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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

敗戦から78年に感じる節目と危惧~新聞は戦争の教訓の当事者 ※8・15社説・論説の記録

 1945年8月の日本の敗戦から78年がたちました。70年、80年、あるいは100年といった切りの良さという意味では、節目ではありません。しかし、時間の比較の軸を少しずらして眺めてみると、日本の現代史の中で極めて大きな節目の時期を過ごしているように思えてなりません。
 1868年の明治維新から敗戦まで77年でした。戊辰戦争の内戦とともに近代国家の道を歩み始めた日本は、やがて外征の戦争に明け暮れていき、最後はアジア各地におびただしい犠牲を生み、日本国内も主要都市が焦土と化して国家は破たんしました。
 戦後は日本国憲法のもとで、日本の軍事組織が他国のだれかを殺害することなく、同じ長さの、曲がりなりにも「平和」と呼べる時間を過ごしました。それからさらに1年がたちました。これからも同じように平和の時間は続くのか、との思いとともに、最近のいくつかの出来事を思い起こすと、危惧を覚えざるを得ません。タレントのタモリさんが口にした「新しい戦前」との言葉が話題になるのも、「このまま進めば、日本は再び戦争をする国になるのではないか」との不安が広く共有されつつあるからだろうと感じます。

 ▽核兵器は絶対悪
 「最近のいくつかの出来事」の一つは、広島市で5月に開かれたG7サミット(先進7カ国首脳会議)です。核軍縮文書「広島ビジョン」は、米英仏が保有する核兵器に対しては抑止効果を強調して保有を正当化しました。核のない世界を目指すことも盛り込んではいますが、「核兵器は必要だ」と被爆地で宣言したことになります。
 核抑止の強化とは、核武装の強化です。相手が黙ってみているわけがありません。互いに相手の軍拡を理由に自己の軍拡を進め、かくして核兵器が使用されるリスクは高まる一方になっていきます。自分たちの核兵器の所有は正当である、との理屈は、合わせ鏡のように相手も主張します。北朝鮮の主張を見れば分かる通りです。核兵器は所有を正当化してはならない、排除すべき絶対悪であることを、まず国際社会は確認する必要があると考えます。
 G7の議長国として、岸田文雄首相が広島に各国の首脳を呼び、原爆の惨禍の実相にも触れさせた上で、「核兵器は絶対悪である」とのメッセージ発信に至っていれば、「新しい戦前」への危惧も多少なりともやわらいでいたかもしれません。しかし、実際はまったく逆でした。
 「核兵器は絶対悪である」との言説に対して、理想だけでは国の安全を守れない、との反論があります。しかし、唯一の被爆国である日本が他国と異なるのは、今も苦しみが続く被爆者が同じ社会でともに生活していることです。日本社会で生活する者には等しく「核」の問題への当事者性がある、と言ってもよいと思います。被爆者が全存在を掛けて訴え続けている「核廃絶」を「他人ごと」のように考えることは、わたしはできません。わざわざ広島を開催地に選んだG7サミットで核保有を正当化する「広島ビジョン」が発表されたことは、被爆者だけでなく、その体験を共有しようと努め、同じように核の廃絶を求める人たちに、政治指導者たちが冷笑を浴びせるに等しいことだと受け止めています。
 8月6日の広島、9日の長崎のことしの式典では、両市とも平和宣言で核抑止を批判し、脱却を求めました。被爆地から発信された異議と危機感を共有します。

【写真】広島・平和記念公園の「原爆の子の像」(2023年2月撮影)

 ▽新聞が戦争遂行に組み込まれた歴史
 上記のようなことを考えながら、ことしの8月15日の新聞各紙の社説、論説を、ネットで閲覧可能な範囲ながら見てみました。ロシアによるウクライナ侵攻が続き、岸田政権が敵基地攻撃能力の保有を打ち出すなど大規模な軍拡が進む中で、やはり「新しい戦前」への危惧からか、戦争体験の継承に触れたものが多い印象を受けました。
 歴史を振り返ると、1931年の満州事変以降、日本が戦火を拡大していくにつれ、戦争に反対、あるいは慎重な新聞の論調は消えていきました。太平洋戦争開戦のころには戦争遂行の挙国体制に新聞は組み込まれていました。当時も、言葉の上では侵略を鼓舞していたわけではありません。掲げていたのは「自衛の大義」でした。戦争はいつもそうです。その果てに何があったか。戦争末期には広島と長崎の原爆の惨禍、沖縄戦、日本各地の都市空襲など、生活の場が戦火に覆われました。日本国内で、そして忘れてはならないことですがアジア各地で、おびただしい非戦闘員が犠牲になりました。貴重な歴史の教訓です。日本の新聞は、等しくその教訓の当事者である、と考えています。

 気になるのは、一部の全国紙が軍拡や核の抑止を積極的に肯定していることです。
 読売新聞は「ウクライナが示す平和の尊さ/抑止力強化が侵略を未然に防ぐ」との見出しの社説を掲載しました。「ウクライナの現状は、戦後の日本人が当たり前のように享受してきた平和がいかにもろいものかを、悲劇的な形で示している」とし、中国を「最大の脅威」と指摘するなどして「こうした脅威に対処するには、平和を唱えるだけでなく、相手に侵略や攻撃を思いとどまらせるような抑止力や反撃能力を持つことが不可欠である」と主張しています。
 「現状を踏まえた計画を作っても、予算が乏しかったり、国民の理解が得られなかったりすれば絵に描いたもちになりかねない」「政府は、防衛力の強化が平和を守るために必要な措置であることを丁寧に説明し、着実に実行しなければならない」と締めくくっています。岸田政権以上に軍拡に熱心だと感じました。

 産経新聞は15日付朝刊には通常の社説(「主張」)はなく、1面に「首相は核抑止の重要性語れ 悲劇を繰り返さぬために」との見出しで、榊原智・論説委員長の署名記事を大きく掲載しました。
 まず「岸田文雄首相や閣僚には靖国神社を参拝してもらいたい。英霊を追悼、顕彰し、もし日本が侵略されれば今の世代も立ち上がると誓うことが大切だ」と主張。続いて「今の日本が悲劇を防ぐために抜かりなく取り組んでいるかといえば疑問である。それを痛感させられたのが、広島と長崎の原爆忌だった」として、核抑止からの脱却を求めた広島、長崎の平和宣言に対して「このような考えは根強いが、はっきり言って、国民の命と安全を脅かしかねない危うい主張である」と強調しました。「日本と被爆地が核の惨禍を伝え、廃絶や軍縮の願いを発信するのは当然だ」とも書いてはいますが、被爆地からの発信に対し、強い言葉を使って批判していることに少なからず驚きました。

 読売新聞、産経新聞ともサイト上で全文を読むことができます。
▼読売新聞「終戦の日 ウクライナが示す平和の尊さ/抑止力強化が侵略を未然に防ぐ」/強権国家の暴挙許すな/国際社会の分断克服を/目の前の脅威見すえよ
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20230814-OYT1T50213/

▼産経新聞「【終戦の日に】首相は核抑止の重要性語れ 悲劇を繰り返さぬために」榊原智・論説委員長
 https://www.sankei.com/article/20230815-M6JD2NW5IVKCJBNJ3E3NVGW5Q4/

 その一方で、地方紙の社説、論説を見ていく中で、軍拡や抑止力では戦争を防げないことを、説得力をもって指摘する一文に行き当たりました。沖縄の地元紙、琉球新報の社説です。共感する主張として、その結びの部分を書きとめておきます。

▼琉球新報「戦後78年の『終戦の日』 『新たな戦前』を拒否する」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1765896.html

 戦争とは破壊と殺りくである。核兵器使用はもとより戦争自体が非人道的であり、禁止すべきというのが国連憲章、日本国憲法の理念だ。戦争は、始まった時点で双方に犠牲と破壊を生む。双方が敗者であり、世界中に悪影響が及ぶ。その認識が本来の「抑止力」である。ロシアのウクライナ侵攻は、その「抑止力」が働かなかった結果であり、国際社会の戦争をさせない力が弱かったためである。
 軍事力に頼る抑止は戦争の危険性を高める。敗戦78年を機に、「新たな戦前」を拒否し、「戦争をさせない覚悟」を新たにしたい。

 隣国ロシアのウクライナ侵略にはわたしも不安を覚えます。しかし、だからこそ、気持ちを強く持って、歴史を学び、教訓をくみ取ることが重要だと思います。

 そのほかの新聞について、サイト上で見出しが確認できるものを以下に書きとめておきます。全文を読めるものはリンクを張り、一部は書き出しや印象に残った部分をごく簡潔に書きとめました。

【全国紙】
▼朝日新聞「戦後78年 日本と世界 自由を『つかみかえす』とき」/ウクライナの苦しみ/思考が止まる危うさ/問われる政治参加
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15716811.html

 かつてメディアの軍への迎合、言論統制の受け入れが戦争への道につながったことを、自戒とともに思い起こしたい。
 敗戦で得た自由を、市民がわがものと受け止め、日々生かしてゆく。「それによって『与えられた自由』は私たちの『つかみかえした自由』になる」と、吉野(注:吉野源三郎)は書き残した。その提起は今も色あせていない。

▼毎日新聞「’23平和考 『終戦の日』と世界 連帯の力が試されている」/「止める」ことの難しさ/危機の連鎖防ぐ努力を
 https://mainichi.jp/articles/20230815/ddm/003/070/118000c

 日本国憲法は前文で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とうたう。戦争や弾圧で、その権利を奪われている人々の存在を忘れないと「終戦の日」に誓う。それが連帯への一歩である。

▼日経新聞「戦争阻む歴史を見る眼を培いたい」/戦前の虚構を知ろう/物語は国民を動員
 https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK1407E0U3A810C2000000/

 明治維新から敗戦までの戦前・戦中は77年であり、戦後はこれより長くなったことになる。戦後は戦禍のない時代を歩むことができたが、そこに至るまでには戦前・戦中の戦争による尊い犠牲があった。戦争を繰り返さぬため歴史を直視する眼(め)を培いたい。

【地方紙】
▼北海道新聞「終戦から78年 軍拡の道歩んではならぬ」/力への過信は危うい/戦前の教訓を生かせ/体験継承する学びを
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/893188/

 力に訴えるだけでは平和を実現することは困難である。それが、日本だけで310万人、アジア地域で2千万人もの犠牲者を出した先の大戦の教訓ではなかったか。
 歴史は過去の失敗に学び、過ちを繰り返さないためにある。終戦から78年。悲惨な敗戦を直視し、改めて非戦を誓う機会としたい。

▼河北新報「終戦記念日 『戦後』であり続けるために」
▼東奥日報「平和と非戦 大きく揺れる/終戦の日」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1617561
▼秋田魁新報「終戦から78年 歴史の忘却こそ恐れよ」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20230815AK0011/

 今月、広島、長崎で原爆投下から78年の「原爆の日」平和式典が開かれた。鈴木史朗長崎市長が平和宣言で紹介した被爆者の「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます」との言葉が重く響く。
 原爆や沖縄戦、本県の土崎空襲を含む全国の空襲被害…、そしてアジアに犠牲を強いた日本の加害責任。いずれも忘却を恐れるべき歴史だ。防衛予算を議論抜きに大幅増額し、「戦う覚悟」を声高に主張する政治家は大切な歴史を忘れていないか。

▼山形新聞「戦後78年の終戦の日 平和の位置確かめたい」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20230815.inc
▼福島民報「【終戦の日】次世代の未来守れるか」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/20230815109548

 日本世論調査会によると、日本が今後、戦争をする可能性があると考える国民は、30代以下の若年層で半数強に上った。若い世代の危機感は軽視できない。少子化傾向を反転させなければ、日本は立ち行かなくなるとして現政権は巨額の子育て対策を打ち出した。異次元の軍備増強と少子化対策が並び立つ国の行く先に現役、次世代は果たして平和な将来像を描けるのか。

▼福島民友「終戦の日/今こそ不戦の誓いを強固に」
 https://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20230815-798390.php

 戦争を起こさないため、われわれはどれだけ努力しているだろうか。戦争体験者の話を聞く。身近な戦跡、史料で学ぶ。一度戦争が始まってしまえば、社会の全てがそれに組み込まれる恐ろしさを知ることが重要だ。

▼神奈川新聞「終戦の日 不戦の日々これからも」
▼山梨日日新聞「戦後78年 終戦の日 家族を思う心 不戦貫く力に」
▼信濃毎日新聞「ある衛生兵の手記 喉元の骨を手がかりに」/サイゴンに赴いて/ほんろうされる生/体験を意味付ける
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023081500299

 先の戦争は被害の側面から語られがちです。アジア諸国への侵略を否定する言説が強まり、謝罪や補償も満足に果たしていない。日本の現況は、戦争史観さえ確立できずにきた戦後の歩みと無縁でないのかも知れません。
 夏目さんの手記が、喉元の骨のように引っかかっています。
 祖父母や父母から聞いた戦争体験だったり、昔読んだ絵本や児童書の描写だったり。きっと多くの人に「骨」はある。体験された事実に意味を与え、伝えていく作業が、戦争を直接は知らない世代の役割だろうと考えます。

▼新潟日報「終戦の日 非戦の誓いを継いでいく」/警戒したい戦前回帰/平和の尊さ次世代へ
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/264579

 ひとたび戦争が起きるとどうなるか。数々の無念さを教訓として伝えた体験者の願いを、しっかりと継がねばならない。
 長岡市の長岡戦災資料館は映像や冊子、体験談の朗読などさまざまな手法を試みる。
 歴史や足元の惨劇を改めて学びたい。戦争を知らない世代にも記憶を継承し、平和をつなぐ責務があることを心に留めねばならない。

▼中日新聞・東京新聞「終戦の日に考える もっと、耳を澄ませて」/「日本必敗」という予測/「聞く力」があったなら/「間違った道」を行くな
 https://www.chunichi.co.jp/article/748655?rct=editorial

 ロシアの蛮行の影響も大きいのでしょう。各種世論調査を瞥見(べっけん)すれば、単に「防衛力増強」への考えを聞いた場合の賛否は割れているようです。でも、ことは国是たる平和主義を揺るがす大事。仮に過半が支持でも「否」の声を聞かなくてよいわけはない。むしろ、異論に耳を傾けてこその「聞く力」です。しかし、そもそも首相方針である「増税による防衛力増強」についてとなれば、大半(五月の共同通信調査では80%)が不支持なのです。

▼北日本新聞「戦争を知らない私たち/『反戦』今こそ高らかに」
▼福井新聞「終戦の日 対中関係考える機会にも」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1848852

 きょう15日は戦後78年の「終戦の日」。310万人もの戦没者に鎮魂の祈りをささげる日であり、戦後の日本を形づくってきた不戦の誓いを再認識する機会でもあろう。一方で、ロシアによるウクライナ侵攻が長期化する中、中国による台湾有事への連想をあおるような言動も目にする。最大の貿易相手国でもある中国とどう向き合うのか、改めて考える機会にもしたい。

▼京都新聞「終戦の日に<下> 『大政翼賛会』にならぬよう」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1088538
 ※13日付「終戦の日に<上> 『軍事大国』に突き進むのか」
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1087136

 国難ともいえる人口急減が進む中、身の丈を超えた「軍拡」ではないのか。それが私たちが望む国の形だろうか。
 他国のミサイル発射拠点などを破壊する反撃能力は、戦後の国是としてきた専守防衛を踏み越え、国際法違反の先制攻撃にさえなり得る。
 力に力で対抗していく先には、軍拡競争と衝突のリスクが高まる「抑止力」の危うい正体が見えないか。
 それでも仕方ないだろうか。

▼神戸新聞「終戦の日に/体験を語り継ぐ意味を考える」/若者に託された希望/手の届く活動の場を
 https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202308/0016700649.shtml

 戦争を直接体験した人、戦後間もない時代を生きた人たちが年々少なくなっていく。その現実は、戦争体験を継承しようと活動する各地の団体に大きな壁として立ちはだかってきた。語り部不在の未来に、私たちは何を、どう伝えていくのか。太平洋戦争の終戦から78年、不戦を誓う日に、あらためて体験を語り継ぐ意味を考えたい。

▼山陽新聞「終戦の日 平和堅持への説明足りぬ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1438143?rct=shasetsu

 防衛力の増強がさらなる軍拡競争を招く―といった懸念は根強く、平和のために軍備を増やすことへの矛盾を感じる人も多い。政府は国民の不安をどう払拭するのか丁寧に説明し、反対の野党は他にどんな方策があるのか対案を示して、議論を深めることが求められる。国の根幹に関わる安保政策では、多数決で押し切るのではなく、国民的な合意形成が重要だ。

▼中国新聞「終戦の日 足元の記憶どう語り継ぐ」
 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/346746

 高校の歴史教科書で先の大戦の記述を見てみた。学徒出陣、勤労動員、学童疎開、代用食、沖縄戦や本土空襲といったキーワードが並ぶ。机の上の学習で生徒たちがどれほど実感できるだろう。自分たちが暮らす地域が戦争とどう関わったのか、深く知る機会がもっとあってもいい。
 このところの防衛力強化の動きに「いつか来た道に戻らないか」と感じる戦争体験者は少なくない。戦争はもうたくさん―。焦土の古里で抱いた実感が、地域の中でさらに風化することを危惧する。

▼山陰中央新報「終戦の日 平和の位置確かめたい」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/433825
▼愛媛新聞「終戦の日 平和の尊さ かみしめて次世代へ」
▼徳島新聞「終戦の日 恒久平和への誓い新たに」
▼高知新聞「【終戦の日】問われる平和国家の姿」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/673222

 漠然としたムードで安全保障政策が決められる危うさは、歴史が示す通りだ。痛切な反省から日本国憲法は戦争放棄、平和主義を掲げている。戦没者を悼み平和を祈念する日にあって、いま一度、歴史を省み、原点を確認するべきだろう。
 安保政策の大転換は、以前ならこれほど容易に進まなかったのではないか。与党の政治家も含めて戦争の実相を知る世代が少なくなり、党内の慎重論や世論の反対が高まらなかったことも一因にあろう。
 体験者のバトンを受け、記憶を継承していく重要性は年を重ねるごとに増している。ウクライナでいま起きている非人道的な現実からも、反戦や不戦への思いを強めている国民は少なくあるまい。

▼西日本新聞「終戦の日 戦争をしない、させない国に」/「新しい戦前」への危惧/「平和主義」は変容した
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1116980/

 戦前戦中の昭和史には教訓が多いと説いた半藤さん(注:半藤一利さん)が、最も重視していたのが「国民的熱狂をつくってはいけない。言論の自由・出版の自由こそが生命である」でした。そこには、新聞を売らんがために、むしろ積極的に国威発揚の片棒を担いだ新聞人への警鐘も込められていました。
 本紙前身の福岡日日新聞も太平洋戦争の開戦翌日付の社説で「一億国民が待ちに待った対米英戦争は開始された…起(た)て!大和男児(おのこ)、奮(ふる)え!大和撫子(なでしこ)」などと扇動しました。自省し、政治を厳しく監視する報道の使命をかみしめます。

▼大分合同新聞「終戦の日 平和の位置を確かめたい」
▼宮崎日日新聞「終戦の日 非戦誓った『戦後』の継承を」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_72873.html
▼佐賀新聞「終戦の日 理想の平和を求めて」
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1090825

 大宅(注:大宅壮一)は、日本の平衡を取り戻す能力がほかの国と比べても決して劣っていないと指摘した。安全保障環境が悪化しても、被爆、敗戦を経た戦後の歩みの中で平衡感覚を磨いているはずである。二極に分かれて対立するだけの論議に陥らず、武力に頼らない平和の理想を求めて現実とのはざまを埋める努力を続けたい。

▼熊本日日新聞「終戦の日 小さな旗をここに掲げる」
▼南日本新聞「[終戦の日] 決別できぬ過去に学ぶ」
▼沖縄タイムス「8・15と戦争 『力の政治』には限界が」