ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

記者へのセクハラと、日本のマスメディアの「すり寄り型」取材慣習~年の瀬に当たって

 これまで被害を口にせずにいた、あるいは見て見ぬふりをしていたセクシャル・ハラスメント(セクハラ)や性的暴行、性的虐待を告発する「#MeToo」のムーブメントは、日本で2018年も一層の広がりを見せました。中でも財務省の福田淳一・元事務次官による民放局の女性記者へのセクハラは、マスメディアの取材現場の構造的とも言える問題を浮き彫りにしたように思います。
 取材にはいろいろあり、官公庁や企業の記者会見のように、多数の新聞社や放送局の記者が横並びで質疑を行う場合、そこで得られた情報は各社とも共通で差がありません。そうした取材だけではスクープとなる特ダネは出ません。そこで、記者が取材相手と1対1で会って話ができるかどうか、特に官公庁や企業で重要な情報が集まる幹部クラスとそういう取材ができるかが重要になってきます。仮にスクープに直結する情報が得られなかったとしても、追っているテーマの背景事情を知るだけでも意味があります。
 勢い、新聞社でも放送局でも、記者は取材相手と1対1で話が聞けることが大事と強調されることになり、また相手が大物であればあるほど、1対1で会って話が聞けることは、記者の力量として社内や局内で評価が高まることにつながります。
 財務次官と言えば、日本の財政・金融を司る官僚機構のトップです。他社の記者がいない場所で、単独で会えるとなれば呼び出しに応じざるを得ない、いやな思いをすることがあっても、ネタのためなら我慢するしかない、という心理が女性記者に働いていたとしても、無理はないと思います。
 女性記者の告発を週刊新潮が報じて、財務次官のセクハラが表面化した後、先行世代の女性記者たちから「自分たちが声を出していれば、被害は食い止められていたかもしれない」との自責の声が次々に上がりました。同じようなことが、女性記者の間で代々続いていたことが明らかになりました。そのことを知ってわたしは、わたしを含めてマスメディアの中の男性たちも、特ダネを最優先に考える余り、同僚女性たちの被害に目をつむっていたこと、あるいは被害に気付かないほど鈍感だったこと、そうしたことが女性たちに被害を訴えることをためらわせていたことを批判されて当然だろうと考えています。
 この問題を機に、新聞社や放送局は自社の記者をハラスメントから守ることを表明しています。財務省では職員にセクハラ防止の研修を行いました。マスメディアと政府の間で、再発防止に向けたやり取りもあったようです。しかし、これで十分とは思えません。
 記者に対する権力側の取材相手のセクハラは多くの場合、1対1の場で起きています。片や、圧倒的な情報を持つ立場であり、片や、その情報を聞き出したい立場。力関係は歴然としており、そこにハラスメントを生む構造的な要因があるように思います。また男女を問わず、情報欲しさから相手におもねたり、すり寄ったりするようでは、間合いを権力の側に一方的にコントロールされてしまいます。結果として、権力の側に都合のいい情報ばかりが流される、ということになるおそれがあります。
 権力の監視のために、記者が権力者に近づくのは本来、当然のことだろうと思います。ただ、マスメディア内部の現状として、「信頼関係」を名分に取材相手と1対1で会える関係を築くことに腐心することを当然とする傾向は否定できないと思います。「働き方改革」が叫ばれているとはいえ、夜討ち朝駆けの長時間労働も半ば当然、ないしは必要悪ととらえる雰囲気があることも、背景事情としてあります。財務次官のセクハラ問題が表面化した際、尊敬するジャーナリズムの先人のお一人から「すり寄り型の取材慣習の見直しが必要ではないか」との指摘をいただきました。同感です。マスメディア全体の課題だろうと考え、年の瀬に当たって書きとめておくことにしました。

 なお、以前の記事でも強調したことですが、セクハラ被害を考えるときに踏まえておかなければならないのは、一番悪いのはセクハラをする当人、加害者だということです。議論の際には、あるいは報道でも、折に触れそのことを明示して確認を繰り返す方がいいと思います。セクハラを受ける側にも落ち度がある、などというそれ自体がハラスメントの言辞を許さないためです。

■参考過去記事 ※このブログでことし(2018年)よく読んでもらえた記事の一つです
「セクハラを話し始めたメディアの女性たちに、自身の無知を恥じ入る」=2018年4月23日

news-worker.hatenablog.com

何のための商業捕鯨復活なのか~IWC脱退と憲法

 唐突感が否めないニュースです。日本政府は12月25日、国際捕鯨委員会(IWC)から脱退することを閣議決定し、1日経って26日に発表しました。これにより、来年7月から商業捕鯨が再開される見通しだと報じられています。
 マスメディアも大きく報じ、東京発行の新聞各紙は27日付朝刊で朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞が1面トップ。産経新聞も1面準トップでした(日経新聞は1面のインデックスに捕鯨の写真付きで入れています)。朝日、毎日、東京の3紙は社説でも取り上げました。見出しを見ても「国際協調に影を落とす」(朝日新聞)、「失うものの方が大きい」(毎日新聞)、「これで捕鯨を守れるか」(東京新聞※中日新聞も)とあるように、そろって脱退を批判しています。

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 ただ、一体何のための商業捕鯨の復活なのか、国際機関を脱退してまで、日本政府がなぜ商業捕鯨にこだわるのかが、新聞各紙の報道を見てもすっきりとは整理できていない印象があります。
 例えば食糧問題としての側面です。わたしは1960年の生まれで、小学生の頃は学校給食によく鯨肉のメニューが出ました。わたしが在籍した北九州市の小学校の給食では、竜田揚げは「オーロラ揚げ」と呼んでいたと記憶しています。その名の通り、南氷洋の捕鯨船団が捕ったクジラだったのでしょう。戦後の一時期、日本にとって鯨肉が重要なタンパク源であり、南氷洋捕鯨が供給していたことは間違いありません。
 では商業捕鯨の復活とは、かつてのように船団を組んで南氷洋に出て行くことを指すのかと言えば、そうではないようです。報道によると、南氷洋からは撤退し、日本沿岸および領海、排他的経済水域(EEZ)内で、対象もミンククジラなど3種に限定とのこと。捕獲量も、現在の調査捕鯨と大差ないようです。今日、日常の食生活に占める鯨肉の地位は、かつてに比べて大幅に下がっています。牛や豚、鶏に代わる食肉タンパク源の確立が早急に必要という事情は見当たりません。食糧問題として、商業捕鯨解禁が必要と位置付けるには無理がありそうです。
 ほかに報道でよく紹介されているのは、日本の伝統食文化としての鯨食と、捕鯨技術の伝承、保存です。ただ、伝統文化としての鯨食となると地域は限られます。しかも、そうした地域では小型の鯨種を対象に、沿岸捕鯨は小規模とは言え今に至るまで続いています。商業捕鯨によって、沿岸捕鯨の捕獲量が増えるのかもしれませんが、そうしないと伝統食文化を守りきれないのか。再開後の商業捕鯨でも、捕獲量は調査捕鯨と大して変わらないとなると、つまりは伝統食文化の側面で現状と何が変わるのか、よく分かりません。

 雇用・労働の側面はどうでしょうか。朝日新聞の記事「需要減少 水産業界は慎重」(27日付3面「時時刻刻」)によると、かつて南氷洋捕鯨を担っていた大洋漁業をルーツに持つマルハニチロは、捕鯨事業再開の考えはまったくなく、日本水産も同様。「現在、沖合で商業捕鯨を行う意向を示しているのは、国の支援を受けて調査捕鯨を手がける共同船舶だけだ」とのことです。共同船舶は自社HPに「捕鯨と鯨肉販売のプロフェショナル企業」と掲げており、捕鯨の存続は企業にとっては死活問題でしょう。それはすなわち、雇用の問題でもあります。

※共同船舶ホーム 

http://www.kyodo-senpaku.co.jp/index.html

 一方で、マスメディアの報道が比較的よく伝えていると思うのは、脱退を決めた日本国内のメカニズムです。慎重だった外務省を押し切って脱退を主導したのは、自民党の捕鯨推進派の議員グループだったとの指摘は、各紙の報道でおおむね一致しています。中心的な役割を果たしたのは二階俊博・自民党幹事長だったと、朝日新聞や読売新聞はそろって指摘しています。二階氏の選挙区の衆院・和歌山3区には、沿岸捕鯨で知られる太地町があります。また、安倍晋三首相の地元の山口県下関市も、捕鯨船団の拠点として、商業捕鯨とは深い関係があります。
 以上のようなことを合わせ考えると、IWC脱退は多分に自民党議員らのメンツの問題なのではないか、という気がしてきますが、どうなのでしょうか。上記のように、「なぜ今、商業捕鯨なのか」がすっきり整理できていないように感じるのは、国会を始め社会で開かれた議論がなかったことが最大の要因のように思います。マスメディアはさらに論点を整理しながら、検証報道を続けていくべきではないかと思います。

 いずれにせよ、国際的な対話や議論と決別して、自国の主張を強引に実行に移そうとする、ということでは、単独主義との批判は免れ得ないように思います。この単独主義を巡って、もっとも重要と思われる論点を水島朝穂・早大法学学術院教授(憲法学)が指摘しているのが目に止まりました。12月27日付の東京新聞朝刊に記事が掲載されています。「国際機関への加盟の根拠となる条約の締結について、憲法七三条は、事前もしくは事後の国会承認が必要としている。その趣旨からすれば、条約や国際機関からの脱退も国政の重大な変更であり、国会での議論抜きにはあり得ない」。しかし、安倍晋三政権は野党や国民にきちんと説明しないまま、脱退を閣議決定しました。記者会見も1日遅れでした。「IWCからの一方的な脱退は、憲法九八条が掲げる『国際協調主義』を捨て去る最初の一歩になりかねないと警鐘を鳴らしたい」。水島氏は記事の中でそう強調しています。
※東京新聞「国会に説明なく、憲法軽視 IWC脱退 早大・水島朝穂教授」=2018年12月27日

www.tokyo-np.co.jp

 安倍晋三首相には現行憲法を変えたい気持ちが強いためか、憲法99条に定められた公務員の憲法尊重擁護の義務を自覚しているとは到底思えない言動が目立ちます。IWC脱退のあまりにも乱暴で粗雑な進め方も、そうした安倍首相の政権ならではのことかもしれません。

民意の支持得られない辺野古移設と土砂投入~世論調査で「反対」47~60%

 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題を巡り、同県名護市辺野古の新基地予定地で12月14日、沖縄県の反対を押し切って政府が海面への土砂投入を強行しました。その週末に実施された世論調査の結果が報じられています。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信の各調査が、この辺野古の土砂投入について尋ねています。いずれも、政府方針への反対、不支持が賛成、支持を上回りました。質問と回答の状況を書きとめておきます。
▼朝日新聞:12月15、16日実施
 ・沖縄の基地問題についてうかがいます。アメリカ軍の普天間飛行場を、名護市辺野古に移設する工事で、政府は沖縄県が反対する中、沿岸を埋め立てる土砂の投入を始めました。あなたは、政府が土砂の投入を進めることに賛成ですか。反対ですか。
 「賛成」26%
 「反対」60%
 ・普天間飛行場の名護市辺野古への移設について、政府と沖縄県の対話は十分だと思いますか。十分ではないと思いますか。
 「十分だ」11%
 「十分ではない」76%

▼毎日新聞:12月15、16日実施
 政府は、沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場を同県名護市辺野古に移設する方針です。辺野古の沿岸部に土砂を投入して埋め立てることに、賛成ですか、反対ですか。
 「賛成」27%
 「反対」56%

▼読売新聞:12月14~16日実施
 政府は、沖縄県のアメリカ軍普天間飛行場を移設するため、県内の名護市辺野古沖の埋め立て工事を進める方針です。この方針に、賛成ですか、反対ですか。
 「賛成」36%
 「反対」47%
 「答えない」17%

▼共同通信:12月15、16日実施
 沖縄県の玉城デニー知事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対していますが、政府は移設を進める考えで、埋め立てのための土砂投入を始めました。あなたは、移設を進める政府の姿勢を支持しますか、支持しませんか。
 「支持する」 35・3%
 「支持しない」56・5%
 「分からない・無回答」8・2%

 朝日新聞と毎日新聞調査では賛成は26~27%にとどまり、反対(60、56%)が倍以上に上った点が目を引きます。共同通信調査もそこまでの差はついていませんが、政府の姿勢を「支持しない」は、やはり56・5%に達しています。
 各調査とも質問の文章は異なるのですが、日本政府が普天間飛行場の辺野古移設と埋め立て工事を進めることへの賛否を、比較的シンプルに問うています。「シンプルに」というのは、やろうと思えば質問文に補足の説明を加えることもできるのですが、それがないということです。例えば「辺野古への移設」について、「日本の安全保障のために米国と結んだ合意を守るため」との一文を加えることです。「合意や約束を守ること」は一般的には大事なこと、正しいことと考える人が多いでしょうから、普天間飛行場の移設問題の経緯に詳しくない人は「合意を守るため」のひと言に引きずられて、回答を選ぶことも起こりえます。そういう意味では、毎日新聞、読売新聞の質問はシンプルですっきりしていると言えます。そして、回答の数値の水準には差があるとはいえ、ともに政府方針に反対との回答が賛成を上回ったということ、あるいは賛成がせいぜい3分の1ちょっとにとどまる、過半数にははるかに及ばないということは、やはりこの辺野古移設と沿岸の埋め立ては有権者の支持を得られない、国民、民意の支持を受けられないと言わざるを得ない、ということです。
 なお、共同通信の調査では、沖縄県の玉城デニー知事が辺野古移設に反対していることが質問文に付記され、朝日新聞の調査でもひと言「沖縄県が反対する中」と触れられており、毎日、読売とは異なっています。ただ、共同通信調査で政府方針を「支持しない」の56・5%は毎日新聞調査の「反対」56%と一致し、また政府方針を「支持する」の35・3%は読売新聞調査の「賛成」36%とほぼ一致するのは興味深いところです。朝日新聞調査でも、賛否ともに毎日新聞の調査と同水準の結果と言ってよいと思います。

 朝日新聞の調査は、政府と沖縄県の対話は十分かとも尋ねています。その回答は「十分ではない」が「十分だ」を圧倒しています。政府による土砂投入への賛否以上に差が開いていることは、辺野古移設に理解を示している層の中にも、安倍晋三政権の沖縄に対する高圧的な姿勢を批判的に見ている層がある可能性を示しているように感じます。

 内閣支持率は以下のように、4件の調査とも下落傾向でした。朝日、毎日、共同の3件は、不支持が支持を上回っています。
 辺野古の土砂投入だけでなく、外国人労働者の受け入れを拡大する改正入管法にも批判的な民意があるようで、そうしたことの反映の可能性があるように思います。

■内閣支持率 ※カッコ内は前回比、Pはポイント
▼朝日新聞
 支持40%(3P減) 不支持41%(7P増)
▼毎日新聞
 支持37%(4P減) 不支持40%(2P増) 関心がない21%(1P増)
▼読売新聞
 支持47%(6P減) 不支持43%(7P増)
▼共同通信
 支持42・4%(4・9P減) 不支持44・1%(4・6P増)

 自宅で購読している琉球新報の15日付紙面が手元に届きました。1面に掲げられた写真と、前日の紙面に載っていたグリーンの海面の写真を比べると、辺野古で何が始まったのかが視覚でもよく分かると思います。

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辺野古の土砂投入を強行した安倍政権に対する主権者の責任~「自治破壊の非常事態だ」(沖縄タイムス) 「第4の『琉球処分』強行だ」(琉球新報):付記 新聞各紙の社説、論説の記録

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設―同県名護市辺野古への新基地建設問題で、防衛省は12月14日、沖縄県の反対を押し切り、かねて予告していた通りに、辺野古の埋め立て予定海域に土砂を投入しました。新基地建設反対を明確に掲げて沖縄県知事選に臨んだ玉城デニー・現知事が、安倍晋三政権が推す候補に圧勝したのは9月30日のこと。これほど明白に新基地反対の沖縄の民意が示されたというのに、わずか2カ月半でのこの強行は、安倍政権は民意を顧みないと自ら宣言したに等しいと私は受け止めています。
 このような政権がなぜ存続しているのかと言えば、日本国の主権者の選択だからです。そして原理的には、個々人が安倍政権を支持していようといまいと、主権者である限り、その選択の責任、ひいては政権が引き起こした結果への責任からも逃れられないだろうとわたしは考えています。その意味で、沖縄県外、日本本土に住む主権者の一人として、わたしは安倍政権が沖縄の民意に反してなした辺野古での土砂投入に責任を感じます。
 このブログの前回の記事でわたしは「今、安倍政権はその沖縄の民意を一顧だにせず、新基地建設を強行する姿勢をいよいよ露わにしました。本土の主権者は、それを是とするのか非とするのか。主権者としての自らの問題として、為政者への態度を考えるべき問題であることがいよいよ明白になってきたと思います」と書きました。

news-worker.hatenablog.com

 もともと沖縄の基地集中は沖縄だけの問題ではありません。仮に日米同盟を是とするなら、沖縄への米軍駐留は日本全体の安全保障のためのはずです。なのに、その負担を一方的に押し付けるようなことが沖縄にだけまかり通るのは、沖縄への差別というほかありません。辺野古への新基地建設の問題を巡っては、そのような問題意識も徐々に沖縄県外、日本本土で目にするようになっています。にもかかわらず、安倍政権は土砂投入を強行し、しかも菅義偉官房長官は「引き続き全力で埋め立てを進めたい」(15日の記者会見)と強調するなど、強硬姿勢を一層強めているように感じます。
 自治体を政府と対等とは見ないこの政権が、それでも沖縄を差別しているのではない、沖縄に寄り添うのだと弁明するとしたら、今後は沖縄以外の地域でも同じように民意を一顧だにしない姿勢を取ることもあるかもしれません。いずれにせよ主権者として、この政権にどう向き合うのかを考えることが、辺野古の問題や沖縄の基地集中を「わがこと」としてとらえることにつながるだろうと思います。主権者として、この政権との向き合い方を決めなければいけない時であり、傍観者ではいられないのだと思います。

 土砂投入強行のニュースについて、東京発行の新聞各紙の12月14日夕刊、15日付朝刊では、1面はそれぞれ写真のような扱い でした。
 ▼12月14日夕刊

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 ▼12月15日付朝刊

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 土砂投入に対して、新聞各紙の12月15日付の社説、論説をネット上で見てみました。沖縄タイムス、琉球新報はそれぞれ安倍政権を厳しく批判しています。特に琉球新報が、1879年の琉球併合(「琉球処分」)、沖縄を日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、広大な米軍基地が残ったままの1972年の日本復帰に続く第4の「琉球処分」と位置付け、「歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、『国益』や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ」と指摘していることに、あらためて「主権者の責任」の意味を考えざるをえません。
 以下に沖縄の2紙の社説の一部を引用します。

■沖縄タイムス:[辺野古 土砂投入強行]自治破壊の非常事態だ
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/359827

 「胸が張り裂けそうだ」
 名護市の米軍キャンプ・シュワブゲート前で土砂投入を警戒していた男性は、怒りと悔しさで声を震わせた。
 辺野古新基地建設を巡り、防衛省沖縄防衛局は14日午前、土砂投入を強行した。
 海上では最大50隻のカヌー隊が繰り出したが、土砂を積み込んだ台船と、土砂投入場所が制限区域内にあるため作業を止めることができない。
 護岸に横付けされた台船の土砂が基地内に入っていたダンプカーに移された。約2キロ離れた埋め立て予定海域南側まで運び、次々投入する。
 ゲート前には故翁長雄志前知事夫人の樹子さんも姿をみせた。樹子さんは以前、「万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している」と語ったことがある。
 しかし夫の翁長前知事は埋め立て承認の撤回を指示した後、8月8日に亡くなった。
 「きょうは翁長も県民と一緒にいます。負けちゃいけないという気持ちです」
 沖縄戦当時、キャンプ・シュワブには「大浦崎収容所」が設置され、住民約2万5千人が強制収容された。
 マラリアなどが発生し逃げることもできないため400人近くが亡くなったといわれる。まだ遺骨はあるはずだと、ガマフヤー代表の具志堅隆松さんはいう。
 シュワブは、日本本土に駐留していた海兵隊を受け入れるため1950年代に建設された基地だ。
 沖合の辺野古・大浦湾は、サンゴ群集や海藻藻場など生物多様性に富む。
 そんな場所を埋め立てて新基地を建設するというのは沖縄の歴史と自然、自治を無視した蛮行というほかない。

■琉球新報:辺野古へ土砂投入 第4の「琉球処分」強行だ
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-849072.html

 今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。
 そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。
 その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。
 歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。
 土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。

 沖縄県外、日本本土の新聞各紙の社説、論説のうち、ネット上で確認できたものを書きとめ、一部を引用しました。見出しのみで内容は確認できなかった新聞もあります。
 読売新聞と産経新聞、地方紙では北國新聞が土砂投入を支持しています。ほかは批判的です。沖縄だけの問題ではない、本土側にも問いが突きつけられている、との問題意識も、朝日新聞や毎日新聞をはじめ、山形、信濃毎日、中日・東京、福井、京都、神戸、佐賀(共同通信)、熊本日日、南日本の地方紙・ブロック紙各紙にもみられます。

・朝日新聞「辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか」/まやかしの法の支配/思考停止の果てに/「わがこと」と考える
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13812446.html

 何より憂うべきは、自らに異を唱える人たちには徹底して冷たく当たり、力で抑え込む一方で、意に沿う人々には経済振興の予算を大盤振る舞いするなどして、ムチとアメの使い分けを躊躇(ちゅうちょ)しない手法である。その結果、沖縄には深い分断が刻み込まれてしまった。
 国がこうと決めたら、地方に有無を言わせない。8月に亡くなった翁長雄志前知事は、こうした政権の姿勢に強い危機感を抱いていた。沖縄のアイデンティティーを前面に押し出すだけでなく、「日本の民主主義と地方自治が問われている」と繰り返し語り、辺野古問題は全国の問題なのだと訴えた。
 ここにきて呼応する動きも出てきた。東京都小金井市議会は今月、普天間飛行場の代替施設の必要性などについて、国民全体で議論するよう求める意見書を可決した。沖縄で起きていることを「わがこと」として考えてほしいという、沖縄出身の人たちの呼びかけが実った。
 沖縄に対する政権のやり方が通用するのであれば、安全保障に関する施設はもちろん、「国策」や「国の専権事項」の名の下、たとえば原子力発電所や放射性廃棄物処理施設の立地・造営などをめぐっても、同じことができてしまうだろう。
 そんな国であっていいのか。苦難の歴史を背負う沖縄から、いま日本に住む一人ひとりに突きつけられている問いである。

・毎日新聞「辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない」
 https://mainichi.jp/articles/20181215/ddm/005/070/056000c

 政府側は県民にあきらめムードが広がることを期待しているようだが、その傲慢さが県民の対政府感情をこわばらせ、移設の実現がさらに遠のくとは考えないのだろうか。
 実際、移設の見通しは立っていない。工事の遅れに加え、埋め立て海域の一部に軟弱地盤が見つかったからだ。県側は軟弱地盤の改良に5年、施設の完成までには計13年かかるとの独自試算を発表した。
 それに対し政府は2022年度完成の目標を取り下げず、だんまりを決め込む。工事の長期化を認めると、一日も早い普天間飛行場の危険性除去という埋め立てを急ぐ最大の根拠が揺らぐからだろう。10年先の安全保障環境を見通すのも難しい。
 結局は県民の理解を得るより、米側に工事の進捗(しんちょく)をアピールすることを優先しているようにも見える。
 沖縄を敵に回しても政権は安泰だと高をくくっているのだとすれば、それを許している本土側の無関心も問われなければならない。
 仮に将来、移設が実現したとしても、県民の憎悪と反感に囲まれた基地が安定的に運用できるのか。
 埋め立て工事は強行できても、民意までは埋め立てられない。

・読売新聞「辺野古土砂投入 基地被害軽減へ歩み止めるな」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20181214-OYT1T50151.html

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画は、新たな段階を迎えた。政府は、移設の意義を粘り強く訴えながら、丁寧に工事を進めていかなければならない。
 (中略)
 今回の埋め立て対象は、全160ヘクタールの予定海域のうちの4%で、20年7月まで実施する。政府は作業海域を広げる方針だ。県の理解を求める努力は欠かせない。
 辺野古では、改良が必要な地盤の存在が指摘されており、防衛省は追加の地質調査を行っている。軟弱地盤があれば、設計変更のための県の承認が必要だ。
 玉城デニー県知事は記者会見で、「国の強硬なやり方は認められない。あらゆる手段を講じていく」と述べた。移設工事は、またしても中断する可能性がある。
 普天間の固定化は避けなければならないとの認識で、知事は政府と一致しているはずだ。従来の主張にこだわらず、現実的な解決策を考えるべきである。
 県は、移設の是非を問う県民投票を来年2月に行う。基地問題への県民の思いは様々で、二者択一ではすくい取れない。分断に拍車をかけるだけではないか。
 沖縄には、日本にある米軍基地の7割が集中する。政府は負担軽減を着実に図るとともに、振興策を推進することが求められる。

・産経新聞「辺野古へ土砂投入 普天間返還に欠かせない」
 https://www.sankei.com/column/news/181215/clm1812150002-n1.html

 市街地に囲まれた普天間飛行場の危険を取り除くには、代替施設への移設による返還が欠かせない。
 日米両政府による普天間飛行場の返還合意から22年たつ。返還へつながる埋め立てを支持する。
 (中略)
 沖縄の島である尖閣諸島(石垣市)を日本から奪おうとしている中国は、空母や航空戦力、上陸作戦を担う陸戦隊(海兵隊)などの増強を進めている。北朝鮮は核・ミサイルを放棄していない。沖縄の米海兵隊は、平和を守る抑止力として必要である。
 普天間返還を実現して危険性を取り除くことと、日米同盟の抑止力の確保を両立させるため、日米は辺野古移設で合意した。
 安倍晋三首相ら政府は反対派から厳しい批判を浴びても移設を進めている。県民を含む国民を守るため現実的な方策をとることが政府に課せられた重い責務だからだ。沖縄を軽んじているわけではない。
 そうであっても、政府や与党は辺野古移設がなぜ必要なのか、県や県民に粘り強く説明しなければならない。
 来年2月24日には辺野古移設の是非を問う県民投票が予定されている。普天間返還に逆行し、国と県や県民同士の対立感情を煽(あお)るだけだ。撤回してもらいたい。

・北海道新聞「辺野古土砂投入 沖縄の声無視する暴挙」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/258132?rct=c_editorial

 国は県側が納得できる説明を何一つできていない。
 岩屋毅防衛相は早ければ2022年度とされてきた普天間返還に関し、県の埋め立て承認撤回などを理由に困難との認識を示した。
 返還が遅れる責任を県に転嫁するとは驚くほかない。
 日米両政府が1996年に普天間返還に合意後、20年以上たつ。その間に沖縄の米海兵隊の大幅削減も決まった。日米間で辺野古移設の必要性を再考するのが筋だ。

・山形新聞「辺野古土砂投入 『唯一の策』か再検証を」
 http://yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20181215.inc

 戦後、本土各地にあった米軍基地は反対運動のために沖縄に移され、集中が進んだ。沖縄が投げ掛けているのは、安全保障の負担は全国で公平に担うべきではないかという当たり前の問いだ。沖縄の過重な負担、地元の民意を顧みずに進められる政策。この事態を見過ごすことは、安全保障は沖縄県民の犠牲によって実現されるべきであると言うに等しい。

・信濃毎日新聞「辺野古に土砂 民意顧みない無理押し」
 https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20181215/KT181214ETI090002000.php

 県は辺野古の賛否を問う県民投票を来年2月に予定している。改めて反対の民意を明確に示し、政府に断念を迫る考えだ。
 賛否を巡り地域の分断、亀裂が深まる恐れもある。ここまでしなければならない状況を生み出した罪深さを政府は自省すべきだ。
 国政選挙を含め、繰り返し示されてきた沖縄の民意を顧みることなく、国の政策が力ずくで推し進められている。地方の声を無視する政治の在り方は沖縄だけの問題ではない。
 政府は埋め立てを進めて既成事実化することで県民を諦めさせたいのだろう。こんなやり方を許すことはできない。沖縄の人たちとともに政府に異を唱え続けたい。

・新潟日報「辺野古土砂投入 民主主義の危機を感じる」
 http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20181215438967.html

 沖縄の民意と向き合わず、対立する意見を話し合いで調整する政治の役割を放棄したと言っていい安倍政権のやり方には民主主義の危機を感じる。
 辺野古移設に反対する沖縄県は反発を強め、県民投票や規制強化で対抗する方針だ。
 「沖縄の心に寄り添う」。安倍晋三首相は沖縄の基地問題についてそう繰り返してきた。
 9月の知事選では移設反対を掲げた玉城氏が与党系候補を破った。移設反対が直近の沖縄の民意、沖縄の心といえる。
 政権は11月から1カ月余、玉城氏の求めに応じて県側と協議を続けてきた。しかし結局は土砂投入を強行した。
 埋め立てが実際に始まったことで、後戻りは困難になる。沖縄の心は踏みにじられたと言っていい。

・中日新聞・東京新聞「辺野古に土砂 民意も法理もなき暴走」
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018121502000108.html

 群青の美(ちゅ)ら海とともに沖縄の民意が埋め立てられていく。辺野古で政権が進める米軍新基地建設は法理に反し、合理性も見いだせない。工事自体が目的化している。土砂投入着手はあまりに乱暴だ。
 重ねて言う。
 新基地建設は、法を守るべき政府が法をねじ曲げて進めている。なぜそこに新基地が必要か。大義も根底から揺らいでいる。直ちに土砂投入を中止し虚心に計画を見直す必要があろう。
 (中略)
 あらゆる民主的な主張や手続きが力ずくで封じられる沖縄。そこで起きていることは、この国の民主主義の否定でもある。
 これ以上の政権の暴走は、断じて許されない。

・北國新聞「辺野古埋め立て やむを得ない政治決断」

 安全保障に責任を負う政府としては、外交を含めた多角的な観点からの判断が必要である。「普天間飛行場の危険性を除去し、日米同盟の抑止力を維持するための現実的な解決策は辺野古移設」という政府の見解は、総合的、大局的に考えた末の結論として是認できるのではないか。中国との関係は表面上、改善に動いているとはいえ、軍事的な脅威が薄れることは考えられず、米海兵隊が沖縄に駐留する意義はなお大きい。
 県民投票に反対の意見書には、国全体に影響を及ぼす安保政策は住民投票になじまないとの見解も盛り込まれている。一自治体の意向だけで国の安保政策を決められないことを理解する県民は少なくないのだろう。政府が沖縄県民の苦悩を真摯に受けとめ、基地負担の軽減に努めなければならないことは論をまたない。

・福井新聞「辺野古土砂投入 沖縄の民意を葬る光景だ」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/760124

 土砂を投入する区域は今のところ、予定面積の4%にすぎず、沖縄県側は法的手段などあらゆる手を使って阻止する構えだ。ただ、県民投票にしても一部自治体が実施に否定的とされる。県民は「われわれはいつまで、県民同士で対立しなければならないのか。政府は沖縄の悲しみを知らない」と憤る。反対派と容認派の分断を促してきたのが政府であり、その罪は重い。
 国土面積の1%しかない沖縄に在日米軍基地の7割が集中する。本土各地にあった基地が反対運動により沖縄に移された結果である。全国で公平に負担してほしいと沖縄は投げ掛けている。この声に本土も応える責任があるはずだ。
 土砂投入までには、法治国家とも思えないような政府の強引な姿勢があった。行政不服審査法で防衛省案件を国土交通省が扱ったことなどは最たるものだ。沖縄の民意が葬られる過程を国民も目の当たりにしてきた。対等であるべき国と地方の関係が一方的に崩される事態は、どの自治体でも起こりうることを肝に銘じなければならない。

・京都新聞「辺野古土砂投入 民意背く強行許されぬ」
 https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20181215_3.html

 普天間返還の日米合意から22年。その後、返還後の県内移設が決まり、県民は反発した。早期返還を求める一方で、移設を「新たな基地」負担と受け止めている。
 悲惨な沖縄戦を経験し、米軍基地に県土の多くを占有される県民にとって、やむにやまれぬ反発だろう。本土で同じように移設強行できるのか、との声も聞こえる。
 玉城氏を知事選で大勝させたのは、保守層も含めた民意だ。このまま辺野古移設に突き進めば、安全保障の土台が不安定になりかねないことを、安倍政権は真剣に考えるべきだ。

・神戸新聞「辺野古土砂投入/民意踏みにじる実力行使」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201812/0011906120.shtml

 そもそも政府は、新基地が完成すれば直ちに普天間が返還されると明言していない。
 2013年に日米が合意した返還計画では、辺野古以外に七つの条件が課せられた。緊急時の那覇空港使用などが問題となるが、政府は踏み込んだ見解を示そうとしない。
 空域の使用制限などで、沖縄のみならず日本の空全体に影響を及ぼす日米地位協定も、見直す動きは見られない。
 民意を軽んじて国策を押し通す。地方に従属を求めるが、米国には忖度(そんたく)の姿勢を示す。沖縄の怒りと反発は、安倍政権の対応に向けられている。日本全体の問題として受け止めたい。

・山陰中央新報「辺野古土砂投入/『唯一の策』か再検証を」

・愛媛新聞「辺野古土砂投入 民意を無視した暴挙 工事中止を」
 https://www.ehime-np.co.jp/article/news201812150008

 菅義偉官房長官は「全力で埋め立てを進めていく」とさらに強硬な姿勢を示している。県は今後、土砂採取の規制強化を目的とする「県土保全条例」の改正や、来年2月の県民投票で改めて民意を示すことなどで対抗する構えだ。政府は強引な手法を続ければ続けるほど、県民の怒りを増幅させ自らが重視する日米同盟にも影を落とすと自覚すべきだ。米国に移設先の現状や沖縄の民意を説明し、交渉によって基地負担の軽減を実現することにこそ力を注がなければならない。

・大分合同新聞「辺野古土砂投入 新基地必要性の再検証を」

・佐賀新聞「辺野古土砂投入 『唯一の策』か再検証を」=筆者は共同通信
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/314873

 政府は、市街地にある普天間飛行場の危険性除去のためには辺野古移設が「唯一の解決策」だと主張する。しかし本当に唯一の策なのか。計画が浮上して以降の沖縄県民の民意や安全保障環境の変化、国と地方の関係など、さまざまな観点から疑問が尽きない。
 政府が年内の土砂投入に踏み切ったのは、来年2月に予定される辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票や夏の参院選の前に、工事の既成事実化を図るのが狙いだろう。
 しかし、まだ後戻りはできる。当面土砂を投入する区域は埋め立て予定面積の約4%にすぎない。土砂投入を即時停止し、移設計画を再検証するよう重ねて求めたい。
 (中略)
 戦後、本土各地にあった米軍基地は反対運動のために沖縄に移され、集中が進んだ。沖縄が投げかけているのは、安全保障の負担は全国で公平に担うべきではないかという当たり前の問いだ。沖縄の過重な負担、地元の民意を顧みずに進められる政策。この事態を見過ごしていいのか。本土の側の責任が問われている。

・熊本日日新聞「辺野古土砂投入 『新基地』本当に必要なのか」
 https://kumanichi.com/column/syasetsu/758777/

 政府はなぜ県民投票や係争処理委員会の判断を待てないのか。国と地方は「対等・協力」の関係のはずだ。政府の強圧的とも言える姿勢には、同じ地方に身を置く立場としても危ぐを禁じ得ない。
 政府は辺野古移設の理由に、普天間飛行場の危険性除去のほか日米同盟による抑止力維持を挙げる。朝鮮半島や台湾海峡に近い沖縄に米海兵隊が駐留することが抑止力につながるという理屈だ。
 日米両政府が合意した在沖縄米海兵隊のグアム移転計画には、沖縄を射程に入れる中国のミサイル攻撃を避ける狙いがあるとされる。米軍は危険回避のため、分散配置で兵力を機動的に巡回させるのが基本戦略だ。沖縄には極東最大級の嘉手納基地もあり、抑止力の中核となっている。そうした観点からも辺野古「新基地」は不要だというのが玉城氏の主張だ。
 それでも普天間飛行場の代替施設が不可欠というのであれば、安全保障面での説得力のある説明が必要だろう。県民感情の悪化は、日米同盟の安定的な維持にも影響しかねない。政府はそのこともしっかり認識する必要がある。

・南日本新聞「[辺野古土砂投入] 後世に取り返しつかぬ」/県民の反発は強まる/基地負担の在り方は
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=99698

 政府は、日米同盟の維持や普天間飛行場の危険性除去を理由に、辺野古移設が「唯一の解決策」と強調している。
 果たしてそうだろうか。今年9月の選挙で移設に反対する玉城デニー知事が過去最多の得票で当選し、沖縄の民意は明確である。
 日米とも民主主義を標榜(ひょうぼう)する。日本政府に求められるのは、沖縄の民意を背景に、米政府と移設の是非を再検討することである。
 沖縄は、戦後一貫して米軍基地問題に翻弄(ほんろう)され続けてきた。在日米軍専用施設の大半が集中する県土に新たな基地負担を強いるのは理不尽だ。
 全ての国民が主権者として沖縄の現状を見据え、安全保障の負担の在り方に向き合う必要がある。

 

※追記=2018年12月16日11時10分

 沖縄タイムスが12月16日付紙面に、14日の土砂投入を東京発行の新聞各紙が15日付朝刊でどのような扱いで報じたかをまとめた記事を掲載しています。沖縄県外、日本本土でこの問題がどのように報じられているのかは、日本本土に住む主権者がこの問題をどのように考え、自らの意思を決定するかという問題と密接にかかわります。日本本土のマスメディアのありようは、沖縄の人たちにとっても重要な情報です。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/360055

www.okinawatimes.co.jp

 

※追記2=2018年12月16日16時45分
 目に止まった16日付の社説、論説を書きとめておきます。
 日経新聞は辺野古への新基地建設は容認しつつ、安倍政権を全面的に擁護はせず、日米地位協定の改定を含めて、過重な基地負担の解消策を分かりやすく沖縄県民に示すように求めています。また、日本本土の国民が沖縄の基地問題の歴史を知ることの重要さも指摘しています。
 同じように辺野古への新基地建設を容認する読売新聞や産経新聞は、沖縄県や県民に新基地建設の意義や必要性を粘り強く説明するよう安倍政権に求めていますが、日経新聞は日米地位協定の改定という具体策を挙げることで、読売、産経とは少し異なった趣きを感じさせます。

【12月16日付】
・日経新聞「沖縄に理解求める努力を」
 https://www.nikkei.com/article/DGXKZO39006900V11C18A2EA1000/

 普天間移設が政治課題になって20年以上がたつ。いまさら移設計画を白紙に戻すのは現実的ではない。だからといって、力ずくで反対運動を抑え込めばよいのか。本土から多くの機動隊員が名護市に送り込まれているが、ずっと居続けるのだろうか。
 土砂が投入されたことで、大浦湾の豊かな自然がもとに戻ることはなくなった。安倍政権内に「これで県民も諦めるだろう」との声があることは残念だ。
 いま国がすべきなのは、沖縄の過重な基地負担がどう解消されていくのかを、わかりやすい形で県民に示し、少しずつでも理解の輪を広げることだ。
 過重な負担には、広大な基地面積だけでなく、騒音、振動、悪臭や米軍人の犯罪をきちんと取り締まれない日米地位協定の不平等性という問題もある。

 地位協定の改定に取り組む姿勢をみせれば、県民が抱く「東京はワシントンの言いなり」という不信感を和らげるだろう。
 責任は本土の国民にもある。「沖縄は借地料をもらっておいて文句をいうな」という人がいる。基地用地のほとんどは、戦時に収奪されたものだ。対等に結んだ契約とは話が違う。歴史を知れば、そんな悪口は出ないはずだ。

・神奈川新聞「辺野古土砂投入 この日、決して忘れない」

・西日本新聞「辺野古埋め立て 民意聞かない政治の劣化」
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/473431/

 玉城知事は土砂投入を受けて「工事を強行すればするほど、県民の怒りは燃え上がる」と語った。政府は直ちに土砂投入を中止し、沖縄県との対話を再開する必要がある。さらに土木の専門家も交えて工事の全体像について協議するとともに、県民投票で示される民意を尊重すると県側に約束すべきである。
 政治の本旨とは、謙虚な姿勢で民意に耳を傾け、実現に力を尽くすことだ。それどころか、ブルドーザーさながらに民意を押しつぶし、立ち止まって話し合う度量もない。心が寒くなるような政治の劣化ではないか。 

 

安倍政権の辺野古埋め立て強行を主権者として是とするのか非とするのか~付記 新聞各紙の社説、論説の記録

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設―同県名護市辺野古への新基地建設問題が、大きく動き出しています。岩屋毅防衛相が12月3日、辺野古の新基地予定地の海域に、14日にも土砂を投入すると発表しました。新基地建設反対を掲げて知事選に臨み、安倍晋三政権が推す候補に圧勝した玉城デニー沖縄県知事が、10月12日、11月28日の2回、安倍首相と会ったばかり。協議は平行線で終わったとは言え、間を置かずしての土砂投入の表明は、首相と知事の協議の結果がどうであれ、当初から安倍政権が土砂投入強行の方針だったことをうかがわせます。
 防衛相の表明と同時に沖縄防衛局は3日、名護市の民間企業「琉球セメント」の桟橋から土砂を船に積み込む作業を始めました。桟橋設置の工事完了の届け出がないことなどを沖縄県が指摘したことから、積み込みは4日にいったん中止されましたが、5日になって、桟橋工事の完了を届け出たとして再開しました。沖縄県は琉球セメントに対して立ち入り検査する意向であり、そうであるなら県の判断を待って作業を再開するのが法治国家での常識のように思いますが、それを待たずに作業を再開したことは、自治体の権限などは無視するも同然の安倍政権の強硬ぶりを如実に示しているように感じます。
 沖縄の地元紙の沖縄タイムス、琉球新報は4日付以降、この問題を連日社説で取り上げ、安倍政権を厳しく批判しています。無理を押して事を急ぐ政権の狙いを、来年2月24日に埋め立ての賛否を問う県民投票が行われることから、その前に、既成事実を積み重ねるためと指摘しています。
【12月4日付】
・沖縄タイムス「[辺野古14日土砂投入]『宝の海』を奪う愚行だ」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/354202
・琉球新報「14日辺野古土砂投入 法治国家の破壊許されぬ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-843427.html
【12月5日付】
・沖縄タイムス「[辺野古土砂搬出中断]法無視は無理筋の証し」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/354730
・琉球新報「『違法』な桟橋利用 国策なら何でもありか」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-844043.html
【12月6日付】
・沖縄タイムス「[土砂搬出 作業再開]度を越す 強行一点張り」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/355271

 沖縄県知事選で玉城デニー氏が圧勝したことで、辺野古の新基地建設に反対という沖縄の民意は明白になりました。沖縄の基地集中は沖縄だけの問題ではなく、沖縄に原因がある問題でもありません。仮に日米同盟を是とするなら、沖縄に米軍が駐留することによる利益は日本全体が享受しているはずです。今度は、沖縄県外の日本本土に住む日本人、日本国の主権者である国民が、この沖縄の民意にどう向き合うかが問われると、わたしは知事選の結果を見て考えていました。
 今、安倍政権はその沖縄の民意を一顧だにせず、新基地建設を強行する姿勢をいよいよ露わにしました。本土の主権者は、それを是とするのか非とするのか。主権者としての自らの問題として、為政者への態度を考えるべき問題であることがいよいよ明白になってきたと思います。

 沖縄県外でも、12月4日付以降、いくつもの新聞がこの問題を社説、論説で取り上げています。おおむね、沖縄2紙と同じように、安倍政権への批判が目立ちます。それぞれ一部を引用して書きとめておきます。

■12月4日付
・朝日新聞「辺野古に土砂 政権の暴挙認められぬ」

 結局、集中協議も首相と玉城デニー知事との2度の会談も、話し合いをした形をつくるために開いただけではないか。4年前、当選した翁長雄志前知事との面会を拒み続けて批判を浴びた政権だが、やっていることは何ら変わらない。
 沖縄では来年2月24日に、埋め立ての賛否を問う県民投票が行われる。政府が工事を急ぐ背景には、その前に既成事実を積み上げ、反対派の勢いをそごうという意図が見え隠れする。政治の堕落というほかない。

・北海道新聞「辺野古土砂投入 強行方針 撤回すべきだ」

 沖縄県は先月末、沿岸部の埋め立て承認撤回について、石井啓一国土交通相が効力を停止したのは違法だとして、総務省の第三者機関である国地方係争処理委員会に審査を申し出た。
 さらに県は辺野古移設の賛否を問う県民投票を、来年2月24日投開票の日程で実施する方針だ。
 係争処理委の審査後に法廷闘争となったり、県民投票で移設反対の民意が示されたりする前に、移設を既成事実化させたい。来春の統一地方選への影響も避けたい。
 土砂投入には政権のそんな思惑が透ける。自らの都合で政策を一方的に押し付けてはならない。

・信濃毎日新聞「辺野古移設 許されない既成事実化」

 政府は工事を止めて県民投票の結果や係争処理委の判断を見守るべきだ。9月の知事選で玉城氏は政権が支援した候補に8万票の差をつけ、過去最多の得票で当選した。移設を既成事実化しようと埋め立てを急ぐのは、民意を踏みにじる行為である。
 市街地にある普天間の危険除去は一日も早く実現しなければならない。だからといって辺野古に新基地を造るのでは、沖縄の負担軽減にならない。
 「県民には不自由、不平等、不公正の不満が鬱積(うっせき)している」。玉城氏は首相官邸で、そう述べていた。政府がなすべきは、沖縄の訴えを受け止め、県民が心から納得できる解決策を見いだすために米国と協議することである。

・中日新聞・東京新聞「辺野古埋め立て 対立を深める暴挙だ」

 さらに県は、県民有志が直接請求した辺野古新基地の是非を問う県民投票を来年二月二十四日に行うと決めた。埋め立てに賛成か反対か二択で答えてもらう。極めて明確に民意を測る機会となる。
 翁長前県政時代の埋め立て承認取り消しを巡る法廷での争いは最高裁で県側敗訴が確定したが、民意の在りかについては判断がなされなかった。県民投票の結果自体に法的拘束力はないとはいえ、新たな裁判では焦点になり得よう。
 「辺野古が唯一」の政府方針があらためて問われる局面が続く。
 こうした状況を無視して土砂投入を強行するのは、県民の反政府感情を高めるだけだ。辺野古は元の「美(ちゅ)ら海」に戻らないと諦めさせるのが目的としたら、思い通りにはなるまい。埋め立て開始の決定こそ撤回する必要がある。

・京都新聞「辺野古に土砂  工事ありきは許されぬ」

 外交・防衛は国の専権事項であるとはいえ、沖縄の意向を無視する姿勢が露骨になっている。
 政府にいま求められるのは、県との協議を再開し、解決の糸口を探る努力を続けることではないか。このまま工事を進めて既成事実をつくり、あきらめムードを醸し出そうとするなら、政治の役割を放棄するに等しい。
 工事再開を急ぐのは来年の参院選への影響を最小化する狙いもあるとみられるが、強圧的な姿勢は政権批判を招くだけである。

・佐賀新聞「辺野古土砂投入へ 民意踏みにじる強行だ」

 そもそも政府は市街地にある普天間飛行場の危険性除去のために2019年2月までの運用停止を約束していた。県側の協力が得られないために約束は困難になったとするが、危険性除去と言うならば、辺野古移設完成を待つ前に、早期の普天間運用の停止を米側と協議すべきではないか。

■12月5日付
・新潟日報「辺野古土砂投入 対立深める強行はやめよ」

 なぜ政府は奇策を用いてまでも土砂投入を急ぐのか。
 県は辺野古移設の賛否を問う県民投票を来年2月24日に実施する予定だ。民意を確認し国に突き付けたいとする。
 県民投票や来年夏の参院選が迫る中、県民の審判への影響を最小限に抑えようと、埋め立ての「既成事実化」を急ぎたい政権の思惑が透ける。
 土砂投入は埋め立て工事の本格化を意味し、辺野古移設を大きく前進させる。審判前にできるだけ早く投入を始め、反対する県民のあきらめを誘うのが狙いだろう。
 県は徹底抗戦の構えだが、有効な対抗策に乏しく手詰まり感が募る。県民投票に反対する自治体もあり、対応に苦慮する。
 とはいえ県民の理解を得られないまま、政府が一方的に移設を進めることは決して問題の解決にはつながらない。強圧的なやり方はかえって反発を強めるのではないか。
 地方自治への介入は厳に慎むべきだ。政府は理解を得る努力を怠ってはならない。

・秋田魁新報「辺野古土砂投入へ 民意踏みにじる暴挙だ」

 あまりに沖縄を軽視してはいないか。なぜもっと基地が置かれる地域の声に耳を傾けないのか。防衛・安全保障政策は国の専管事項とは言え、政府の強圧的な姿勢は目に余る。
 そもそも政府は宜野湾市の市街地にある普天間飛行場の危険除去のために、2019年2月までの運用停止を約束していた。県側の協力が得られないために、履行できないとしているが、辺野古移設とは別に、早期の普天間運用停止を米国側と協議すべきである。

・神戸新聞「辺野古土砂投入/民意を軽んじていないか」

 政府は、辺野古の基地建設を普天間移設の「唯一の解決策」と繰り返してきた。辺野古への反発が移設を阻んでいると、沖縄に責任を押しつけた形だ。
 それが本土と沖縄の、そして沖縄県内の対立を招いている。
 環境破壊への懸念や、当初計画と異なる恒久施設化への疑問などにも地元の反発が募る。正面から答えず計画を推し進めるのは、地方は国に従属せよと言っているに等しい。
 投入が強行されれば、対等であるべき国と地方の関係にも禍根を残しかねない。国は沖縄の思いや疑問に向き合い、合意を得られるような基地負担軽減策を練り直さねばならない。

・中国新聞「辺野古、土砂投入へ 民意との乖離、極まった」

 玉城知事は集中協議の席上、辺野古の基地が運用できるまでに最低でも13年を要することや、県の試算によって埋め立てに関わる公費が当初計画の10倍の2兆5500億円に膨らむことなどを指摘した。沖縄防衛局の調査で工事区域の海底に軟弱な地盤が存在することが判明したためであり、ずさんな計画だと言われても仕方がない。
 13年も要していては、普天間閉鎖による危険性除去という目的は果たせまい。予算の膨張についても、納税者たる全国民が憤るべき現実ではないか。
 玉城知事にはあらゆる機会を捉えて、辺野古の計画の見直しに理があることを訴えてもらいたい。私たちも、わがこととして受け止めなければ、沖縄の米軍基地の問題は解決しない。

・高知新聞「【辺野古土砂投入】強引な既成事実化やめよ」

 普天間の危険性は除去されなければならない。ただ、辺野古に大規模で恒久的な軍事施設を造るのでは沖縄の負担軽減にはなるまい。
 民意との乖離(かいり)が明らかなままでは安定的な基地運用にも疑問が残る。
 米紙ニューヨーク・タイムズは、辺野古反対の民意が示された知事選後の社説で「日米両政府は妥協策を探る時だ」と主張した。安倍政権が向き合うべきは、米国を巻き込んで解決策を探る協議ではないか。
 民意を踏みにじる工事の強行は再考を求める。安倍首相は「沖縄の皆さんの心に寄り添う」と繰り返してきた。言行不一致は許されない。

・西日本新聞「辺野古土砂投入 『諦めさせる』のが政治か」

 安倍政権がなりふり構わずの土砂投入を急ぐ背景には、県民投票をにらんだ思惑がある。
 沖縄県は来年2月、辺野古移設の是非を問う県民投票を実施する予定だ。移設反対が過半数を占めれば「辺野古ノー」の民意は確定的になる。政府がその前に埋め立てを既成事実化し、県民に「いまさら反対しても無駄」という無力感を味わわせることで、県民投票への意欲をそごうと狙っているのは明白だ。
 国民の声に耳を傾け、その実現に努力するのが政治であるはずだ。安倍政権の政治目標が沖縄県民を「諦めさせる」ことにあるのなら、政治に対する考え方が根本的に誤っている。
 政府は原状回復が困難となる辺野古への土砂投入を見送り、2月の県民投票で示される民意を最大限に尊重すべきである。

・南日本新聞「[辺野古土砂搬入] 強行策は再考すべきだ」

 民意を踏みにじる工事の強行は再考すべきだ。
 知事選以降、玉城氏と安倍晋三首相は2回会談し、政府と県は事務レベルで協議を重ねた。
 玉城氏は移設反対の理由として、北朝鮮の非核化方針など東アジアの安全保障環境の変化に加え、辺野古新基地は運用までに13年かかるとの見通しを示した。工事区域の海底に存在する軟弱な地盤への対策の必要性も指摘した。
 玉城氏が提起した問題は、国民の多くが疑問を持ち、時間をかけてでも取り組むべき課題だろう。だが、政府が真剣に検討したり、米側と協議したりした形跡は見られない。
 首相は「沖縄県民の気持ちに寄り添う」としながら、「辺野古移設が普天間返還の唯一の解決策」という方針は譲らなかった。

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12月4日付の東京発行各紙朝刊1面です。辺野古埋め立てを1面トップに置いたのは朝日、毎日2紙。対して読売、産経両紙はゴーン日産前会長逮捕の続報でした。産経、東京両紙は辺野古埋め立ても1面に入れていますが、読売、日経は1面にありません。

 なお、12月6日付で、直接辺野古の埋め立て問題をテーマとして論じているわけではありませんが、沖縄の基地集中の問題を巡って政府・政権側に理解を示した社説が産経新聞と北國新聞(本社金沢市)に掲載されたのが目に止まりました。それぞれ一部を引用して書きとめておきます。

■12月6日付
・産経新聞「宜野湾市会の反対 知事は『県民投票』再考を」

 県民投票条例によって投票事務は、市町村が担うことになっている。だが、市議会の意思が明らかになり、宜野湾市が県民投票に加わらない可能性が出てきた。
 県民投票の結果に法的拘束力はない。その上、普天間飛行場を市街地の真ん中に抱える宜野湾市が加わらなければ、政治的意味合いは大きく減じる。もはや何のために県民投票を行うのか、という話にならないか。
 そもそも、日米安全保障条約に基づく米軍基地の配置など外交・安全保障は政府の専権事項だ。そうでなければ国民を守り抜けない。県民投票や知事選によって是非を決めるものではない。
 玉城デニー知事と県政与党は再考し、県民投票の撤回に動くべきである。

・北國新聞「沖縄・辺野古訴訟 忘れ去られた和解の原点」

 埋め立て承認取り消しの訴訟は、16年末の最高裁判決で県側の対応が違法との司法判断が確定した。和解の趣旨に従うなら、この時点で県側は姿勢を改めるのが筋であったろうが、当時の翁長雄志知事は、別訴訟であれば和解条項に縛られないとして、新たに県漁業調整規則を盾に提訴した。しかし、これも一、二審とも県側の訴えは却下され、法廷闘争の不毛さを印象づけている。
 国と沖縄県は現在、辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回した県の措置をめぐって対立し、舞台は国の第三者機関「国地方係争処理委員会」に移っているが、訴訟の判決確定後には互いに協調するという和解条項を顧みる気配が沖縄県側にまったく感じられないのは遺憾と言わざるをえない。
 玉城デニー知事は先に安倍晋三首相と会談した際、辺野古を埋め立て、代替飛行場を運用するまで最低でも13年かかり、総工費は政府の当初見込み額の10倍強の2兆5500億円に上るとの試算を示し、移設断念を迫ったという。防衛省は14日に辺野古埋め立ての土砂を投入する方針であるが、沖縄県側の一方的な試算が独り歩きすることがないよう、国民への説明を尽くす必要がある。

 

※追記 2018年12月7日23時10分
 沖縄県外の新聞各紙の社説、論説の追加です。
■12月7日付
・毎日新聞「辺野古に土砂投入へ 民意排除の露骨な姿勢だ」

 民意をはねつけ、露骨に国家権力の都合をゴリ押しする姿勢は「沖縄に寄り添う」と繰り返してきた安倍晋三首相の言葉と相反する。
 埋め立て予定海域で軟弱地盤が見つかったことも政府の焦りを誘っているようだ。県側は工事完了まで13年かかると独自に試算する。そうだとすれば「一日も早く普天間返還を実現するため」という政府の大義名分が説得力を失いかねない。
 首相は玉城知事と会談した際、「米側との計画通り移設作業を進めていきたい」と述べた。
 日米政府間の合意は重いが、だからといって、地元の民意を無視してよいということにはならない。
 移設実現の見通しが立たないまま、工事を進めることが自己目的化しては意味がない。

・山梨日日新聞「[辺野古土砂投入]民意軽視の強行は理不尽だ」

追悼 齋藤三雄さん

 悲しく、残念な知らせが届きました。
 フリーランス・ジャーナリストで、元内外タイムス労働組合委員長の齋藤三雄さんが11月26日、逝去されました。59歳の若さでした。つつしんで哀悼の意を表します。

 内外タイムスはかつて、東京で発行されていた夕刊紙です。日刊ゲンダイ、夕刊フジ、東京スポーツと並んで、首都圏の駅売店の新聞売り場の一角を占めていました。一般紙とは一線を画した紙面で、ギャンブルや芸能、スポーツなどの大衆娯楽路線に力を入れ、マニアックな風俗広告でも知られていました。
 発行する内外タイムス社は1990年代から経営危機が続き、オーナーの交代も繰り返されました。社員でつくる内外タイムス労働組合と加盟する新聞労連にとっても、同社の経営と新聞発行の安定は大きな課題でした。2006年には印刷代金の滞納などから休刊の危機を迎えますが、新聞労連が内外タイムス労組に貸し付けた資金を印刷代金の一部として、新聞発行は継続されました。しかし2009年11月、同社が自己破産を申請して新聞発行は終焉を迎えました。

 わたしが齋藤さんと初めてお目にかかったのは2001年、わたしが所属する通信社の企業内労組の委員長として、新聞労連に出入りするようになったころでした。そのころ、齋藤さんは内外タイムス労組の委員長を長らく務められており、新聞労連の大会や中央委員会などの場では、必ず経営再建を求める取り組みについて報告をされていました。会社の経営も社員が置かれた状況も予断を許さない厳しい状況だったはずなのですが、齋藤さんはいつも明るく朗らか。怪しい人脈も登場する経営の内幕を分かりやすく説明し、労働者と労組にとっては何が重要か、ポイントを外すことなく報告されていました。
 懇談の場でも、様々なことを一緒に話しました。どんなに厳しい状況でも、むしろ厳しい状況だからこそ、元気を出して明るく朗らかに、前を向いて進むことが大事―。そのことを齋藤さんに教わりました。内外タイムス労組の機関紙の題号が「ど根性」だったことも、強く印象に残っています。
 その後2004年7月から2年間、わたしは新聞労連の委員長を務めました。その職に就くと決まったとき、わたしの頭の中には、お手本にしようと思った労働組合運動の先人、先輩の名前が何人かありました。そのうちのお一人が齋藤さんでした。当時の新聞労連の加盟組合員は約2万8千人。その先頭に立って進むべきわたしは、困難なときこそ、明るく朗らかでいようと心に決めました。2年間の任期中、そのことを実践できたかは心もとありませんが。
 齋藤さんはその後、経営再建のために労組を離れて経営に携わるようになり、やがて、内外タイムスを離れました。わたしが新聞労連委員長に就任した当時には、フリーランス・ジャーナリストとして活動されていたと記憶しています。
 2006年に迎えた内外タイムスの危機は、わたしの新聞労連委員長退任と後任の委員長への引き継ぎの時期にかかっていました。後任の委員長を中心に新聞労連と内外タイムス労組が大きな決断をして、内外タイムスの発行が継続されるに至りましたが、わたしも、当時の内外タイムス労組の執行部の皆さんも、齋藤さんら先人が守ってこられた新聞のともしびを絶やしてはならない、との思いを共有していたと思います。

 2006年の危機から09年の終焉まで、苦労をともにした内外タイムス労組の元組合員と、新聞労連の歴代執行部有志とが2年前に集まり、旧交をあたためる機会がありました。わたしたちの当時の取り組みと連帯の意義を再確認しながら、次回は齋藤さんにも来ていただきたい、久しぶりにお会いしてお話ししたいと思っていました。残念ながら、その機会は永遠になくなってしまいました。

 先日、東京都内で執り行われた齋藤さんの通夜に参列しました。寒空の下、式場の外まで、大勢の参列者が焼香の列をつくりました。取材先からも、だれからも愛され、信用された齋藤さんの人柄がしのばれました。
 齋藤さん、ありがとうございました。安らかにお眠りください。苦しいときこそ、明るく、朗らかに、という齋藤さんに学んだ生き方を、わたしはがんばって貫いていこうと思います。

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西南戦争の激戦地・田原坂で考えた明治維新と日本の現代史

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 先日、熊本市を訪ねました。用件が終わり、東京へ戻る飛行機の便までの時間を利用して、明治期の西南戦争の激戦地である熊本市北部の田原坂を訪ねました。
 西南戦争の説明の一般的な例として、ここではウイキペディアを参照します。「西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、2018年現在日本国内で最後の内戦である」。
 ※ウイキペディア「西南戦争」

 1877年2月に始まった戦争は、鹿児島市の城山で西郷隆盛が死んだ同年9月24日に終わったとされます。この内戦は、明治新政府に対する不正士族の実力行使がことごとく抑え込まれた、その最後のケースでした。以後は旧士族の不満は自由民権運動の高まりへと向かいます。意思表明や要求の手段が暴力から言論へと変わっていった、と言えるかもしれません。
 戦場で実際に戦うのはだれか、という点から見れば、薩摩軍が先祖代々の武士(士族)中心であったのに対して、政府軍は武士出身の指揮官のほかは、徴兵された農民ら一般国民を中心にした兵で編成されていました。この国民皆兵の制度は1945年の第二次大戦の敗戦まで続きました。戦争が国民一人一人の生活や生命にも直接、大きな影響を及ぼしました。
 ことし2018年は明治150年です。明治維新から第2次大戦の敗戦まで77年、敗戦から現在まで73年です。わたしは1960年の生まれで、そのわたしたちの世代にとっては、敗戦は父母が少年少女だった時の出来事です。その父母の親、わたしたちの祖父母の世代からみれば、明治維新や西南戦争はその両親や祖父母が直接知る時代の出来事だったのでしょう。そんな風に考えてみると、時の流れが今日に連綿とつながっていることをあらためて思います。

 田原坂の戦闘のことを知ったのは、司馬遼太郎さんの長編小説「翔ぶがごとく」でした。読んだのは20年以上も前だったように記憶しています。西南戦争の緒戦は熊本城の攻防でした。薩摩軍の進攻に対し、熊本鎮台の政府軍は熊本城に籠城します。政府の救援部隊は北から来るため、薩摩軍は一部を熊本城の包囲に残して北上し、田原坂や周辺に防御陣地を築きました。西南戦争は大きく俯瞰すれば、薩摩軍が東京を目指して軍を進めようとした戦争でしたが、田原坂の戦闘は、熊本城救援を阻止するために薩摩軍が政府軍を迎え撃った局地戦でした。結局、薩摩軍は田原坂を守り切れず、熊本城を落とすこともできずに以後、九州の中を放浪するように移動し、最後は鹿児島に帰って全滅します。
 「翔ぶがごとく」で描かれた田原坂の戦闘の描写でよく覚えているのは、薩摩軍の刀による切り込みです。兵装の近代化は政府軍の方が進んでおり、小銃は薬きょうに入った弾を手元で込めて撃つタイプなのに対し、薩摩軍の小銃は銃身の先の銃口から火薬と弾丸を込める旧式で、雨が降ると使えませんでした。そんなときに薩摩兵は、坂道に沿って幾重にも掘った塹壕を飛び出し、抜いた刀を両手で振り上げ、独特の叫び声を挙げながら切りかかりました。薩摩藩独自の示現流は、一撃で相手を倒すことを目的とした実戦的な剣法で、子どものころから訓練された薩摩士族に対して、農民出身の政府軍の兵は太刀打ちできず、散り散りになって逃げるしかなかった―。確か、そんな描写だったと思います。

 田原坂は熊本市北区植木町(旧植木町)豊岡地区にあります。地図で見ると、熊本城から北北西に15キロ程度でしょうか。坂はふもとから南東方向に1キロ余り、標高差約60メートル。一の坂、二の坂、三の坂とあります。訪ねた日はあいにくの雨模様でしたが、明治10年3月、17昼夜に渡った田原坂の戦闘では7日間は雨やみぞれが続いたとのことで、往時に思いをはせながら、傘をさして徒歩で登ってみました。

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 坂の入り口は国道208号から「田原坂公園入口」の信号を入ってすぐ。JR鹿児島線の木葉駅から1キロほどでしょうか。川に石造りのアーチ橋「豊岡眼鏡橋」がかかっており、旧植木町教育員会の案内板によると、政府軍はこの一帯を田原坂攻撃部隊の出撃拠点にしていたとのことです。
 坂へと続く側道に入って間もなく一の坂に。結構な傾斜を感じました。当時と今では様子が変わっているのかもしれませんが、切り通しで道の両側は壁状になっており、竹や木に覆われたところは晴れの日でも薄暗いのではないかと思います。この林の中から刀を振り上げた薩摩兵が奇声とともに飛びかかってきたのかと思うと、政府軍の農民兵が味わっただろう恐怖が少しだけ分かったような気がしました。

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 当時は未舗装だったものの道幅は4メートルほどあったというので、今も戦争当時の雰囲気は残っているのかもしれません。大砲などの大型の武器や資材を熊本城まで運べる道はこの田原坂だけで、政府軍は熊本城救援のために、ここを通るしかなく、従って薩摩軍も救援を阻むために防衛線を設定したという、戦略上の要衝だったようです。一の坂を登りきると、あとは二の坂、三の坂とも緩やかで、歩くのにさほどの苦労はありませんでした。ところどころにミカン畑が広がるのどかな風景が続き、やがて田原坂公園に着きました。眼鏡橋からゆっくり歩いても30分かかりませんでした。

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 田原坂公園には「熊本市田原坂西南戦争資料館」があります。入館料は大人300円。充実した展示で、じっくりと見て回りました。

 ※資料館のサイト
 http://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=16402

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 館内の一角には、陣地を再現したジオラマがあり、暗闇の中で戦闘シーンをリアルに再現した映像が、砲弾の着弾音や小銃の発砲音とともに流れていました。両軍の服装や食事の内容まで再現した展示もありました。

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 一帯では当時の小銃弾が今でも見つかるそうで、資料館にも両軍が撃った実際の銃弾や、砲弾の破片が展示されていました。砲弾は政府軍が薩摩軍の陣地に向けて盛んに撃ちこんだとのことです。手に取ることはできませんでしたが、恐らくはずっしりと重い鉄の破片が、高速で回転しながら着弾点周辺に飛び散ったはずです。死をすぐそばに感じながら薩摩兵も必死で恐怖に耐えていたのではないかと思います。

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 明治150年の特別企画として「会津と熊本 会津戦争 そして熊本戦争」の展示がありました。戊辰戦争で会津藩は政府軍の攻撃を受け降伏し、生き残った藩士も青森・斗南に移封され辛酸をなめました。その9年後に西南戦争が勃発しました。「戊辰戦争は明治維新の開始を、西南戦争はその終わりを告げた戦いでした。明治維新は戦争に始まり、戦争に終わった激動の時間だったともいえます。多くの悲劇を生み大きな犠牲を払ったこれらの内戦は、ともに明治国家が近代化という大海に漕ぎ出す号砲となったのです」との解説が展示の冒頭にありました。
 一般にどこまで知られているのか分かりませんが、西南戦争では政府軍に士族である警察官からなる部隊も加わっていました。薩摩軍の刀による切り込みに対抗するため、政府軍は警視庁の部隊の中から特に剣術の上級者で「警視抜刀隊」を編成し、刀を持たせて戦場に送り込みます。このため西南戦争は、双方が日本刀で切り合った最後の戦争という側面もあるようです。

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 この抜刀隊には旧会津藩士も多く含まれていたことを、展示では具体的な個人名も挙げて詳しく解説していました。熊本県内に埋葬された警視隊の死者数を出身地域別に並べた表もあり、それによると最多は鹿児島の80人、続いて東京63人の順。3位が福島の46人で、4位の地元熊本の23人の倍となっています。
 旧会津藩士が会津戦争の復讐のために抜刀隊に志願したという逸話はよく耳にしますが、展示によると、後に総理大臣となり五・一五事件で暗殺される犬養毅が従軍記者として、抜刀隊の会津士族が「戊辰の復讐」と叫び、傷を負いながらも奮戦したことを記事で伝えているとのことです。

 薩摩軍には少年も少なくなかったとのことです。田原坂のことを下調べする中で、熊本県に「田原坂」という民謡があり、「雨は降る降るじんばは濡れる こすにこされぬ田原坂」(「じんば」は「人馬」「陣羽」の二通りあるようです)に続いて「右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな美少年」とうたわれていることを知りました。このことにちなんでか、資料館にはアニメ風の美少年のイメージキャラクター「山口雄吾」がいました。

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 資料館が2015年から毎年発行している年刊「田原坂」の表紙も美少年キャラクターです。若い世代の歴史への関心が高まるとすれば、こういった試みも悪くはないと思います。年刊「田原坂」は各号とも表紙、裏表紙を含めて8ページとコンパクトですが、各号のテーマに即して資料館の収蔵資料を組み合わせて西南戦争と田原坂の戦いを解説しており、とても密度の濃い内容です。資料館で無料で配布していました。

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 田原坂公園にはほかに、おびただしい銃弾を受けた「弾痕の家」が復元されているほか、西南戦争の薩摩軍、政府軍の犠牲者計約1万4千人の慰霊塔も建っています。季節には桜やツツジが咲き誇る静かな公園として整備され、わたしが訪ねた際にはモミジが赤く色づいていました。その中でひときわ目を引く巨大なクスノキがあります。根元には、馬にまたがり右手の刀を前方にかざす少年の像。台座には民謡「田原坂」の歌詞が刻まれています。傾斜地での戦闘、しかも小銃弾や砲弾が飛び交う戦場を、刀を手に本当に少年兵が馬で駆け抜けたとは考えにくいのですが、ではなぜこういう歌詞が残っているのでしょうか。

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 以下はネットであれこれ調べていて、たまたま目にした郷土史家の講演録と思われる文書に記載があったことです。民謡「田原坂」が成立したのは昭和になってから。この戦いを生き延びた人たちが往時を振りかえり、いつしか酒席の場で口にするようになったのが始まりだろう。おそらく、景気がよくなった日露戦争のころから。「美少年」は若かった自分たちのこと。イケメンだったかどうかは関係なく、「あの頃は自分も若かった。よく戦った」との思いが込められた表現だったのではないか。西南戦争は小銃弾が1日に32万発とか34万発も飛び交った近代戦で、そうした中を馬で疾走すればたちまちハチの巣になる。「馬上豊かな美少年」は元武士らしい美意識の比ゆ的な表現ではないか。また「じんばは濡れる」の「じんば」も「人馬」や「陣羽」ではなく、当初は「陣場」だった。薩摩軍は塹壕の陣地を築いており、雨によって陣地内は水浸し。ぬかるみでわらじの緒も切れ、木綿の衣服は重くなる。雨で大変だったなあ、との経験者ならではの述懐が込められている―。以上のようなことです。なるほどと思いました。この講演録は直接引用して紹介したいのですが、いつ、どのような場での講演なのか、この郷土史家がどのような方なのかがまったく分からないので、ここではこの程度の紹介にとどめます。

 いずれにせよ、この田原坂の地では薩摩軍、政府軍ともあまたの若者が命を落としました。薩摩軍の西郷隆盛も死亡時49歳。戦争終結の翌年に暗殺された政府中枢の大久保利通も47年の生涯でした。2人とも今日の感覚で言えば早い死です。あまりにも多くの命が奪われました。しかも若い命が。それが明治維新の一つの側面です。
 西南戦争をもって内戦は終結しましたが、以後の日本は日清、日露の両戦争、台湾、朝鮮半島の植民地支配、そして中国との戦争、太平洋戦争へと突き進みます。戦場で殺し、殺された日本兵は平時なら社会で生活を営む一般の国民でした。戦場となった地域の住民にもおびただしい被害が出ました。今日の価値観で当時のことの当否を論じるには慎重さが必要だと思いますが、重要なのは歴史から何を学び取るのかだろうと思います。今は、一般の国民が徴兵されて戦場に送られることはありません。このこと一つとっても守り続けなければいけないことだと思います。そして、戦争となれば民は被害者でもあり、加害者になることもある。だから戦争は絶対悪であるということを忘れてはいけない―。田原坂の地を歩きながら、そんなことをあらためて考えました。

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新聞労連が声明発表 「CNN記者の早期復帰を求める―CNNやホワイトハウス記者協会と連帯する― 」

 新聞労連が11月14日、声明「CNN記者の早期復帰を求める―CNNやホワイトハウス記者協会と連帯する― 」を発表しました。
 「今回のホワイトハウスでの出来事は、日本で働く私たちにとっても他人事ではありません」ーその通りだと思います。
 「今こそ私たちは、会社の枠や国境を越えて、人々の『知る権利』を守る取材環境を築き、将来世代に引き渡していくために、力を合わせていきたいと思います」ー賛同します。わたしの立場では、さらに「労使の別」も越えるべきものの一つだと考えています。
 http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/20181114.html

CNN記者の早期復帰を求める
―CNNやホワイトハウス記者協会と連帯する―

2018年11月14日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南 彰

 アメリカのホワイトハウスが、記者会見でトランプ大統領に臆せず質疑を続けようとしたCNNのジム・アコスタ記者の記者証を取り上げました。批判的な角度からも様々な質問をぶつけ、為政者の見解を問いただすことは、記者としての責務であり、こうした営みを通じて、人々の「知る権利」は保障されています。大統領と記者の単なる「口論」ではないのです。日本の新聞社・通信社で働く約2万人が加盟する日本新聞労働組合連合(新聞労連)は、「報道の自由」や「知る権利」を踏みにじるホワイトハウスの行動に抗議して記者の復帰を求めているCNNとホワイトハウス記者協会の対応を支持し、連帯を表明します。

 今回のホワイトハウスでの出来事は、日本で働く私たちにとっても他人事ではありません。
 2016年6月には、富山市議会の最大会派の会長が取材中の記者を押して倒し、メモを力ずくで奪う事件が起きました。18年1月には、兵庫県西宮市の今村岳司市長(当時)が記者に「殺すぞ」「(上司に)落とし前をつけさせる」と恫喝。また、政府のスポークスマンである官房長官の記者会見をめぐっては昨年以降、政府の見解の真偽を問いただす記者への取材制限や誹謗中傷、殺害予告まで起きています。

 今こそ私たちは、会社の枠や国境を越えて、人々の「知る権利」を守る取材環境を築き、将来世代に引き渡していくために、力を合わせていきたいと思います。
以上  

5千人が参列した「新聞の葬式」~自由民権運動の高知で

 明治15(1882)年、高知市で「新聞の葬式」がありました。明治維新後、憲法制定や議会開設など国民の政治参加を求めた自由民権運動の中で、民権派の「高知新聞」が同年7月14日、政府から発行禁止処分の弾圧を受けます。既に5回の発行停止処分を受けていました。この発行禁止処分への抗議への意味を込めて行われたイベントでした。
 勤務先の人事異動で大阪にいた6年前、出張で高知市を訪ねた折に、この「新聞の葬式」のことを知りました。先日、高知市を再訪する機会があり、空き時間を利用して高知市立自由民権記念館を見学。「新聞の葬式」の概要を知ることができました。
 ※高知市立自由民権記念館 http://www.i-minken.jp/

 ※自由民権運動のあらましについては、ウイキペディアを参照くださるようお願いします。
 自由民権運動 - Wikipedia

 自由民権運動の中心的人物としては、土佐藩出身の板垣退助がよく知られています。記念館のパンフレットでも板垣の銅像の写真とともに「自由は土佐の山間より」との高知県のシンボル的な言葉である「県詞」を掲げ、「近代日本の歴史に土佐の自由民権運動は大きな役割を果たしました。この日本最初の民主主義運動における経験は、私たち高知市民の誇りとなっています」と紹介しています。ちなみに観覧券は「自由通行証」(大人320円)で、ここにも「自由は土佐の山間より」の県詞があります。

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 記念館の展示や説明資料によると、高知新聞に発行禁止命令が出た明治15年は、高知県内で民権派と政府権力との闘いがもっとも激しい時期でした。民権派は新聞の発行停止・発行禁止命令に対しては「身代わり紙」を発行して抵抗していました。発行禁止の2日後の7月16日、身代わり紙の「高知自由新聞」が「高知新聞葬」の広告を掲載しました。資料からは「我ガ愛友ナル高知新聞ハ一昨十四日午後九時絶命候ニ付 本日午後一時吊式執行仕候間 愛顧ノ諸君ハ来会アランヲ乞」との文面が読み取れます(「吊式」は今日風に表記すれば「弔式」、つまり葬式のようです)。発信人は「高知新聞ノ愛友 高知自由新聞社」です。
 当日の会葬者は5千人を数え「忌中笠の壮士・位牌・僧侶・発禁号を納めた柩・記者・愛読者など」(説明資料より)の葬列が市内中心部から、高知市を見下ろす五台山までを、現代風に言えばデモ行進した後、五台山で柩を火葬にしました。身代わり発行の高知自由新聞も同月21日に発行禁止となり、再び新聞葬が行われ、会葬者は初回の2倍に達したとのことです。

 ことしは1868年の明治政府樹立から150年に当たります。「維新150年」として、日本政府は10月23日に記念式典を開催しました。安倍晋三首相の式辞からは、明治政府の下での近代日本の歩みを積極的、肯定的にとらえる歴史観が読み取れます。明治政府は安倍首相の地元長州(山口県)と薩摩(鹿児島県)の藩閥政治でした。安倍首相がこうした歴史観を持っているのは当然のことかもしれません。

 ※明治150年記念式典 安倍内閣総理大臣式辞

www.kantei.go.jp

 その一方では、「戊辰150年」として内戦である戊辰戦争で亡くなった先人を偲ぶ地域もあります(ちなみに板垣退助も官軍の土佐藩兵の指揮官として、戊辰戦争を戦っていました)。そうした歴史の中で、明治の比較的早い時期に起こった「新聞の葬式」は、現在と社会の状況も新聞のありようも全く異なるとはいえ、国家権力による弾圧に決して屈しなかった人たちがいたことを伝える出来事のように思えます。

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 今日の新聞、とりわけ一般紙は政治運動のツールではありません。しかし、批判を受けることを快く思わない(だれであれ批判を受けるのを疎ましく感じるのは当たり前かもしれませんが)権力者の習い性は、いつの時代も変わらないようにも感じます。「新聞」を生涯の仕事に選んだ者の一人として、表現の自由や言論の自由は戦うことなしには守り切れるものではないことをあらためて胸に刻み、「新聞の葬式」に先人が見せた不屈の意志を忘れずにいまいと思います。

週刊ダイヤモンド・特集「4つの格差が決める メディアの新序列」

 週刊ダイヤモンドの10月27日号が「4つの格差が決める メディアの新序列」という特集を組んでいたので購入しました。 この十数年来、週刊ダイヤモンドや週刊東洋経済がメディアを巡る特集を組んでいるのを見かけると、ほぼ買っていました。久しぶりの特集のように思います。

  「4つの格差」とは、テクノロジー、財務、人事、待遇のことだそうです。わたしが身を置く新聞界について、特集の結論をわたしなりにざっくりとまとめると、部数減は加速し凋落の一途、デジタル化に出遅れた上に人員構成も依然として編集部門偏重、新しいテクノロジーを自ら生み出す展望もなく、一部の新聞社の財務の悪化は深刻で業界の再編は必至―ということのようです。
 興味深く読んだのは地方紙33社を独自の指標で順位付けした「経営脆弱度ランキング」です。しかし、ワースト1とされた京都新聞社は10年以上も前に分社化してグループ会社制に移行しており、経営状況をみるならグループ全体でなければあまり意味はありません。特集記事でも自らその点に触れて「留意が必要」などと書いており、ではいったいこの序列化にどこまで意味があるのかと、正直なところ疑問も感じました。
 新聞界の先行きが厳しいことは、随分前から指摘されていることで、今さら驚いたり、嘆いたりするようなことではありませんが、現実とは冷静に向き合いたいと思います。

 備忘を兼ねて、以下に特集の記事の見出しを書きとめておきます。アマゾンの「商品説明」を元にしています。 

【特集】テクノロジー 財務 人事 待遇
4つの格差が決める メディアの新序列

「Prologue」メディア業界の序列を決める4つの格差

「Part 1」決算書から分かる「財務格差」
数字から見えた二大旧メディアの内情 再編近い新聞、二極化するTV
押し紙影響度・効率性・健全性で試算 経営脆弱度ランキング 地方紙編
Buzz、HUFFPOST、BIは生き残る? バイラル御三家のカネと内情

「Part 2」3年後の序列決める「テクノロジー格差」
超売り手市場でエンジニア採用に高い壁 テック人材争奪戦の内幕
記者は農民? 最強の意識高い系メディア 「NewsPicks」解体新書
(Interview)梅田優祐●NewsPicks代表取締役
(Interview)金泉俊輔●NewsPicks編集長
デジタル版「サブスク」ランキング 世界の新序列で日経は3位?
アマゾンから日経、TikTokまで 動画を制す社がメディアを制す
「TVer」への出向でテック人材育成 キー局が進める裏ミッション

「Part 3」編集支配の歪な「人事格差」
女性1人、中途1人、外国人0人、記者8割 大手メディアは超同質集団
だからデジタル改革が進まない! 実名入り 今も続く「編集局」内人事抗争

「Part 4」旧来型メディアエリートの没落
デジタル記者がエリートになれない理由 新旧メディアの年収序列
インフルエンサー使った新ステマが横行 奴隷化するウェブメディア

「Part 5」未来の新序列が見通せる 読者"愛着度"ランキング

 新聞の先行きの厳しさはこの10年来、経済誌の特集のたびに大きく取り上げられてきています。週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済の2誌がこの10年間に組んできた特集のタイトルを並べると次の通りです。

「新聞・テレビ複合不況」         (2008年12月ダイヤモンド)
「テレビ・新聞陥落!」          (2009年1月東洋経済)
「新聞・テレビ断末魔」          (2010年2月東洋経済)
「激烈!メディア覇権戦争」        (2010年7月東洋経済)
「新聞・テレビ勝者なき消耗戦」      (2011年1月ダイヤモンド)
「新聞・テレビ動乱」           (2014年10月東洋経済)
「4つの格差が決めるメディアの新序列」  (2018年10月ダイヤモンド)

※参考過去記事

news-worker.hatenablog.com