伊丹万作が遺した警句「だまされる罪」

 伊丹万作という戦前に活躍した映画監督、脚本家がいます。同じく映画人として活躍した故伊丹十三さんの父親です。グーグルで「伊丹万作」を検索すると、1ページ目にこのブログの5年前の記事が表示されることに気付きました(2018年8月1日現在)。このブログの中では、今も比較的よく読まれている1本のようです。

※「伊丹万作『戦争責任者の問題』と憲法96条〜『だまされる罪』と立憲主義」=2013年5月7日

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 この小文は、安倍晋三首相が、改憲の発議には衆参両院の3分2以上が必要という憲法96条の規定を改めて、発議のハードルを下げようと言い出していた時期に書きました。もう5年もたったのかと思うと同時に、1946年当時に伊丹が遺した「だまされることの罪」という警句は今日、安倍晋三首相のもとで政権や与党の倫理や規律と言ったものが底割れしているように思える中で、なお一層広く知られていいと感じます。
 ほんの一例を挙げれば、森友学園への国有地売却を巡り、財務省が公文書を改ざんし国会でも虚偽の答弁をした。しかし、その中心になったとされる元局長は罪に問われず、偽証罪の告発も見送られました。財務省では女性記者に対する次官のセクハラもありましたが、麻生太郎財務相はろくに責任らしい責任を取らず、職を辞することもありません。与党を巡る最近の問題では、自民党の杉田水脈衆院議員のLGBT差別投稿を自民党は放置しています。このような状況でも、マスメディアの世論調査では内閣支持率は悪くても30%台半ば程度で下げ止まります。政権運営には支障もなく、安倍首相は3選を目指す自民党総裁選の準備に余念がありません。
 おかしなことがいくつも起きているのに、責任の所在が明らかにならないー。森友学園や加計学園の問題で言えば、安倍内閣支持層はそもそもこれらの問題に関心がない、という世論調査の分析結果もありました。伊丹は「『だまされていた』という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである」と書き残しています。5年前のブログ記事と「戦争責任者の問題」を読み返すにつけ、今の日本社会をどう見るか、伊丹に聞いてみたくなります。