ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

日本国憲法を知る~新人記者の皆さんへ(その4)

 「新人記者の皆さんに伝えたいこと」の4回目です。
 「報道の自由」は憲法21条の「表現の自由」と同じように保障され、「取材の自由」も十分に尊重されるべきであるとの最高裁の判断があることを、最初の記事で書きました。日本国憲法について、もう少し書きます。

 ▽取材の視点、着想が変わる
 日本国憲法は日本の最高法規です。マスメディアのジャーナリズムがそれなくしては成り立たない「報道の自由」「取材の自由」も、その根拠は憲法21条に規定された「表現の自由」にあります。また、憲法に反した立法や行政行為は認められません。権力監視のためにも、記者にとって憲法の知識は必須です。なるべく早いうちに、日本国憲法を通読し、その概要を知ることを勧めます。恥ずかしながら、わたしが日本国憲法の条文を通読したのは、30代も半ばを過ぎてから。労働組合の執行部に初めて加わってからでした。もっと早く勉強しておけば良かったと、今も思います。
 憲法を知れば、社会を見る目が変わります。それまでは漫然と見過ごしていたことに、目が向くようになります。例えば、憲法21条の条文は次のようになっています。

 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 一般には「言論の自由」「出版の自由」「表現の自由」を保障した条文として知られますが、前段には「集会の自由」「結社の自由」も明記されています。基本的人権として、集会を開いたり、団体を結成したりする権利がだれにでも保障されています。路上や公共の場での集会やデモは、まさに「言論の自由」や「表現の自由」と同じ権利です。例えば、集会に公共施設を使用することを自治体が認めない、というような出来事が起きれば、「憲法に反することではないのか」との問題意識を即座に持てるかどうかが、記者の仕事には問われます。
 結社の自由、つまり団体を結成する権利として、労働組合もそうした団体の一つです。国連の専門機関である国際労働機関(ILO)も労働者の結社の自由を擁護しています。日本では、労働組合は企業別に組織され、メンバーもその企業の正社員であることが長らく前提のようになっていました。非正規雇用の方も加入する個人加盟ユニオンが存在感を増してはいるものの、今も日本社会では、企業別の正社員労組が一般的であると見られていることには変わりがありません。しかし、労働組合が「表現の自由」と共通の根拠を持つことを知れば、労働者であれば本来、だれにでも保障されるべき権利であることも理解できるはずです。労働組合の組織率が2割に満たないことへの見方も変わるはずです。
 労働組合を巡るマスメディアの報道では、今も連合やその傘下の産別の動きが大きな比重を占めています。連合会長の言動が、そのまま労働者を代表するかのように受け取られてしまうおそれがあります。「結社の自由」を行使できない労働者が大勢いることに記者が目を向ければ、取材の視点や着想も変わってくるはずです。
 労働者の権利については、日本国憲法は28条にも規定があります。

 第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

 労働組合が、憲法の複数の条文によって保障されている重要な権利であることが分かります。
 
 ▽9条はなぜ9番目
 戦争放棄、交戦権の否定と戦力不保持を定めた9条も、なぜ9番目の条文なのかを考えれば、その意味合いが見えてくると思います。
 なぜ9番目か。日本国憲法の1条から8条までは、第一章として天皇制に関する規定です。そして「第二章 戦争放棄」として9条があり、10条からは第三章として国民の権利と義務の規定が続きます。つまり、天皇に関する規定を別にすれば、この憲法がもっとも重要な事柄として事実上、最初に宣言しているのが戦争の放棄であり、そのことを担保するための戦力不保持です。なお、放棄しているのは戦争だけではありません。「武力による威嚇」と「武力の行使」も放棄しています。案外と見過ごされがちなことではないでしょうか。

 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 1945年の敗戦以前の日本社会を見れば、戦争遂行のためには、国民の諸権利は制限されることが当たり前でした。新聞にも検閲があり、自由な報道、自由な表現活動はあり得ませんでした。程度の差はあれ、どの国であっても戦争を遂行する社会では市民的な権利、自由が制限を受けることに変わりはありません。
 わたしは、日本国憲法が保障しているさまざまな市民的権利は、それぞれが9条と対になっている、ととらえています。9条が戦争を禁じているからこそ、個人として尊重され、幸福追求権も保障されている、思想や良心の自由も侵されない、信教の自由や学問の自由も保障される、ということです。戦争を容認することになれば、そうした市民的権利が制限を受けることもまた容認されかねません。

 ▽公務員には尊重、擁護の義務
 日本国憲法には96条に改正規定がありますので、改正は可能です。改正案は国会で発議されます。一方で97条は、この憲法が日本国民に保障する基本的人権を、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」と規定しています。99条では公務員に対し、この憲法を尊重し擁護する義務を課しています。国会議員も例外ではありません。これらを合わせて考えると、憲法を改正するにしても限界があるはずです。少なくとも、現憲法の廃棄のようなことを公務員が主張するのは憲法違反です。

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 故石原慎太郎・元東京都知事は「自主憲法制定」が持論でした。現憲法を認めていないという意味で、憲法改正とはまったく異なります。公務員としては明確に99条に違反しています。国会に議席を持つ、あるいは議席を持とうとする政党の代表としても、極めて不適切です。
 しかし、石原氏が死去した際、「憲法改正」と「自主憲法制定」の違いを明確にした報道はわずかであり、石原氏が公務員として憲法に違反していたことを指摘した報道は、わたしが知る限り見当たりませんでした。
https://news-worker.hatenablog.com/entry/2022/02/11/151421

news-worker.hatenablog.com

 「憲法を知る」などと言うと、何か堅苦しいと感じる人もいるかもしれません。入社後の研修でも、そんな話はなかったかもしれません。でも、記者の仕事に憲法に対する知識と見識は必要です。
 国家公務員は採用時点から服務の宣誓をします。宣誓書の様式は職種によりさまざまですが、一般職は政令で以下のように定められています。憲法への宣誓と言ってもいいように思います。地方公務員も同様です。

宣誓書
私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。
   年月日   氏名

※ウイキペディア「服務の宣誓」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E5%8B%99%E3%81%AE%E5%AE%A3%E8%AA%93

 マスメディアの組織ジャーナリズムの役割の一つは、公権力の監視です。公務員が日本国憲法に宣誓しているのに、取材する側がその憲法のことを知らなくて、役割を果たせるでしょうか。
 まもなく憲法記念日を迎えます。これを機に、憲法の入門書でも手に取って、まずは概要を知ることから始めてはどうでしょうか。