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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

石原元都知事の差別発言の扱い、東京新聞編集局長「責任を痛感」~「石原節」の表現が暴言や失言を容認する風潮招いた

 2月13日(日)付の東京新聞朝刊5面(社説・意見)のコラム「新聞を編む」に、「言葉の作用 責任を痛感」の見出しで、同紙の大場司・編集局長(中日新聞東京本社編集局長)の一文が掲載されています。石原慎太郎・元東京都知事の訃報に対して、読者からたくさんの批判、とりわけ差別発言の報じ方に厳しい指摘が相次いでいるとして、以下のような声を紹介しています。
 「功績を持ち上げ、差別発言を石原節で済ませる始末」
 「多大な影響を与える立場でありながら、その差別意識をまき散らしていたことは、○○節で済まされることなのでしょうか?」 

 そして大場編集局長は、東京新聞が過去に何度も「石原節」の表現を使っていたこと、差別発言を「石原節」として報じることが「この人だから仕方がない」と発言を容認することにつながることを認めて、以下のように記しています。

 言葉の作用に敏感であるべき新聞が、率先して差別発言を容認するような表現を繰り返してきたこと。そのことが、政治家の暴言や失言を容認する風潮を生み出していったこと。今、この責任を痛感しています。
 新聞記事は歴史の記録であり、後世にまで残ります。読者の批判を受け止め、石原氏の差別発言を考える特集を後日掲載します。

 このブログに2月6日にアップした記事で、わたしはこの「慎太郎節」「石原節」について、差別発言に詳しく触れることを避ける用法であって、後世に、“石原慎太郎”の実像をありのままに伝えることができるかどうか疑問であり、歴史の記録を残すジャーナリズムの責任を果たせないと書きました。

news-worker.hatenablog.com

 やはり同じことを、東京新聞の多くの読者が感じていました。その批判を真摯に受け止め、後日の特集記事掲載を表明した大場編集局長と東京新聞に、敬意を表します。人間の営みである以上、誤ることがあるのは仕方がありません。問われるのはその先、誤りを認めて教訓を残し、その先のより良い未来につなげることができるかどうかです。
 前述のブログ記事に書いた通り、「慎太郎節」「石原節」の表現は他紙も使っています。東京新聞に続く動きがあるのか、注視したいと思います。

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 石原元知事の言動をめぐっては、「自主憲法の制定」との主張は、憲法99条が規定する公務員の憲法尊重、擁護の義務に違反している、との論点もあります。この点に対しても、今からでもジャーナリズムによる検証があっていいと思います。

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※追記 2022年2月16日8時30分

 予告の特集記事は2月15日付の朝刊に掲載されました。

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