ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「だれでも情報発信」の社会の「プロの責任」~秋葉原・無差別殺傷事件から14年

 一つ前の記事の続きです。
 2008年6月に東京・秋葉原の歩行者天国で起きた無差別殺傷事件は、インターネットの普及によって「だれでも情報発信」の時代が訪れていることを痛切に実感させられた出来事でもありました。現場に居合わせた人たちが、マスメディアよりも早く携帯電話のカメラで写真を撮り、見たままをブログなどで発信しました。仮に、報道を「何が起きたかを伝えること」と定義するなら、その担い手は「マスメディア=プロフェッショナル」だけではなく、現場に居合わせただれもがなり得ることが明白になりました。「だれでもジャーナリスト」とすら言われる中で、ではジャーナリズムの担い手として「プロのプロたるゆえん」「プロの責任」は何なのか。この事件をきっかけに、わたしはマスメディアのジャーナリズムを長く仕事にしてきた自分自身の考察テーマとして考えてきました。
 インターネットが普及する以前、社会の情報流通は新聞、テレビが主役でした。事件事故の取材・報道は、記者やカメラマン、テレビのクルーが一刻を争って現場に向かい、生々しさが残っているうちに写真や映像を撮り、目撃者を捜して話を聞くことが中心でした。わたしが記者の仕事に就いた1980年代前半は、まだ携帯電話はなくカメラもフイルムの時代。一般の人はいつもカメラを持ち歩いているわけではなく、発生時の様子を写真に撮っている人を探し当てれば、ほぼ特ダネ写真でした。
 それまでパソコンに詳しい一部の人たちのものだったインターネットが爆発的に普及するきっかけは、1995年のマイクロソフト「ウインドウズ95」の発売だったと思います。このころ、わたしの勤務先でもワープロに代わってパソコンが導入され、記者はパソコンで記事を作成してデスクに送るようになりました。わたしが電子メールを使い始めたのもこのころです。ほどなく、携帯電話も小型化、多機能化が進み、デジタルカメラが搭載されるようになりました。
 2000年代に入ると、ブログも広がります。日本では2002年ごろから急速に普及し、2004年9月からの1年間で利用者が急増したとされます。わたしも最初のブログ「ニュース・ワーカー」の運営を始めたのはこの時期、05年4月でした。
 08年6月の秋葉原の無差別殺傷事件当時は、ツイッターなどSNSの普及には至ってはいないものの、一般の人が携帯電話のカメラで写真を撮ってメールで誰かに送る、つまりは写真の複製と拡散が容易にできるようになっていました。また、写真や文章を携帯電話からでもブログにアップロードすることが可能になっていました。「だれでも情報発信」の社会です。
 事件は日曜日の歩行者天国で起きました。居合わせた大勢の人たちが携帯電話のカメラで写真を撮り、それらの写真は繰り返し拡散されました。メールを介したり、現場で携帯電話同士、赤外線通信で複製された例も少なくなかったようです。自分で見たままに、事件の様子を書き込んだブログもいくつもあり、映像と音声を送信するアプリで、現場から“中継”を試みる人もいました。
 わたしがもっとも衝撃を受けたのは、現場で警察官に取り押さえられた容疑者の男の写真です。現場に向かったマスメディアの取材陣は、「容疑者の身柄確保」の瞬間に間に合いませんでした。居合わせた「だれか」が決定的な写真を撮り、次々に拡散されました。マスメディアもそれぞれにその写真を入手しました。こうした場合、通常は撮影者に連絡を取って、報道に使用することへの承諾を求めます。このときは撮影者にたどりつけなかったマスメディアもありました。それでも報道に使えるのか―。写真自体は間違いなくその瞬間を押さえたものです。ねつ造や改変の可能性もないと断じていい状況でした。事件を伝える翌日の新聞各紙に、同じ写真が「提供写真」などのクレジットとともに載りました。

 事件当時のこのブログの記事を読み返すと、わたしは以下のようなことを書いていました。

 既存マスメディアの事件事故報道は、当事者や目撃者に一人でも多く取材し、その証言を組み合わせて「何が起きたのか」を再現してきました。今もその取材・報道スタイルは変わりません。しかし今回の事件では、ネットとデジタル技術の普及によって、現場の再現はもはやマスメディアの組織取材のものだけではないことが明白になりました。そういう状況の中で、マスメディアがマスメディアであることの意味、負うべき責任(それは「表現の自由」と「知る権利」にかかわるものですが)とは何なのかが、わたしも含めてマスメディアの内部で働く一人一人に問われていると思います。その答えはわたし自身、必ずしも明確ではないのですが、ただ、ひとりの「個人」として相当な覚悟が必要だろうということだけは、おぼろげながら感じています。

news-worker.hatenablog.com 事件から14年。わたしはマスメディアで働く現役の時間は既に終わり、後続世代に経験を伝える立場になっています。「ひとりの『個人』として相当な覚悟が必要だろうということだけは、おぼろげながら感じています」と書いた「プロの責任」について、やはり「表現の自由」と「知る権利」が社会で担保されることを守ること、時にそのことに生活が賭かるとしても、その志を曲げないことなのだろうと、考えるに至っています。
 今では事件や事故の取材では、マスメディアはその発生自体をSNSへの書き込みで知ることも珍しくありません。現場に居合わせた人たちが次々にアップしてくる画像や動画をチェックし、SNSを通じて連絡を取って使用の許諾を求めることは、事件事故取材の基本動作の一つになっています。それが当たり前という環境で記者が育つと、「プロのプロたるゆえん」は何なのか、と自ら問うてみる意識は持ちにくいかもしれません。「速さ」「うまさ」そして「正確さ」。研修で教え込むそうしたスキルも確かに「プロたるゆえん」です。特にフェイクニュースが横行する中で「正確さ」はよく強調されます。しかし、「プロのゆえん」はそれだけではないだろうと思います。社会の変化を経験してきた先行世代の一人として、後続世代に「プロの責任」の何をどう残すことができるか、考えています。

 秋葉原の無差別殺傷事件を伝える朝日新聞と毎日新聞の紙面を縮刷版で見てみました。警察官に取り押さえられた容疑者の同一とみられる写真がそれぞれ1面に掲載されています。クレジットは、朝日新聞は「現場にいた人が撮影」、毎日新聞は「通行人提供」です。同じと見られる写真は共同通信も配信しました。全国の地方紙に「提供写真」のクレジットで掲載されていると思います。

【写真】朝日新聞(左)と毎日新聞の紙面。ともに2008年6月9日夕刊の1面トップ。事件が起きた6月8日は新聞休刊日のため、9日付朝刊の発行はありませんでした。