ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

戦争と平和を考える特別の新聞~「ヒロシマ新聞」から「しんけん平和新聞」へ

 8月になりました。この十数年来、わたしにとっては戦争と平和を考える特別な時間です。

 広島市に本社を置く中国新聞社の従業員でつくる中国新聞労働組合は戦後50年の1995年8月、「ヒロシマ新聞」を制作しました。原爆投下によって、中国新聞社は45年8月7日付の新聞を発行できませんでした。その空白の紙面を、中国新聞労組の組合員が、現代の視点で原爆禍を報じるとしたらこんな紙面になるだろうと考えつくった新聞です。

 その紙面が、制作から25年たって、ことし8月1日から広島市中区の平和記念公園内の被爆建物レストハウスで販売されているそうです。中国新聞の記事によると、A4判のバッグ型クリアファイルに説明書とともに入れ、5千セットを作ったとのことです。1セット550円。 

※中国新聞「45年8月7日付の本社労組製作新聞 レストハウスで販売」=2020年7月31日

 https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=667728&comment_sub_id=0&category_id=256

www.chugoku-np.co.jp

 わたしはこの「ヒロシマ新聞」のことを2004年に新聞労連の委員長職に就いて知りました。紙面には被爆地の新聞記者たちの思いがぎっしり詰まっているように思いました。戦後60年を翌年に控え、その年の秋には沖縄の琉球新報社が、沖縄戦を同じように現代の視点で報じる「沖縄戦新聞」の発行を始めていました。沖縄戦を同じ日付で再現して毎週、再現新聞として紙面化する試みでした。新聞労連でも戦後60年の企画を何かやりたいと考えたときに、頭に浮かんだのがヒロシマ新聞であり、沖縄戦新聞でした。「新聞産業の労働組合なのだから、新聞を作ろう」と、2005年に「しんけん平和新聞」創刊号を作りました。

 1945年8月の敗戦を、現代の視点でわたしたちが報じたらこのような記事になる、という紙面でした。新聞労連の活動の一つに、新聞紙面のジャーナリズムや取材・報道の倫理などを対象にした「新聞研究」があり、略して「新研(しんけん)」と呼びます。題号はここから取りました。「真剣に平和を考える、そのための新聞に」という思いも込めていました。1面トップには「日本が無条件降伏」「ポツダム宣言受諾」「15年戦争 2000万人犠牲」の見出しが並びました。中国新聞労組、長崎新聞労組、新聞労連沖縄地連にも参加してもらい、それぞれ2ページずつを作ってもらいました。また、加盟労組のいくつかは、それぞれの地域での戦争を同じように現代の視点でとらえた記事にして送ってくれました。全国の新聞労組が参加してこの紙面を作ること自体が運動であり、作った紙面を社会に広げていくことが第2の運動だと呼びかけました。翌年の第2号は、1947年5月3日の日本国憲法施行をテーマにしました。

 わたしは2年で委員長を退任しましたが、この企画は1年に1号ずつ、10年間続きました。今は労働組合に所属していない働き方の身ですが、労働者の地位と待遇の向上を求める労働運動は、平和のための運動でもある、との考えは変わりません。

 中国新聞労組は戦後60年の2005年、「ヒロシマ新聞」をデジタル化しています。記事がウエッブで読めます。

 http://www.hiroshima-shinbun.com/top.html 

 以下は新聞労連委員長当時に運営していた旧ブログで「しんけん平和新聞」を紹介した記事です。

※ブログ「ニュースワーカー」

 「しんけん平和新聞」=2005年8月3日

 https://newsworker.exblog.jp/2422562/

newsworker.exblog.jp

 「しんけん平和新聞第2号」=2006年4月29日

 https://newsworker.exblog.jp/3845882/

newsworker.exblog.jp