「いまジャーナリストに問う〜『デスク日記』復刊記念のつどい」の報告

 1960年代に「小和田次郎」の名前で刊行されていた「デスク日記」という名著がありました。今日、筆者は元共同通信社編集主幹の原寿雄さんだったことはよく知られています。社会部デスク時代につづった「デスク日記」の中から、原さん自身が選んで1冊にした「原寿雄自撰 デスク日記―1963〜68」が弓立社(ゆだちしゃ)から4月、刊行されました。筆者名は「小和田次郎」のままです。

原寿雄自撰 デスク日記1963~68 (ジャーナリズム叢書)

原寿雄自撰 デスク日記1963~68 (ジャーナリズム叢書)

 6月23日に東京で、原さんを招いた出版記念のシンポジウム「いまジャーナリストに問う〜『デスク日記』復刊記念のつどい」があり、わたしも参加しました。
 ※原さんのことはこのブログでも4年前に「『ジャーナリズムの可能性』を語る会」のリポートを書きました。
  「競争の目的に自覚を失えば『癒着』になる〜原寿雄さんを囲む会から」=2009年4月12日
  http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20090412/1239543607
 復刊記念のつどいには、マスメディアで働く現役記者やOBのほかメディア研究者、表現の自由に力を注ぐ弁護士ら約130人が参加しました。印象に残ったことを書き留めておきます。
 基調講演ではTBS報道特集キャスターの金平茂紀さんが「いまジャーナリストに問う」と題して、マスメディアの劣化の現状を具体的な事例を挙げながら指摘し、原因を分析しました。メディアの「公共」的役割が後退し「営利」最優先になっていること、想像力が劣化して「外部」(メディアの外の人々)とのつながりを喪失していること、歴史が忘却され刹那主義に陥っていること、等々の指摘は、いずれもわたし自身の認識にも思い当たるところがあるものばかりでした。記者教育のシステムについても、メディア内で「サツ回り」と呼ぶ警察回りから始めていることに対し、まず最初に取材相手との「癒着」を覚えてしまうと批判しました。
 ではメディアで働くわたしたちは何から始めたらいいか。金平さんが挙げたのは、ユーモアを持ち笑いのめすこと、メディアの外の人たちとつながり独善主義から脱すること、いいものを褒めて励ますこと、そして「メディアを耕す」ことでした。マスメディアに対しては「マスゴミ」に代表される批判が絶えません。しかし、公共財としての情報は民主主義社会に不可欠であり、その送り手としてのマスメディアの役割と責任は変わることがありません。再生のために、まずは身の回りから、できることから始めていくこと。わたしなりに、メディアを耕す実践を続けたいと思います。
 原さんからの発言は、朝日新聞編集委員の河原理子さん、放送レポート編集長の岩崎貞明さんの聞き手2人との対談の形式でした。河原さんは朝日新聞紙上の企画記事「ジャーナリズム列伝」で原さんを取り上げた連載を2011年に執筆しています。

 やり取りはいずれも、マスメディアで働く上で示唆に富むものでした。途中、岩崎さんから指名をいただき、私も発言させてもらいました。通信社で働く後輩であり、新聞労連の専従役員としても後輩にあたります。職場の現状を少しだけ報告しました。会場の参加者は皆、マスメディアのありようを真摯に考えている人ばかりでした。わたしの報告に対して、原さんからは「全員発言が大事だ。全員が発言していれば、そうおかしいことにはならない」と励ましをいただきました。
 最後に、まとめの一言として原さんが指摘したのは、特ダネや政治報道(政治部)がマスメディアのアキレス腱になってしまう、それをどう突破するのか、ということでした。原さんが指摘したのは3つの具体例です。
 最初は1957年に原さん自身が加わっていた共同通信社会部の菅生事件の特ダネ報道です。菅生事件とは、大分県菅生村で1952年にあった駐在所爆破をめぐる共産党員の冤罪事件です。共同通信社会部の取材班は、事件のキーマンだった巡査部長を東京・新宿で発見して単独インタビューを報じました。一般には冤罪の解明に寄与した報道として紹介されることが多いのですが、原さんは「ジャーナリズムとしては失敗作だった」と断じました。理由として挙げたのは、実際には巡査部長の潜伏先を取材班が割り出し追い詰めたのに、記事の上では巡査部長が自ら姿を現したようになっていたことです。警察当局が取材チームにつかまった巡査部長の“救出”を図ったことと、メディアの内部事情としては警察取材に強く警察幹部と懇意だったデスクの存在があったことを原さんは指摘し、警察組織が巡査部長を5年間かくまっていた、その犯罪を的確に報道できなかった、と振り返りました。
 ※ウイキペディア「菅生事件」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E7%94%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 2点目は、北海道警の裏金に対する北海道新聞の告発キャンペーンです。原さんは、新聞社が全力を挙げて報じ警察が全力を挙げて対抗した“戦争”だったが、最後は北海道新聞の取材チームが解散し、メンバーが退社や配置転換になり、新聞の敗北で終わったと断じました。要因は、北海道新聞の取材が孤立させられたことであり、良心的なジャーナリズムの団結が足りなかったと分析しました。
 3点目は、NHKが2001年1月に放送したETV特集「戦争をどう裁くか」で慰安婦問題などを対象にした女性国際戦犯法廷を取材した「問われる戦時性暴力」で起こった番組改変問題です。朝日新聞は2005年1月になって、NHK内での番組改変の背景に当時官房副長官だった安倍晋三・現首相らのNHK上層部に対する圧力があったと報じました。NHK、安倍氏側の双方が報道の内容を否定。曲折を経て、朝日新聞社は2005年9月30日、検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」の見解を公表。要約すれば「NHKの番組が自民党政治家の圧力で改変された、との初報記事には相応の根拠があり、記者が真実と信じた相当の理由はあるが、NHK幹部が自民党政治家に呼び出された経緯などは確認取材が不十分だった」という内容でした。原さんはこの「NHK報道」委員会のメンバーでした。
 ※2005年当時にわたしが運営していたブログの関連過去記事です。記事中のリンクは現在は切れています。
  ニュース・ワーカー「朝日『NHK報道』委員会の結論」2005年10月1日
  http://newsworker.exblog.jp/2806099/
 この問題をめぐる一連の経緯の中で、自民党朝日新聞の取材を拒否するという出来事がありました。原さんは、記事を訂正しなかった一方で、取材にも問題があったと当時の社長が認めたことを挙げて、この自民党の取材拒否に対して朝日新聞社も軟化せざるを得なかったのではないかと指摘し「大メディアの政治部はそんなに弱いのか。政治部がアキレス腱になることが問題提起されている」と述べました。
 以上の3つの事例を紹介した上で、原さんは「特ダネがアキレス腱になる、政治部がアキレス腱になる。だとすると、それをどう突破するのか。私も今日、ここで褒められて、いい気になっているわけにいかない。どう突破するのか、議論を続けていきましょう」と締めくくりました。


 冒頭に紹介した「デスク日記」復刊本に対して、原さんの元には「今は50年前と同じ状況だと感じた」などの感想が寄せられているとのことです。現役の記者、デスクをはじめマスメディアの仕事にかかわっている人たち、マスメディアの仕事を目指そうと考えている若い人たち、社会とマスメディアのありように関心を持っているすべての方々に薦める一冊です。


 この日は沖縄は慰霊の日でした。1945年の沖縄戦で、日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日です。東京では都議選の投開票日で、安倍氏率いる自民党が全員当選を果たしました。社会のありようとジャーナリズムのありようの双方に思いをめぐらせた1日でした。