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「国葬」が死者の政治利用であることが図らずも明確に~弔意表明を求める閣議了解見送り

 岸田文雄内閣は8月26日の閣議で、9月27日に行う安倍晋三元首相の国葬の費用として、2億4940万円を支出することを決めました。国会の議決を必要としない予備費からの支出となります。ただし、この金額は会場の日本武道館の借り上げ料や会場の設営費とのことです。警察の警備費などは含まれておらず、国葬にかかる費用としては、いったいどれぐらいに上るのか分かりません。今後、マスメディアのチェックが必要です。
 岸田内閣は一方で、弔意の表明を求める閣議了解を見送りました。過去の吉田茂元首相の国葬や、首相経験者の合同葬では、行政機関や国民に広く弔旗の掲揚などを求めていました。今回は日が経つにつれ、国葬に対して世論は賛否二分から反対多数に変わってきています。閣議了解見送りは、国葬が弔意を強制するものではないことを示す狙いがある、と伝えられています。しかし国葬は文字通り、国を挙げての弔意の元に死者を送る儀式です。弔意の表明を呼びかけないのであれば、いったい何のための国葬なのか、ということになります。
 閣議決定の2日前、24日には自民党の二階俊博元幹事長が講演で、国葬について「当たり前のことですよ。やらなかったらバカ」(朝日新聞)と話したことも報じられました。なぜやらなかったらバカなのか。逆に言えば、国葬を強行することに合理的で整然とした説明ができなくなっていることを如実に示すエピソードだと感じます。
 国を挙げての弔意の表明に値するからこその「国葬」のはずです。本当に必要な国葬ならば、政府は堂々と弔意の表明を要請すればいい。それを見送るのなら、国葬も中止するのが筋でしょう。岸田首相が国会で堂々と国葬の意義を語るでもなく、政権党の幹部は「やらなければバカだ」としか説明できない。そこに死者への敬意を感じ取ることはできません。国葬に賛成の意見の人たちにとっても、受け入れがたいことなのではないでしょうか。
 岸田首相のこの定見の無さは、安倍元首相を強固に支持していた右派層の歓心を買い、自らの政権基盤の安定につなげることを目的に、安倍元首相の死を政治的に利用しようとしたことを、図らずも示してしまっているように感じます。国葬を強行しておかしな前例を残すよりも、いっそ中止し、旧統一教会と安倍元首相、自民党との関係の徹底調査に乗り出した方が、政権の浮揚につながるはずです。世論調査の結果に表れている民意の求めにかなうからです。

 ここに来て、岸田首相が国葬に対する民意を読み違えた、との指摘も報道で目につくようになってきました。そのことはマスメディアも同様であるように思います。特に朝日新聞、毎日新聞両紙は、今でこそ国葬の強行に批判的な論調を展開していますが、岸田首相が7月14日に国葬の方針を表明した当初は違っていました。毎日新聞は国葬自体には反対ではないと読み取れるような、いかにも物分かりがいいと感じる論調でしたし、朝日新聞が初めて社説で取り上げたのは1週間近くもたってからでした。当初から明確に国葬に反対、あるいは批判的な論調の社説、論説を掲載していたのは、いくつかの地方紙です。

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 以下に、8月26日の閣議決定に対する社説、論説のうち、目に付いたものを記録しておきます。
【8月28日付】
▼朝日新聞「安倍氏『国葬』 疑問は膨らむばかりだ」
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15399678.html

 数々の疑問に答えず、社会に亀裂と不信を残したまま、既成事実を積み重ねるつもりなのか。岸田首相は、国民から厳しい目が注がれていることを自覚し、立ち止まるべきだ。
(中略)
 安倍氏は憲政史上最長の8年8カ月間、首相を務めた。だがその政策の評価はいまだ定まらず、「モリカケ桜」では政権を私物化した疑惑がぬぐえない。加えて、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関係も明らかになってきている。
(中略)
 首相は、教団と関係を持たないことを自民党のガバナンスコードに盛り込み、チェック体制を強化すると表明した。であれば安倍氏についても調査を尽くし、明らかにするのが当然ではないか。その作業抜きに「国民の皆さんの不信を払拭(ふっしょく)する」といっても説得力を欠く。

【8月27日付】
▼毎日新聞「説明なき『国葬』 これでは納得ができない」
 https://mainichi.jp/articles/20220827/ddm/005/070/152000c

 そもそも国葬には、明確な法的根拠がない。
 政府は、内閣府設置法が定める「国の儀式」として行う方針だが、同法は皇室行事に適用されてきた。政治家の葬儀を対象にしたことはない。基準や内容の規定もなく、時の政権によって恣意(しい)的に運用されかねない。
 (中略)
 首相は国民の疑問に真摯(しんし)に答える姿勢を欠いている。
 「さまざまな機会を通じて丁寧に説明する」と言いながら、野党が求める臨時国会の早期召集に応じず、国葬に関する閉会中審査もまだ開かれていない。
 政治不信を招いている旧統一教会の問題でも、対応が後手に回り、うみを出し切る覚悟は見えない。
 こうした状況下で国葬の準備をなし崩しに進めても、世論の分断を深めるだけだ。葬儀のあり方を含め、ふさわしい環境を整える責任は首相にある。

▼北海道新聞「安倍氏の国葬 理解なき強行分断招く」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/722559/

 共同通信の今月の調査では、国葬が適当との首相の説明に「納得できない」とする回答が半数を超えていた。
 野党が求める臨時国会を早期に召集し、予算委員会で費用だけでなく、国葬とする基準などについても徹底的に議論するのが筋だ。
 戦後の首相経験者で唯一の先例である1967年の吉田茂氏の国葬では、政府が官庁に弔旗掲揚や黙とうなどを求めることを閣議了解した。
 2020年の中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬などでも、同様の対応を取っており、閣議了解を見送るのは異例という。
 ただ、各府省で個別に黙とうなどを実施することは否定しておらず、小手先のごまかしというほかない。
 国葬という形式そのものが疑問視されていることを政府は認識する必要がある。

▼信濃毎日新聞「安倍氏国葬費用 何のためか分からぬまま」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022082700045

 国葬を通じて「民主主義を断固守り抜く」との首相の言い分は通らない。銃殺事件で浮かび上がったのは、政界と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の深い関わりだ。いまも連日のように、議員との接点が発覚している。
 世論調査を見れば、時の経過とともに、国葬に反対が賛成を上回る傾向にある。安倍氏の功績のみを国家がたたえる儀式の押し付けに違和感を抱く向きは強い。
 政権は、省庁や関係機関に弔意の表明を求める閣議了解は見送った。が、同調圧力が働き、強制につながる懸念を拭えない。
 自民党の二階俊博氏は24日の講演で、国民の反対があっても「国葬をやめるわけではない。当たり前のことで、やらなかったらばかだ」と言い放った。
 国葬に法的根拠がない以上、広く国民の理解を得るのが最低条件だろう。主権者を誰だと考えるのか。見識を疑わざるを得ない。
 安倍氏の家族葬は済んでいる。国葬にこだわるにせよ、国会で与野党が合意できる規則をつくり、国民の理解を得てから検討するのが筋道のはずだ。

▼高知新聞「【安倍氏の国葬】納得を得ぬまま進むのか」
 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/589128

 解消されない疑問にはまず法的根拠がある。戦前の国葬令は失効している。戦後、国葬が行われた首相経験者は1967年の吉田茂氏のみ。安倍氏と同じく従一位と大勲位菊花章頸飾を受けた中曽根氏は内閣と自民の合同葬、佐藤栄作氏は内閣と自民、国民有志による国民葬だった。
 安倍氏は中曽根、佐藤両氏とどう違うのか。政府は内閣府設置法が定める「国の儀式」として国葬は閣議決定できるとするが、対象者の基準は示されておらず曖昧なままだ。
 首相は10日、国際社会が弔意を示しているとして「公式行事として開催し、各国代表をお招きする形式で行うことが適切」と述べたが、説明になっていないということだろう。
 (中略)
 安倍政権の実績や功罪にはまだ評価が定まっていないものも多い。加えて安倍氏銃撃事件の容疑者の供述から、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民議員の接点には厳しい目が向けられている。
 世論調査では党や所属議員の説明が不足しているとの回答が9割近くに上る。こうした疑念も国民の国葬への視線と無関係ではあるまい。
 国葬に関して、国会で徹底論議することを求める。岸田首相は自ら掲げる「聞く力」に加え、説明する力も発揮しなければならない。

▼沖縄タイムス「[国葬概要閣議決定]やはり問題が多すぎる」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1014394

 国葬の是非について、世論は割れている。共同通信が実施した調査では反対が半数を超えた。
 全額を国費で賄うにもかかわらず、国会の審議を経ずに決定されたことにも大きな疑問が残る。
 私たちはこれまで社説で、国葬の再考を求めてきたが、今回の決定の在り方を見ると、反対の意思を明確にせざるを得ない。
 そもそも国葬には法的根拠がない。
 戦前に制定された国葬令は現行憲法の施行に伴い1947年に失効している。
 戦後、国葬が行われたのは67年の吉田茂元首相だけだ。吉田氏の国葬の際も反対があった。その後、基準を作るべきだとの認識で与野党が一致したが、そのまま放置された。
 そんな中、なぜ根拠もないまま国葬を行うのか。
 安倍氏の功績については、経済政策「アベノミクス」や安保関連法案などを巡り、評価が割れるところだ。
 岸田文雄首相は、安倍氏の首相在職期間が憲政史上最長で、外国からの評価が高く、幅広い追悼の意が寄せられていることを理由に挙げる。
 しかし、いずれも国葬実施の根拠にはならない。

 

 安倍元首相が死亡した後、葬儀に合わせて東京都や仙台市などいくつかの自治体では、学校に半旗を掲揚するよう教育委員会が求めていました。国葬の大きな論点である「弔意の強制」にかかわる問題です。仙台市の地元紙である河北新報が8月13日付の社説で、仙台市に批判的な見解を掲載しているのが目に付きました。弔意が「情緒」の問題であること、しかし民主主義のルールで重要なのは「法に照らした是非」であることを指摘する内容です。国葬を巡る議論の本質をも突いているように思います。
【8月13日】
▼河北新報「教委への半旗掲揚依頼 『情緒』が問題なのではない」
 https://kahoku.news/articles/20220813khn000004.html

 仙台市教委が市総務局の依頼通知を受け、安倍晋三元首相の葬儀に合わせ半旗掲揚を全市立学校に求めた問題を巡り、郡和子市長は9日の定例記者会見で「弔意を表す半旗掲揚は当然」と、市の対応に誤りはないと繰り返した。
 市役所本庁舎に半旗を掲げて哀悼の意を示すなら賛否はあるにせよ、市の判断として一応は是認されよう。問題は市教委を通じて学校に半旗を掲げさせることの是非だ。
 (中略)
 一方で、安倍氏については政治的功罪への評価が国民の間で分かれ、国葬についても世論調査などで反対意見が増えている。そうした政治家をたたえて学校が掲げた半旗が子どもたちの目にどう映るか、その点を第一に考えるべきではなかったか。
 行政組織が法律の執行機関である以上、今回のケースで仙台市が最優先する必要があるのは教育基本法の理念だ。その意味で安倍氏の死去当日、政府から何らの要請もない段階で半旗掲揚を教委にも求めた市の無頓着さに驚く。そして、法に照らした是非を問う疑義に対し、弔意という「情緒」を持ち出して市の対応を正当化しようとするのは筋違いと言わざるを得ない。

 一方、産経新聞は16日付の社説(「主張」)で、「弔意を表す半旗掲揚のどこが悪いのか理解に苦しむ」「弔意を妨げる不当な主張を学校に押し付けることこそ政治的であり、教育の中立を脅かす」と主張し、安倍元首相の国葬でも各学校が半旗を掲揚することを願う、としています。

【8月16日】
▼産経新聞「学校の半旗 弔意を妨げる方が問題だ」
 https://www.sankei.com/article/20220816-TDRAJTKVGRM37K4P37WQS72YJM/

 安倍晋三元首相が先月銃撃されて亡くなったことを受け、教育委員会が公立学校に国旗の半旗掲揚を求めたことに異論や批判が出ている。弔意を表す半旗掲揚のどこが悪いのか理解に苦しむ。
 「教育の中立」を損なうことが批判の理由というが、弔意を妨げる不当な主張を学校に押し付けることこそ政治的であり、教育の中立を脅かす。
(中略)
 9月には安倍氏の国葬が行われる。国民の支持を得て長く政権を預かった元首相を国として追悼するばかりでなく、日本が「暴力に屈せず、民主主義を守り抜く」(岸田文雄首相)姿勢を内外に示す意義が大きいことを本紙は指摘してきた。
 国葬の際には各学校でも半旗を掲揚し、その死去に背を向けることのないように願う。