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沖縄戦から76年 犠牲者を悼み、歴史に学ぶ~「教訓を後世に」(琉球新報)、「記憶継承へ支援の輪を」(沖縄タイムス)

 6月23日は沖縄の「慰霊の日」です。第2次大戦末期の沖縄戦で、沖縄守備隊の第32軍・牛島満司令官と長勇参謀長が自決して指揮系統は消滅、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日です。76年前、沖縄は日本軍の本土決戦までの時間稼ぎの捨て石にされました。守備隊司令部の最後の命令は降伏を認めない内容であったことから、その後も戦闘は続き、犠牲者も増え続けました。
 沖縄戦は、住民の生活の場で地上戦が行われた戦いです。米軍が首里城の日本軍司令部壕に迫ると、日本軍は司令部を南部に移して戦闘を継続しました。南部では避難住民と軍が入り混じることになり、住民の犠牲が増えました。「軍隊は住民を守らない」が、沖縄戦の最大の教訓です。 
 沖縄戦に続く米国支配と日本復帰後の基地の過剰負担は、同時代の出来事です。沖縄の人たちが自らの意思で選び取ったものではありません。沖縄の民意の反対を押し切って続く辺野古の新基地建設など、今も続く基地の過剰負担は、日本本土の住民こそ当事者です。沖縄にそれを強いる日本政府は、民主主義の正当な手続きを経て成り立っているからです。日本国の主権者である以上は、菅義偉内閣や自民党を支持していない、と言ってみても、その当事者の立場を免れることはできません。
 今を生きる一人として、戦争の犠牲者を悼み、歴史に学び、歴史の改ざんには反対し、将来を考えていきたいと思います。

 沖縄では近年、沖縄戦の記憶と教訓の継承が課題になっているとのことです。琉球新報と沖縄タイムスの23日付の社説を紹介し、一部を書きとめておきます。

▼琉球新報「『慰霊の日』に誓う 沖縄戦の教訓を後世に」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1342597.html

 県民が「よく協力しました」という表現は実態と異なる。沖縄戦直前、日本軍は大規模な防衛召集を実施し約2万人の県民を動員した。師範学校や旧制中学校など14歳以上の男子学徒も防衛召集された。しかし法的な根拠ははっきりしない。女子学徒についても軍の看護婦として召集するような法的根拠はない。
 (中略)
 「日本軍はよく戦い」という表記も適切ではない。日本軍は兵士に生還を許さない陸、海、空の特攻を命じた。大本営が作成した沖縄戦の戦訓は「爆薬肉攻は威力大なり」と記述している。つまり「よく戦い」の実例として、爆薬を抱えた自殺攻撃を挙げている。これが実態である。
 「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない「積極的平和」の実現を誓いたい。

▼沖縄タイムス「[コロナ下の慰霊の日]記憶継承へ支援の輪を」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/774549

 支援の動きはさまざまな形で表れ始めている。
 MONGOL800のキヨサクさんの呼び掛けに民謡歌手の古謝美佐子さん、Kiroroの玉城千春さんが応え、ひめゆりの塔前でミニライブが開かれた。
 慰霊の日にネットで有料配信し、寄付を募るという。
 「平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早い」。キヨサクさんの歌のメッセージは、若者に届く言葉の大切さに気付かせてくれる。
 白梅学徒隊の体験を継承するために結成された「若梅会」(いのうえちず代表)の活動もユニークだ。
 学徒の足跡をたどれる地図作りやリモート講話など、インターネットを駆使した継承に取り組む。糸満市真栄里にある白梅之塔が老朽化しているため、修繕に必要な費用の支援も呼び掛けている。
 次世代継承の「新しい形」が、さまざまな場で生まれつつある。
 戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。 なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。