「表現の自由」を守り抜くのがプロではないか〜NPJのパネルディスカッションに参加しました


 以前のエントリーでお知らせしたように、9日夕方から東京・池袋の立教大学で開かれた「NPJ」(News for the People in Japan)などの市民メディア共催のパネルディスカッションに参加してきました。「今、メディアに問われるもの」と題したディスカッションに始まり、会場の参加者との質疑応答まで約2時間半。入場者は開始時点で約70人、終了時には100人を超えていたと思います。皆さん、とても熱心に聴いてくださり、ありがとうございました。終了後の交流会も含めて充実した時間でした。
 やり取りを逐一メモしていたわけではないので、パネラー各氏の発言などは共催の各団体がそれぞれサイトにアップしてくれるのを期待したいと思います。わたしからの報告内容や感想は後日、整理して書くつもりなので、ここでは一点だけ書いておきます。それは、インターネット社会になり市民メディアをはじめとして誰もが情報発信をできる時代になって、マスメディアの中で働く記者の「プロフェッショナル」足るゆえんはどこにあるのか、ということに関してです。
 そもそも、ネットが社会に広がるまでは、ジャーナリズムにプロか否かという命題はなかったのかもしれません。マスメディアは情報を社会に伝達するコンテナとしても、伝達する情報であるコンテンツの面でも独占的な地位にありました。新聞や放送というマスメディア総体を指し、同時にメディア企業をも指す「マスコミ」という日本独特の呼び方は、そうした事情が背景にあったのでしょう。しかし現在はコンテナが多様化し、情報発信はマスメディアの専有ではなくなりました。ネット上には様々なコンテンツがフラットに並び、だれが発信したかは本質的な問題ではなくなり、その情報の質が問われるようになっていると思います。そんな中で、プロとしてジャーナリズムに関わるというのはどういうことなのか。うかうかしていると「新聞社に所属し記者クラブに加盟しているからプロなのだ」としか言えなくなってしまうような気がしています。
 わたしが今考えているのは、プロとしてジャーナリズムに関わるということは、「表現の自由」を守り抜くことを職業上の責務と受け止め、そのために行動しているかどうかではないか、ということです。マスメディアの特徴の一つは、組織的な取材、チームプレーで動くことです。その良さを最大限に発揮し、「表現の自由」を脅かす一切のことと対峙していくことが、プロのプロたるゆえんではないか。パネルディスカッションで発言し、他のパネラーの方々の発言、会場の方々との質疑応答も聞きながら、そんなことを強く感じました。