ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

25年前の検察庁ペンキ事件―特捜検察の威信とマスメディア

 東京・霞が関検察庁庁舎で、「検察庁」と刻まれた石の看板にペンキがかけられたと報じられています。
 ※47news=共同通信「『検察庁』石看板にペンキ/器物損壊容疑で60代男逮捕」:2017年5月27日
  https://this.kiji.is/241165609937387529

 警視庁丸の内署は27日、東京地検などが入る中央合同庁舎6号館(東京都千代田区霞が関)の入り口にある「検察庁」と書かれた石看板に、赤いペンキをかけたとして器物損壊容疑で、60代の男を現行犯逮捕した。男は「私がやりました」と容疑を認めている。
 丸の内署によると、27日午後0時40分ごろ、男が石看板にペンキを垂らしている様子を、防犯カメラのモニターで守衛が確認。男を5人で取り押さえて110番し、駆け付けた署員に引き渡した。同署が動機などを調べている。

 「検察庁にペンキ」で思い出したのは、25年前の1992年に東京地検特捜部が捜査を手掛けた東京佐川急便事件です。
 東京佐川急便オーナー経営者らによる巨額の特別背任事件の捜査を経て、当時「政界のドン」「キングメーカー」と呼ばれていた金丸信自民党副総裁が、オーナー経営者から5億円もの闇献金を受けていた疑いが浮上しました。東京地検特捜部は92年8月、金丸氏に出頭を要請しますが、金丸氏は代理人を通じて5億円の受け取りと政治資金規正法違反の容疑を認める上申書を提出して、出頭には応じませんでした。政治資金の無届けは当時、最高刑が罰金20万円で、禁固刑や懲役刑の罰則がなく、特捜部は逮捕も事情聴取もしないまま9月に略式起訴し、金丸氏側が罰金20万円を支払って捜査は終結してしまいました。
 この結末に対して世論の批判は検察に向かい、表札にペンキがかけられました。私の記憶では、このときのペンキは黄色でした。「検察は正義を行っているのかあ」と叫びながら近づいた男性が瓶入りのペンキを投げつけ、その場で警備員に取り押さえられたと報じられました。男性は公判で、巨悪の摘発を特捜部に期待していたのに裏切られて腹が立った、という趣旨の供述をしました。検察への批判は、翌93年3月に特捜部が、ひそかに金丸氏周辺の内偵を進めていた東京国税局との合同捜査で金丸氏の巨額脱税を暴き、逮捕するまで続きました。おおむね以上のように記憶しています。
 この金丸氏の逮捕によって検察は面目を施し、以後、仙台市長や茨木茨城県知事を逮捕するゼネコン汚職捜査へと進みました。一時的に地に墜ちていた威信もその以前と同じように取り戻し、特捜検察は「正義の味方」であるかのように、マスメディアももてはやす状況が続いていきました。実は、マスメディアの「権力の監視」はそうした特捜検察にも向けられていなければならなかったはずですが、そうした報道はほとんど目にすることがありませんでした。そして2010年、大阪地検特捜部の検事が証拠に不正に手を加えていたことが発覚しました。証拠改ざん・隠ぺい事件です。結果的に特捜検察は驕るだけ驕ってしまい、結果を出せば何でも許されると思ったのか、証拠に手を加える検事が出てくるまでに堕落してしまいました。それは一面では、マスメディアが特捜検察を極限まで増長させてしまったことの帰結でもあったのだと、私は考えています。
 東京佐川急便事件の捜査が行われていた当時、私は30代前半の社会部記者で、司法担当としてこの事件を取材していました。今振り返ると、この事件はいわゆる「55年体制」の崩壊へとつながる大きな出来事だったのですが、当時の私と言えば取材に追われる日々を生き抜くのがやっとでした。目の前に見えていたのは、すごく狭い光景でした。それでも、と言うべきか、だからこそ、かもしれませんが、特捜検察を増長させたマスメディアの当事者性から私も逃れえないと考えています。

 以下は、2011年に特捜検察腐敗とメディアについて書いたこのブログの記事です。よろしければご覧ください。

※「メディア総研が『提言・検察とメディア』公表〜検察問題にマスメディアは当事者性がある」2011年2月13日
 http://d.hatena.ne.jp/news-worker/20110213/1297540628

 「検察庁にペンキ」と聞いて、以上のようなことを思いました。さて、今回のペンキは赤だそうです。容疑者は何を思ってのことでしょうか。

※参考
・ウイキペディア 金丸信
・ウイキペディア 東京佐川急便事件
・ウイキペディア 大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件


【追記】2017年5月28日12時45分
 「25年前の『検察庁にペンキ』―特捜検察の威信とマスメディア」から改題しました。