ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

新聞各紙の報道を比較することで分かること

 首都圏の大学で非常勤講師として受け持っている「文章作法」の授業は2年目に入りました。1年目後期の最後の授業は1月末でした。それから2カ月余り。ことし最初の授業で久しぶりに訪ねたキャンパスは、イチョウ並木の新緑が目に鮮やかでした。ことしは桜だけでなく、花という花が例年よりも早く咲いているようで、ツツジも見ごろに近づいているようでした。

 授業の目標は、読み手に伝えたいことがきちんと伝わる文章を書けるようになることですが、メディアやコミュニケーションに関心がある学生が対象です。書く内容に社会性を持たせることにも留意しています。昨年の授業ではその一助として毎回、時事ニュースから一つを選んで、新聞報道の比較の形で解説しました。
 ことし最初の授業は、まだ履修登録の期間中でした。履修するかどうか最終的に決める前の学生もいるので、いわば“顔見せ”です。わたし自身の経歴、通信社がどういう役割を果たしているかや、授業の進め方などをゆるめに紹介しました。その中で、文章の書き方の授業なのに、なぜ新聞報道の比較なのかも説明しました。

 文章は、自分しか読まないことを想定した日記などはともかくとして、必ず読んでもらう相手がいて、伝えたい内容があります。その意味で文章を書く行為はコミュニケーションです。一方、ニュース報道に接することは、社会で何が起きているか、社会がどうなっているかを知ることです。社会にいる一人として、ほかの人と社会の現状の知識、認識と関心を共有することになります。今、何が社会で課題になっているかを知っていれば、その分、文章の深みも増します。接しているのはネット上の陰謀論ばかり、という人との間で、どんなコミュニケーションが図れるかを考えれば、トレーニングを重ねた記者やデスクの手を経た情報である新聞やテレビの報道に接することの意義は分かりやすいのではないかと思います。
 新聞報道の比較を行う理由のもう一つは、新聞というメディアの特性です。新聞は個々のニュースの重要度の格付けに徹底的にこだわるメディアです。その日の紙面に収容されているニュースの中で、もっとも重要と判断したニュースのいくつかが、紙面の最初のページ、1面に掲載されています。各紙の1面を比較することで、新聞ごとの判断の違いが視覚的に分かります。同じような扱い、例えば同じニュースを同じように1面トップで扱っていたとしても、見出しの差異で各紙のとらえ方の違いがやはり容易に分かります。新聞は、紙面を比較することによって、一つの出来事に対して多様な見方があることを視覚的に容易に見て取ることができるメディアです。
 授業ではいくつかの紙面を例に説明しました。一つはことし3月14日付です。強盗殺人罪で死刑が確定した袴田巌さんの再審を認める決定を東京高裁が出したニュースと、ノーベル賞作家の大江健三郎さんの訃報が重なった日です。いずれも極めて大きなニュースバリューがありました。どちらを1面トップにするか、各紙の判断は分かれました。各紙の格付けは以下の通りです。
 ・朝日新聞①「袴田さん 再審決定」②「大江健三郎さん死去」
 ・毎日新聞①「袴田事件 再審認める」②「大江健三郎さん死去」
 ・読売新聞①「大江健三郎さん死去」②「袴田事件 再審認める」
 ・日経新聞②「袴田事件 再審認める」③「袴田事件 再審認める」
 ・産経新聞①「袴田事件 再審決定」②「大江健三郎さん死去」
 ・東京新聞①「大江健三郎さん死去」②「袴田さん再審 認める」

 さらに、大江健三郎さんの訃報では、主見出しには差はないものの、2本目、3本目の見出しには各紙ごとの違いが明確に見て取れます。
 ・朝日新聞「88歳 ノーベル文学賞 反核訴え」
 ・毎日新聞「ノーベル文学賞 核廃絶・護憲訴え 88歳」
 ・読売新聞「88歳 ノーベル賞作家」
 ・日経新聞「ノーベル文学賞作家、88歳」
 ・産経新聞「ノーベル文学賞受賞 88歳」
 ・東京新聞「88歳 ノーベル文学賞/護憲、反原発…声を上げ続け」
 大江さんは生前、核廃絶を訴え、また「九条の会」にも名を連ねるなど、憲法の改悪にも反対の声を上げ続けたことで知られます。朝日、毎日、東京の3紙の見出しには、そうした側面も盛り込まれていますが、読売、産経、日経の3紙の見出しは、ノーベル文学賞を受賞した作家であることだけです。経済紙の日経はともかくとして、読売、産経両紙は社論として憲法9条の改正を主張しており、原子力発電も容認です。そうしたことが大江さんの業績の評価にも反映していることがうかがえます。
 人はそれまで知らなかった事実や、ものの考え方に触れた時に、考え方が変わることがあります。民主主義社会で少数意見が尊重されなければならないのは、そのためです。一つの出来事に対して、多様な見方があることを知るのはとても重要です。多様な論調や考え方、価値観が社会に存在していることは、それ自体が価値です。
 新聞の発行部数の減少は止まらないかもしれません。ただ、多様な価値観を知る上では、今でも有効なメディアです。ニュースのパッケージであり、一覧性に優れていることから、特に関心を持っていなかった分野のニュースでも自然に目に止まることもあります。「おや」と思ったニュースについて、さらにネットでいろいろ調べてみる、といった活用も可能です。そうしたことが習慣になれば、自然と情報に対するリテラシーが身に付きます。文章を書く行為についても、その内容は豊かになるはずです。わたしの授業を受ける学生たちには、そんな経験をしてもらえたらいいなと思います。その経験は、報道の主軸が新聞やテレビからデジタルに移行した後でも、社会の情報流通のありようを考える上で、さまざまに役立つだろうと思います。

【写真】久しぶりのキャンパスは新緑が鮮やかでした

【写真】ツツジも開花が進んでいました