ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「表現の自由」「報道の自由」と「社会の信頼」~新人記者の皆さんへ

 今年も新聞社や通信社に新人記者が加わりました。配属先も決まって研修を受け、そろそろ実務に入ろうか、という人もいるのではないでしょうか。わたし自身はこの春で、マスメディアでジャーナリズムの仕事をしてきて40年になりました。現役の時間はとうに過ぎ、マスメディアの中で過ごす時間も先が見えています。わたしたちが先人から受け継ぎ、後続世代に伝えておきたいことを書いてみます。社会の情報流通やメディアを取り巻く環境がどれほど変わろうと、「組織ジャーナリズムの記者」という仕事の基本は変わるはずはありません。SNSの普及によって「だれもが情報発信」「だれでもジャーナリスト」と言われる時代ですが、そうであるからこそ、新人記者の皆さんには、アマチュアとは異なるプロフェッショナルの記者のプロたるゆえんを常に考えていてほしいと思います。

 ▽正当な業務行為
 入社後の研修では「信頼」という言葉が何度も出たのではないでしょうか。取材先や情報源から信頼されること、信頼関係を築くこと。そうすれば独自ニュースにつながる情報を得られるようになる、と。それだけではありません。マスメディアとしてもっとも重要なのは、社会から信頼されることです。法律に基づいて様々な権限を持つ行政機関や捜査機関などと違って、マスメディアには何の権限もありません。記者の仕事を支えているのは「報道の自由」と「取材の自由」、そして、市民の「知る権利」に奉仕することで寄せられる社会の信頼です。社会の信頼を失えば、マスメディアがいくら「報道の自由」「取材の自由」を主張しても、独りよがりにしか受け取られません。突き詰めて言えば、記者の仕事を成り立たせている最大のものは「社会の信頼」です。
 「報道の自由」は憲法に直接、規定はありませんが、最高裁は「表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある」との判断を示しています。「取材の自由」については、「憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する」としています。ともに、「博多駅テレビフィルム提出命令事件」の最高裁決定(1969年11月26日)の中で示しています。
 最高裁によれば「保障」と「尊重」には差があります。「報道」と「取材」はいわば「目的」と「手段」の関係です。「報道」という目的は憲法21条の保障のもとにあるけれども、「取材」という「手段」はそこまでのものではない。「尊重」にとどまる。最高裁の判断は、そう考えることもできます。ひとことで言えば、報道目的だからと言って、どんな手段でも無条件に許されるわけではない、と最高裁は言っているということです。
 最高裁がそうした判断を示していることは、知っておいた方がよいと思います。取材の実務では、さまざまなことが起きます。厳密に言えば法に触れかねない、というような方法で取材を検討することもあるかもしれません。ただし一方で刑法には「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」(35条)という規定もあります。典型的なのは、警察官が激しく抵抗する犯罪者に発砲してけがをさせるケースや、医師の外科手術などです。マスメディアの記者の取材にも、記者としての「正当な業務行為」として認められ、処罰がされない場合もあります。
 何が「正当な業務行為」で何がそうではないかは、明確に一線を引けるわけではなく、ケースバイケースで判断する部分も少なくありません。最後は裁判で決着をつけるしかない、ということもあるかもしれません。そういうことも含めて、「報道の自由」や「取材の自由」をめぐる法の仕組みや判例の積み重ねを、早いうちに知っておいた方がいいと思います。そして、実務では決して独りよがりにならないこと。難しい事例であればあるほど、あらゆる事態を想定した組織的な対応が必要になります。組織が記者個人を守ることで可能になる取材、報道もあります。迷ったときにはデスクや上司に相談すること。それも組織ジャーナリズムならではの強みです。

 ▽「目的」と「手段」
 マスメディアの記者の取材が「正当な業務行為」に当たるかが問われた事例の一つが、先ごろ亡くなられた元毎日新聞政治部記者の西山太吉さんが国家公務員法違反の罪で有罪とされたいわゆる「外務省機密漏えい事件」です。沖縄返還をめぐって日米両政府間で密約が結ばれていました。本来はそのことが社会で問われるべきでした。しかし、密約の証拠をつかんだ新聞記者が、情報源と男女の関係があったことを理由として、社会的に批判されました。記者の立件によって、問題がすり替えられてしまった面がありました。その意味では「沖縄返還密約の隠ぺい」ととらえた方が、西山さんの身に起きた出来事の本質が明確になるかもしれません。
 西山さんは外務省の事務官に国家の秘密を漏らすようそそのかしたとして起訴されました。最高裁は、記者が公務員に秘密を漏らすよう求める行為自体については、「真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである」との判断を示しています(1978年5月31日の決定)。西山さんに対しては、情報源の事務官との関係を厳しく批判して、正当な業務行為には当たらないとしました。
 当時、事務官は週刊誌などを通じて西山さんを一方的に激しく批判していました。それに対して西山さんは一切、弁明を口にせず、そのことは終生、変わらなかったようです。記者の仕事の鉄則の一つである「情報源の秘匿」を守れなかった事情もありました。わたしは、最高裁が有罪の前提にした認定事実が、真実としてその通りであったかどうかは、留保が必要だろうと考えています。それでもこの出来事は、「目的」と「手段」を考える上での教訓として、忘れてはいけないと考えています。
 西山さんは後年、政府の密約隠ぺいの証明に心血を注ぎました。記者の立場を離れて相当の時間がたった後も、社会の「知る権利」に奉仕する記者の職業倫理に沿った生き方を貫いたのだと思います。そのことには深く敬意を表します。ただし、そのことと、西山さんの当時の取材は別の問題ではないかと考えています。
 西山さんが死去された後、マスメディアの報道では、経緯として外務省の事務官への取材と有罪判決に触れてはいましたが、その取材のありようを掘り下げた記事は乏しかったように思います。目的は正しかった、そして国家の密約隠ぺいは事実だったのだから、情報入手の方法論は今さら問題にならない、問題にするべきではない、という考えもあるかもしれません。そこは人それぞれかもしれません。わたしは、西山さんの取材は総括しきれていないテーマとして、今なお報道の仕事に携わるわたしたちの前にあると考えています。

 ▽「表現の自由」を守る
 日本国憲法は、1条から8条までは天皇に関する条項であり、第9条から日本国民に保障する権利の数々の規定が並ぶ構成になっています。21条の「表現の自由」も国民の権利であり、日本社会で共生する人たちに広く保障されるべき市民的権利です。21条の保障のもとにあるとされる「報道の自由」も、また21条の精神に照らして十分に尊重されるべきだとされる「取材の自由」も同じように権利です。権利は行使しなければ意味をなしません。マスメディアが何を報じたかとともに、何を報じていないかも問われます。
 「表現の自由」は1945年の敗戦を経て、日本国憲法の公布、施行によって日本の社会にもたらされました。ずっと安泰というわけでは決してなく、特にこの20年余りは、さまざまな表現規制、報道規制の動きが続いています。
 2003年に成立した個人情報保護法も、当初の法案にはマスメディアの取材に対する規制が盛り込まれていました。マスメディアの政治と金を巡る取材、報道へのけん制が狙いだったと指摘されていました。安倍晋三政権が推し進めた特定秘密保護法についても、記者の取材活動が摘発の対象になる恐れがあります。
 ごく最近の事例では、放送法の「政治的公平」をめぐる総務省の内部文書が今年3月、明らかになりました。政治的に公平かどうか、単独の番組の内容だけで判断することもある、との総務相当時の高市早苗氏の答弁(2015年5月)の背景に、特定の番組を狙い撃ちにするかのような思惑を伴った首相補佐官の総務省への介入があったことを示す内容です。
 日本社会の「報道の自由」や「取材の自由」、ひいては「表現の自由」を守るには、今あるその自由を行使することが重要です。そのためには、マスメディアは時に公権力と厳しく対峙することもあるかもしれません。「だれでも情報発信」の時代ですが、公権力と対峙することは、だれにでもできることではありません。それこそがマスメディアの組織ジャーナリズムがやるべきこと、プロフェッショナルの記者のプロたるゆえんの一つです。しんどいことですが、マスメディアが社会に負っている責任です。そのしんどさは、組織で動くことで乗り越えることも可能です。
 「報道の自由」や「取材の自由」を自らの権利として行使することがなければ、マスメディアとしてやるべきことを怠っている「不作為」になります。何を報じたかだけでなく、何を報じていないかも問われるゆえんです。

 今ある「表現の自由」をマスメディアが行使しなければ、その「表現の自由」を守ることなどできない、ということを、わたしは故原寿雄さん(2017年11月に92歳で死去)から学びました。通信社の組織ジャーナリズムの上でも、またメディアの労働組合運動の上でも、直接の大先輩に当たる方です。わたしは原さんの謦咳に接することができた最後の世代の一人だと思います。
 原さんからは、ほかにも様々なことを学びました。一つは、社会の人たちが何を考え、何を望んでいるかを知ることです。市民を信頼せよ、そしてその期待に応える仕事をせよ、ということでした。
 その辺のことは、この記事の続きとして、あらためて書いてみます。