兵庫県知事選の経緯をあらためて振り返ると、このままないがしろにはできないことが一つあると感じます。斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを告発していた文書の扱いです。公益通報者の保護の問題の根幹にかかわるからです。
文書は兵庫県の元西播磨県民局長が作成。斎藤知事は作成者の割り出しを命じ、元局長と判明した後に解任しました。元局長は改めて県の窓口に公益通報。しかし、県はその調査の結果を待たず、5月に内部調査に基づき懲戒処分としました。元局長は7月に死去しています。斎藤知事は県議会の百条委員会の場でも、元局長の告発を誹謗中傷と断じ、県の対応に誤りはなかったと主張しました。その主張は選挙で再選された今も一貫しているようです。
今回の県知事選は、こうした斎藤知事の姿勢をめぐって県議会が辞職勧告を全会派の賛成で議決し、斎藤知事が失職を選択したことから実施されました。その経緯から見れば、知事選の最大の争点は告発文書問題のはずでした。斎藤氏や県の対応を巡っては、公益通報者保護法に違反する疑いが指摘されています。告発の内容の当否はさておくとしても、告発されている張本人である知事が、公益通報に当たるかどうかの結論を待たずに、事実無根の誹謗中傷と一方的に決めつけ、人事権を行使して懲戒処分を行いました。そのようなことがまかり通れば、公益通報者の保護制度は成り立ちません。民間企業に置き換えてみれば、社長の不正を社員が告発したのに、第三者のチェックもないまま、社長が「誹謗中傷」と決めつけて側近に命じて社員をあぶり出した上、処分するようなものです。「誹謗中傷」かどうかを、告発されている当事者の判断に任せていいはずはありません。
斎藤知事と県のこのような行為が是認されてしまえば、今後兵庫県では、職員らは不利益な扱いを受けることを恐れて、通報をためらうことになりかねません。県職員による公益通報は機能しない、期待できないことになります。そうした重要な論点をはらんでいるからこそ、新聞や放送のマスメディアも、県議会の百条委員会の動向をはじめ、告発文書問題を詳しく報じてきた経緯があります。
県議会独自の調査も、民主主義の手続きを適正に踏んだ正当な活動です。県議会の議員も、知事と同じように選挙で選ばれています。両者は対等の立場です。首長と議会のこの「二元代表制」は、地方自治をうまく機能させるための知恵と言ってもいいと思います。仮に首長が暴走したときは議会が止めることを担保しようとする仕組みです。知事選で斎藤知事の主張が民意に認められたのだから、県議会の調査はもはや不要だ、とするのは疑問です。県議会が体現しているのも民意です。一方の民意を理由に、もう一方の民意を否定することは、民主主義を否定することになりかねません。また、斎藤知事と県の行為が公益通報者保護法に違反しているかどうかは、民意が決めることでもないように感じます。
内部告発文書の取り扱いの問題はそれだけの重要な意味を持つのですが、知事選でマスメディア各社が行った出口調査の結果を見ると、投票に際して重視されていたとは言い難いようです。
朝日新聞の出口調査では、文書問題を巡る県の一連の対応について、「評価する」との回答は「大いに」と「ある程度」を合わせて40%だったのに対し、「評価しない」は「あまり」と「全く」を合わせて57%でした。県の対応自体は消極的評価が上回っていました。ところが、「投票の際、何を一番重視したか」では、「政策や公約」39%、「人柄やイメージ」27%、「経歴や実績」19%で、「文書問題への対応」は10%に過ぎませんでした。
読売新聞の出口調査では、「選挙戦でもっとも重視した争点」は「教育や子育て支援策」28%、「斎藤氏に関する内部告発問題」23%、「物価高対策」13%でした。実際の詳しい質問文が分からないので推測になりますが、「斎藤氏に関する内部告発問題」を選んだ人の中には、告発内容はでっち上げだと考えている人も含まれている可能性があるように思います。いずれにしても回答はトップというわけではありません。
一方で、斎藤知事の県政運営に対する評価は、「評価する」は朝日新聞調査では76%、読売新聞の調査でも71%に上っていました。もともと斎藤県政に対する評価は高かったことは間違いないと思います。
「公益通報者の保護」に照らして斎藤知事、県の行為は適切だったか、との論点は、選挙戦を通じてかすんでしまっていました。なぜそうなったかについて、推測は控えます。ただ、事実の経過として、選挙戦が始まると同時に、新聞やテレビが中立性を重んじる姿勢を取った結果、内部告発文書問題についての突っ込んだ報道は見られなくなっていたはずです。その一方で、「NHKから国民を守る党」の立花孝志代表が、斎藤知事を当選させるためとして立候補し、県議会も批判の対象にして「斎藤知事がいじめられている」などと主張しました。ネット空間だけのことではなく、街頭演説、選挙ポスター、政見放送のすべてがそうでした。
選挙戦の期間であっても、新聞やテレビのマスメディアは、有権者の判断に資するよう正確な情報を届ける観点から、デマや根拠不明の情報を検証するファクトチェックをもっとやるべきだった、との指摘があります。仮に候補者の主張だったとしても、事実に反していることは指摘していいと思います。組織ジャーナリズムだからこそ、できることでもあるはずです。
公益通報者の保護の問題と二元代表制に戻れば、知事選の結果はそれとして、県議会は独自の調査を継続していいと思います。出口調査で告発文書問題の優先度が低かったことからも、県議会の調査の打ち切りを求めているとの民意が知事選で示されたと見ることには無理があります。独自調査は、民意の負託を受けた議会の正当な活動です。
※参考過去記事