 組織委の主張に対して、当の週刊文春は4月2日、加藤晃彦編集長名で組織委の要求には応じないとの見解を公表しています。
 ※文集オンライン「『週刊文春』はなぜ五輪組織委員会の『発売中止、回収』要求を拒否するのか――『週刊文春』編集長よりご説明します」
 https://bunshun.jp/articles/-/44589

 ほかのメディアでも、朝日新聞と信濃毎日新聞がそれぞれ4月7日付の社説でこの問題に触れ、組織委を強い調子で批判しています。
 ※朝日新聞「五輪組織委 市民に顔向けて仕事を」
  https://www.asahi.com/articles/DA3S14862472.html

 なかでも驚きあきれたのは、週刊文春が掲載した記事を問題視して、発行元に雑誌の回収やネット記事の削除などを求めたことだ。開会式の演出案を入手してその一部を報じたのは、著作権法違反や業務妨害などにあたると主張している。
 自分たちの内部統制の甘さを棚にあげて、国民の知る権利の制約につながる回収や削除を、公の存在である組織委が迫る。異常と言うほかない。
 著作権法は、報道目的であれば正当な範囲内で著作物を利用することを認めている。そして開会式のあり方に関しては、責任者の度重なる交代に加え、出演者を侮辱するような企画案を前の統括役が示していたことが明らかになり、社会の関心が寄せられている。文春側が要求を拒否したのは当然である。
 組織委の振る舞いの端々にのぞくのは、「五輪のため」といえば誰もがその意向に従うし、また従うべきだという、まさに五輪至上主義の考えだ。
 日本で、世界で、コロナ禍が収まる気配をみせず、五輪を開催する意義そのものが問い直されているときに、とても通用する態度ではない。

 ※信濃毎日新聞「組織委の抗議 報道の自由への威圧だ」
  https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021040700125

 週刊文春の編集部は、開会式の内情を報じることには高い公共性があり、著作権法違反や業務妨害にはあたらないと反論した。多額の公費を投じる五輪が適切に運営されているか検証するのは報道機関の責務だと述べている。
 もっともな説明だ。組織委が著作権の侵害や業務妨害を持ち出すのはそもそも無理がある。それを承知で抗議したのなら、威圧する意図があるとしか思えない。
 組織委はまた、開会式の演出内容を「極めて機密性の高い秘密情報」だとし、文春が入手した内部資料を直ちに廃棄すること、今後は一切公表しないことも求めた。強硬な姿勢には、秘密の漏えいをことさらに印象づけて報道をけん制する狙いも見え隠れする。
 文春は今回の記事以前から、開閉会式をめぐる組織委内部の事情を報じていた。演出を統括する立場にあった佐々木宏氏は、女性タレントの容姿を侮辱する演出を提案していたことが明るみに出て、辞任に追い込まれている。
 内幕を暴く報道が組織委にとって目障りなのは察しがつく。だとしても、国家的な事業を担う組織の威光をかさに言論を封じることが許されるはずもない。文春だけでなく、ほかの報道機関にも組織委をめぐる報道をためらわせる圧力になりかねない。

 週刊文春の報道に対して、著作権侵害まで持ち出すことへの違和感、疑問については一つ前の記事で詳述した通りです。組織委の抗議にはそのような問題が多々あるのに、その抗議がまかり通るとすれば、ことは週刊文春だけの問題では済まなくなります。組織委や東京大会への批判はタブーとなり、ひいては多額の公金投入へのチェックも及ばなくなる恐れがあります。他のメディアが組織委の抗議には問題があることをきちんと指摘することは、ひいては自分たちの自由な報道を守ることにもつながります。
 朝日新聞が組織委を批判していることには、もう一つの意味があります。朝日新聞社が東京大会の公式スポンサーに名を連ねていることです。日本の新聞社では朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、日経新聞社がオフィシャルパートナー、産経新聞社と北海道新聞社がオフィシャルサポーターです。
 https://tokyo2020.org/ja/organising-committee/marketing/sponsors/
 森喜朗・前組織委会長の女性蔑視発言問題の際には、大会スポンサー企業の批判的スタンスも目につきました。ジェンダー平等への取り組みが、各企業にも問われているからでしょう。組織委に忖度しておとなしくしているのがスポンサーの役目ではない、と考えた企業は少なくないのだな、と感じました。むしろ、資金を提供する立場として積極的に意見を述べることも、本来的なスポンサーの役割と考えていいのかもしれません。
 週刊文春への威迫に対しては、他のマスメディアは今からでも見解を打ち出していいと思いますし、メディア以外のスポンサー企業も社会的に発言していいのではないかと思います。民主主義の根幹にかかわる問題をはらんでいるのですから。