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何のための「国葬」か、もはや“迷走”~地方紙から続く批判、疑問

 岸田文雄首相は8月31日の記者会見で、旧統一教会と自民党の国会議員との関係や安倍晋三元首相の国葬を巡って「政権の初心に帰って丁寧な説明に全力を尽くしてまいります」と話しましたが、旧統一教会の調査にどこまで本気なのかは疑問で、国葬の理由も理由になっていないと言わざるを得ない内容でした。いくつかの地方紙が、社説や論説でやはり批判しているのを目にしました。
 信濃毎日新聞の9月1日付社説は、岸田首相が会見で「説明する」と繰り返すだけで質問に答えなかったことに対し「国会でも取り繕うだけで実質的に逃げ続け、なし崩しに27日の実施を迎える。そんな状況になりかねない」との危惧を示しています。また、広く弔意の表明を求める閣議了解を見送ったことについて、歴代首相経験者の内閣・自民党合同葬では行っていたことを指摘して「批判回避に躍起になるあまり、説明の付かない状態に陥っている」と指摘しています。同感です。
 会見で岸田首相が、海外の要人を迎えることを理由の前面に出したことに対しても、「変更できない要因になりはしても、決定した理由にはならない」(高知新聞)、「今回は出席しない米大統領らが過去の首相経験者の葬儀に参列している。まったく説得力がない」(京都新聞)などの批判が出ています。
 会見の前の掲載ですが、河北新報は8月31日付の社説で「国内での弔意の示し方も、過去の内閣・自民党合同葬などより後退させるという」「いずれも世論の逆風をかわす小手先の説明や対応で、政府自ら『国葬』が本来備えるべき意義や格式を損なっているように見える」「これでは国民の思いがこもらぬ、空虚な前例を作ることになりかねない」と辛辣に指摘しています。
 わたしはこのブログで、法的根拠のない国葬を閣議決定で強行するのは法治の逸脱だと書いてきました。加えて、何のために行うのか分からない、死者への敬意も感じられない現状は、もはや“迷走”と呼んでいいように思います。

 以下に、岸田首相の会見前後にネット上で目にした地方紙の社説、論説の見出しと、本文の一部を書きとめておきます。

【9月2日付】
▼高知新聞「【首相の姿勢】不信招いた後手対応」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/590514

 国葬を営む理由として、安倍氏の首相在任期間が歴代最長だったことのほか、国際社会から弔意が寄せられることなどが挙げられてきた。ここへきて、海外要人を迎える儀礼上の必要性が前面に出る。だがそれは変更できない要因になりはしても、決定した理由にはならない。
 首相が国葬を判断したのは、安倍氏がまとめてきた保守勢力との関係を維持したい狙いも指摘される。党内基盤を強めたいのだろう。その思いが先走って説明を脇へ押しやれば、理解は得られるはずはない。
 首相は国会の閉会中審査に出席し、説明責任を果たす考えを表明した。首相の新型コロナウイルス感染による療養はあったとはいえ、もっと早くの説明が求められた。疑念や反発を深刻に受け止めず、やり過ごそうとしていたのなら問題だ。

▼琉球新報「国葬・旧統一教会問題 首相説明は中途半端だ」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1576225.html

 低姿勢だったが中途半端な説明に終始し、国民の理解が得られたとは到底言えない。
 岸田文雄首相は8月31日の記者会見で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党の関係を断つと明言した。
 旧統一教会との関係について首相は「党として実態を明らかにして関係を断ち、信頼回復につなげたい」と述べた。だが、半世紀にわたる関係をどのようにして清算するのか明らかにしなかった。
 安倍晋三元首相の国葬の理由として、海外要人に応対する外交儀礼を前面に出した。要人対応なら憲法や法律にも明確に定められていない国葬を行ってもいいのだろうか。

【9月1日付】
▼信濃毎日新聞「国葬実施の説明 批判を受け止めるのなら」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022090100144

 岸田文雄首相が記者会見で、安倍晋三元首相の国葬について国会の閉会中審査で説明すると表明した。
 世論の反発を「真摯(しんし)に受け止め、正面から答える」と強調している。
 そう思うのなら、まず会見で正面から質問に答えるべきだった。「説明する」と繰り返すばかりで数々の疑問が残されたままだ。
 国会でも取り繕うだけで実質的に逃げ続け、なし崩しに27日の実施を迎える。そんな状況になりかねない。各党は、閉会中審査で国葬を巡る問題点を厳しく追及しなければならない。
 (中略)
 政府は先日、行政機関などに広く弔旗掲揚や黙とうを求める閣議了解を見送った。歴代首相経験者の内閣・自民党合同葬の際には行っていた対応である。
 合同葬の費用の国負担は半分。国葬は国の全額負担だ。批判回避に躍起になるあまり、説明の付かない状態に陥っている。
 首相は会見で国葬実施の基準策定について問われ、「時の政府が総合判断し、決定するのがあるべき姿」と述べた。現状は実施の法的根拠も不明確だ。政府が勝手に決めて構わないとは、国会や民意をどう考えているのか。

▼新潟日報「首相会見 国会召集し説明を尽くせ」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/106458

 国会での議論も十分な説明もないまま、重要案件を一方的に決めていく。それでは国民に不信が広がっても不思議ではない。

 首相は政治への信頼が揺らいでいると自覚するのなら、速やかに臨時国会を召集し、論戦を通して説明を尽くすべきだ。

▼京都新聞「岸田首相会見 国会開き責任を果たせ」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/869924

 国葬について野党は法的根拠がないと批判し、多くの国民も反対している。
 首相は「国民の弔意を強制するものではない」とする一方、多数の海外要人が参列を希望しており「各国からの敬意と弔意に、国として礼節を持って応えることが必要だ」と説明した。
 だが各国が弔意を示すのは通常の外交儀礼であり、今回は出席しない米大統領らが過去の首相経験者の葬儀に参列している。まったく説得力がない。
 首相は「丁寧な説明に全力を尽くし、国民の理解を得ながら国葬を行いたい」と述べ、国会の閉会中審査に出席する考えを表明した。拙速な決定と説明不足が招いた反対世論である。いったん白紙に戻して熟議すべきだ。
 (中略)
 内閣支持率は急落している。国葬を拙速に決める一方、教団との関係見直しは今頃になるなど、首相のちぐはぐさが最大の要因だろう。会見を聞く限り、姿勢が改まったとは思えない。

▼南日本新聞「[安倍氏国葬] 批判の声にどう答える」
 https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=161997

 対象者などを規定した法令は現在ない。政府は1960年代前半に国葬の根拠法制定を検討したものの、対象者の選定基準を作るのが難しく、立ち消えになった経緯がある。
 時の政権が対象者を恣意(しい)的に判断し、今回のように国葬の日程や費用を閣議で決定できる余地を残した。国会の審議を経なかったことが、国民の批判を招いた一因とも言えるだろう。
 国葬が弔意の強制につながりかねないとの懸念も根強い。政府が地方公共団体や教育委員会に弔意表明を求めないとしたのは、反対論の拡大を避けたい思惑があるからに違いない。ただ、国葬は国を挙げて営む行事である。強制性を生まないか注視したい。

【8月31日付】
▼河北新報「『国葬』巡る政府対応 国民不在、本来の意義損なう」
 https://kahoku.news/articles/20220831khn000007.html

 そもそも、これを「国葬」と呼べるのだろうか。
 国として執り行うのは「海外からの弔意に国際儀礼として応える必要がある」(松野博一官房長官)ためで、主権者たる国民の意思はまるで二の次といった口ぶりだ。
 国内での弔意の示し方も、過去の内閣・自民党合同葬などより後退させるという。
 いずれも世論の逆風をかわす小手先の説明や対応で、政府自ら「国葬」が本来備えるべき意義や格式を損なっているように見える。
 これでは国民の思いがこもらぬ、空虚な前例を作ることになりかねない。岸田文雄首相は国民の疑問や批判に向き合い、ただちに国会審議に応じて説明を尽くすべきだ。

【8月30日付】
▼中日新聞・東京新聞「国葬 予備費から 財政民主主義に反する」
 https://www.chunichi.co.jp/article/535348

 財政法は自然災害など不測の事態に備えるため、毎年度の予算編成であらかじめ使途を定めない予備費の計上を認めており、その使途は国会審議を経ず、閣議決定のみで決めることができる。二〇二二年度当初予算では一般予備費五千億円が計上されている。
 しかし、安倍氏の国葬は亡くなってから二カ月半後に行われる予定で、災害などと比べると緊急性が高いとは言えない。
 憲法は「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」とする。この規定が財政民主主義の根拠であり財政の基本原則だ。
 国葬に法的根拠はなく、国民の賛否も割れている。こうした状況下で国会審議を経ず、予備費を使って国葬を強行すれば、財政民主主義を破壊する行為と言わざるを得ない。
 さらに看過できないのは、国葬にかかる費用の全体像を明示していないことだ。国葬費用は国民から徴収した税でまかなわれるにもかかわらず、規模や詳しい使途を国民に伝えないのは到底納得できない。国葬への逆風が強まる中、意図的に予算規模を小さく見せようとしているのではないか。

【8月29日付】
▼琉球新報「迷走する岸田政権 なぜ民意と向き合わない」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1574050.html

 岸田文雄首相の「聞く力」は、党内向けだったのかと疑念が湧き起こる。安倍晋三元首相の国葬を巡る民意との差や、政治と宗教の関係性が問われる世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る自民党内の対応、改造内閣の顔ぶれなど迷走と言わざるを得ない。

 岸田氏は主権者である国民の視点に立った政権運営を心掛けるべきだ。できないなら改めて民意を問うしかない。

 全国紙は記者会見翌日の9月1日付で、朝日、毎日、読売、産経の4紙が社説で取り上げました。読売新聞が国葬への批判を批判していることは、一つ前の記事でも触れました。これまでは必ずしも「国葬支持」は明確ではなかったように感じていたのですが、ここにきて「支持を」を鮮明にしました。
 当初から「支持」というよりも強く推していた産経新聞は、広く弔意の表明を求める閣議了解を岸田首相が見送ったことに対し「残念だった」とし「国民に弔意の表明を強制するとの誤解を招かないためというが、誤解は正面から解くべきだ」と主張しています。ここに来て、岸田首相の迷走ぶりは、国葬を支持する人たちからも批判を浴びています。

【9月1日付】
▼朝日新聞「『国葬』・教団 信頼回復 言葉だけでは」
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15403256.html

 極めて異例となる安倍元首相の「国葬」は、決めた本人が国会できちんと説明する。
 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係は、所属議員それぞれに対応をゆだねるのではなく、党が責任を持ってチェックし、関係を断たせる。
 こんな当たり前の判断に1カ月半もかかるとは、岸田首相は世論を甘く見ていたというほかない。この間に失われた信頼は大きく、納得のいく説明と確実な実行を伴わなければ、回復は容易ではないと知るべきだ。

▼毎日新聞「自民の旧統一教会調査 解明には程遠い首相指示」
 https://mainichi.jp/articles/20220901/ddm/005/070/071000c

 銃撃事件で死去した安倍晋三元首相は、関連団体のイベントにビデオメッセージを送っていた。参院選で教団の組織票のとりまとめをしていたとの証言もある。安倍氏と教団の関係を検証することは、実態解明には避けて通れない。
 にもかかわらず、首相は安倍氏が亡くなったことを理由に、「限界がある」と否定的だ。
 政策決定に影響を与えたかどうかも焦点だが、調査する姿勢は見られない。
 第2次安倍政権下の2015年に、宗教法人を管轄する文化庁が名称変更を認めた。これにより霊感商法や高額献金がトラブルになっていた教団の実態が隠され、被害が続いた可能性がある。その経緯が明らかになっていない。

▼読売新聞「首相記者会見 政策遂行し着実に成果出せ」
 https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20220831-OYT1T50259/

 安倍元首相の銃撃事件を機に、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と多くの政治家の関わりが明らかになった。首相は「自民党として、団体と関係を断つことを基本方針とする」と語った。
 霊感商法など団体の反社会的な活動は許されない。政府と与野党は実態を解明し、必要な対策を打ち出すべきだ。だが、政治家が関連団体の取材を受けたり、会合に祝辞を贈ったりしたことの追及に終始するのは、理解に苦しむ。
 一部の野党が、旧統一教会の問題と安倍氏の国葬を結びつけて批判しているのは、合理性を欠く。「国葬は国民への弔意の強制につながる」といった声高な反対は、素直に弔意を表したい人への心理的な圧迫になりかねない。
 計8年8か月、首相の重責を務めた人を国葬で見送ることは、何ら不自然ではあるまい。

▼産経新聞「安倍元首相の国葬 万全尽くし堂々と実施を」
 https://www.sankei.com/article/20220901-6JT6VMHU7JIIVCNRMWHCJ3BYEU/

 首相は国会の閉会中審査に出席して説明する考えも示した。野党は政権攻撃のために国葬を政治利用するような真似(まね)はやめるべきだ。安倍氏が凶弾に倒れて間もない。政見が異なるとしても葬儀を攻撃するのは残念だ。諸外国からどう見られるかを少しは気にしたらどうか。
 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍氏の関係を理由に国葬を難じる向きもある。
 旧統一教会の影響で安倍政権の重要政策がゆがめられた事実はない。それで国葬に反対するのは無理がありすぎる。
 岸田首相は「本人が亡くなられた今、(関係を)十分に把握することは限界がある。大事なのは(政党が)当該団体との関係を絶つことだ」と述べた。確実に実行することが必要である。
 首相が府省庁による弔旗の掲揚や黙禱(もくとう)の実施を表明したのは当然だが、これらを実施する閣議了解を見送ったのは残念だった。国民に弔意の表明を強制するとの誤解を招かないためというが、誤解は正面から解くべきだ。