セクハラを話し始めたメディアの女性たちに、自身の無知を恥じ入る

 4月12日発売の週刊新潮が報じた財務省の福田淳一事務次官のセクシャルハラスメントの問題は、まず財務省が、セクハラを次官本人が否定していることを明らかにするとともに、セクハラの被害者に対して、財務省が指定する弁護士に名乗り出て調査に協力するよう求めました。18日になって次官は辞意を表明。国会の混乱などの責任を取るということのようでしたが、それでもなおセクハラは否定しました。その夜、テレビ朝日が、次官のセクハラの被害者は自社の女性社員であることを公表。翌19日には財務省に対して正式に抗議しました。しかし、それでも次官はセクハラを否定し、財務省もその主張の側に立つ、という姿勢を変えていません。これが、このブログ記事を書いている4月22日夜の時点の状況です。
 わたし自身、マスメディアで35年間働いてきた一人として最初に思ったのは、記事の詳細さに鑑みて、週刊新潮が伝えた次官のセクハラは恐らく本当だろう、記事が伝えるような状況で、記事が伝えるような言葉のやり取りはあったのだろうし、次官本人の認識はともかく、それはセクハラと呼ぶほかないということでした。そして、セクハラの被害者本人に名乗り出るよう要求した財務省の感覚に大きな疑問を感じました。次いで、テレビ朝日が被害者は自社の社員であることを公表し、財務省に抗議したことには、遅まきながらも評価されていいと考えた一方で、被害の申告が当初、社内ですくい上げられなかったことには、批判は当然だろうと思いました。ここまでは、わたしの受け止めは、各メディアのこの問題の報道の基本的なトーンとほぼ一致していたと思います。

 問題はそれからです。現時点でわたしは、この問題は、新聞社や通信社、テレビ局のマスメディア企業にとって、例外なく当事者性があると考えています。テレビ朝日と財務次官、財務省との間の主張の対立がどう決着するのかを見極め、報じればそれで終わりということではありません。どの社も、社員が取材先でハラスメントの被害に遭っていることにどう向き合うのか、認識や対応が問われることは、テレビ朝日と何ら変わりはないだろうということです。
 考えてみれば当たり前のことなのだろうと思います。しかし正直に言って、週刊新潮の報道に最初に接した時には、明示的には理解できていませんでした。はっきりと自覚するようになったのは、マスメディアで働く女性たちが、自分の所属する企業の内外で様々に声を上げ始めたのを知ってからです。それはこの週末にかかる3日ほどの間のこと、わずかここ数日のことです。
 実名で自社媒体に記事を書いた人、匿名で他の媒体の取材に応じた人、労働組合の場で経験を語り合った人たち、SNSで思いを表明する人―。共通しているのは、取材の中でセクハラを受けながらも、それを所属企業の中では明らかにできなかった実体験です。それらの証言が示しているのは、社外でのセクハラ被害そのものとともに、社内の理解のなさにも苦しめられているのは、テレビ朝日の社員だけではない、ということです。そのことを、それらの実体験を知ることでようやくはっきりと理解するようになりました。自らの無知と鈍感さを恥じ入るばかりです。

 わたしは1983年にマスメディア企業(通信社)に入社し、記者の仕事に就きました。以来35年間、途中で計3年間の労働組合専従の期間はありましたが、一貫して取材・報道の職場に身を置いてきました。雇用機会均等法の制定は1985年。以後年々、報道の職場に女性がわずかずつながらも身を置くようになった中で、女性記者のセクハラ被害を知らなかったわけではありません。わたしたちの世代の記者の間でよく知られているのは、例えば官舎に夜、取材に訪れた女性記者へのセクハラ行為が報じられた秋田地検次席検事が1994年に更迭され停職処分を受けた例や、2003年にホテルで女性記者に抱き着くなどのセクハラ行為をした大阪府警の副署長の警視が懲戒処分を受け依願退職した例があります。
 わたしの認識はと言えば、こうしたセクハラ行為に対しては、記者から被害の申告を受けた所属企業が相手先の組織に抗議するなりの対応をきちんと取っていると思っていました。でも、こうした対応が取られていたのは、極端とも言える度を越えた被害に限られていたのでしょう。そうした例は氷山のほんの一角に過ぎない。現実にはおびただしい被害があり、しかもそれらの被害を被害者が自分の所属企業内でも口にできない実態があることには、ほとんど考えが及んでいませんでした。
 後悔の念とともに、わたしの一つの例を書きとめておきます。労働組合の専従役員当時、わたしはわたしなりに、新聞産業での男女共同を考えていたつもりでした。職場には、男性だけでやってきた長年の慣習から男性偏重のマインドが随所にあり、それを変えていくことがいかに大変なことか。その大変さの中には、その変化を率先して担っていくべき労働組合が、これもまた長年の経緯があって男性偏重になっていることもあると感じていました。当時、男女共同の課題の難しさを説明するとき、このような言い方をしていました。「新聞社の職場は長らく『男の世界』でやってきています。労働運動も実はそうです。新聞の世界には『二重の男の壁』があるのです」―。わたしとしては、決して楽な取り組みではないことを分かりやすく表現しようとしていたつもりでした。しかし、セクハラ被害に苦しんでいた女性の労働組合員が耳にして、何と感じたでしょうか。「これでは労働組合にも相談できない」と感じ、愛想が尽きる思いをした人もいたのだろうと思うと、わが身の無知と考えの浅はかさを恥じるばかりです。

 マスメディア企業の中では、いまだに経営幹部、編集幹部も圧倒的に男性の比重が高いままで、テレビ朝日で起こったこと、セクハラ被害の申告が組織として受け止められなかったことの要因は、テレビ朝日ただ1社の固有事情というわけではないように思えます。そうではないからこそ、マスメディアで働く女性たちが声を上げ、自らの体験を明かし始めているのだと感じます。この流れは止まらないでしょうし、止めようとしてはならないと思います。今はまず何よりも、女性たちの訴えに男たちが心して向き合うことが必要です。問題はその後、これからなのでしょう。どう変わるのか、変わることができるのか。日本のマスメディアにとって、かつてなかった大波、ここで変われなければ将来はない、というぐらいの大波だと感じています。

 以下に、ネット上で読める女性たちの発信の記事をいくつか紹介します。マスメディアで働く男性たち、経営幹部や編集幹部に属する男性たちがまず読むべきだと考えています。
 なお、セクハラ被害を考えるときに、一番悪いのはセクハラをする当人、加害者です。議論の際には、あるいは報道でも、折に触れそのことを明示して確認を繰り返す方がいいと思います。セクハラを受ける方にも落ち度がある、などというそれ自体がハラスメントの言辞を許さないためです。 

▼4月19日
・毎日新聞「財務次官辞任 『今こそ連携する時』メディアの枠超え女性結束」
 ※元朝日新聞記者で経済誌「ビジネスインサイダー」編集長の浜田敬子さん、元日本経済新聞記者で「上司の『いじり』が許せない」などの著書がある中野円佳さん、元毎日新聞の上谷さくら弁護士、元日経BP社のジャーナリスト、治部れんげさんらに取材

mainichi.jp

▼4月20日
・朝日新聞「取材現場、セクハラに『NO』明言できず罪悪感」
 ※通信社に勤める女性記者らに取材

www.asahi.com

・共同通信=47news「【特集】彼女は反省する必要などあるのか 財務事務次官のセクハラ疑惑」

 ※共同通信の編集委員が自らの体験を交えて

this.kiji.is

・神奈川新聞:時代の正体590「#You Too」と言う

 ※セクハラ被害を取材した男性記者から

www.kanaloco.jp

▼4月21日
・BuzzFeedNEWS「特ダネのためにすり減った私。記者たちの #MeToo」

 ※民放局の女性記者、全国紙で警察を担当している20代の女性記者ら女性記者6人に取材

www.buzzfeed.com

・HUFFINGTONPOST「85年、私はアナウンサーになった。 セクハラ発言『乗り越えてきた』世代が感じる責任」

 ※筆者は長野智子さん

www.huffingtonpost.jp

・HUFFINGTONPOST「取材先からのセクハラ、語り始めた女性記者たち 苦悩と後悔、メディアへの提言」

 ※新聞労連全国女性集会のリポート

www.huffingtonpost.jp 

・毎日新聞「『勇気ある行動、感謝』女性記者がエール」

 ※新聞労連全国女性集会のリポート

mainichi.jp

▼4月22日
・東京新聞「新聞労連集会 セクハラの課題を議論 女性記者『相談できる場を』」

 ※新聞労連全国女性集会のリポート

www.tokyo-np.co.jp 

 報道でも紹介された新聞労連の全国女性集会は、4月22日にアピール「セクハラに我慢するのはもうやめよう」と「活動報告」をまとめ、公表しています。まずは職場の中の男性、管理職、経営幹部、編集幹部がこうした声を知ることが重要だと思います。

▼「セクハラに我慢するのはもうやめよう」

http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/180422-1.html

▼「新聞労連主催『女性集会』活動報告」

http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/180422-2.html

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 財務次官のセクハラ問題でもう一つの焦点は、夜間の1対1の取材です。情報を持つキーパースンに食い込みを図ることは、記者の仕事の基本だとわたし自身、教え込まれてきて、そのことを疑うことはありませんでした。そうした取材は間違いではないし絶対に必要だとなれば、女性記者のセクハラ被害をなくす一つの方法は、担当者を男性記者にすること、となります。しかし、それでは女性は記者になってはいけない、と言うのも同然となります。記者の仕事に就いて初めてのことですが、この1対1の取材を疑うことも今は必要なのかもしれない、という気もしています。この点については、考えがまとまったところで、また改めて書いてみたいと思います。

 以下に、東京発行の新聞各紙のうち、財務次官がセクハラを否定していることが報じられた4月17日付朝刊と、次官の辞職が報じられた19日付朝刊の各紙1面の様子を写真で残しておきます。

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【4月17日付朝刊】

 

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【4月19日付朝刊】