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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

地域に根差すジャーナリズムの平和の視座~8月15日のブロック紙・地方紙の社説

 日本の敗戦から72年がたちました。今年の8月15日は、北朝鮮が核武装化を公言してミサイル実験を繰り返し、それに米国のトランプ大統領が武力行使を示唆した威嚇で応じるという国際情勢の中で迎えました。いつの年にも増して、日本の平和主義が試されているのだと感じます。
 15日付の地方紙、ブロック紙の社説をネットで読みました。戦争を直接経験した方々が少なくなっている中で、戦争体験を社会でどう継承し、それを現憲法の平和主義の下で、平和の維持にどうつなげていくか―。ほとんどの社説にはそうした問題意識が共通していると感じます。
 いくつかの社説は、空襲などそれぞれの地域の戦争の記録や記憶を地域で伝え継いでいくことが、平和を維持することにつながる、との訴えが共通していました。例えば徳島新聞や熊本日日新聞、南日本新聞の社説、さらには神戸新聞の社説は、地域に根差すジャーナリズムの平和への視座として、強く印象に残ります。
 以下に、ネットで全文を読むことができた(15日現在です)地方紙、ブロック紙の社説の見出しと、一部の地方紙、ブロック紙についてはその一部を引用して紹介します。

▼北海道新聞「きょう終戦の日 平和守り抜く覚悟 次代に」憲法の理念見失うな/核放棄の橋渡しこそ/加害の歴史忘れない 

 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/125687?rct=c_editorial

 忘れてならないのは「加害の歴史」だ。アジア各国で2千万人が犠牲になったとも言われる。
 安倍氏と同じ改憲論者で99歳の中曽根康弘元首相は「中国に対しての軍事行動は侵略であったと言わざるを得ない」と自著で記す。
 戦後生まれが8割を超え、戦争体験を直接語れる人は減っている。でも映像や展示、記録を通じ、戦争の残虐性や悲劇を追体験することはできる。それが二度と同じ過ちを繰り返さない力になる。 

▼河北新報「終戦記念日/英知結集して平和築く力に」
 http://www.kahoku.co.jp/editorial/20170815_01.html 

▼デーリー東北「終戦記念日 平和な世界の構築を」
 http://www.daily-tohoku.co.jp/jihyo/jihyo.html 

▼秋田魁新報「終戦から72年 平和守れるか正念場だ」
 http://www.sakigake.jp/news/article/20170815AK0010/

▼岩手日報「終戦の日 『20年後』を現代が映す」
 http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2017/m08/r0815.htm 

 文民統制は、軍部の暴走を止められなかった過去の反省に基づく。暴走は日中戦争で噴出するが、その20年前に源があることは見逃せない。
 「シベリア出兵」の締めくくりで、麻田准教授はこう指摘した。
 「日中戦争では、シベリア出兵に参加した多くの将校たちが昇進して指揮をとっているが、その経験が生かされたようにも見えない」。教訓や反省が20年後に生きない。そこに悲劇があると見る。
 組織に巣くう問題を改めない限り、歴史は繰り返される。「20年後」の日本の姿は既に現代が映している。それを胸に刻まなければならない。 

▼福島民報「【終戦から72年】平和の尊さを次世代に」
 http://www.minpo.jp/news/detail/2017081544226

▼福島民友「終戦の日/平和のバトン確実に次代へ」
 http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20170815-196051.php

▼信濃毎日新聞「憲法の岐路 自衛隊明記案 行き着く先を見据えねば」独り善がりな提案/衣の下のよろいは/「お試し」に乗らず
 http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170815/KT170814ETI090002000.php  

 ▼新潟日報「終戦の日に 『戦後』守る決意を持とう」9条をかみしめたい/重み増す一票の役割/戦争体験を知らねば
 http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20170815340688.html

▼中日新聞・東京新聞「誰が戦争を止めるのか 終戦の日に考える」武器商人カショギ氏/被爆者らの不屈の訴え/平和の世紀を求めよう
 http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017081502000107.html

▼北國新聞「終戦記念日に 戦後の転換点に差し掛かる」 

 首相のいう2020年施行という改憲スケジュールは、政権の求心力低下で後退した印象であるが、憲法改正を具体的な政治日程に乗せた意味は大きい。
 (中略)
 ただ、9条をめぐる本質的な議論に踏み込まない改憲案には自民党内にも異論がある。現在の防衛省・自衛隊は行政機関の一つであり、自衛隊は「戦力」に該当しない武力を持つ「実力組織」とされる。が、対外的には軍隊と認識される、一種の詭弁の上にある中途半端な存在である。
 国と国民を守るために軍隊を持ち、志ある国民が軍人となって国を守るという、国際社会では普通の生き方を拒否することが戦後日本の平和国家としての歩みであった。今後ともそうした生き方に徹するのか、国のかたちを根本から問い直すのかという本質論に迫られている意味でも戦後の転換点にあると認識したい。 

 ▼福井新聞「終戦の日 平和の先頭に立たない国」
 http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/227017 

 核・ミサイル開発を加速させる北朝鮮の危険な挑発に軍事報復も辞さないトランプ米政権の動き、軍事力を背景にした中国の一方的な海洋進出、また過激派組織「イスラム国」(IS)のテロと無縁な国はどこもない。国際社会を覆う内向きなエゴイズムと暴力主義が日本を「過去」に急旋回させつつある。
 国連が掲げる国際平和の理想がなぜ揺らぐのか、なぜ愚かな戦闘が絶えないのか。そのことを考える原点として、自国の「過ち」に真摯(しんし)に向き合いたい。
 先の大戦に対する歴史認識や戦勝国の東京裁判に異を唱える勢力は根強い。それも含め分かりあう力が必要だ。戦前生まれが人口の2割を切った今だからこそ至高の財産である平和の尊さを学び、未来へ誓いを新たにする8月であらねば。 

 ▼京都新聞「終戦の日  事実を踏まえ、繰り返さない」傲慢になる向きあり/目の前にあの陸軍が/根拠なき言動に困惑
 http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20170815_2.html

▼神戸新聞「終戦の日/国の『過ち』と向き合って」戦後も続いた苦悩/被害と加害の歴史
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201708/0010463400.shtml 

 一人の女性の話をしたい。
 こちまさこさん。姫路市で長く暮らした。亡くなったのは5年前。87年の生涯だった。
 その名が知られるようになったのは、主婦をしながら続けた執筆活動による。
 (中略)
 こちさんは2008年に2冊の本を出版した。「満州 七虎力の惨劇」と「はりま 相生事件を追う」。「満州」では終戦時の開拓団の悲劇を描き、「はりま」では終戦直後、相生の造船所で起きた中国人労働者3人の殺害事件を掘り起こした。
 大陸で徴用された中国人の殺害は国際問題に発展する恐れがあった。日本人2人が加害者とされたが、真相が曖昧なままにされていた。地元に埋もれていた「加害の歴史」といえる。
 まだ終わらない「戦争」がたくさんあるのだと伝えて、こちさんは逝った。今、取材資料を残そうとする動きがある。 

▼山陽新聞「終戦記念日 より重み増す記憶の継承」
 http://www.sanyonews.jp/article/580536/1/

▼中国新聞「米朝の威嚇応酬 不測の事態、招く危うさ」
 http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=365616&comment_sub_id=0&category_id=142

▼愛媛新聞「終戦72年 『戦争を始めない努力』を重ねよ」
 https://www.ehime-np.co.jp/article/news201708152737

 ▼徳島新聞「終戦記念日  空襲の記憶を平和の礎に」
 http://www.topics.or.jp/editorial/news/2017/08/news_15027587011436.html 

 長い間、徳島県民の記憶の底に埋もれていた太平洋戦争の傷痕に、触れたような気がした。
 1945年7月4日の徳島大空襲では、米軍の爆撃機が投下した焼夷弾が徳島市の中心部を焼き払い、約千人の市民が犠牲になった。
 大規模な空襲であり、体験者も多いことから、さまざまな形で語り継がれてきた。
 ほかにも、県内では空襲によって少なくとも15カ所で人的被害が発生し、217人の死者が出ていたことが、県警察史や徳島新聞の取材などで分かった。
 終戦から72年を迎え、当時の状況を知る人が少なくなる中で、掘り起こされた事実である。今こそ、空襲についての証言を書き残し、後世に伝えていかなければならない。
 (中略)
 戦後、日本は平和主義をうたう憲法の下で、武力を排した外交解決に専念してきた。
 平和を築くためには膨大な労力を要するが、戦争で崩壊させるのは一瞬だ。その教訓を次の世代に伝えるのは私たちの責務である。
 古里に深い爪痕を残した空襲は、戦争の悲惨さを肌で学ぶための教材になる。
 お年寄りが子どもたちに空襲体験を語り、戦争の愚かさを共有することで、平和の礎を築きたい。 

▼高知新聞「【終戦の日】平和の『芯』を守り抜く」
 http://www.kochinews.co.jp/article/118614/ 

 民主主義社会が認めるのは、権力による国民監視ではない。国民の側が権力を監視し、暴走を正していくのみだ。それが立憲政治であり、不戦の安全装置である。
 なぜ、よさこいへの共感が全国へ世界へと広がるのか。自由と平等、寛容の精神が祭りの背骨を貫くからではないか。自由民権運動発祥の地の真骨頂であり、民主主義の本質と言えよう。胸を張りたい。
 「不戦の誓い」に立つ戦後民主主義こそが、日本の平和の「芯」を成す。憲法前文は国際平和への貢献も要請する。その普遍的原理を守り抜く決意を新たにしたい。

▼西日本新聞「終戦の日 『戦後』を永続させてこそ」105歳の「遺言」/“草の根”の広がり/憲法を生かす道へ
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/351003/ 

 平和憲法を持つ日本が主導すべきは本来、対話外交や人道面での国際協力です。現実は軍事的対応に傾斜し、近隣の中国、韓国との対話さえ滞りがちな状況です。
 東アジアでは、人の往来が拡大しています。昨年の訪日客は中韓を中心に2403万人に達し、今年はさらに増加する勢いです。
 そこでは国民同士の相互理解が徐々に進み、「知日」「親日」の機運が醸成されつつあります。訪日客誘致を経済効果の物差しだけで測るのではなく、紛争の抑止力として捉える視点が必要です。
 かつて日本は国際情勢を見誤りました。そこにメディアが追従した轍(てつ)も今こそ、想起しなければなりません。歴史の教訓を決して風化させず、政治を厳しく監視していく-。未曽有の犠牲の上に成り立つ「戦後」を永続させる責任と覚悟が私たちに求められていることを改めて肝に銘じます。 

▼佐賀新聞「終戦の日 平和への決意あらたに」
 http://www.saga-s.co.jp/column/ronsetsu/455105

▼熊本日日新聞「終戦記念日 過去に学ぶ意志の大切さ」空襲の阿鼻叫喚/語り継ぐべき記憶/勇ましさの無責任
 http://kumanichi.com/syasetsu/kiji/20170815001.xhtml 

 熊本市は終戦直前の8月10日にも、800機以上ともいわれる米機による大規模爆撃に襲われた。7月と合わせた被害は死者・行方不明者630人、重軽傷者1317人。被災戸数は1万1906戸に上り、面積では市街地の約3割が焼失したと記録されている。
 全体では300万人超とされる犠牲者を出した先の戦争から72年が経過するが、ここであえて生々しい手記に触れたのは戦争の記憶の風化を危惧[きぐ]するからにほかならない。終戦の前に生まれた世代は全人口の2割を切った。どうにもならないことだが、当事者の声は年々細っていくばかりだ。だからこそ過去のありのままを知り、次世代に語り継いでいく大切さを胸に刻む必要があるだろう。
 そしていずれは戦争体験者が存在しない時代を迎え、先の戦争は文字通り「史実」となる。そのとき、「歴史に学ぶ」ことがより重要になるべきだが、戦争の記憶や記録をきちんと残しておかなければ、歴史はゆがんだものにしかなるまい。正確な歴史を前にしたとしても、「学ぶ意志」がなければ学んだことになるまい。戦争の惨禍を二度と繰り返さないという自戒を込めた教訓を真正面から受け継ぎ、学ぼうとする社会になっているか。一人一人が常に留意する必要もあるのではないか。
 そうしたことが戦後72年間続く「平和国家日本」を100年、200年と維持していくことにつながると信じる。今夏、掘り出された不発弾「M76焼夷爆弾」は「戦争を忘れるな」と警告しているように思えてならない。 

▼南日本新聞「[終戦記念日] 不戦の誓いを未来へ引き継ぐために」安保法の実績づくり/庶民史を掘り起こす
 http://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=86373 

 戦争の記憶をどう受け継ぎ、歴史の教訓に学ぶかは待ったなしの課題である。
 鹿児島大学教育学部の教員・学生と、出水市の市民グループは連携して戦争体験者から聞き取り調査を行い、証言の分析に取り組んでいる。
 掘り起こした戦争の庶民史は証言記録として集積し、「地域の歴史資産」を目指すという。注目される試みである。
 地域から戦争を見つめ直す視点は重要だ。米軍は1945年11月に吹上浜、志布志湾などに上陸する本土侵攻作戦を立てていた。
 もし作戦が決行されていれば、南九州は沖縄同様の激戦地になった可能性がある。想像力を働かせれば、無関心ではいられない。
 県内では本土決戦に備え、特攻艇の出撃基地や砲台、トーチカなど多くの軍事施設が建造された。だが、その後は放置や取り壊しも多い。
 戦争遺跡やその記録を保全する意義を再確認したい。足元の歴史に向き合い、平和の尊さをかみしめる必要がある。 

▼沖縄タイムス「[終戦の日に]今こそ「不戦の誓い」を」
 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/128080  

 戦後72年たって、戦争ができる社会への編成替えが急速に進み、戦争を起こさせない社会的な力が弱まっているのである。
 政府与党は、数の力に物を言わせ、特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法を強行的に成立させた。いずれも日本の社会の在り方を根本的に変える法制である。
 米朝が戦端を開いた場合には日本は集団的自衛権を行使するため自動的に戦争に巻き込まれる可能性が高い。
 国民意識も変わってきた。中国、北朝鮮を敵視する排外主義が横行し、ネットや雑誌では「反日」「売国奴」などの罵詈(ばり)雑言が飛び交う。国民の分断が進み、ささくれだった空気が漂っている。
 「平和」「民主主義」「人権」という言葉を聞いただけで、アレルギー反応を起こし、忌避するような動きが広がりつつあるのも気掛かりだ。
 国会は肥大化する行政権に対し、チェックする役割を果たしているとはいえない。三権分立が機能不全に陥ると、戦争を止める力が弱まる。 

▼琉球新報「終戦72年 平和国家の存在感示せ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-555564.html 

 一方で弾道ミサイルの発射など挑発的行為を繰り返す北朝鮮や、それに武力での対抗を示唆するアメリカなど、わが国を取り巻く状況はかつてないほど緊張を増している。
 だがこうした緊張が増す今だからこそ、平和国家・日本が存在感を発揮しなければならない時期でもある。
 対米従属から脱し、東アジアの平和構築に日本は力を注ぐべきだ。有事になれば、真っ先に住民が犠牲になる。これは沖縄戦で得た教訓だ。東アジア諸国と国境を接する沖縄を軍事拠点でなく、平和拠点にしなければならない。
 今年6月に亡くなった元県知事の大田昌秀氏は沖縄の心を問われ「平和を愛する共生の心」と述べた。
 8・15を迎えるに当たり、先の大戦、そして沖縄戦から得た教訓、反省をいま一度心に刻みたい。 

 

【追記】2017年8月16日7時55分
 中国新聞の社説を追加しました。