ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

戦争体験と戦場体験〜社会が継承すべきものは何か

 8月15日は64回目の「終戦記念日」。64年前のこの日、第2次世界大戦が日本の敗戦で終わったことを、日本の社会の人々は「玉音放送」という昭和天皇の声のラジオ放送で知った、そういう日でした。ことしもこの日を挟んで、新聞各紙はそれぞれに戦争と平和を考える記事を掲載しました。その中で朝日新聞は15日付朝刊の社会面に30日投開票の衆院選の立候補予定者のうち戦争体験世代、子世代、孫世代の3世代に分けて3人ずつ、この日に何を思うか尋ねています。その記事も興味深く読みましたが、「悲惨な体験 継承正念場」の見出しで「戦争体験と戦場体験は基本的に意味が違う」と説くノンフィクション作家の保阪正康さんのコメント記事が強く印象に残りました。
 保阪さんは「戦争体験は戦争の時代に生きたことであり、戦場体験とは戦闘を通じて命を奪いあうことだ」とした上で、立候補予定者に戦場体験を聞いている人が少ないことを指摘し、(1)悲惨な皮膚感覚の証言から、思い出話や抽象的な教訓の継承に時代は移っている(2)戦争を起こす国家の論理への目配りが欠ける危険性がある―の2点を指摘しています。2点目については「戦場体験のあまりにも非人間的な状況に口をつぐんだまま元兵士たちが亡くなっていくのをいいことに、『あの戦争は正しかった』『日本を守るためには仕方がなかった』というような国家主義的な、国益誘導の戦争体験論が強まってくる可能性がある」と述べています。
 保阪さんのコメントを読みながら頭に浮かんだのは、ことし94歳のジャーナリストむのたけじさんの言葉です。朝日新聞記者として従軍取材も経験したむのさんは、新聞が戦争の実相を国民に伝えてこなかったことに責任を感じ、日本の敗戦直後に朝日新聞社を退社し、その後、郷里の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊したことで知られます。以前のエントリー(読書:「戦争絶滅へ、人間復活へ―九三歳、ジャーナリストの発言」(むのたけじ 聞き手黒岩比佐子)=エキサイト版「ニュース・ワーカー2」)でも紹介したむのさんの聞き語り「戦争絶滅へ、人間復活へ」の第2章「従軍記者としての戦争体験」に以下のようなくだりがあります。

 少なくとも、戦争のことを一番よく知っているのは、実際に戦場で戦った人たちです。ところが、戦場へ行けばわかりますが、行ってしまえばもう「狂い」ですよ。相手を先に殺さなければこちらが殺される、という恐怖感。これが、朝昼晩とずっと消えることがない。三日ぐらいそれが続くと、誰でも神経がくたくたになって、それから先は「どうにでもなれ」という思考停止の状態になってしまうんです。したがって、戦場から反戦運動というものは絶対に出てきません。
 本当にいやなことだけれども、戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる。しかも、ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強姦する…ということが、戦場における特権として、これまでずっと黙認されてきました。

 殺されなければ殺されるという狂いの状態で、三日間は何とか神経を維持できるけれども、あとは虚脱状態でなげやりになってしまう。もし、父親が自分の戦争体験を子供に語ろうとしても、何か立派なことを言えると思いますか。おそらく、何も言えないでしょう。
 あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦するようなことも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そういうことはやるな、と逆に戒めた。軍機の粛正を強調したんです。(中略)
 そこで、出てきたのが「慰安婦」というものです。

 「ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっている」というこのひと言。そのことに気付かないままでは、保阪さんが指摘するように「『あの戦争は正しかった』『日本を守るためには仕方がなかった』というような国家主義的な、国益誘導の戦争体験論が強まってくる可能性がある」のは、本当にその通りだと思います。

 週が明ければ18日は衆院選の公示です。政権選択が最大の焦点となり、マスメディアの報道もいっそう増えますが、未来へのまなざしの根っこに歴史への確固とした視点を据えて、これからの日々に臨みたいと思います。

※参考=むのたけじさんに関連した過去エントリーです。2年前の秋、沖縄で直接むのさんの話を聞く機会に恵まれた時のリポートも載せています。
「『戦争はいらぬ、やれぬ』〜朝日新聞むのたけじさんインタビュー記事」=2008年8月24日
 http://newswork2.exblog.jp/8496706/